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【あんときのストリート発掘!】ストリート絶頂の最中に次世代の若者たちが巻き起こした「ランプムーブメント」

写真左から)下野宏明、坂野智則、高橋勤、堀木厚志

Image by: MIMIC

写真左から)下野宏明、坂野智則、高橋勤、堀木厚志

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【あんときのストリート発掘!】ストリート絶頂の最中に次世代の若者たちが巻き起こした「ランプムーブメント」

写真左から)下野宏明、坂野智則、高橋勤、堀木厚志

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 ストリートファッション黎明期の1980年代後半から、絶頂を迎える2000年代初頭までを《あんときのストリート》と定義して当時をゆる〜く掘り起こすウェブメディア「ミミック(MIMIC)」。FASHIONSNAP.COMでの連載第4弾は、裏原宿系・恵比寿系に続く次世代ブランドとして2000年初頭に巻き起こったランプ(LUMP)ムーブメントにフォーカス。今年ブランド設立20周年を迎えた「ウィズ リミテッド(WHIZ LIMITED)」の下野宏明さんに加え、「リバース(Rebirth)」のデザイナーだった堀木厚志さん、「シースウェイ(Seesway)」の高橋勤さん、「ブライトン(BRAITONE)」の坂野智則さんのランプムーブメントの仕掛け人4人をゲストに迎え、ミミックの野田と当時を振り返ります。

【あんときのストリート発掘!】
元編集たちが語る時代を駆け抜けたオーリーと株式会社ミディアム史
・トップセラーと振り返る日本のスニーカー史 「前編:ミタスニーカーズ 国井栄之」「 後編:アトモス 小島奉文
・尾張国へ出張サルベージ、発掘ツアー in 名古屋《前編》《後編

■プロフィール
下野宏明:
1976年東京出身、LUMP co.,ltd.代表。1995年に高橋勤と共にリバースを立ち上げる。「ルーキー・フォー・ハウスホールド(ROOKEY FOR HOUSEHOLD)」を経て2000年に「ウィズ(WHIZ)」をスタート。今年ブランド設立20周年を迎えた。

高橋勤:1976年東京都出身。下野宏明と1995年にリバースを立ち上げる。2001年にセレクトショップ シースウェイを原宿にオープン。同時にオリジナルブランド「シースウェイサティエイト(seesway satiate)」をスタートし、2008年まで展開した。

堀木厚志:1978年東京都出身。1996年からリバースのデザイナーとして活動。2008年に所属していたLUMP co.,ltd.から独立し、自身のブランド「ナダ(NADA.)」をスタートさせる。

坂野智則:1976年愛知県出身。「クラブ・ワイヤー(CLUB WIRE)」「モータウン(MOTORWN)」のスタッフを経て、2001年にブライトンをスタート。2011年までブランドを展開した。

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<ランプムーブメントとは?>
 裏原宿や恵比寿系と呼ばれるシーンの中心メンバーの下の世代が立ち上げたウィズ、リバース、シースウェイ 、ブライトンの4つのブランドとショップ「ランプ」が中心となり、2000年を皮切りに巻き起こったムーブメント。

1995〜2000年リバース、ルーキー・フォー・ハウスホールドを経て、ウィズ立ち上げ

野田:まずは、ウィズ リミテッド20周年おめでとうございます!今回は設立20年の節目ということもあり、2000年頃を境に巻き起こったランプムーブメントについて振り返っていければと思います。と、一見冷静ですが、今このメンバーが揃った光景を見るだけであんときのストリート経験者として感慨深いです......(笑)。

※ウィズ リミテッド:2000年にウィズとしてブランドをスタートし、2003年に現在のブランド名に改名。「単体で個性のある洋服」をスローガンに掲げ、カテゴリーの壁を超えたTOKYO STREETスタイルを展開しています。2012年春夏コレクションは東京ファッションウィークに参加しました。

一同:(笑)。

野田:まずは時計の針を1995年まで戻したいと思います。1995年はウィズこそまだスタートしていませんが、下野さんが高橋さんと共にリバースをスタートさせた年ですね。当時皆さんはどこで働いていたのでしょうか?

