ストリートファッション黎明期の1980年代後半から、絶頂を迎える2000年代初頭までを《あんときのストリート》と定義して、当時をゆる〜く掘り起こすウェブメディア「ミミック(MIMIC)」。FASHIONSNAPでの連載第6弾は、ストリートカルチャーと同時期に渋谷発のムーブメントとして勃興したギャルカルチャーにフォーカス。元ギャルのためのヴィンテージショップ「カレカレ(KALEKALE)」を立ち上げ、自身も1990年代に渋谷を謳歌したという藍原沙織さんをゲストに迎え、ストリートカルチャーとの共通点やギャルカルチャーならではの魅力を振り返っていきます。
【あんときのストリート発掘!】
・元編集たちが語る時代を駆け抜けたオーリーと株式会社ミディアム史
・トップセラーと振り返る日本のスニーカー史 「前編:ミタスニーカーズ 国井栄之」「 後編:アトモス 小島奉文」
・尾張国へ出張サルベージ、発掘ツアー in 名古屋《前編》《後編》
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■プロフィール
藍原沙織:1981年、埼玉県生まれ。東京メディアアカデミー卒業後、JUNグループのロペピクニックやメゾン ド リーファーで販売を担当。メゾン ド リーファー代官山本店では店長を務める。その後、韓国への留学を経て、スピンズなどのアパレル事業を展開するヒューマンフォーラムに入社。スピンズやギャレリーのバイヤーを経験した後、元ギャルに向けたオンラインのヴィンテージショップ「カレカレ」を立ち上げ、ブランドマネージャーとして運営に携わる。
ヤンキーがオシャレに目覚めるとギャルになる!?そのルーツは雑誌『ファイン』にあり!?
ミミック編集部:1990年代に隆盛を極めた裏原宿や恵比寿系など、ストリートカルチャーと結びついたファッションを《あんときのストリート》と定義して、掘り起こしている我々ミミックがなぜ今回はギャルを取り上げることになったのか? そのきっかけは、このツイートだったんです。
ミミック編集部:これを見てくれた編集部から「それならば、FASHIONSNAPでインタビュー企画をやってみませんか」とお声がけいただきまして。
藍原:なるほど、そうだったんですね!「カレカレ」の記事を読んでくださり、ありがとうございます。
ミミック編集部:やっぱり僕らが熱狂したストリートファッションも、藍原さんが夢中になったギャルファッションも、男女の違いや原宿と渋谷という発信地の違いはあれど、同じストリートから生まれたファッションじゃないですか。なので、前々からその背景にある「ギャルカルチャーとは、どんな魅力があるんだろう?」と興味を持っていたのですが、なかなかその実態を知る機会に恵まれず。そこで今回は藍原さんのお話を通して、こんな点がストリートカルチャーと似ているよねとか、ここはギャルならではだよね、みたいところを探っていければと思います。
藍原:裏原系やスケーター系のファッションをしていた男の子たちにとって、ギャルは別世界の人というイメージだったのですか?
ミミック編集部:「どんな女の子たちなんだろう?」という興味はすごくあったのですが、原宿だと「エックスガール(X-girl)」を着ているような雑誌でいう「ミニ(mini)」系の女の子が多かったので、ギャルは僕らとは別ジャンルの方々だと思っていました。
藍原:そうなんですね。でも、ギャルからすると、同じカテゴリーの人たちという認識だったんですよ。
ミミック編集部:えー! そうだったんですか! それは衝撃的な事実です。
藍原:ギャルってギャル男と仲が良いイメージがあるのかもしれませんが、実はスケーター系の男の子たちと仲が良い人も多いです。
ミミック編集部:言われてみれば、確かにギャルのファッションって、雑誌「ファイン(Fine)」で紹介されていた横乗り系のサーフスタイルと少し被るところがありますよね。
藍原:そうなんですよ。仲間内の男の子たちは、スケボー以外にもサーフィンやスノーボードをしている子も多かったんで、ギャルと同じカテゴリーなんだと思っていました。
ミミック編集部:そうなんですね。僕らが単に社交性がなくて、女っ気がゼロだっただけかもしれません(笑)。ちなみに藍原さんがギャルファッションに目覚めるきっかけとなったのは、雑誌「エッグ(egg)」なんですよね。
藍原:はい。ファッション誌というよりもシーンでイケている女の子たちが紹介されていた雑誌で、どうすればギャルになれるかを教えてくれるガイドブックのような役割を果たしていました。
ミミック編集部:どうすればギャルになれるんですか?(笑)
藍原:えーなんだろう? 肌が黒い、髪の毛がメッシュ、目の周りが白いといった見た目は、すごく重要だったと思いますね。
ミミック編集部:定番のスポットはどこですか?
