2015年のニューヨークのシュプリーム店舗
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「オーリー(Ollie)」マガジンの全盛期を支えた元編集スタッフたちが、ストリートファッション黎明期の1980年代後半から、絶頂を迎える2000年代初頭までを《あんときのストリート》と定義して当時をゆる~く掘り起こすウェブメディア「ミミック(MIMIC)」。FASHIONSNAP.COMでお送りしているミミック番外編の第5弾は、VFコーポレーション(VF Corporation)への売却が報じられた「シュプリーム(Supreme)」の背景について振り返っていきます。
【あんときのストリート発掘!】
・元編集たちが語る時代を駆け抜けたオーリーと株式会社ミディアム史
・トップセラーと振り返る日本のスニーカー史 「前編:ミタスニーカーズ 国井栄之」「 後編:アトモス 小島奉文」
ニューヨークで唯一のスケート専門ショップとして誕生
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野田:11月9日にアメリカ最大のアパレルメーカーであるVFコーポレーションが買収したことというニュースで世間を賑わせたシュプリーム。我々《あんときのストリート》調査班としては、ビッグブランドへと成長して今やほぼ語られることがなくなってしまったシュプリーム背景について、今回はストリートとの結びつきや、《あんときのシュプリーム》を振り返っていくことで、「数あるストリートブランドの中でなぜシュプリームは別格の存在へと成り得たのか?」を掘り起こしていきたいと思います。
遠山:まずはブランドヒストリーを振り返っていきますか。
野田:ブランドのスタートは1994年。創業者のジェームス・ジェビア(James Jebbia)がニューヨークでスタートさせます。彼は2歳でイギリスに移り住んだんですが、20歳の時にニューヨークに遊びにきて、そのまま住み着いたそうです。
瀬戸:当時は何をしていたんですか?
野田:パラシュート(Parachute)というセレクトショップで働いていたみたい。1980年代初頭の話なので世はニュー・ウェイヴ全盛という感じで、そこに合わせた流行り物を取り扱っていたショップだったそう。常時25人くらいの従業員がいる大きなショップだったと2000年に発売されたリラックスのインタビューで語っていたね。
高柳:ユニオン(UNION)はその後ですか?
野田:そう。当時はまだその手のストリートファッションを売る店がなかったみたいで、ユニオンを作る前にジェームス・ジェビアはフリマで「ステューシー(STÜSSY)」を売っていたとか。フリマでの反応が良かったので1989年にユニオンをスタートさせるんだけど、ここがステューシー取扱店の元祖であり、1991年にステューシーのお店ができるまでは唯一の取扱店だったという逸話を聞いたことがある。
高柳:ステューシー以外にもロンドンのブランドも置いていたみたいで。
野田:そういった縁もありショーン・ステューシー(Shawn Stussy)が遊びに行くようなお店となり、先に述べた1991年にできたステューシーのお店もジェームス・ジェビアとショーン・ステューシーの2人でスタートさせることになると。
瀬戸:もうこの時点でストリートシーンの重鎮ですね。
野田:この頃になると他のスケートショップも増えてきたようだけど「スケートだけ」というお店はなく、別の商品も置いてあったらしい。ジェームス・ジェビアとしてはスケートシーンはとても排他的で、外部から孤立しているところが魅力の源泉なのに他のスタイルとごっちゃにするのは良くないということで、真のスケートショップを作るために始めたとか。
遠山:そして完成したショップがシュプリーム。
野田:はい。なので1994年当時としては、ニューヨークで唯一のスケートオンリーショップということですね。実際はサー(SSUR)のようなお友だちのストリートブランドも売っていたみたいだけど、「ズーヨーク(ZOO YORK)」「スピットファイアー(SPITFIRE)」「ガール(GIRL)」「チョコレート(CHOCOLATE)」「ディーシーシューズ(DC Shoes)」「ヴァンズ(VANS)」といったスケートブランドを扱う専門ショップで、オリジナルブランドとしてシュプリームのボックスロゴのTシャツが置いてあるって感じ。
高柳:そして一躍名を馳せるきっかけとなったのが、「カルバン・クライン(CALVIN KLEIN)」のポスターですよね。ステッカー1万枚を街中に貼ってくるようジェームス・ジェビアから依頼されたのがオリジナルスタッフの一人、プーキー(POOKY)。プーキーが貼った場所の中にケイト・モス(Kate Moss)がモデルを務めていたカルバン・クラインのポスターがあって。このプロモーションは翌日のニューヨーク・タイムズ(The New York Times)でも報じられ話題となりますが、同時にカルバン・クラインにも怒られることになる(笑)。
野田:水着のケイト・モスがモノクロで写っていて、そこに赤白のボックスロゴがボムされていると色的にもロゴが引き立っちゃうしね。この出来事はブランド的にもエポックメイキングだったのか、ブランド10周年となる2004年にはTシャツにもなったし、代官山店10周年の2008年には「オリジナルフェイク(OriginalFake)」とのコラボでも発売されたよね。
