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ファッションには場外乱闘が必要、ファイナルホーム復活はあるか【デザイナー居酒屋本音談義、津村耕佑×大月壮士の3杯目】

ファッションには場外乱闘が必要、ファイナルホーム復活はあるか【デザイナー居酒屋本音談義、津村耕佑×大月壮士の3杯目】

 会議室でのかしこまった対談よりも、お酒とタバコを片手に話した方が素直な話を聞けるかもしれない、と二人のデザイナーを呼び出して行った「デザイナー居酒屋本音談義」。複数の共通点を持つ、「ファイナルホーム(FINAL HOME)」の津村耕佑と「ソウシオオツキ(SOSHIOTSUKI)」デザイナーの大月壮士による、ファッションの話。酔いも回ってきた連載最後の3回目。ファイナルホームの復活があるかを尋ねたはずが「ファッションには場外乱闘が必要」という話に。

津村耕佑
1959年埼玉県生まれ。1982年に第52回装苑賞を受賞し、1983年に三宅デザイン事務所に所属。三宅一生氏の下主にパリコレクションに関わる。1992年ジャケット全体を収納スペースとして活用した「ファイナルホーム(FINAL HOME)を考案。1994年にファッションブランドとして「ファイナルホーム」と「コウスケ ツムラ」をエイ・ネットからスタートさせ、パリコレクションとロンドンファッションウィークに初参加する。2008年から武蔵野美術大学空間演出デザイン学科の教授に就任し現職。2015年に独立し、フリーデザイナーとして活動している。

大月壮士
1990年千葉県生まれ。2011年文化服装学院アパレルデザイン科メンズデザインコース卒。在学中、プライベートスクール「ここのがっこう」に通い、山縣良和と坂部三樹郎に師事。2015年AWよりメンズウェアレーベル「ソウシオオツキ(SOSHIOTSUKI)」を立ち上げる。LVMHプライズ2016のショートリストに日本人最年少でノミネート。2019年度 Tokyo新人デザイナーファッション大賞プロ部門入賞。TOKYO FASHION AWARD 2024を受賞した。

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出身地を聞きがちはデザイナーあるある?

大月:僕は千葉出身なんですけど、津村さんの地元はどこなんですか?

津村:埼玉県。商業高校の応援団長をやっていました。当時は、応援団に入っていると髪型や学ランにちょっとだけ自由が許されていたから入団して。ちょっとヤンキーだったのかもしれないね(笑)。

デザイナーの人って、どこで生まれ育ったかを尋ねる人が多い気がします。

大月:やっぱりルーツが大事だからなのかな。それに、さっき言ったようにファッションには「みんなが白を着ているなら、俺は黒を着る」みたいな相対性があるから。特に、埼玉、千葉、茨城あたりの「東京にもアクセスできる半端な田舎」が一番その相対性が強く出る気がする。

津村:俺はイオンモールでは服を買わないぞ!とかね(笑)。ベッドタウンとしての郊外は周辺へのコンプレックスが加速するのよ。

大月:「俺もどうせなら島根とか鳥取出身って言いたかったな」と思っていました。

津村:きちんと別のカルチャーがそこにはもうあるもんね。

大月:コンプレックスでファッションをやっている節はありませんか?

津村:大いにあるよ。常に何かしらのショックがあった時にコンプレックスが生まれて、それがファッションに昇華できたら最高だよ。

ファッションはコミュニティの中からしか生まれない

大月:コミュニティがファッションを生み出すんだなということを最近考えるんです。例えば、僕がカッコいいと思っていたのはアルバイト先のスーパーマーケットで働いていた上司で。正社員なのに剃り込みが入っていて、ちょっとヤンキーっぽい風体をしているのに「いらっしゃっせー、いらっしゃっせー」と店内放送を流す声や仕草がとてもイカしていて、憧れたんですよ。憧憬も含めて、「あれは確かにファッションであったよな」と。

津村:そのスーパーマーケットのお兄ちゃんを違うコミュニティに置いても、同じようにはカッコよく映らないよね。

大月:コミュニティ内でのみ成立するかっこよさや、憧れの図式化ってありますよね。

津村:BAD HOPとかもそうだけど、彼らもやっぱり神奈川県川崎市という地域じゃない。

大月:ラッパーは、レぺゼン地域ですからね。

津村:そういう地域からカルチャーやファッションみたいなものは生まれるんじゃないかな。キャップの下にバンダナを巻くとか、スウェットパンツの左足だけをたくしあげるとか。

大月:地域の中だけで生まれた一見どうでもいい着こなしルールは、おそらくコミュニティ内で醸造されたマジョリティに対するカウンターとして生まれたものだと思うんですよね。

