中尾隆志
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Fashion インタビュー・対談

【連載:パリを選んだ日本人クリエイターたち VOL.2】ルイ・ヴィトン ウィメンズ デザイナー中尾隆志

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 世界のファッションの中心地であり、多種多様な人種が集まるパリ。この街では、さまざまなジャンルで日本人クリエイターが活躍している。今回は、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のデザインチームの一員として、第一線で活躍する中尾隆志さんをクローズアップ。パリ留学時にほぼ独学でファッションを学び、実践でキャリアを積み重ね、現在はモード界の最前線で働く彼に聞く、自身のキャリアやパリでの生活、ファッションの世界で働くことについて。


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Profile
中尾隆志 Takashi Nakao
1979年、鳥取県生まれ。大学卒業後にパリへ留学。ファッション系の学校には通わず、ほぼ独学でファッションを学ぶ。2005年より、「ハイダー アッカーマン(HAIDER ACKERMANN)」のアトリエで研修をスタート。その後、ミラノで4年間「ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)」のシニアデザイナーを務め、パリへ戻り、「ランバン(LANVIN)」を経て、2016年より「ルイ・ヴィトン」のウィメンズデザイナーに。

― パリに住むようになったきっかけとファッション業界に入ったきっかけを教えてください。

 大学の仏文科を卒業後、語学留学したのがパリに住むようになったきっかけです。ファッション系の学校ではなく普通の語学学校に通っていました。ファッションを学んだことはなかったのですが、当時、コインランドリーで日本のファッション雑誌を読んでいるときに、たまたまエスモードの先生に声をかけられて、彼がファッションを教えてくれるというので、これも何かの縁だと思って彼に個人的に教わることになりました。そして2年後、彼から研修先として「ハイダー アッカーマン」のアトリエを紹介してもらえることになったんです。フランスにはスタージュ制度という、お金をもらいながら勉強できる制度があるから、それを利用したらどうかと言われて。そこで研修生としてキャリアをスタートしました。

昔描いたというデザイン画

― ファッション系の学校に通ったわけではなく、働きながらファッションを学んだのですね。

 そうです。その先生から個人的にレッスンしてもらってデザイン画を学んで、専門的なことは仕事先で覚える感じでしたね。「ハイダー アッカーマン」でアシスタントをしながらパターンを学びました。2年の研修の後、正社員として雇ってもらえることになり、アントワープのアトリエへ移りました。当時は、ヨーロッパに残るか日本に帰るか悩んでいたんですが「ブランドから必要とされている」と感じたので、残ることにしたんです。ベルギーは、街も静かで生活費もパリに比べて安く、勉強したてのデザイナーにはちょうどよかった。結局、アントワープで4年間働き、その後は、「ボッテガ・ヴェネタ」でシニアデザイナーとして働くために、ミラノへ移住することになりました。当時は、トーマス・マイヤー(Tomas Maier)がディレクターで、今までいた「ハイダー アッカーマン」とは女性像が全然違うブランドだったので、それも面白いと思ったんです。

(左)ハイダー氏とLAにて (右)ハイダー アッカーマンの昔のパリのアトリエ

ハイダー アッカーマン時代の仕事

― 同じヨーロッパでも、パリとミラノではものづくりは違いますか?

 パリは立体的なデザイン、ミラノはテキスタイルを駆使したデザインが特徴的ですね。イタリアのブランドは、形はシンプルでフィット感があるデザインが多い。それはアトリエと工場との関係性の違いもあるんですが、平面で作る美しさがイタリアらしさで、パリとはまた違って、とても勉強になりましたね。「ボッテガ・ヴェネタ」時代の同僚の中には、「コシェ(KOCHÉ)」のクリステルもいたんです。彼女たちはセント・マーチンズでしっかりデザインを学んだ人たちだったし、フリーランスのデザイナーとして働いていたので、独特の世界観があり、発想が自由で、すごく刺激を受けました。自分は学校に通ったわけではないから「これがデザインだ」というのは教えてもらったことはない。働きながら、自分なりの答えを見つけないといけないのが大変でした。本当に職場で勉強しながら、経験を積んだ感じです。

ボッテガ・ヴェネタ時代に製作したプレゼン用のムードボード

 

