Image by: FASHIONSNAP
東京コレクションには「TOKYO FASHION AWARDを受賞したデザイナーは、運営支援の基、渋谷ヒカリエのホールAでフィジカルショーをしなければならない」という鉄の掟が存在する。渋谷ヒカリエのホールAは巨大なホワイトキューブで演出は無限大であるが、商業施設故に制約が多いのも確かだ。そんな鉄の掟を今回破りに来たのが「シンヤコヅカ(SHINYAKOZUKA)」だ。来る3月11日に渋谷ヒカリエでもショーを行うが、そこではモデルを起用しないインスタレーション形式で発表するらしい。「応募する前はもちろんヒカリエ想定でいたけど、テーマが思い浮かび、この情景で歩かせるというのがどうしても出てきたので交渉した」とのことだった。
東京プリンスホテルのガーデンプールという立派な会場を借り、モデルが30人程度、スタッフも数多くいる。立ちいった話だが、数百万円のコストを掛けたものが15分程度で、一瞬にして終わる。「フィジカルショーを行うことで、費用を回収できるほどの“いいね”がもらえるのか?やらない方がマシじゃない?シンヤコヅカに関して言えば、全額じゃないにせよ、アワードの支援金だけでフィジカルショーを開催する方がコストカットもできたはずなのに」という声も聞こえてきそうである。それを「情景が浮かんでしまったので」と、「やらない方が得なんじゃないか」という世の中に反抗をするが如く、(語弊はあるが)無駄なこと・不要なことを別の場所で生み出したことに、まずは心が震えた。なんとなく正しそうで、なんとなく決められたルールを、軽やかに、自分にとっての正当性と適合させた様は勇気すら出た。
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ショー本番ではブランキー・ジェット・シティ(BLANKEY JET CITY)の「悪いひとたち」が流れた。この曲は、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)の「Five Years」にインスパイアされたと言われており、人の営み、喜怒哀楽、愚かさやそれら全てをボーカルの浅井健一が歌い上げる。インビテーションに羊が描かれており、デザインの随所にもちりばめられているのは何故だろう?と思っていたが、ベンジー(浅井健一)が「12月生まれの山羊座で」と歌ってくれたので合点が言った。
小塚は冬生まれだ。そして「人は自分が生まれた季節が一番落ち着く」という持論を持っている。「常日頃、街には色が多すぎると思っている僕にとっては、雪が降れば降るほど、街はアイス色の化粧をまとっていき、そのメイクアップを見るのが好きだ」と宣う小塚の気持ちを汲み取ったかのように、雨が振りしきり、来場者には白い雨合羽が配られた。それを見ながら、プールサイドに雪が積もったな、と思った。
そんなことを考えているうちに、プールの中を泳ぐようにモデルが歩く。プールサイドからモデルを見下ろすという特性上、服ではなく水面での光の屈折についてを考えていた。水面は、振動面が横方向の光を多く反射する。つまり、横方向の偏向が人の目に映るので水面はしばしばキラキラと光って見えるのだ。上からモデルをずっと眺めていると「服を着ている人」というよりは「絶え間なく動き続けている水面」のようにも感じ、魚群を見ているような気持ちにもなった。
「水」ではなくあくまで「水面」を思わせるのだ。それは、小塚が施したデザインによるところが大きいだろう。水面から浮かび上がる時の、水面に沈む時の、ゴーグル越しで視界がぐにゃりと揺らめく様。あのテクスチャーを取り入れたデザインが随所に見られる。シルバーのビーズがハニカム構造のように施されたアイテム、生地を撫でることでスパンコールが露わになるコート、青で絞り染めをされたようなパーカーなどはまさに、ラムネゼリーのように時たま歪んだりきらめいたりする水面を思わせる。艶やかな黒いサテン生地は水を含んだ水着にも見えるし、水面から浮かび上がる時に太陽を直視してしまった時は、一瞬視界がグリーンに染まる時もある。
スイミングの習慣がある小塚は水の中に潜ることをこう形容する。
「泳いでいる最中の水の中はとても幻想的で静かで、色々なものが削ぎ落とされて、大切な何かだけ残るような感覚になります。ただ、常に幻想的な水の中にいることは不可能で、少し泳いでは、呼吸をするために、時間を確認するために、重力のある現実世界に息継ぎをする」。
幻想と現実を往復しなければ、長い間泳げないというのは、ブランド運営にも繋がる哲学のように思う。
小塚は、極めて私的で内面的イメージを最も外界にさらされているファッションに昇華することに長けている。それも、その内相が自己へのベクトルではなく、常に外に開かれているが故に、じめっとしていないのも魅力だ。今回でいえばコレクション作りの足がかりは「なんとなくパリを歩いている時に『晩餐』という言葉が思い浮かび、鼻歌混じりにたまたま入った書店で『最後の晩餐』の冊子を見つけて驚いたから」という軽妙っぷり。それをそのままテーマにするのは恥ずかしいから、と「ご馳走(feast)」という言葉に言い換え、自分にとってのご馳走を「冬の景色」「なんでもない日常、例えば通っているプールでの景色」と定義づけている。この“目の前を通り過ぎていくなんでもない日常”を愛しむのが小塚は非常に得意で、それこそが魅力なのだとようやく気がついた。小塚が見てきた景色は「日常」であるが故に、誰にとっても見覚えがあり、だからこそ着る人が入り込む「余白」があるのだ。
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