Fashion インタビュー・対談

【インタビュー】デビュー5年「タロウ ホリウチ」の"実験"とは? デザイナー堀内太郎

デザイナー堀内太郎
Image by: Fashionsnap.com

 デザイナー堀内太郎が今、ジャーナリストやインフルエンサーから最も注目されている。ロンドン、ベルギー、パリでファッションを学び、東京でシグネチャーブランド「TARO HORIUCHI(タロウ ホリウチ)」をスタートさせ今年で5年、名門アントワープ王立芸術アカデミーを首席で卒業しながらも、奇を衒ったファッション提案はせず、堅実に売上を伸ばしてきた。ブランド運営において「実験」という言葉を使い取り組んできたという堀内の日常の延長線上にあるファッションとは?

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4都市を跨いで培ったデザイナー堀内太郎のベース

―ファッションに出会ったのは?

 語学を学んで美術学校に進学したのですが、色々な科を試してみて選択肢として残ったのが「写真」と「ファッション」でした。最初は「写真」を専攻していましたが、イギリスを出る半年前くらいに「ファッション」に転科しました。なので、アントワープ王立芸術アカデミーの入学試験に提出したポートフォリオは9割型写真でしたね。

―ベルギー・アントワープのアントワープ王立芸術アカデミーに進学したきっかけは?

 イギリスで学んでいたのはトラディショナルなファッションが中心です。僕自身「ファッション」だけではなく、美術商をしている父の影響から「アート」も好きだったのでファッションだけでは少し物足りなさがありました。当時はMartin Margiela(マルタン・マルジェラ)が好きで、よくショーを見ていたし、服も買っていて、彼の経歴を調べていたらアントワープ王立芸術アカデミーに辿り着いたんです。近郊に父の同業の知り合いがいたこともアントワープを身近に感じた理由のひとつですね。

tarohoriuchi_20141016_01.jpg2014年春夏コレクション / 2014-15年秋冬コレクション

―1年生からやり直したんですよね。

 アカデミーは必ず、1回生から学びます。試験は夏の時期に2回あって、だいたい受験者は1000人から1500人くらい、合格者は60名程度なので狭き門ではありました。インターナショナルな校風で、年齢も様々。32歳の科学系の仕事をしていた女性なんかもいました。 授業は教室に黒板がなくて、生徒が60名いたら1人ひとり順番にまわってそれぞれに合った内容を教えて行くので、とても新鮮でしたね。

―ファッションのトップを輩出してきた同校。挫折をしたことは?

 僕は性格がポジティブなのでこの学校は向いていたと思っています。1、2年生の頃はアカデミーに慣れなくて、学校に来なくなってしまう子も多かったです。僕も先生に怒られることはありましたがあまりピンと来てなかったことが多くて、逆に周りから心配されていたほどでした(笑)。

 ただ、テストはシビアでした。アカデミーでは年に2回テストがあって、 パターンやデザインなど5項目、合計100点の総合得点で評価されます。その得点が全校生徒が集まった中で発表されるので、必然的にランキングがわかるんですよ。そのなかで各学年半分の人が落第するというシステム。ファッションって評価を可視化できるものではないですが、この学校ではそれをかなり徹底的にやるんです。

―不公平だと思った事は?

 それはないです。マルタンやドリス(=Dries Van Noten)ら、デザイナーを輩出してきた人達なので、彼らが言うことには信頼を置いていましたね。3年生を良い成績で終え、翌年校長であるLINDA LOPPA(リンダ・ロッパ)に教わる事になったんです。それまでずっとウィメンズを作り続けてきたので最後の年はユニセックスで発表したくて夏休みに書き溜めたデザイン画を見せると、「あなたはメンズをやった方がいいわよ」と言われました。驚きましたが話し合った結果メンズを作る事に決め、4年生で初めてメンズのコレクションを発表しました。すると、3年間ずっと負け続けて来たライバルのような同級生の得点を超えて、首席で卒業することが出来、「リンダには何か見えているのかな」と思いましたね。

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4回生の時のファッションショー

―卒業後はパリに?