津村:小田舎のコンプレックスが、マジョリティのカウンターになって、トレンドになる、と。ファイナルホームがデビューした時を思い出すな。

大月:最初は地域のコアなルールだったのに、インターナショナルなものになったというのは、ニューヨークファッションウィークに公式参加した北九州市の成人式を思い出します。

憧れの図式化の象徴であったアイビールック

津村:俺は、アイビールックがファッションの入り口だったんだけど「憧れの図式化」が最も大規模に行われた例が、俺はアイビールックだと思っていて。

大月:津村さん、アイビーが好きだったんですか。すごい意外だ(笑)。

津村:うん、もうマスターだった(笑)。男の子が鉄道模型にハマるのと同じで、オタクだったよ。当時は小学校6年生で、メンズクラブ(Men's Club)が全盛期だった。そこで彼らがアイビールック特集を組んで日本でも一大トレンドになったんだけど、誌面に「アイビー用語集」がまとめてあって。ボタンダウンシャツの着方や、パンツの裾丈なんかも細かく記されていたからそれでよく勉強した。

大月:今でいう、インスタグラムやYouTubeで「ユニクロのこれを買っておけば間違いがない」みたいなものだ。

津村:まさしくです。でもね、アイビールックはアメリカの名門私立大学に通う学生たちから命名されたんだけど、後から話を聞くと本家本元の学生たちは服装に何もこだわっていなかったらしいんですよ。バミューダパンツを着ていたのも本家は「暑い日に切っただけ」という理由で、単純に、日常の延長の装いをしていただけだった。

大月:勝手に、形になるという意味ではある種、名門私立大学という小さなコミュニティから生まれたファッションといえますね。

津村:では何故日本で一大ブームになったかというと、ヴァンヂャケット※の石津謙介や、くろすとしゆきがアイビーを日本向けに再解釈したんだよね。アイビーリーグは、日本に逆輸入されたものだった。今でも、アメリカでは日本のアイビールックの解釈をお手本にしているらしい。本来であれば優等生を象徴するアイビールックは、「ロック」や「モッズ」のスタイリングとは関係がないはずなのに、日本国内で独自のファッションとして消化されたから、地続きのファッショントレンドとして開花した、と。なんというか、島国の日本らしいトレンドカルチャーの醸造の仕方だなと思う。

※ヴァンヂャケット:日本のアパレル企業。1950年代からアメリカンカルチャーを取り入れ、60年代には「アイビールック」や「みゆき族」など流行を作りあげた。

ファイナルホームの復活はあるか

津村さんはもう一度自分のブランドを立ち上げようとは思わないんですか?

津村:最近、学生からも「ファイナルホームの服が欲しいです」っていうのはよく言われるんです。復活させるためには、やっぱりそういう若者の声みたいなのが必要だね(笑)。

 三原くん(Maison MIHARA YASUHIRO 三原康裕)にもこの間「ファイナルホームとコラボしたい」と言われて。「え、どうやるの?」と聞いたら冗談で「津村さん、死んだことにしてくれないか」って(笑)。別に死んでことにしてくれても構わないよという話もした。

大月:復活したら激アツですけどね。

津村:俺も復活させようとは常々思っているんですが、商標の権利はエイネットが保有しているので今は難しいし、商標管理も世界を見据えると大金がかかるんですよ。

以前、プライベートで津村さんに「ファイナルホームは復活しないんですか?」と聞いた時「一生さんが生きているうちは無理だね」ということをおっしゃっていましたよね。

津村:うん、思ってた。でも一生さんが存命だった時の方が実現しやすかったかもしれない。

海外では、ブランド名はそのままにデザイナーが交代する世襲制が一般的ですが、イッセイミヤケのデザイナーとして津村さんに声は掛からなかったんですか?

津村:かからなかったね。破壊しそうだったんじゃないかな。イッセイに限らず、東コレとかを見ていて思うのは、「あの時代のコレクションの、ディテールをアレンジしているね」というのがわかる。それはとても有効な取り組みなんだけど、あまり新しい気はしないよね。一生さんがよく言っていたのは「踏襲はダメだ、クリエイティブじゃなきゃダメだ」という教えだったんだけど、今、それはオマージュになりつつあるなと思って。

大月:特にデムナ(Demna)以降、ファッションは大衆時代ですよね。

津村:そうだね。開かれっぱなしだ。前面に立つのがデザイナーじゃなくてラッパーでもいいし、インフルエンサーでもいい時代になった。それではメディア的な状況でもある。なんだかんだ、ヨーロッパ圏におけるデザイナーの交代は話題になるしね。

批評家不在のファッション業界

大月:僕も完全に「あの人の、あの時の、“あれ”」でものを作るタイプなんですけど、僕の中ではそれもある種のインテリジェンスだと考えています。なぜならファッションデザインは、さっきも言ったように文脈を踏まえた上で「自分の表現として消化をする」ことだから。ただ、その引用元をメディアの人で突っ込んでくれる人ってあまりいないんですよ。

津村:今、ファッション批評家で辛口な人はいないの?