※オリジナルフェイク:カウズ(KAWS)とメディコム・トイ(MEDICOM TOY)が2006年にスタートしたブランド。「映画やアニメをモチーフにカウズによって新しく生まれた作品はフェイクではなくオリジナルである」という意味が込められている。2013年に惜しまれつつも終了。
遠山:ステッカーをボムするという手法が完全にグラフィティの発想だね。
東海岸スケートシーンの勃興により注目を集める
野田:次にスケートの文脈でシュプリームを振り返っていきます。
高柳:スケートボードの中心地はずっと西海岸だったんですが、1990年代中頃にニューヨークやフィラデルフィアといった東海岸のスケートシーンにスポットライトが当たったんですよね。フィラデルフィアのボス的存在であるリッキー・オヨラ(Ricky Oyola)をサポートしていたサブゼロ(Sub Zero)というスケートショップのビデオ「リアルライフ(Real Life)」や、多くの東海岸スケーターが出演する「イースタン・エクスポージャー3(Eastern Exposure 3)」(ともにダン・ウルフという名フィルマーが撮影)がその火付け役となったと思うのですが、そうした中でズーヨークやシュプリームも注目されるようになっていったように思います。シュプリームは当時、多くのスケーターの情報源だったビデオマガジン「411VM」18号の「インダストリー」というコーナーでも、トーマス・キャンベル(Thomas Campbell)が撮影した動画によって紹介されました。
遠山:日本で東海岸のスケートシーンが注目されたのは、広大な土地がある西海岸と違ってニューヨークやフィラデルフィアの滑る場所が悪路かつ狭いというのも大きいんじゃない?そういった環境でのスケートスタイルが東京というか日本と重なったのかなぁって。例えばポーリーやノーズジャムサンドイッチといった東海岸っぽいトリックにも表れていると思うし。
高柳:おっしゃるとおりだと思います。日本ではFESN(Far East Skateboard Network)の森田貴宏さんがいち早く注目していて、「ワープ(warp)」などの雑誌でポーリーといったトリックを披露していましたね。
※FESN:中野を拠点に活動するスケートボードプロダクション。
瀬戸:当時のシュプリームのスケートクルーにはどんなスケーターがいたんですか?
高柳:ニューヨークを代表するスケーターで後にシュプリームの店長を務めたライアン・ヒッキー(Ryan Hickey)や、映画「キッズ(KIDS)」の主演のひとりを務めたジャスティン・ピアース(Justin Pierce)、日本でも根強い人気を誇るロビー・ガンジェミ(Robbie Gangemi)と一緒に「ビークル(VEHICLE)」というデッキブランドをやっていたジオ・エステヴェス(Gio Estevez)、OGニューヨークスケーターのロキ(Loki)、それからピーター・ビシ(Peter Bici)、マイク・ヘルナンデス(Mike Hernandez)、クリス&ジョーンズ・キーフ(Chris&Jones Keeffe)兄弟と錚々たるメンツ。
※ジオ・エステヴェス:ジオと親しまれているシュプリームのオリジナルメンバー。1998年に自身のブランド「アネックス(ANNEX)」をスタートさせ、日本のシュプリームなどでも取り扱われていた。「ナンバーナイン(NUMBER (N)INE)」とのコラボでジオのグラフィックを知った《あんとき》世代も多いはず。
野田:ニューヨークのスケーターってヒップホップとリンクしてるイメージがあるんだけど。
高柳:そうですよね。やはり、そのイメージはニューヨーク・スケートの金字塔となったズーヨークの「ミックステープ(MIXTAPE)」というビデオ(登場するスケーターはシュプリームのクルーとかなり被る)で、ロック・ライダ(Roc Raida)やファット・ジョー(Fat Joe)、バスタ・ライムス(Busta Rhymes)、メソッド・マン(Method Man)といったヒップホップの重鎮たちが出演するところが大きいのではないでしょうか。実際にシュプリームのクルーにはニューヨークの老舗レコードショップ「ファットビーツ(FATBEATS)」のスタッフだった人もいるので、その影響もあるかもしれません。余談ですがヒップホップとスケートをクロスオーバーさせたのはアンダーワールド・エレメント(underworld element)の「スカイページャー(Skypager)」というビデオが元祖と言われているのですが、そのビデオではニューヨーク・スケートの顔であるハロルド・ハンター(Harold Hunter)もフィーチャーされています。
※アンダーワールド・エレメント:1992年にアメリカ東海岸出身のスケーター ジョニー・シラレフ(Johnny Schillereff)とアンディー・ハウエル(Andy Howell)によってスタートしたブランド。1994年にアンディー・ハウエルが脱退し、エレメントに改名しました。
遠山:ハロルド・ハンターといえば、やっぱりニューヨークのスケーターが認知されるようになった映画「キッズ」の影響もデカいんじゃない?シュプリームやズーヨークのスケーターがけっこう出演しているでしょ?
高柳:そうですよね。公園でみんながチルするシーンは、スケーターなら思わずチェックしたくなる面々が総出演ですから。ちなみに主演を務めたのはレオ・フィッツパトリック(Leo Fitzpatrick)なんですが、本当はクイム・カルドナ(Quim Cardona)という東海岸を代表するカリスマスケーターが演じる予定だったという小話を聞いたことがあります。
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