 2007年に21_21 DESIGN SIGHT主宰の若手日本デザイナーを集めたジョイントショーのために一度日本に戻ってきて、その後パリに行きました。一緒に参加したミキオ君(坂部三樹郎)達はすでにブランドを立ち上げていて、「タロウはやらないの?」と言われましたが、コンサバなファッションをロンドンで見て、コンセプチュアルなファッションをベルギーで見てきたので、自分でブランドを始める前に1年限定でファッションの本場パリに行って、モードが、世界で一番強く動く場所で生活をしたいと思ったんです。

 「NINA RICCI(ニナリッチ)」にはアシスタントとして半年ほど居ましたが、どちらかと言えばアントワープの級友でアクセサリーデザイナーのHeaven Tanudiredja(ヘヴン・タヌディレジャ)とカプセルコレクションを作ることが生活の中心になっていました。

―実際にパリで生活してみて、他2都市との違いはありましたか?

 パリは生活していて最も好きな場所でした。もちろんロンドンにもアントワープにもそれぞれの良さがありますよ。ただ、パリでは女性も男性もカジュアルな時でもフォーマルな時でもそれぞれの身だしなみが洗練されていましたし、スーツが日常着として根付いていて僕もパリに居るときは毎日スーツを着ていました。パリに憧れていたというわけではなかったですが、ファッションがリアリティの延長線上にあって、自分の感性と合致していたと思います。

"実験"の積み重ね? 堀内太郎のブランド運営

―ブランドを東京でスタートさせたのはなぜ?

 それはとても単純で、15歳から27歳まで海外で過ごしたので、そろそろ順番的には日本かなと思ったんです。青春期の多感な時期をヨーロッパで過ごしていたので、パリから日本に帰る時は「外国人が日本に行きたい」という感覚と同じような気持ちでしたね。

―2009年にスタートして5年。服作りに変化は?

 自分の持つ感覚を日常に落とし込むという作り方は変わりません。ただ、ブランドをスタートさせた時は日本の市場について全くの勉強不足。ストイックに作りたいものを作っていたので、アントワープデザイナー特有の"より重くて強い"ものを提案していたように思います。市場が求めるものと完全にズレやギャップがありましたね。

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―何か転機があったのですか?

 そうは言っても僕自身ポジティブな性格なので最初の3年はその状況を踏まえて、市場に対する"実験"ではないですが「自分がこのマーケットに対して何が提供できるのか」「何が表現できるのか」を様々な形でトライしていました。ただ、11年に起こった震災を機に日本が大変な事になって、ビジネスとして継続できるブランド運営に取り組むようになりました。 -売れることを意識したということでしょうか? 売れるということを重視した事はありませんが、自分の中の「実験」の1つとしては存在していますね。ただ、5年間ブランドをやってきて、『実験』をしてぶつかって「なるほど」と納得して次にトライをするという感じで、淡々と進んできたその姿勢は変わっていません。

―毎日ファッション大賞を受賞したのはその翌年ですね。

 ブランドをシフトチェンジしたタイミングなので、どちらに対する評価なのかは分からないですが、僕達が色々とトライして来た結果として評価して頂けたのかなと感じました。色々なマーケットがあるだろうし、個々の考えがあります。僕自身は時代に向けてどのようなものを提供できるかに、素直に取り組んでいるだけなので様々な反応があって当然だし、良いものも悪いものも面白いと感じています。

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2015年プレスプリング

―取引先は渋谷のセレクトショップ「Sister(シスター)」から百貨店まで幅広いですよね?

