台東デザイナーズビレッジの教室
Image by: FASHIONSNAP.COM

Fashion NOTE

「見えなくなったもの、失ったもの」リトゥンのショーに10年ぶりに行った

台東デザイナーズビレッジの教室
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フィナーレでイムジン河が流れた。プロパガンダとして知られるが、分断された故郷を思う美しい歌声にふと思いを巡らせた。前回リトゥンアフターワーズのショーを観たのは10年前。あれから何を得て何を失ったのだろう。

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2009年、廃校となった小学校の教室に僕達はいた。御徒町駅から徒歩15分ほど歩くと辿り着く台東デザイナーズビレッジ。デザビレと呼ばれるファッション企業のインキュベーション施設として業界では知られている。物見の塔を備え1908年の創立以来、幾度の改修が行われたが今なお堅牢な校舎。設計はドイツの表現主義を取り入れたものだと聞いた。

デザビレでは、オフィス部屋を「教室」、事業者を「住人」、インキュベーションマネージャーを「村長」と呼ぶ。どこか牧歌的な響きだが、住人達はとにかく働いた。ヒトカネコネ、ほぼすべての要素を全員が持ち合わせていなかった。できることといえば、人よりも長く働く。高い倍率の試験をくぐり抜けて入居を許されたという矜持も一役買っていたかも知れない。ただ、事業を興すものにとって長時間労働とは権利であり義務なのだ。それだけは骨の髄まで染みた。

リトゥンの部屋からはいつも明かりが漏れていた。「どこが一番遅くまで働いているか」、競っていたわけではないが深夜まで住人達は教室の明かりを消さない。その中でも、リトゥンは特に遅くまで灯っていた。

当時のリトゥンは駆け出しのブランドだったが、他の住人達よりも幾分恵まれていたと思う。セントマーチンズ卒という経歴、欧米から持ち帰った自由な余韻、哲学的でどことなく神話性を醸し出すブランドの求心力、ファッションを志す若者が惹きつけられる理由は十分だった。人手という部分においては他よりも苦労は少なかったはずだ。だが、それだけだった。

初めて山縣さんと会った時のことは、正直あまり覚えていない。きっと彼もそうだと思う。覚えているのは作品でやたら大きいブラジャーを作ったブランド、いつも白衣を着ていたこと、そしてどこか郷愁を誘う眼差し。デザイナーとメディアという間柄だけではなく同世代であることや同じ屋根の下で働く睡眠不足、大きな子供と見られる、など話のきっかけは多かった。いつしか、2人で酒を飲む仲になった。僕は29歳で、彼は30歳だったと思う。同年代に比べて情けない懐事情がいつも安い居酒屋に誘った。酔客の喧騒に乗り杯を重ねるが、もちろん飲む酒は特に旨くはない。ただ、これからの未来を信じて疑わない者にとってはそんなことはあまり重要ではなかった。

ある日、リトゥンがショーを行うと聞いた。そしてもう1人の創立者、玉井健太郎さんがブランドを離れたことも。孤独な目になっていたのを覚えている。正直、ショーに関しては聞く前からなんとなくは察していた。他の住人からクレームが入るほど、彼らの教室からモノが溢れ廊下を塞いでいたからだ。が、不思議と憎めないのが彼の憎いところでもある。明日は我が身、多くの住人達はあまり問題にしなかった。コレクション前の1ヶ月は、ほぼ24時間で誰かが教室で作業をしていたと思う。傍目から見ても永遠に続くかのような膨大な作業。リトゥンの狂気とも思える熱気と集中力に自分勝手にショーへの期待が高まった。

そして2009年10月24日にコレクションが行われた。AKIRANAKA、MIKIO SAKABEとの合同ショーでタイトルは「THIS IS FASHION」。リトゥンは大トリだったが、最初のルックで困惑した。これはファッションなのか。リトゥンのショーは抽象画を眺めることに似ている。明確にこうだったとは言えない、観た者の感情を揺さぶりその心象をもって作品が完成する。正直、僕の中ではこれはファッションではないという気持ちを抱かせたが、心の中で漏らした感想は「よかった」。それは称賛ではなく安堵の言葉としてだ。すでに記者がコレクション記事を書き始めている。記事が成り立つ最低限のショー体裁があったことだけが救いだった。


それ以来、リトゥンのショーに赴くことはなくなった。


リトゥンのクリエイションは、いつも賛否両論が起こる。きっと彼もそれを望んでいると思う。ただ、心無い言葉や理を欠いた批判は議論の嚆矢にはならない。彼はその矢面に立つ事が多かった。言いたい事を我慢して忍び耐えるのはとても辛い。ショーが終わる度に心労が色濃く表情に影を落とした。僕自身もそんな矢面に立つことが多い。時折くだらない話をして彼が笑うと何故かホッとした。

同じ時期ぐらいにブランドとは別に山縣さんは「ここのがっこう」を立ち上げ、教育にも力を入れ始めていた。自由な創造性を大切にする彼の性格を考えると、とても良い選択だったと思う。ここのがっこうは国内では珍しくクリエイションの素養を育てるところで、志の高い生徒が集まる稀有な存在として注目を集めた。特に欧米のコンテストに積極的で「コンテストの予備校」と揶揄されることもあったが、著名な賞を獲得するなど実績をあげている。卒業生で新進デザイナーも多く輩出しており、ファッション業界への貢献度はとても高いと思う。ただ、ここのがっこう、教育者として力を入れるほどデザイナーという色が抜け落ちていった。彼の中ではもうファッションデザイナーとは居続ける場所ではなく、過去として分断され思いを馳せるだけの場所。そう個人的に感じる事が多かったのも事実だ。