― 「ボッテガ・ヴェネタ」で4年働いた後、パリへ戻るんですね。

 アルベール・エルバス(Alber Elbaz)時代の「ランバン」で働き始めることになり、再びパリへ戻りました。実は、ミラノに行く前に一度、彼に直接会って、デザインを見てもらう機会があったんです。その時はアトリエで働くことにはならなかったのですが、アルベールのクリエイションはすごく好きだったので、満を持して入社した、という感じでしたね。でも、入社してすぐにアルベール・エルバスが辞任してしまったんです......。しばらくデザインチームの一員として残ったのですが、2016年、運良く「ルイ・ヴィトン」のデザインチームから声がかかり、転職することにしました。

ミラノ時代の週末や日常の1コマ

― 「ルイ・ヴィトン」でのお仕事について聞かせてください。

 ルイ・ヴィトンは、テーラー部門やニット部門など、各カテゴリーごとにデザインチームがあり、僕は柔らかい生地を使ったドレスやセレブリティの衣装などを手掛けるフルー担当をしています。チームは5人で、年齢、国籍も様々でとても面白く、それこそ動物園のようですよ。チーム内では日々、競争がありますね。チームの若手は勢いもあるし、自分も負けずにいいものを作って、常に結果を出さないとチームメイトがついてきてくれない。サッカー選手と同じような感じですね。日々、プレッシャーとの戦いです。

― 一着の服ができるまでのプロセスを教えてください。

 基本的には、ニコラ(・ジェスキエール=ウィメンズ アーティスティックディレクター)のアイデアソースを軸に、自分たちがデザインし、仕立て、詰めていきます。デザイン画を描いてパタンナーに渡すことが多いのですが、生地とボリュームを本番に近い感じに仕上げてニコラに提案するために、本生地を使って自分で縫うこともあります。それはとても贅沢なことで、規模が大きいルイ・ヴィトンならではだと思います。ルイ・ヴィトンは、少ないデザインをきっちり作るというブランドなので、デザイナーだけど職人みたいなところもありますね。とはいえ、デザインは最先端じゃないとニコラからのOKが出ない。ニコラのアイデアソースは、伝統的なものとサブカルチャーからのインスピレーションが多いんです。クチュールとストリートをミックスする感覚は、自分がファッションに興味を持った頃から持っている原点みたいなものですし、ニコラも自分も古着が大好きなので、そのへんの感覚は理解しやすいというか、アドバンテージがあると感じます。

中尾さんが手掛けたドレスを安藤サクラさんがカンヌ映画祭で着用

― 海外でファッションの仕事をしたいと思っている若い人たちへ、なにかアドバイスはありますか?

 やりたいなら、怖がらずにとことんやったほうがいいと思います。ヨーロッパでは、英語はかなり通じるようになってきているので、デザイナーになりたいなら英語は話せたほうがいいです。特に日本でキャリアを積んでからこちらに来る場合は、コミュニケーションできるとスタートが切りやすいし、使えると使えないでは差が出てくると思います。あとは、ある程度の資金力をもっておくことですかね。でも学生なら、深く考えずに来ちゃってもいいと思いますよ。自分は仕事をしながら英語を覚えたので、現地で学ぶのでも十分だと思います。それから、フランス人は日本や日本のファッションが好きな人が多いので、今のパリでは日本人であることがアドバンテージになると思います。ニコラも日本大好きですし。

― ファッションについて思うこと、また、今後の目標などあれば教えてください。

 世界的に、服に関心がある人が少なくなったと感じます。デザイナーの服はどういうふうに時代に寄り添っていったらいいのかなと思うことがありますね。例えば、日本のドメスティックブランドは、デイリーに着られる服を作っているのに、なかなか浸透しない。こちらに住んでいる僕の考えですが、日本とフランス両国にオフィスがあるとものづくりの幅が広がるのではないかと思います。もちろん、簡単なことではないですが、自分が新しいことに挑戦するとしたら、ゆくゆくは日本とフランス二拠点でワールドワイドな仕事ができたらいいなと思います。新しいことに挑戦したい、それと今年40歳になるので、人を育てることもしていきたいと思いますね。

パリの休日。家族と車で美術館や史跡を訪れたり、自然を楽しむことが多いのだそう

(文・岡本真実)

【連載:パリを選んだ日本人クリエイターたち】
VOL.1 ファッションコーディネーター大塚博美
VOL.2 ルイ・ヴィトン ウィメンズ デザイナー中尾隆志

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