小島奉文
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Image by: MIMIC/atmos

Fashion インタビュー・対談

【あんときのストリート発掘!】トップセラーと振り返る日本のスニーカー史 - アトモス 小島奉文 -

小島奉文
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Image by: MIMIC/atmos

 ストリートファッション黎明期の1980年代後半から、絶頂を迎える2000年代初頭までを《あんときのストリート》と定義して当時をゆる〜く掘り起こすウェブメディア「ミミック(MIMIC)」。FASHIONSNAP.COMでの連載第2弾となる今回は、2001年〜2002年にかけて一気に立ち上がった「ビズビム(visvim)」「タス(TAS)」「マッドフット!(MAD FOOT!)」「ユービック(UBIQ)」という日本発のスニーカーブランドについて深掘り。前編と後編の2部構成で、マッドフット!で働いていたミミックの野田大介氏が各回のゲストと当時のストリートシーンを振り返ります。後編はアトモス(atmos)の小島奉文さんが登場。>>前編はミタスニーカーズの国井栄之さんと日本のスニーカー史を深掘りしました

【あんときのストリート発掘!】
元編集たちが語る時代を駆け抜けたオーリーと株式会社ミディアム史
・トップセラーと振り返る日本のスニーカー史 「前編:ミタスニーカーズ 国井栄之」「 後編:アトモス 小島奉文
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■小島奉文
 1981年生まれ。文化服装学院を卒業後、スニーカー業界へ。atmosディレクターを担当し、数々の別注企画を手掛ける。スニーカーのモノ・コト・ヒトに精通する自他ともに認めるキックスフリーク。

雑誌の影響もあり絶頂期を迎えていた《あんとき》のストリートシーン

野田:まずは日本発のスニーカーブランドが一気に立ち上がった2001年当時の話ですが、その頃小島さんはどこに在籍していましたか?

小島:チャプター(CHAPTER)ですね。当時は原宿と渋谷に2店舗あり、行き来していました。その後は2003年にキネティクス(Kinetics)ができたので異動して、2012年ぐらいからアトモスで働いています。キネティクスで働いていた頃からアトモスの仕事を色々とお手伝いしていました。

※チャプターは、国内外の限定モデルから日本発信のドメスティックブランドまで幅広く扱うスニーカーのセレクトショップ。2018年に惜しまれつつも閉店。キネティクスは2003年にショップオープンし、2007年にオリジナルブランドをスタート。ジョーダンアカウントを持つお店としてもスニーカーファンには有名だったが、現在はオンラインのみで運営。共にアトモスを運営するテクストトレーディングカンパニーが運営していました。

野田:当時のチャプターはビズビム、タス、マッドフット!、ユービックと、今回ピックアップしているドメスティックスニーカーブランドは全部取り扱っていましたよね。小島さんは販売スタッフとして続々と日本初のスニーカーブランドが立ち上がり、瞬く間に人気になっていく様を目の当たりにしていたと思います。

小島:その頃僕は21歳か22歳で、ショップスタッフであると同時に消費者でもありましたね。当時、プロペラ通りに人が溢れて歩けないくらい原宿が盛り上がっていて、絶頂期だったんですよ。そこに雑誌の力も相まって、人気になっていった印象です。毎月必ずのように特集が組まれていましたし、ビズビムならヒロシさん(藤原ヒロシ)、タスなら牧田さん(牧田耕平)、マッドフット!なら窪塚さん(窪塚洋介)など、レコメンドしている人たちもストリートの有名人ばかり。僕も読者として毎月雑誌の発売日を楽しみにしていました。

野田:僕は1990年代に熟成されたストリートファッションが2000年代初頭に一気にオーバーグラウンドな存在になったと思っていて。その一方で新しい動きも続々と始まり、アトモスのような新しいスニーカーショップや、日本初のインディペンデントなスニーカーブランドが出てきました。