※リバース:下野宏明と高橋勤が立ち上げたブランド。1996年には高橋と堀木厚志の2人体制になり、2001年からは堀木がデザイナーに。2008年、堀木の独立に伴い終了しました。

下野:ワールドスポーツプラザです。

※ワールドスポーツプラザ:1988年5月に設立。JリーグやMLBなどのチームジャンパーや関連グッズを販売していました。2004年3月30日に東京地裁に民事再生法を申請。

堀木:僕は高校生だったんですが、「ラビュシュ・ヒープ(RUBBISH HEAP)」というジャンクヤード(JUNK YARD)にあったおもちゃ屋さんでバイトをしていました。

高橋:そのラビュシュ・ヒープの系列店で、原宿のプロペラ通りにあったRHというアパレルのセレクトショップで働いてました。

坂野:ちょうど上京した頃で、新宿のクラブ・ワイヤーで働いていました。

※クラブ・ワイヤー:新宿の花園神社付近で営業していた《あんときのストリート》を語る上では絶対外すことはできない伝説のクラブ「ミロス・ガレージ」の跡地にオープンしたクラブ。レギュラーイベントとしてロンドンナイトが開催されていたことでも有名です。

野田:それぞれどのように知り合ったんですか?

高橋:僕とヤンシタ(=下野)は大学が一緒だったんですよ。アッチ(=堀木)は会社が同じだったし、坂野は友だちを介して知り合って。みんな原宿で遊んでいたので自然と仲良くなった感じです。

高橋勤

野田:なるほど。そして下野さんと高橋さんでリバースをスタートさせますが、立ち上げようと思ったきっかけは何かあったんですか?

高橋:服が好きだから作ってみようという軽いノリのような感じでした。学生時代から徐々に原宿で遊ぶことが増えて、服屋さんで働くようになった、その延長線上というか。

野田:最初は手刷りのTシャツを友だちに販売する形だったと聞きました。

高橋:はい、半分お遊びみたいな感じでした。

下野:うちにMacと「Tシャツくん」があったので家でプリントを刷っていたんですけど、Tシャツの版を洗うと風呂桶が紫になっちゃって。全然落ちなくて親に怒られたり(笑)。

野田:どこで販売していたんですか?

高橋:アッチが働いていたラビュシュ・ヒープで売っていました。あとは鹿児島のお店を紹介してもらったので、そこにも卸して。ナンバリングのスウェットを作ったりもしました。

野田:そして翌年の1996年には、下野さんがルーキー・フォー・ハウスホールドを立ち上げます。これは1人で始めるわけですが、その経緯を教えてください。

下野:僕もツトム(=高橋)も2人ともデザインができるので、一緒にやっても結局は別々のものを作るんですよ。それだったら1人でやった方が良いんじゃないかなと。

野田:ウィズのトレードマークである76のロゴは、この当時から今に伝わる代表作だと思うのですが、76は生まれ年からですか?

下野:そうです。当時10代でブランドをやっている人が全くいなかったんです。だから周りのブランドの人たちとは世代が違うということを知ってもらいたくて、生まれ年をロゴにしました。

野田:高橋さんは下野さんからリバーズを抜けたいという話を聞いたときはどういう心境だったんですか?

高橋:ヤンシタは昔から自分が決めた道を突き進む人だし、僕もそこまで深く考えていなかったです。応援していましたし、嫌な気分は一切しなかったですね。

野田:なるほど。そしてリバースは高橋さんと堀木さんの体制に変わります。高橋さんが堀木さんを誘う形になるんですか?