 「Sister」や「Opening Ceremony(オープニングセレモニー)」などのセレクトショップをはじめ、「CIBONE Aoyama(シボネ 青山 )」のようなショップ、百貨店まで販路は広がっています。コンサバな女性にもモード感のある女性にも受け入れられているのは面白いなと。僕のコレクションはコンサバな人にとっても十分ウェアラブルなもので、だからと言ってベーシック過ぎないのでファッションを求めている人も満足できるようにバランスをとっています。これはとても重要ですし、両極にある人達を満足させられるようなものを提供するのは大事な事。極端なものは販売網やビジネスを狭めますし、結果的に僕がやりたいことの視点も狭めることにもなります。

―近年では毎シーズンアーティストやクリエイターを迎えてコレクションを発信しています。ブランドの核は「アート」なのでしょうか?

 あまり意識はしていませんが、僕のルーツではありますね。僕の日常生活は単純で「音楽」と「ファッション」と「アート」、この三角形で成り立っていて、それをどうファッションに落とし込んでいくかということが自分の仕事です。 ファッションで言えばトップスは「Brooks Brothers(ブルックスブラザーズ)」のシャツか「無印良品」のシャツ、「agnès b.(アニエスベー)」のボーダーのロンTの3種類だけ。シーズンによってブランドは異なりますがボトムスはブラックデニムしか履かないし、靴はスタンスミスしか買わないので、自宅には50足ぐらいあります。

 そういうシンプルな生活に、美術品を加えます。美術品にはアーティストの思いが込められているのでとても強いものです。僕はそういったシンプルな生活の中にある意味異質なアーティストの作品を加えることで、自分の生活に変化をもたらしてきました。 日本ではアーティストの作品を買うことが身近ではないですが、「TARO HORIUCHI」としては例えばコンサバな女性の生活の中に取り入れられることで、少しだけでも生活が変化するという思いをもたらすことができたらいいなと思っています。

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―日本でアートと近いファッションデザイナーとして山縣良和の名前が上がることが多いですが?

 そうですね、彼はアーティスティックですよね。ミキオ君も含めてアントワープにいた頃から仲が良くて、彼はセントマで勉強している時も毎年アントワープにショーを見に来ていて、その度に家でみんなで集まって飲んでました。

―刺激は受けますか?

 僕は自分のことアーティストだと思っていないので。2人も思っていないと思いますが、同じベクトルで測れるものではないかもしれません。2人のショーを見に行くと、かっこいいし面白いですが、全く違う存在のようにも感じます。

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2015年プレスプリングコレクション

―ショーには興味はないですか?

 ショーに対しての強い興味はありません。特に僕のブランドの場合、僕が本当に表現したいことは最終的には空間でしか伝えられないのかなと考えています。ショーのように瞬間爆発的に雰囲気を起こすというのも面白いですが、僕はそこに居る事で自然と感じることができる雰囲気に興味があるんです。「VERSUS TOKYO(ヴァーサス トーキョー)」に出演する事が発表されて沢山問い合わせも頂いている様なのですが、ブランドとしては初めてのインスタレーション形式。ランウェイではないです。

―最後に将来の展望は?

 ベルギー住む有名な美術商がいるんですが、アントワープの外れにあるお城のような場所に住んでいるんです。面白いのが、周辺にビール工場など巨大な建造物を改装したギャラリーや美術と一体化するような街を創っているんです。彼の作り上げていく空間や生活感が格好良いと思っていて、「いつかショーを」という方向よりは、彼ほどの規模ではありませんが新しい生活感の様な物を表現した空間を作りたいですね。将来的にはまた海外にも行きたいので、また行きたい場所が見つかるといいなと考えています。

■堀内太郎(HORIUCHI TARO) / デザイナー

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2007年アントワープ王立美術アカデミー首席卒業。イタリアのコンペティションITSではディーゼル賞受賞し、「DIESEL」カプセルコレクションを13カ国にて発表した。2007年には21_21DESIGN SIGHT at 東京ミッドタウン「ヨーロッパで出会った新人達」展参加。2008年渡仏後、2010年春夏シーズンに「TARO HORIUCHI」を立ち上げる。

(聞き手:高村美緒)

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