藍原:やっぱり渋谷のセンター街ですね。
ミミック編集部:どんな遊びをしていましたか?
藍原:当時センター街の中心に「オバゲー」というゲームセンターがあったんですが、そこでプリクラを撮って、ゲームセンターの前にたまっているギャルたちとプリクラ交換をするのが楽しみでした。プリクラ帳が何よりも宝物で、「私はこんなにギャルの子たちと知り合いなんだよ〜」ってアピールするために、プリクラ帳を見せ合いっこしていましたね。
※オバゲー:店番がおばちゃんだったことからオバゲーと呼ばれるようになったそう。
ミミック編集部:ビックリマンのシールのような(笑)。それはプリクラを交換した人数が影響力のバロメーターになっていたんですか?
藍原:人数の多さよりも、いかにギャル度の高い子と知り合いかが大事でしたね。
ミミック編集部:ヘッド的な方がいるんですね(笑)。いや独り言です。どういう女の子がギャル度の高い子だったんですか?
藍原:見た目が派手な子ですね。あとは、エッグや「ポップティーン(Popteen)」の読者モデルの子たちもよくセンター街にいたので、彼女たちとプリクラを交換してもらえると、周りからの評価が上がるような一面もありました。
ミミック編集部:派手で持っていると周りからの評価も上がる。まさにヘッドですね。あ、いや、これも独り言です。あとは、どんな遊びが流行っていましたか?
藍原:当時はパーティーブームが盛り上がっていたので、パー券(パーティー券)のやりとりも流行っていましたね。
ミミック編集部:藍原さんたちがセンター街を謳歌したのは1990年代半ば〜後半だと思うのですが、その少し前の1990年代前半にもセンター街を拠点としていたヤンチャな方々もパー券を売って、パーティーを開催していましたよね。
藍原:地元でヤンチャしていた子って、ヤンキーになる子もいればギャルになる子もいるので、根っこの部分では同じなんだと思います。オシャレを求める度合いの違いがあるだけで。
ミミック編集部:《あんときのストリート》でもちょっとヤンチャなタイプの子たちがヤンキーとは違うカルチャーを求めて、ファッションや音楽、スケートボードなどにハマっていく側面があるんで、出自としては似ていますね。
藍原:私もエッグを読み始める前は、ファインを愛読していましたよ。先輩たちもみんなファインを読んでいて、その後、ギャルになった人たちも多分ファインのファッションからスタートしていたと思うんです。当時はまだ「アルバローザ(ALBA ROSA)」とかも騒がれてなかったので、ムラサキスポーツで「クイックシルバー(Quiksilver)」や「ロキシー(ROXY)」のTシャツを買って、ダボダボのジーパンや「ディーシーシューズ(DC Shoes)」などのスニーカーに合わせるスケーターファッションみたいなのが流行っていました。「ラルフ ローレン(Ralph Lauren)」の大きめのブルゾンや「カルバン・クライン(CALVIN KLEIN)」の香水なんかも流行っていましたね。で、そんなファッションをしていた先輩たちが高校生になると、ギャルファッションに身を包むようになったんです。
ミミック編集部:その先輩世代が、いわゆる森本容子さんのようなカリスマ店員としてギャルブームを牽引した方々になるのですか?