高橋:たぶん。この時は納品の量もかなりあって、結構な勢いでアイテムを作っていた時期でした。なので、周りの仕事してるんだかしてないんだか分からない友だちを捕まえて手伝ってもらっていました(笑)。

下野:アッチが中野に行って、Tシャツのボディとかストライプシャツを買い込んでいたのを覚えてる。

堀木:あったね(笑)。ボタンを付け替えたりして。

堀木厚志

高橋:はじめて原宿に事務所を借りたのも同じくらいの時期だったよね。

坂野:覚えてる、覚えてる。ついにオフィス借りちゃったよ、この人たちって思ってたもん(笑)。

野田:もうこの時期のリバースといえば、全国に卸先があったんですよね?

高橋:そうですね。働いてたお店の取引先を中心に、全国で取り扱ってもらっていました。

野田:そして1997年。下野さんが「フェイマス(famouz)」に転職します。何かきっかけが?

下野:友だちがフェイマスで働いていて、「募集してるから入れば?」といった軽いノリでした。

野田:フェイマスでの経験で今に活きていることは?

下野:全部ですね。僕はフェイマスでしか働いた経験がないので、販売も服を作る過程も全てフェイマスで学びました。当時のフェイマスにはパタンナーも生産管理も2人ずついて。しっかりと服を作るメンバーとシステムが整っていたので、プロってこうやるんだみたいなものを覚えて。独学だったMacも神山さん(フェイマス デザイナー神山隆二)に本格的に教わりましたし。

野田:この当時もルーキー・フォー・ハウスホールドは続いていたんですよね?

下野:はい、ずっと手売りで続けていました。神山さんにもブランドをやっていることは伝えていましたので。

2000〜2003年ウィズ立ち上げ、そしてランプ・ブーム到来

野田:フェイマスへ転職してから3年後となる2000年にフェイマスを退職し、いよいよウィズがスタートします。それと同時に高橋さん、堀木さんと共にランプという会社を設立しますね。

下野:寸前まで1人でやろうと思っていて、当時暮らしていた場所を名刺に書いていたんです。そんなときに「一緒にやらない?」ってツトムが言ってくれて。

高橋:1人でやるよりも、みんなでやった方が楽しいかなって(笑)。

野田:「ランプ」という名前の由来は?

下野:適当に開いた辞書のページに「LUMP」という単語があったのでそこから。

野田:かなりあっさり決まったんですね。当時の様子も教えてください。

下野:最初の数ヶ月は、今のお店のすぐ近くの場所に6畳くらいの事務所を借りて仕事をしていました。Macも置けないような狭さだったので、事務所に行ってもソファに座ってるだけ(笑)。やることがないから結局は街を徘徊していました。

高橋:でもベランダが同じくらいの広さだったんだよね。

下野:そうそう。だから晴れた日はベランダで納品していたね。

野田:坂野さんはこの頃もクラブ・ワイヤーで働いていたんですか?

坂野:クラブ・ワイヤーから移って、モータウンで働いていました。ショップから近かったので休憩中によく遊びにいっていました。

坂野智則

野田:2000年時点でリバースの人気はかなり広がっていたと思うのですが「来てるなぁ」みたいな手応えはあったんですか?

下野:そうですね。アサヤン(asayan)に出たのが結構衝撃的だったかも。

※アサヤン:ぶんか社が1993年から発行していたメンズファッション誌。藤原ヒロシさん、NIGO®さん、高橋盾さんの3人による連載「LAST ORGY3」などを掲載しており、《あんときのストリート》経験者の必読書でした。2003年に休刊。

高橋:僕らもまだまだ若かったし、同世代でブランドをやっている人もいなかったので、すごく周りがサポートしてくれたんですよ。雑誌の編集者やスタイリストのアシスタントを友達がやっていたので、そういった影響からも徐々に広がっていった感じです。

坂野:最初は有り物のボディにプリントしてって感じだったけど、初めて展示会をやったときを境にかなり変わったよね。

下野:ボアシャツとボアパンツを作ったときだよね。それまではプリントやカスタムがメインだったけど、ボアシャツのシーズンからパターンだったり生地もオリジナルになったし、自分たちのライフスタイルと密接なものづくりになったと思う。

坂野:うん。遊びじゃなくてちゃんとしたブランドになったなと、周りから見てても実感しました。

野田:それは2000年くらいですか?