小島:スニーカーはナイキが苦戦した時期の反動で、新しい動きが始まった感じがありますよね。ハイテクスニーカーブームを代表するエア マックス 95は人気でしたが、1997年や1998年に発売されたエア マックス 97、エア マックス98はスニーカーブームが下火になったことですぐに50%オフで買えちゃうみたいな状態でした。でも1999年くらいからはミタスニーカーズのショップ別注が始まったり、2001年にはアトモスでエア フォース 1とダンクの別注もあって。それまでのメーカー主導からストリートへの寄り戻しが起こったタイミングなのかなと。

※アトモスのナイキ別注モデル:2001年にグレー×ネイビ-というターミネーターカラーを身にまとったフォース 1と、そのカラーを反転させたダンクが発売されました。この頃からスニーカーの色をブランドやショップ手動で変更できるようになったり、販路を絞って限定感を出したり、《あんときのストリート》の中心にいた方々の意見がスポーツメーカーのプロダクトに反映されていくようになります。

上の2足がアトモスのナイキ別注ダンクとフォース 1。下は復刻モデル。

 

それぞれの立ち位置が明確だったドメスティックスニーカーブランド

野田:当時のスニーカーで何か印象深いモデルはありますか?

小島:タスのフォームス(FORMS)のハイとロウを発売したスタッシュ(Stash)コラボのモデルですかね。アッパーにスタッシュのグラフィティが入ったものが全部で8色くらい発売されたんですが、当時働いていたチャプターにものすごい量が入ってきたんです。こんなにたくさん売れるのかなって思っていたんですが、蓋を開ければすぐに売り切れて人気の高さに驚きました。あとはマニアと、ハイカットのマニア2もよく売れていました。というかドメスティックブランドのスニーカーはなんでも売れていましたね。スポーツメーカーが少し押されていたんじゃないかっていうくらい。

タス マニア

野田:そんなに勢いがあったんですね。

小島:ほかにもビズビムは箱1つからこだわりがあって印象に残っています。封筒の留め具みたいなものを外して箱を開ける仕様なんですが、チャプターの雑多な雰囲気と妙にミスマッチで(笑)。

野田:価格も他のブランドとはちょっと違いましたよね?

小島:当時は安かったですよ。クリストは2万円以下、FBTは2万3000円くらいで販売していた記憶があります。

野田:安っ!今の半分とか3分の1ぐらいですね。他のブランドはどうでしょう?

小島:マッドフット!といえば、なんといってもリフレクターのダーム Iですね。当時、すごいことをするなぁと見ていました。でも最初のダーム Iは履き心地がめちゃくちゃ悪かった印象があります......固い(笑)。

野田:ボクも歩いていて、脛が痛くなるという初めての経験をしました(笑)。

※脛が痛くなる:ソールの作りなのかラストの作りなのか、疲れが溜まるのかクッショニング不足による衝撃なのか、原因はまったくの謎。でもその苦行に耐えながらリフレクターがバリバリになるまで履き倒すのがストリートキッズたちの流儀でした。

小島:やっぱりスニーカーってTシャツとかと違って履き心地が悪いものを我慢するのがすごくしんどいですよ。当たり前のことですけど、スポーツメーカーはちゃんと履いて運動できるようになっている。もちろんマッドフット!もその後は履き心地が改善しましたけど。

野田:ユービックについてはいかがですか?同じ会社で始まったスニーカーブランドということですが。

※ユービック :チャプターのスタッフとして働いていた小坂智之が2002年にスタート。

小島:雑誌などで一緒に取り上げられるブランドが「シフリー(SiFURY)」「ヴィクティム(VICTIM)」といった並びだったので、次世代ブランドというイメージがありました。

※次世代ブランド:シフリーの下川さん(下川峰人)は元マックダディ、ヴィクティムの下鳥(下鳥直之)は元フェイマス、2000年を超えたころは人気ブランドから独立したメンバーによって新しいブランドが続々と立ち上がりました。

野田:どんなモデルを履いてました?