※森本容子:「エゴイスト(EGOIST)」の販売員としてカリスマ店員ブームを牽引。プロデューサーとして「マウジー(MOUSSY)」をデビューさせ、独立して2006年にウィメンズブランド「カリアング(KariAng)」を立ち上げた。
藍原:多分そうだと思います。彼女たちもアルバローザなどのブランドを経て、高校時代にルーズソックスとかを穿きはじめたんじゃないかな。私が高校生になった頃には、ルーズソックスや短い丈のスカートは定番になっていたので、それを最初につくり出したのが先輩世代なんだと思います。
モテを意識したファッションでギャル仲間に会うと、ちょっと負けた気がするんです(笑)
ミミック編集部:藍原さんが当時好きだったファッションは、どんな感じだったんですか?
藍原:とにかく肌を出したいという意識が強かったですね。
ミミック編集部:やっぱりレア度の高いアイテムを身につけていると一目置かれるようなことはあったんでしょうか?
藍原:ありましたね。アルバローザが毎年リリースしていたハイビスカス柄のコートは、すぐに売り切れてしまう人気アイテムだったので、着ていると一目置かれましたね。あとは「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のリュックに「アイドル(IDOL)」というブランドの厚底ブーツを合わせたコーディネートをしていると、ギャルのなかでも最上級のコンビネーションとして評価されていました。
ミミック編集部:やはり、このブランドのこのアイテムというのがあったんですね。ちなみにリユースショップで、そういったアイテムは販売されていたのですか?
藍原:センター街にありました。
ミミック編集部:なかでもレア度の高いお宝アイテムって覚えています?
藍原:やっぱりアルバローザのハイビスカス柄のコートですかね。転売も盛んで、例えば、「地元の先輩がレアなピンクを売るって言ってるけど、10万円でどう?」みたいなやりとりがよくされていました。
ミミック編集部:「ミジェーン(me Jane)」のショッピングバッグも流行っていましたよね?
藍原:そうですね!先ほど「どうしたらギャルになれたか?」という質問がありましたが、ミジェーンのショッピングバッグを持つことがギャルへの第一歩だったと思います。
ミミック編集部:ジャンルでいうと、いわゆるアルバローザやミジェーンなどの「ファイン・横乗り系」から「セシルマクビー(CECIL McBEE)」やエゴイストといった「お姉さん系」まで、ギャルファッションもいろんなスタイルがあったと思うんですが、当時はどんな状況だったんですか?
藍原:私が高校2年生ぐらいのときに、セシルやエゴイストみたいなファッションスタイルが出てくるようになったんですが、でも王道はやっぱりアルバとかミジェーンでした。セシルやエゴイストはレースや透ける素材が使われていたので、女子度が高くモテるファッション。一方、アルバとかミジェーンはデニムなんかを合わせるカジュアルな着こなしだったので、モテないファッションという棲み分けでしたね(笑)。
ミミック編集部:藍原さんはどちらに行ったんですか?
藍原:一度は「お姉さん系」に行ったんですが、渋谷で遊んでたり、クラブに行って友だちに会ったりすると、ちょっと負けた気がして恥ずかしいんですよ(笑)。
ミミック編集部:異性から見たらあきらかに「お姉さん系」の方がモテるんだけど、ギャル同士の目線だと「あんたヒヨったんだね」みたいな見方をされると?(笑)
藍原:はい、そんな感じです(笑)。「あ、モテを気にしてんだ」みたいな。
ミミック編集部:そこも《あんときのストリート》とまったく一緒ですね(笑)。モテよりリアルさが追求されていましたから。
藍原:でも、セシルやエゴイストに行った子は、高校を卒業すると早々にギャルも卒業していましたよ。ナチュラル系のお姉さんになって、今で言う、"港区女子"の先駆けみたいな女の子になっていましたね。
ミミック編集部:ファインをルーツに持つ藍原さんが、アルバローザやミジェーンに行くのは自然な流れに感じますね。お話を聞いていると、藍原さんより上の世代の人たちがお手本としたファインのサーフファッションの延長からアルバローザやミジェーンが生まれ、シーンの熟成と共に「お姉さん系」のような派生系も生まれて、より大きなムーブメントとなっていく。ちょっと強引なこじつけかもしれないけど、元はサーファーだった「ステューシー(STÜSSY)」を起点に《あんときのストリート》のようなムーブメントが誕生していった経緯とすごく似ている気がします。
一流の世界を教えてくれたメゾン ド リーファーと、ギャルブランドに欠かせない韓国マーケットの話
ミミック編集部:そんな藍原さんもスタイリストの専門学校に通うようになると、古着や海外ブランドにも興味を持つようになり、ファッションの好みも広がっていくんですよね?
