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見慣れすぎた「まいばすけっと」は都民の罰なんかじゃない──「ピリングス」2026年春夏

Image by: FASHIONSNAP

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見慣れすぎた「まいばすけっと」は都民の罰なんかじゃない──「ピリングス」2026年春夏

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 WEB版美術手帖の編集長 橋爪勇介氏が「巨大なイオンモールだけが煌々と明るい地方都市に帰省すると、美術の『美』の字も見つけられない」というX上でのポスト(現在は削除済み)が議論を呼んだのは約1ヶ月前のこと。このツイートの真意や筆者の考えは本項の主題とはズレるので割愛するが、さまざまな議論から派生する形で、イオングループのスーパーマーケット「まいばすけっと」が次なる話題の的になった。具体的には、地方都市には存在せず、東京を中心に存在する“都市型“小型食品スーパーであるまいばすけっとは「頑張った自分へのご褒美として買うような、いつもより高価で奮発したくなる商品が何一つ陳列されていない」「都民への罰である」と。大型スーパーマーケットよりも小さく、だからといってスーパーマーケットよりも安価なわけでもない「まいばすけっと」に対してそういった感想を抱いたことは確かにある。しかし、夜遅くに帰宅し空腹のまま最寄駅に降りた時、光を放つのはいつも“まいばす”だ。コンビニ弁当の味に飽きた私は、まいばすで買った一人分の野菜や肉を切ったり焼いたりして食べたり、フルーツにかぶりついたりする。まいばすは劇的なことなど滅多に起こらない紛うことなき「生活」の象徴としてある。今回の「ピリングス(pillings)」のコレクション「my basket」で村上が具現化したかったのはそういう、いままで誰も見向きもしなかったような、だからこそ、今まで言語化もされてこなかった(平和で治安が安定している)日本でしかありえない「日常にある服=日常服」だったように思う。

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 2025年春夏コレクションでも「レースカーテンが揺れている光景」という「日常」に焦点をあてていたが、その目線が部屋の中から、部屋の外に向けられる変化があったことも心が揺さぶられた要因だろう。ぼさぼさヘアのモデルが早歩きで目の前を駆け抜けたのが最たる例だが、言葉を選ばずにいうなら、それはさながら家の中に数十年引きこもっていた人間が久方ぶりに外の世界に飛び出し、その世界の美しさを語り出しそうな雰囲気すらまとっていた。部屋の中に居続けた人にとって、私たちが見慣れてしまった日常の景色がどれだけ新鮮で美しいことか。

 お尻の部分がすすけた小花柄のパジャマのようなボトムスは、長い間彼女が座り続けていた歴史を感じさせる。肩口が歪んでいるカーディガンは、安いハンガーに長年かけっぱなしだったのだろうか。肩紐がねじれたワンピースやショルダーバッグを急いで掛けたのかめくり上がってしまったジャケット、極め付けはモデルの年齢にはそぐわない、幼児向け番組「にこにこぷん」のキャラクターがほどこされたカーディガン。そのどれもが、鑑賞者に「手入れが行き届いておらず、着飾ることににそれほど興味がなさそうな人」を思わせるのは意図的か、否か。今回のショーが小規模な会場で発表されたことも含め、あえてファッションの制度化されたスケールから距離を取る態度のようにも感じさせる。それは「スーパーに出かける程度の外出が、ある人にとっては大冒険になる」という村上の言葉の通り、些細な行動に宿る大きな意味を強調する行為でもあるように思う。

 コレクションテーマの「my basket」は、「当たり前にあるもの」という意味でスーパーマーケットのまいばすけっとにも掛かっているのだろうが、「my basket」(私のカゴ)というモチーフは、知識、経験、感情を抱え込む「自分の器」の比喩として捉えることもできる。また、カゴの編み目はぐるぐると繰り返されることで出来上がる産物であり、その反復性は毎日を生きる我々の「日々の繰り返し」とも連動してくる。忘れてはならないのは、村上は「若い人にニッターはかっこいい仕事だと思って欲しい」と方々でコメントするような生粋のニットブランドデザイナー。ニットも基本的に、編み続けることで物が出来上がる反復の産物だ。反復性の営みは、すなわち「ピリングスの手仕事」「繰り返される日々」とニアイコールで結べるところでもある。

 カゴ(basket)は器(bowl)とは異なり、基本的には編み目があるので、カゴが満たされる前に底からこぼれ落ちてしまうこともあるだろう。「バスケット=自分の内面の入れ物」で、そこに入ったものとどう付き合うか、何を溜め込むか。それは世の中に何かを生み出すクリエイターにとってはほとんど命題に近いものだと思う。編み込まれたカゴに入れられたものは孤立せず、互いに響き合って増幅し、クリエイションとして日の目を浴びる。今回、村上が自身のバスケットの中で響き合わせ、増幅させたのは、私たちが無意識に蓄積してきた日常の視覚的記憶を掘り起こしながら、それを改めて“発見する”体験に変換させる装置(服)だった。私たちが日常的に目にしてきているすべてのものは、本来平凡なものにすぎない。しかし服というかたちで立ち上がると、それは見慣れたものではなく、未知の存在として立ち現れる。その二重性が観客を惹きつけたのではないだろうか。

 不思議なのは、これほどまでに服の背後にある物語を想像させながらも、全体に静けさが漂っている点だ。それはまるで、デザイナー自身が名乗ることを拒むような、村上の沈黙に似た静けさとも言えるだろう。「どこかで見たことがある」という既視感と「決して見たことがない」という未知性。その意図を理解しようとする時、私たちは村上の視線を追うのではなく、自らの中にある記憶や想像を手がかりとせざるをえない。

 人間の記憶はビデオカメラのように音声もなければ長尺で保つこともままならない。数秒単位、あるいはカメラのようなワンシーンの連なりが人間の「記憶」の正体だろう。その限りある記憶を駆使しながら、何気ない日常を慈しむ心が我々には備わっている。記憶は曖昧なもので、数式や定規などでは描きようがない。おぼおろげな記憶が規則的ではなく、ピリングスのシグネチャーのように「歪んでいる」のは至極真っ当で納得感もある。

 話は横道に逸れるが、仏教には「空」と言う概念があり、日本ではより強く「はかなさ」や「むなしさ」など元来あった日本人特有の気分と結びついたものとして「空」の概念が受け入れられたそうだ。ファッションにおいて「日本的なもの」を表現する時、多くのクリエイターは型や素材、文化的な背景を利用しようとするが、村上は「日本人らしい儚い記憶の保存方法」に着目し、カメラもでもなく、ビデオでもなく、服でそれを試みようとしている稀有な(そしてかなりチャレンジングな)デザイナーだ。それはいつの日か、新たな「日本発の日本らしさを表現するブランド」として世界に受け入れられだろう。

最終更新日:

FASHIONSNAP 編集記者

古堅明日香

Asuka Furukata

神奈川県出身。日本大学芸術学部文芸学科を卒業後、広告代理店を経てレコオーランドに入社。国内若手ブランドの発掘のほか、アート・カルチャーを主軸にファッションとの横断を試み、ミュージシャンやクリエイター、俳優、芸人などの取材も積極的に行う。好きなお酒:キルホーマン、白札、赤星/好きな文化:渋谷系/好きな週末:プレミアリーグ、ジャパンラグビー。

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