昨年、LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン グループ(以下、LVMH)に、「オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー(OFFICINE UNIVERSELLE BULY、以下ビュリー)」の事業を売却し、新たな挑戦に進むラムダン・トゥアミ(Ramdane Touhami)。そもそも“香水と香り酢の魔術師”と称されたジャン=ヴァンサン・ビュリー(Jean-Vincent Bully)が1803年にパリで創立した総合美容専門店ビュリーを、長い休眠期間を経て2014年に復活させ、瞬く間に世界中で人気のビューティブランドへと押し上げた、その手腕は国内外のビューティ業界でも高い評価を得ている。売却後、妻のヴィクトワール・ドゥ・タイヤック(Victoire de Taillac)が継続してブランドディレクションを担う一方で、ラムダンはアートディレクションを指揮する傍ら少しずつビジネスから離れ、新たな挑戦に踏み出す。そんなラムダンに、ビジネスを売却した経緯やビュリーへの思い、さらに今後の新たな挑戦について聞いた。
■ラムダン・トゥアミ:モロッコ系フランス人。17歳で高校を中退。高校時代に「ティンバーランド」のロゴをカンナビスでアレンジしたブートレグブランド「Teuchiland」を創業するも、誘拐されたギャングに儲けたお金を略奪され事業を終了。パリに移り、一年ほどホームレス生活を過ごす。スケートウェアブランド「King Size」を立ち上げ、1997年に売却。翌年、仏リアリティ番組「Strip-Tease」の司会に。デザイナーのジェレミー・スコットらとコンセプトストア「L'Épicerie」をオープン。東京では「And A」の復活に携わる。仏セレクトショップ「コレット」のPRだったヴィクトワール・ドゥ・タイヤックと結婚。2014年に「ビュリー」を復活させ、ユニークなアイデアを取り入れた商品や独自の世界観を演出した店舗で、グローバルで人気のブランドに成長させた。クリエイティブエージェンシーの立ち上げなど個人の活動も多彩。
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ーまず、LVMHに「ビュリー」を売却した経緯について教えてください。
「ビュリー」はいつでも、“ホーム(家)”だ。でも売却で今は同じ家でも、“持ち家”ではなくなったって感じかな。ビュリーは世界中にビジネスを広げることができたし、コロナ禍でも売り上げは3倍に成長するなど、規模が大きくなり昔のようにマネジメントできなくなったんだよ。また新型コロナウイルスの影響でこれまでのように海外に行けなくなって、世界中のチームや店舗を訪れることが難しくなってしまったことも大きいね。
そうなった時に、LVMHのような世界各国に支社を持ち、強力なネットワークを擁する大手グローバル企業でないと、ビュリーのグローバルなビジネスを経営できないと思うようになったんだ。
ー“買い手”候補はたくさんいたと予想しますが、グローバル企業の中でもなぜLVMHだったのでしょうか?
先ほども言ったけど、私にとってビュリーは家族のような存在で、ここまで成長させられたことを本当に誇りに思う。だから安易に売却先を決めることができなかったんだ。実は他社からもっと高額なオファーの打診もあったけど、お金の問題でもないんだよ。そもそも、LVMHはビュリー社の株を12%所有していたというのもあるけど、まず前提として、世界中にブティックを構え、同じような理念や考えの会社であることが条件だった。そしてビュリーがこれまで築き上げてきたビジネスを変えずに大切に育ててくれることを重視して決めたんだ。
LVMHのベルナール・アルノー(Bernard Arnault)会長兼最高経営責任者(CEO)とは、食事やお酒の席ではなく、7ヶ月という長い話し合いを重ねるうちに、彼だったら安心してバトンタッチできるだろうと思ったんだよ。アルノーCEOは「ビュリー」を急激に拡大させようとするのではなく、ブランドの歴史とこれまでの成長をリスペクトしてくれているからね。
ー一番変えたくなかった点は?
日本のブティックを訪れれば分かると思うけど、必ずサプライズの要素がある。全てのブティックにおいて、それぞれ個性的な世界観を作り上げている。出店する場所からインスパイアされながら、一つひとつの店舗にこだわりを詰め込んで出店している。そういったこだわりは絶対に変えたくない。実はこれから1年で、日本でさらに5〜6店舗、世界で約20店舗の新店をオープンする予定だ。それ以上は店舗網を大きくしようとは考えていないんだけどね。
ー確かに日本でも、その土地柄を踏まえた素敵なブティックをたくさん出店していますね。
日本はリテールの競争が本当に激しい。でもそれが楽しいんだ。たとえば渋谷パルコ店ができたときも、それぞれのテナントが一番店を作ろうと競い合ったが、私はビュリーが一番だと思ったし、名古屋のタカシマヤゲートタワーモールでも、京都BALの中でも一番の店を目指した。新宿ニュウマンにある店舗もわずか12平方メートルと小さいスペースながら最高の空間で、自慢の店だよ。
ーなぜそこまで東京で一番を目指したのでしょうか?