藍原:専門学校にはいろんなファッションスタイルの子たちが通っていたので、その影響からギャル以外のファッションにも興味を持つようになりました。それとギャルファッションの全盛期が過ぎたという時代の流れもあったと思います。
ミミック編集部:スタイリストの専門学校を卒業した後はジュン(JUN)に入社して、「ロペピクニック(ROPE’ PICNIC)」や「メゾン ド リーファー(MAISON DE REEFUR)」で販売を担当されたそうですが、特にメゾン ド リーファーの代官山本店で店長をされていた頃は、梨花さんの人気も絶頂だったタイミングじゃないですか?
藍原:売る商品がなくなってしまうほどのすごい人気でしたよ。平日でも入店待ちの人が出るので、整理券を配って対応していました。特にオープンした年の秋に発売したトレンチコートはすごい人気で、オープン前に何百人もの行列ができて整理券もなくなってしまうくらいで、梨花さんの影響力の大きさに驚くばかりでした。
ミミック編集部:梨花さんはプロダクトにもしっかり携わっていたんですよね?
藍原:はい、彼女自身がしっかりとしたイメージを持っていたので、何度もサンプルを作り直しながら、その理想像へと近づけていました。やっぱり"本物"を知る美意識の高い方だったので、パンツを作った際の1ミリ単位のお尻のもたつきも許さないほど、高いクオリティーを追求していました。
ミミック編集部:店舗運営にも積極的に関わっていたんですか?
藍原:そうですね。店長や副店長といった一部のスタッフは社内からの公募で採用したんですが、それ以外のスタッフをモデルやアイドルを目指す可愛い女の子たちで揃えたのも梨花さんの提案でした。スタッフのヘアメイクや立ち振る舞いについても指導されていましたし、「ビュートリアム(BEAUTRIUM)」などの人気サロンへ通うように指示を出して、ヴィジュアル面についても徹底的に管理されていましたね。
ミミック編集部:やはりメゾン ド リーファーでの経験は、その後の藍原さんのキャリアに大きな影響を与えましたか?
藍原:芸能人の子たちも頻繁に買いに来てくれましたし、一流と呼ばれる梨花さんの美意識や指導方針に触れたことで、これまでとは違うハイクラスな世界を経験することができたのは大きかったですね。それとモノ作りに対する梨花さんのこだわりもすごかったので、妥協することなくモノ作りに励む大切さも知ることができました。
ミミック編集部:そうした経験が藍原さんの向上心に火をつけたのか、その後、JUNを退社して韓国へ留学されたんですよね。どんな理由からだったんでしょうか?
藍原:リーファーも最初はオリジナルに力を入れていたんですが、次第にセレクトの方が多くなり、自分のなかで「これが私のやりたかったことだんだろうか?」という思いが募るようになりました。そうしたなかで、ダサいと紙一重の攻め方をしていた当時の独特な韓国ファッションに強い興味を持つようになり、そうしたスタイルを生み出している感性を現地で学んでみたいと思ったんです。
ミミック編集部:学校にも通われていたんですか?
藍原:はい。語学の学校に通いながら、毎日韓国のマーケットに出向いて、現在勤めているヒューマンフォーラムのバイイングのお手伝いをさせてもらっていました(※その後、ヒューマンフォーラムの社員となり、平日は韓国に勤務し、週末になると日本へ帰るというワークスタイルを実践)。
ミミック編集部:奇しくも韓国のマーケットといえば、藍原さんの原点であるギャルブランドにとっても欠かせない、レディースアパレルの一大生産地ですよね。
藍原:そうですね。夜になると急にクラブみたいに光と音楽を発信しながら営業をスタートさせる、独特の活気にあふれた問屋街のようなエリアですね。お店も何万軒と入っていて、自前で工場を持っているお店もたくさんあるんです。
ミミック編集部:藍原さんはマーケットでどんな洋服をバイイングしていたんですか?
