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【インタビュー】デザイナー小野智海はなぜブランドに名前を付けなかったのか?

小野智海 Image by Fashionsnap.com
小野智海
Image by: Fashionsnap.com

 今業界で話題になっているブランド「名前が無いブランド」。「名前が無いブランド」というブランド名ではなく、ブランド名を持たないブランドという意味で結果的に「名前が無いブランド」と呼ばれている。東京藝術大学を卒業して「Maison Martin Margiela(メゾン マルタン マルジェラ)」などでキャリアを積んだデザイナーの小野智海がブランドに名前を付けなかったその理由とは。

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■東京藝術大学に入って美術理論を学んだ理由

―ファッションデザイナーを目指すために、文化服装学院、東京藝術大学に入学。

 文化服装学院は、ファッション工科に入学し2年時まで通い、その後、東京藝術大学の芸術学科に入学しました。藝大に入った理由は、論理的なアプローチをしながら服を作ることができないかと考えたためです。美術には美術理論と言われるものがありますが、ファッションにはそういったものは殆どありません。大学に入る前は、漠然とイコノロジー(図像学)の様なものをファッションに応用出来ないかなどと考えていましたね。

―東京藝術大学時代はどのような活動をしていたのですか?

 服の制作では平面性を追求していましたが、一方で、テーラリングの研究をしたりもしていました。スーツの仕立てなど、20世紀初期から60年代頃までに書かれた仕立ての技術書を集めて研究し、毛芯から総手縫いでスーツを仕立てたりしていましたね。今はもう廃刊になっていますが「洋装」という毎回テーラーの職人が仕立てや製図の仕方について書いているテーラーの専門誌がありました。雑誌の中で、肩のくせ取りや芯の据え方や製図の方法など職人がそれぞれの方法について議論していたりするわけですが、言うなれば仕立てには決まった方法があるのではなく、求める形のために様々なアプローチの方法があるのですね。また、理論的な部分では、最終的にはメルロ=ポンティを読んでいましたね。

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―メルロ=ポンティはファッションを語るときによく参照されますね。

 メルロ=ポンティは「モードの迷宮」などを書かれている鷲田清一さんが研究されていますね。身体論とファッションという繋がりでメルロ=ポンティというのはありますが、メルロ=ポンティの現象学は、美術においても「もの派」など60年代、70年代に美術の作家の間でも受容されており、日本の美術にも影響を与えたと思います。そういった意味でも、メルロ=ポンティを読もうと思ったのは、ファッションだけでなく美術の関わりからも、またその頃関心を持っていた生態心理学やオートポイエーシスと繋がって考えられるではないかとメルロ=ポンティを研究しました。

―パターンは近藤れん子氏に学んだと伺っています。

 60年代にパリのEcole de la chambre syndicale de la couture parisienneを卒業して「BALENCIAGA(バレンシアガ)」で働いていた彼女に立体裁断を学べたことはとても素晴らしい経験でしたね。彼女のカッティングは、本当にクチュールのカッティングでした。例えばジャケットのトワルを組む時、通常はパネルラインや脇をウエストで絞りますが、彼女の場合その部分を爪で挟んで生地を伸ばしながら組んでいきます。そうすると絞った部分のシルエットがとても甘く柔らかな線で立ち現れてくるわけです。線一つとってもそうで、ダーツなども淡いカーブをそのまま使うのでとても立体的で奥行きのある柔らかいシルエットになるのですね。

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