高橋:そうですね。最初は特に何も考えずに作りたいものだけを作っていたんです。でもフェイマスで経験を積んだヤンシタが入ってきたことで「この時期はこれを発売しなきゃいけない」みたいなマーケティングを意識したことにも取り組むようになって。

野田:そんな中、2001年になると高橋さんがランプから抜けて独立します。ランプは下野さんが社長に代わり、高橋さんはショップ「シースウェイ」の立ち上げと同時にブランド「シースウェイサティエイト」をスタートしました。

高橋:ずっと「お店をやりたい」と思っていたんですよね。人が集まる場所が好きだったこともあり。

野田:ランプでお店をやるという選択肢はなかったんですか?

高橋:なかったです。

下野:僕とアッチがお店はやりたくないというスタンスだったんですよ。フェイマスのときにお店を運営する大変さみたいなものをずっと見ていたから。今でこそやっていて良かったなと思うけど、後に自分のお店を出すときも、前向きではなかったですね。

野田:なるほど。ちなみにこういっちゃなんですけど、シースウェイはなかなかへんぴな場所でしたよね(笑)。

高橋:あまりリスクを背負いたくなかったので。原宿といいつつも、かなり奥地です。家賃もだいぶ抑えられて。

野田:シースウェイで取り扱ったブランドはウィズ、リバース、シースウェイサティエイト、そして坂野さんが立ち上げたブライトンですね。ブライトンはなぜこのタイミングで立ち上げに至ったんですか?

坂野:モータウンで働きながらも、周りのみんながブランドを成長させていく姿を見ていたので、僕も立ち上げてみたいなと思っていたんです。ツトムが独立してお店を出すという話も聞いて、新しいことを始めるなら今のタイミングかなと。

野田:なるほど。シースウェイのオープン日はかなり反響があったと聞きました。

下野:凄かったよね。

高橋:近隣から苦情が来るほどの並びになっちゃって。

野田:この出来事が2001年で、リバースこそ6年経っていますけど、ウィズは2年目で、ブライトンに関しては1年目。そんな若いブランドたちがここまでの盛り上がりをみせたというのは、ものすごいスピード感ですよね。

下野:確かに。2000年からの1年間はみんなの瞬発力がすごかった。

下野宏明

野田:元々人気のあるリバースに加え、スタートしたばかりのウィズとブライトン、それらが集積される場所としてシースウェイができたという感じですかね。

下野:情報が良い感じに繋がって、雑誌もどんどん取り上げてくれました。それぞれ別々でも認知されていましたし、一つのチームのような見え方にもなっていたと思うので、分かりやすさもありましたし。

野田:はい、それは大きいと思います。僕も2000年から雑誌の編集に携わることになるんですけど、誌面で取り上げる際にチームのように副薄の人やブランドが集まっていると色々な要素があるので、「今回はどの角度から取り上げようか」と切り口が選びやすくて、毎回紹介しても違う見せ方ができるんです。

下野:裏原系とか、恵比寿系とか、そういう分かりやすい形ですよね。

野田:まさにその通りです。ブランドが4つになりお店もできた。ここからランプ系と呼ばれるものが形成されていったと思います。でもランプの皆さんは本当に分け隔てがないというか。正直、僕が勤めていたときのオーリーは誌面のデザインがオシャレじゃなかったり、切り口が強引だったりするときもあって、最初は「出してください!」と言っていたブランドも、売れてくると「イメージがちょっと......」という決まり文句で掲載を断られることが多々ありました。まぁ因果応報とはよく言ったもので、そういうブランドは早々に消えていくんですが、皆さんはそんな時期でも浮かれることなく、常に地に足をつけてフラットな目線でシーンを俯瞰していたイメージがあります。