藍原:「スピンズ(SPINNS)」向けのバイイングでは、トレンド物をセレクトすることが多かったですね。その後、担当した「ギャレリー(GALLERIE)」は30代のギャルをターゲットにしていたので、大人向けのギャル服をセレクトしていました。
ミミック編集部:工場を持っている問屋さんの技術力は高いんですか?
藍原:早く作る技術はすごく高いと思います。
ミミック編集部:そのようなお店は、何をお手本にして洋服を作っているんですか?
藍原:ハイブランドですね。あとは、日本好きな韓国人も結構多いので、日本のブランドも参考にされていました。例えば、国内で洋服を作ろうとすると、「3点ルール」と言って見本とする洋服から3ヶ所ディテールを変更しないといけない独自ルールがあるんですが、韓国にはそれがないので、トレンドアイテムも凄い勢いで作られていきます。「こういうのが欲しいなぁ」という希望がすでに商品になっていて、ミニマムに関係なく、欲しい数だけセレクトできるので、日本のアパレルブランドやショップもかなり重宝していたんですよ。
ミミック編集部:藍原さんが韓国で学業や仕事に専念している間に、エンターテイメントやコスメといった分野での韓国の影響力はかなり高まっていきましたが、そうした勢いを肌で感じることはありましたか?
藍原:途中から日本人の観光客がすごく増えたのは覚えています。以前は、私のようなバイヤーしか訪れなかった東大門(トンデムン)や南大門(ナンデムン)といったマーケットにも、普通のショッピング感覚で観光客が訪れるようになりました。バイイング中に「クレジットカードが使えないんです」「1着では売ってもらえなかったんです」といった相談を持ちかけられることも増えていきましたね(笑)。
SDGsの視点から「カレカレ」を立ち上げ!藍原さんの原点であるギャルに再び焦点を当てる理由とは?
ミミック編集部:その後は、人気セレクトショップ「ギャレリー」のバイヤーを経て、この7月に元ギャルに向けたヴィンテージショップ「カレカレ」を立ち上げられました。ここにきて、藍原さんの原点ともいえるギャルに再びフォーカスしようと思った理由は、どんなところにあったんですか?
藍原:これまでに買い付けのお仕事を通じて頻繁に海外に行かせてもらっていたんですが、ここ数年で強く感じていたのが「日本って少し元気をなくしてしまっている」ということでした。特に同世代だった元ギャルたちも年齢を重ねるにつれ、「私たちは若い子の一歩後ろでいいから」みたいに遠慮がちになってしまっているんです。あれだけ強気にガンガン攻めていたギャルだったのに、「今はどうしちゃったの?」って感じで。でも、本来ギャルとはネガティブを楽しみに変えるエネルギーを持った、活動的な人たちだったんです。そんな元ギャルたちにいま一度、人生を謳歌してもらいたいとの想いから「カレカレ」を立ち上げようと思いました。
ミミック編集部:サイト内に、元ギャルたちの当時と今の価値観の違いなどを伝える「The 2000年」というコンテンツを併設したのは、元気だった当時の様子を思い出してほしいという考えがあったからですか?
《あんとき》と現在を楽しめる The 2000年
※クリックすると画像を拡大して見ることができます。
藍原:それもそうですが、当時と比較することで、今だって十分素敵なんだよということを知ってもらいたいと思ったんです。でも、残念なことに30歳を過ぎた頃から自分の劣化を受け止められなくなって、写真を撮らなくなってしまったという元ギャルたちも多くて......。現在、「The 2000年」に掲載させてもらっているのは、たまたま最近撮る機会があった子や、あらためてカメラマンに撮影してもらった子たちなんです。だから、40代になってからもオシャレを楽しむ姿をちゃんとしたカメラマンに撮影してもらう文化が根付くといいなぁと思っているんですけどね。チャンスがあったら、ぜひFASHIONSNAPさんでもそういった撮影会をしてもらえると嬉しいですね(笑)!