たとえばファッションブランドを立ち上げた時、自慢のコレクションを披露したいときに、パリのファッションウィークを目指すでしょう?コレクションにそれだけ自信があるのであれば(ファッションウィークの規模が小さい)ブエノスアイレスではショーは行わないわけで。だからビュリーは、トップレベルの化粧品大国、その中のナンバーワンの地、東京で勝負したいと思ったんだ。
ーラムダンさんは親日家として度々来日されています。日本からインスパイアされることはありますか?
うーん、商品に直接インパイアされることはないけど、日本の本からインスパイアされることが多いかな。とにかく日本が大好きなんだ。日本に友達もたくさんいるし、“家族”もいるよ。日本食が好きで、カレーからうどんまで典型的な日本の味が好きなんだ。そして日本で食べる洋食も絶品だよね。世界で一番美味しいピザは、中目黒のレストラン「ピッツエリア エ トラットリア ダ イーサ(Pizzeria e Trattoria da ISA)」だと思う(笑)。世界的なコンクールでも優勝したくらいだ。本当に涙が出るほど美味しいよ。
ー最近買った本で面白かったのは?
ちょうど昨日、古本屋で見つけた写真集「1964 オリンピック東京大会-The Spectacle of Tokyo Olympics」。
ー「ビュリー」から手を引いたら、今後何をしますか?
いろいろ悩んでいるところだけどね。これまで必死に働いてきたから、25年くらいの長いお休みをとってもいいかと(笑)。そう言いながら、実は他のプロジェクトを水面化で動かしているんだよ。例えば私のデザイン会社「アリ(Art Recherche Industrie)」は昨年の「グッチ(GUCCI)」の100周年キャンペーンのロゴをデザインしたり、食器ブランド「クリストフル(CHRISTOFLE)」を手伝ったりと、年々成長しているんだ。今後、日本でも事務所を立ち上げる予定だよ。
あと大きい話で言うと、ファッションブランドを立ち上げる。15年前にファッション業界を離れてから、久しぶりの出戻り。2023年のローンチに向けていろいろ動いているんだけど、今東京にいるのも素材を見に来たからなんだ。
クリエイティブエージェンシーとしてビュリーの書籍も監修した
ー具体的にどんなブランドになるのでしょう?
外国人が作るメイド・イン・ジャパンのブランドで、メンズ、ウィメンズ共に作る予定。もともと大好きな、山登りや自転車といったアウトドアを想定した服を作ろうと思っている。価格も含めカジュアルなブランドではなく、最高峰の素材を用いたラグジュアリーブランドになるだろうね。
こだわったのは、地球環境を汚す素材は一切使わないと言うこと。石油由来の素材やポリエステル、ナイロンは絶対採用しないしよ。その分コストはかかるけど、仕方ないと思っている。あえてサステナブルとは言わないけどね。また洋服のギャランティー(保証制度)という新たな発想を取り入れる予定で、市場にある既存ブランドと全く異なるものを作りたい。
ー最後に、15年前のファッション業界と今とでは見える“景色”が違うのでは?どう戦いますか?
本当に変わったよ。最後にファッションブランドに携わったのは2007年だったけど、当時はインスタグラムもない時代だったよね。これから作る新しいブランドもSNSには頼らない予定だし、コレクションのシーズンも気にしないし、卸売もしない。ブティックは一気に複数出店する計画で、すごいことを構想している。最初は利益が出ないと思うし、損するかもしれないけど、賭けたい!それくらい本気なんだ。
エディター・ライター
1992年生まれ。幼少期をアメリカ・ニュージャージー州およびマサチューセッツ州で過ごし、13年間在住。2015年にINFASパブリケーションズに入社し、「WWD JAPAN」でファッション・ビューティ双方の記事を執筆。2021年に副編集長に就任、同年に退社。エディター・ライター・翻訳者。
(文 エディター・ライター北坂映梨、聞き手・編集:福崎明子)
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