気がつけば僕も山縣さんもデザビレをとっくの昔に卒業して、それぞれの場所で日々に忙殺されていた。関係性は変わらない。気が向いた時に飲みに行くのが恒例となり、より自由に物事を話すようになっていた。だが、ファッションの話は年々減り各々の仕事の話が時間を埋める。お互い一端の大人になり、会社の代表者として少なくない責任を負っていた。気がついた時には彼がファッションデザイナーだった事を記憶の深淵に沈めていた。

今年10月、打ち合わせから戻り自分の席に着くと、記者からリトゥンが2年ぶりにショーをやると聞いた。不規則にコレクションを行っていたのは知っていたが、そんなにやっていなかったんだと意外だった。山縣さんが来て欲しいって言ってましたよ、とも言われ珍しいなと感じた。これまでも同じような誘いはあったが、本人から言われるのはとても久しぶりだったからだ。彼も僕がショーに行かない人間だと知っている。場所がデザビレからほど近い上野公園だったからだろうか、それとも彼に生涯の伴侶を得たという慶事があったからだろうか。本当の理由はわからない。ただ、あれからもう10年が経っていた。当日の朝まで迷ったが、観に行くことにした。

会場の上野公園には思い入れは無いが、思い出は多くある。夜の公園はなぜかとても寒い。湿りの抜けた風が頬を撫でる11月は、屋外でショーをやるには最後の時期だろう。今年のコレクション納めとしてオフシーズンだが業界関係者が足を運んでいるのがわかった。久しぶりに訪れたリトゥンのショー。多くの知人に会ったが、スタッフのほとんどは初めて見る顔に変わっている。ただ、席を案内してくれた城光寺は10年前と同じスタッフだった。珍しいですね、来ないと思いました、そう話す彼女の後ろ姿は大人としての佇まいを漂わせ、歳月を感じさせた。

ショーは相変わらず遅れた。席で暇を潰していると会場を巡回していた自社のカメラマンから着ぐるみが何体かいますよ、と聞かされた。相変わらずだな、今回も打ち上げ花火かもね、と返したと思う。何故か頬が少し緩んだ。

照明が落ち煙幕が焚かれ、魔女の行進でショーは幕を開ける。タイトルは「After All」。「統合に向かった世界の結局は。断絶や対立的な言動が頻出する現代こそ、ルーツ、自分達が歩んできた道を見つめることの必要性を感じる。勇気ある先人が作った道の上に立つ事を自覚し、多元的な新たな一歩を踏み出せることを願う」。かいつまんで書くとこういう内容だ。僕はジャーナリストではない。ルックの詳細はきっと適切な人が良くも悪くも筆を走らせるだろう。

リトゥンのショーはお決まりだ。彼のイメージを構成するカラーパレットとシルエットを纏ったモデルに、不意を突くクリエイションのルックを挟み込む。観客にその問と解を求めることで幕を閉じる。そうタカを括っていた。だが、懐かしさを感じさせつつも、視覚が捉える対象物は10年前よりも格段にファッションとしての輪郭を鮮明に放つ。ファッションだ、それは疑いようがない。モデルを目で追いつつ、深く自省した。「ルーツ、自分達が歩んできた道を見つめることの必要性」。常に先を追う彼が、これまでを見つめる。昔に分断したと思っていたファッションデザイナーという場所に彼はずっと居続け、その沃土を育てていた。

テンポは早かったと思う。その中にとても歩みの遅い1体の着ぐるみがいた。後ろからくるモデル達に容赦なく追い抜かれていく。その光景に何故か胸を突かれた。当たり前のことを見せつけられたからだと思う。歩みが早い者もいれば、遅い者もいる。悲しいがそれは動かしようのない事実だ。しかし、恥ずべきことではない。すべての人は、生まれてきた意味を探す流浪の途にいる。誰かの歩みに焦る必要はない、自分の道をただ自分のペースで踏みしめればいい。彼は、彼の歩速でこの10年間の責務を全うしていた。

イムジン河の旋律が流れ、フィナーレだと気づいた。モデル達が華奢な体に似合わない歪に大きな荷物を背負い歩き出す。映像でしか見たことのなかった、遥か遠くの光景。何故かそれが山縣さんの荷降ろしに思えた。溜めたものを吐き出す、そして身軽になり次に向かう。それが彼のサイクルだ。重荷は背負っている時は苦しい。だが、魂と肉体を鍛え、次に背負う物を軽くしてくれる。この荷物を降ろした時に彼の新しい流浪がまた始まるのだろう。きっと苦しむと思う。だが、それは憂うものではないはずだ。

今年、デザビレで長年村長を務めている鈴木淳氏が鯨岡阿美子賞を受賞した。ファッション業界の発展に寄与し、功績が認められた者に贈られる賞だ。僕も山縣さんも含め住人達に毎日無茶ぶりを言われていたと思う。廃校の教室で孤軍奮闘する村長もまた、住人達と同じだった。その軌跡に光が当たる、それは偶然ではなく必然と信じたい。リトゥンを離れた玉井さんも自身のブランド、アシードンクラウドを軌道に乗せている。時を経て見えなくなったものは多い。だが、消えたわけではない。すべては血となり肉となり新しい姿でその輪廻の円環を巡る。この10年で失ったものは何もない。

ショーが終わり、帰路に就くとFASHIONSNAPのインスタライブに自分の声が入っていると編集から指摘を受け少し焦った。正直、何を言ったか覚えていなかったからだ。すぐにiPhoneを取り出し、ライブを再生する。深く一礼する山縣さんの挨拶が終わり、観客が席を立つ瞬間に声が残っていた。

「かなり良かった。」

今度は安堵ではない。リトゥンの服を買おうと思う。素晴らしいショーだった。ありがとう。

書き手:光山 玲央奈

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