下野:いや、それは僕たちがお金を持ってなかったんですよ(笑)。浮かれられるお金もなかったというか。給料も月20万円以下とかが普通でしたし。

堀木:外から見れば僕たちも売れていたとは思うんですけど、他はその10倍以上は売れていました(笑)。

下野:それこそ1年で家が一軒建つとか、キャバクラで一晩数十万使っちゃうとか、話でしか聞いたことないですし。

高橋:そういう武勇伝を聞いて、僕たちはびっくりしていましたからね(笑)。

下野:雑誌の掲載を断らなかった理由として「声をかけてくれて、ありがとうございます」という気持ちが強かったんですよね。雑草魂というか、あまり調子に乗る要素も僕たちにはないですし。

野田:なんという好青年たち(笑)。ちなみにランプの盛り上がりが最高潮に達した時期はいつぐらいですか?

下野:多分、2003年にお店を作ったときですかね。

野田:原宿の「バウンティハンター(BOUNTYHUNTER)」の奥に入ったところのお店ですよね。取り扱いブランドはウィズとリバースの2ブランドで相当広いお店でした。

下野:30坪はありました。賃料は100万くらいで、家賃的にも全盛期でしたね(笑)。

野田:でも下野さんと堀木さんはショップ運営に反対だったんですよね?

下野:今でもそうなんですけど、売れれば売れるほど怖いんですよね。その時はランプ系とか、シースウェイ系と言われていましたけど、それって良くも悪くもみんな一緒くたにされがちというか。ダメになったらみんな一緒にダメになるので、このままではいけないなと。

2008〜2009年シースウェイ閉店、リバース、ブライトンの終了。それぞれの道へ

野田:そして時計の針を2003年から一気に2008年まで進めます。ここも完全に転機となる年でして、「ランプ」がとんちゃん通りの裏手に移転しました。そして下野さんはブランド「エーダブルエー(A.W.A)」をスタート。一方でシースウェイが閉店となり、堀木さんがランプから独立してブランド「ナダ(NADA.)」をスタートさせます。ですのでこの2008年というのは、1つの区切りだと思うのですが、まずはシースウェイの閉店についてお伺いできますか。

高橋:2008年8月にお店を閉めたんですが、その頃僕はもう「アディダス(adidas)」で働いていたので、掛け持ちでの店舗運営が大変で。それで閉める決断をしました。

野田:アディダスに入るきっかけは何かあったんですか?

高橋:友だちと遊んでいるときに、僕の上司になる人がドイツから来ていて。色々話をしてみると東京にアディダスのクリエイション・センターを作るとのことで、場所とデザイナーを探している最中だったんです。それなら僕がやりたいということを伝えて、「ブランドやお店を続けてもOK」と言ってくれたので入社することになりました。

野田:なるほど。そして堀木さんのランプ独立に伴いリバースが終了し、ナダの立ち上げに繋がっていくと思うのですが何か心境の変化みたいなものがあったのですか?

堀木:なんでだろう。まだ若かったし、1人でやりたかったんだと思います。正直、あまり覚えてないんですよね。

高橋:2000~2005年が濃すぎて、それ以降あまり覚えてないよね。

野田:ブライトンが終了したのはこの少し後くらいですよね?

坂野:2011年ですね。シースウェイがなくなったこともあり、各々の道を改めて考えるみたいなムードがあって。僕も新しいことにチャレンジしようかなという気持ちになっていたので、ブランドを終了して別の道を歩み始めました。

2012〜2020年ウィズのコレクションデビューからパリ進出、そして20周年

野田:2010年になるとランプを旧店舗の近場で現在のショップ(2020年にWHIZ TOKYOに改名)の場所にリニューアルオープン。そして2012年春夏シーズンからコレクションデビューを飾ることになるのですが、そのきっかけは?