小島:ファティマ(FATIMA)はよく履いていたし、人気でした。自社の直営店や、地方の主要取引先などで販売すると2000足近くがすぐに売り切れていましたね。

野田:それはすごい。

小島:こうして振り返ってみるとドメスティックスニーカーブランドって、それぞれの立ち位置があって面白かったです。(藤原)ヒロシさん系はビズビムだし、タスは「モーティブ(MOTIVE)」系。マッドフット!は「マスターピース(MASTERPIECE)」「マックダディ(MACK DADDY)」「スワッガー(SWAGGER)」などの音楽をルーツに持つブランドと相性がよかったし、ユービックはシフリーやヴィクティムっていう次世代ブランドをそれぞれ好む。お店に入ってくるお客さんの格好を見れば、どのブランドを買うのかはっきりと分かる時代でしたね。

サンプリングという手法を公に知らしめたドメスティックスニーカーブランド

野田:2001年にドメスティックスニーカーブランドが続々と産声をあげて人気を博す一方で、2002年にはダンクSBがスタートしてスポーツブランドの底力を見たというか、そこからナイキ復権の印象があります。

小島:そうですね。ダンクSBの初期では「シュプリーム(Supreme)」「ズーヨーク(ZOOYORK)」「チョコレート(Chocolate)」とのコラボもありましたよね。

野田:他にもダニー・スパ(DANNY SUPA)とかポール・ブラウン(PAUL BROWN)のモデルもあり。翌年にはフューチュラ(Futura)やハイネケン、そしてシュプリームのハイカットが発売され、ダンクSBの人気が爆発します。

小島:しかもその後には「ステューシー(STÜSSY)」コラボだったり、ダイヤモンド(通称ティファニーダンク)とかも出てきますもんね。そういう取り組みを続けていく中でナイキの売り上げが驚異的に伸びていって、消費者の目がスポーツブランドに向いたという印象です。

野田:個人的にはこのダンクの盛り上がりが、今年にかけてダンクを小出しにしている感じと少し似ている気がして、今年から来年にかけてダンクブームが起きそうな予感がしています。今振り返ってみるとドメスティックスニーカーブランドもこういうブームの1つだったのかなと。一方でスポーツブランドは上げ下げはあるけれど、膨大なアーカイブと技術があるので、例えばハイテクでもローテクでもシーンの中心に戻りやすい。

小島:ビジネス的な考え方が違いますからね。どうしても時代が変わっていくので、流行に合わせにいけるマーケティング能力は必要だと思いますね。

野田:マーケティングは、当時のストリートを盛り上げた多くのブランドの共通課題だったのかもしれないですね。一方でストリートである以上、合わせにいくのがダサいという考えも理解できるし、合わせにいって狙い通り当てるというのもカッコいいと思うし。ここは本当に難しい。

小島:ドメスティックブランドのムーブメントがもう1回くると面白いんですけどね。原宿って今やファッションの街というより観光地なので。人が集まるのでありがたいけど、昔みたいなイケイケな人が少ないのは寂しい(笑)。家賃も上がってインディペンデントな店を作りづらいだろうし。

野田:そうですね。最後にドメスティックスニーカーブランドが、今のスニーカーシーンに与えた影響は何だと思いますか?

小島:やっぱりサンプリングですかね。大ネタ使いのようにドンズバを持ってきてたり、うまくミックスさせたり。そういう手法がアリなんだと知らしめたというか、なんだかんだでずっと受け継がれている手法だと思います。昔より簡単にビブラムソールを使いやすくなったこともあり、今も小ロットで色んな切り口でスニーカーを作るみたいな流れがあって。意識はしていないかもしれないけど、その源流にはドメスティックスニーカーブランドによる影響というか、流れがあると思っています。

ミミック公式サイト

<<あんときのストリート発掘人>>

野田 大介(クルゼ)
1977年生まれ 埼玉県出身
株式会社ファナティック 代表取締役
《あんとき》好きだったブランド
シュプリーム、ア ベイシング エイプ®、アンダーカバー
《 あんとき 》通っていたショップ
ノーウェア、レディメイド
《あんとき》聴いていた音楽
フリッパーズ・ギター、ブラックストリート
今欲しい《あんとき》のもの
アンダーカバーのオールスター型

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