ミミック編集部:それは面白いアイデアですね!ちなみに「カレカレ」では、そんなギャルたちが当時来ていた洋服のデザインやエッセンスをリバイバルさせようというつもりではないんですよね。ギャルっぽさというのは、どのように表現していこうと考えているのでしょうか?
藍原:まだまだショップを立ち上げたばかりなので、試み自体はこれからという感じですが、「元ギャルだったらこういったテンションが好きだよね?」というデザインをリメイクアイテムとして展開していきたいと考えています。例えば、色物や柄物を多く展開するなどして、若者の間で流行っているトレンドを30〜40代へ向けて提案していくようなイメージです。
ミミック編集部:あえて、リメイクやヴィンテージにこだわろうと考えたのは、どういった理由からなんでしょうか?
藍原:社長がSDGsや環境問題に関心が高く、その影響から私も次第に興味を持つようになり、環境への負荷が少ない古着やリメイクに注目するようになりました。ギャルという人種は、新しい価値観に抵抗感がなく、すごく新しい物好きで、自分なりの視点でオシャレに変換するのが上手な人たちだと思います。なので、SDGsの取り組みとも親和性が高く、ファッションを楽しみながら世の中を良い方向へ変えていくことができるんじゃないかと考えました。
ミミック編集部:「カレカレ」を通じて、元ギャルたちにこんな風になってもらいたいというのはありますか?
藍原:ただ単に服を買ってもらうのではなく、自分の大好きな服を着ることでより一層魅力的になってもらい、気分が上がったり、笑顔が増えたりして、毎日を楽しんでもらいたいと思っています。そうすると、自然と外に出たくなったり、人と会いたくなったりして、人生そのものが変わっていくと思うんです。大人はこうあるべきみたいな価値観に捉われることなく、若い頃と同じように人生を謳歌してもらえたら嬉しいですね。
ミミック編集部:最後に今後の展望について、教えていただけますか。
藍原:不要になったファッションアイテムを物々交換できるコミュニティを「カレカレ」内に作りたいと思っています。「ちょっと高かったし、捨てるにはもったいないから、もし欲しいという人がいたら譲りたいな」というアイテムを交換し合うことで、モノを大切にする循環型のモデルが作れればなと。「カレカレ」のユーザーであれば、好きなテイストや感性が似ていると思うので、普通の古着屋さんよりも自分好みのアイテムに出会える可能性も高いと思うんです。実益を兼ねながら環境に優しい未来を作っていければ最高ですね。
ミミック編集部:色々な話をお聞きして、《あんときのストリート》と《あんときのギャル》って、共通する部分も多いなと感じました。早熟だったり、ヤンチャだったり、地元では浮いてしまうようなカウンターなポジションの人たちが、ファッションや音楽などの共通言語を求めて原宿や渋谷に集まってきて、やがて大きなムーブメントを形成していくことになる。で、これはカレカレのコンセプトにも通づると思うのですが、ファッションスタイルのみで語られる部分も多いですが、そんなのは表層的な面であり大事なのはマインドの部分、生き方=スタイルというか、そういう自分の根底にある部分なのかなと思います。先ほどあった「モテに走ったんだ」を良しとしない周りや自分への貫き方だったり、ネガティブを楽しみに変えるエネルギーであったり、そういったことが、ストリートマインドでありギャルマインドなのかなぁと、思ったりしました。
藍原:確かにそうかもしれませんね。あれだけ強気にガンガン攻めていたマインドで、今後も人生を謳歌してもらいたいですよね。
ミミック編集部:あえてパー券を作って、そんな方々に向けたイベントをしたいですね。ドレスコードは《あんとき》にして、FASHIONSNAPさんにスナップに来ていただき(笑)。
藍原:それは面白いアイデアですね(笑)。そのときはまたぜひ取材してください!
ミミック編集部:承知しました! 本日はありがとうございました!
■カレカレ:公式インスタグラム/公式オンラインストア
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《あんとき》の雑誌連載から裏原宿の歴史を探る
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