下野:吉井さん(吉井雄一)に誘われたんです。吉井さんがオーナーを務めるザ・コンテンポラリー・フィックス(THE CONTEMPORARY FIX)でウィズの取り扱いが始まったんですけど、そのタイミングで吉井さんが東京コレクションを手伝うことになったみたいで。吉井さんがピックアップした6つのブランドでショーをやるという話がありました。

>>ウィズ リミテッドの2012年春夏コレクションの全ルックはこちら

野田:ショーをやると聞いたとき、みなさんの感想は?

坂野:僕らみたいなストリートからショーに進出するブランドってあまり見たことがなかったので、新しさを感じました。

下野:友だちがショーをやるってなかったよね(笑)。

一同:ないない(笑)。

野田:ショーはその後、2013年秋冬シーズンまで4回続きましたが、吉井さんの企画が4回のシリーズだったんですか?

下野:いや吉井さんに誘ってもらったのは1回だけです。あとの3回は自分で出ました。

野田:1回やってみて手応えや心境の変化があったんですか?

下野:ファッションショーのシステムや意味をちゃんと理解して、自分的に吸収したいと思ったんだけど1回だけじゃ全然ダメで。だからあと3回やって、全部で4回はやろうと決めました。めちゃくちゃお金はかかるんだけど、さすがに4回やればいろいろ見えてくるかなと思って。

野田:実際に何か見えてきましたか?

下野:ショー運営の仕方やシステムが理解できたことはもちろん、他にも3つほどあって。まず1つ目は、服を通して人を感動させることができるということ。2つ目は、僕たちにとってショーは必ずしも売り上げには繋がらないということ。3つ目は、自分なりのやり方で自由に表現できる場であることが分かりました。

野田:それぞれのエピソードについて、詳しくお聞きしたいのですが。まずは服で人を感動させることができるということについて。

下野:服だけではなく、ショーの演出や、空間による表現で来場した人たちへ高揚感を与えることができると感じました。これは展示会や今までのイベントでは表現できなかった部分だと思います。立ち上げ当初からウィズを応援してくれていたお取引先様やお客様の中には涙してくれた人もいたそうです。僕のモチベーションもそういった方々へ、服を使って生活の中の楽しみを増やすことにあったので、そこはすごく嬉しい反応でした。

野田:2つ目の売上の部分については?

下野:ショーで発表したからといって新規の取引先はそこまで増えませんでした。もちろんゼロじゃないんですが、この時にはブランドとしては既に10年以上のキャリアがあったので、知ってくれている人も多かったし、良くも悪くもイメージが定着していたというのがあると思います。

野田:3つ目の「自分なりのやり方で自由に表現できる場」については?

下野:ただ単に新作を見せるだけの場ではなく、今の自分なりの姿勢や感覚を表現したほうが自分も楽しめるし、良いなと思ったんです。4回のショーでそう感じたので、15周年記念で開催した2015年秋冬コレクションのショーでは、新作がフィナーレに少し出てくるくらいで過去のアーカイヴをメインに使ったり。1年後の2016年秋冬コレクションではモデルさんの私服(別ブランド)とウィズの新作を混ぜたスタイリングを試したりしました。

野田:なるほど。新作を発表するというショーの前提すら、その時の気分じゃなければ覆す。ストリート発のブランドらしい姿勢ですね。2016年には、ファッションアワード「TOKYO FASHION AWARD 2016」によってパリに進出。パリでは世界中のバイヤーに向けて、商品を展示して商談することになりますが、行ってみてどういったことを感じましたか?

