■なぜ「エア マックス ゼロ」製品化に29年間の時が必要だったのか?
―「エア マックス」をデザインする事になったきっかけは?
もともと、「ナイキ エア」は1978年にナイキ テイルウインドに初めて搭載されたクッショニング・テクノロジーでした。このテクノロジーをもっと馴染みのあるものにデザインすることが私の仕事でした。そんな頃、ちょうどパリのポンピドゥセンターに訪れ、内側の構造が外から丸見えになっている構造に衝撃を受けました。これをシューズに落とし込み、エアバックを大きくして、ミッドソールくらいに広げ、しっかりと見えるようにすればテクノロジーを可視化できるのでは、と思い帰国してすぐにデザイン画におこし、4〜5枚のスケッチにまとめてCEOであるマーク・パーカーに提出しました。
―反応はどうでしたか?
マークをはじめ当時の経営陣から大変好評でしたが、「あまりにも革新すぎる。無理しすぎると誰にも分かってもらえない靴になってしまうのではないか」という懸念から、アッパーは置いておいてミッドソールの新しさにもっとフォーカスしようということで皆さんもご存知の「エア マックス 1」が誕生しました。私もこの決断には納得でしたし、当時の「エア マックス 1」も十分画期的なプロダクトでしたから。
―「エア マックス ゼロ」が生まれた経緯は?
今年で2年目になるエア マックス デイを前に、ナイキ・アーカイブ部門に眠っていたスケッチがナイキスポーツウエアのデザインチームによって発見されたんです。当時私が「ナイキ エア」について話しているビデオとスケッチを持ってきて、「これを再現したい」と言われました。関心を持ってくれていて大変嬉しかったので、このシューズのストーリーや着想を伝えました。
―完成品を見た感想は?
結果的にとても良い形でシューズが蘇ったと思っています。スケッチととても似ていますが、シューズとしての機能はレベルアップしています。「ハラチ」や「ソックレーサー」の要素も感じられるので、今思えば当時の私の頭の中にそういったアイディアがあったのかもしれません(笑)。それに、当時使われていなかった素材やテクノロジーが存分に使われていて、今だからこそ形にできた「エア マックス」に仕上げてくれて私自身とても満足しています。