下野:正直言うと、高校を卒業して東京で多くの人たちと遊ぶようになって初めて感じた「東京の大人って田舎者の集まりなんだな」というカルチャーショックを改めて感じました。高校を卒業するまでは、「東京って東京生まれの人しかいない」みたいな感じで思っていたんですけど、実際は違って。パリも世界中の田舎者が集結していて基本的にはみんなミーハー。流行り物が好きで、昔から僕の嫌いな「有名人が着てる物と同じような、売れるものが欲しい」というあの感じ。発信している側は格好良くても受け取る方がビジネスすぎてダサいというか。でもこれがファッションビジネスだよなと改めて思い知ったし、ビジネスの場としては可能性があるので自分のスタンスを貫きながらより良い伝え方を模索していこうと思いました。もうパリに行き始めてから数年経っていますけど、売り上げというより人生の経験というイメージに近いのかもしれません。

野田:王道に身を置きつつも、そこにアンチな姿勢で自身のスタイルを貫き結果を出そうとする。そういうスタイルを持つことこそがストリートブランドの醍醐味だし、めちゃくちゃカッコいいじゃないですか!

下野:ありがとうございます(笑)。

野田:そしてこの度20周年を迎えたわけですが、ブランドを20年継続させるというのは並大抵のことじゃないと思います。下野さんをずっと側で見てきた皆さんから見て、継続できた要因は何だと思いますか?

坂野:これまで話してきたエピソードからも分かる通り、そもそも依存し合わないということなのかなと思います。その中でもヤンシタは、特に自己流みたいものが強い。ファッション業界の常識には縛られないで、本当にフラットな目線でシーンを見ている。そして自分の考えを行動に移して、チャレンジしていく強さがあるんだと思います。

高橋:偶然なのか必然なのかは分からないですけど、色んなタイミングがすごく良いんです。先ほどの話にもあった吉井さんなり、(藤原)ヒロシさんだったり、その時々に応じて色んな人にサポートしてもらえている。これは本人の人柄によるものだと思うんですが、本当に恵まれているなぁと思いますね。

堀木:うん、やっぱり人柄じゃないですかね。一言でいえば。

野田:なるほど。僕の話で恐縮ですが、元々いた原宿業界を離れた後にアパレル通販に携わるようになりマーケティングをガシガシ覚えていくのですが、そこには「お客様を大事にする」という当たり前のカルチャーがありました。ですが、これは《あんときのストリート》には決定的に欠けていた視点だと思っています。下野さんと今回の企画について打ち合わせをしていく中で「これはお客さんが喜ぶ、これはお客さんが喜ばない」みたいな視点も持っているなと感じました。

※あんときのストリートに欠けていた「お客様を大事にする」:《あんときのストリート》を代表するショップの多くは、丁寧に接客するスタイルをとっておらず、なんなら試着すらお願いするのもはばかるくらいの威圧感(笑)。一方でそれが新しさ、個性にもなり格好良くもありました。

下野:当時はお店にいかないで運営を任せていたので、お客さんの顔が見られるようになったのはブランドを立ち上げてしばらく経ってからなんです。でも2008年にみんなが別々になったタイミングで改めて重要性を考えるようになって。

野田:自分でしっかり運営していかないと、みたいな?

下野:そうですね。「76サミット」というイベントを開催したときに、地方のお客さんも含めてみんなが東京に集まってくれたんです。その時に自分が取り組んできたものの結果をリアルに感じることができて。自分が一番楽しいことは、お客さんたちと会うことだし、僕が一番やらなきゃいけないことは、この人たちに楽しんでもらうことなんだなと思いました。

※76サミット:1年に1回、ブランド設立日の7月6日近辺に開催されるクラブイベントで、全国のウィズ取扱店のスタッフやお客さんが一同に集まる。

野田:格好良すぎじゃないですか(笑)。それでは最後の質問になります。月並みではありますが、今後の展望をお願いいたします。

下野:今まで一度も展望とか考えたことないんですよ(笑)。後先考えないので。なので変わらず考えていないです。

野田:やっぱり(笑)。

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