大月:辛口はいないかも。

津村:俺らの時代は、平川武治さんがいて助かったのかもね。多分、業界を熱くするにはそういう言説がないと活性しないと思う。例えば、いま格闘技が盛り上がるのは、試合を解説するYouTuberがいるから。その語り口が偏ってたとしても、それに対して反論も生まれやすい土壌にあり、言論が繰り返される。そうやって業界は熱を帯びる。

※平川武治:ファッション批評家。桑沢デザイン研究所やアントワープ王立芸術アカデミーファッション学科などで講師を務めた。

大月:話は少し脱線するかもしれないんですけど、同世代のデザイナーが飲みの場で集まったら、時たまお互いをディスりあったりするんですよ。それでたまに険悪になったりするんですけど、大抵指摘されることは本人が一番自覚しているところで、やっぱり言われたくないことが多い。でも僕的には、どんどん指摘しあって、語弊はあるけど「もう、バチバチに喧嘩しようぜ」みたいな気持ちはある。

今必要なのは「場外乱闘」

メディアに批評性を帯びなくなってきたから内輪で批評性を担保している?

大月:でもどうだろう。辛口のファッション批評家に求められることって多分すごくハードルが高いから、簡単に批評されても「うざいな」としか思わないかもしれない(笑)。

津村:今あるべきメディアの姿は、ジャッジメントというよりも、プラットホームを用意することなのかもしれないね。俺はファッションの一番のセールスポイントは、他ジャンルのコンテンツを持ち込むことだと思うし、どのジャンルよりも発信力があって大勢が食いつきやすいところだと思うの。

大月:津村さんに田原総一郎役になってもらって、朝まで生テレビ形式で討論するしかないですね(笑)。

津村:プロレス的なコンテンツがファッションには必要だよね。登壇するデザイナーも超おしゃれしてくる人もいれば、それを揶揄するようにパジャマでくる奴もいるみたいなさ(笑)。

大月:実は2010年代に一度ファッションの批評性が盛り上がった時があったんですよ。トークショーも豊富だったし。平川さんがブログで京都精華大学の蘆田裕史さんをディスったら、蘆田さんがファッションメディアで言い返すとか、業界全体をバチバチ感が包んでいた。そういう芽が出た時はあったんだけど、ファッションとの食い合わせが悪かったのか、窄まってしまった。

津村:ビジネスシーンとのリンクが難しかったんじゃないかな。批評文に対して「これって営業妨害だよね?」と言えてしまう脆さがあるというか。

大月:時代的には、朝生的な討論は向いていないのかもしれないですね。仮にやったとしても、どちらかと言えば平和的で「相手の話を遮らずに、両方の意見を聞きました」ということが重要視される。もし、相手の話を遮ったらそこばかりがフォーカスされて批判されそう。

津村:でもファッションには場外乱闘が必要だな。

大月:僕は求めていますけど、時世的には多分求められていないですね。そういうフラストレーションが内輪の飲み会で爆発しているんですかね。

津村:平和的なコミュニケーションにうんざりしてきた部分もあって。朝倉未来のブレイキングダウン(BreakingDown)の盛り上がりもそれが関係するのかもしれないね。やっぱり、喧嘩は本質的にみんな好きで、揉め事がないと、細胞が活性化しないんだろうな。

大月:ファッションにおいてはそういう喧嘩のプラットフォームが圧倒的に無くなりましたね。プレイヤーとしての意見は置いといて、業界全体を考えたら由々しいなと思います。

津村:何よりも後続デザイナーやブランドが育たないよね。いつまで経ってもLVMHに天下を獲られっぱなしだよ。

大月:究極、ファッションは正解がないから、知らなくても自分が良ければ良いし、着れば終わりじゃないですか。それはファッションの強みでもあり、悩ましいところでもあって、だから「正解」を求めると、権威であるパリしかなくなっちゃうみたいなところがあるのかもしれない。やっぱり日本は、「たかが服」感が強いんですよね。

津村:評論家がきちんとブランドの評価をしていって、それぞれのブランドが世界的な役割を目標に戦略を立てて独自の「価値」を生み出せれば、パリが全ての答えでもなくなるんだけどね。日本の場合だと、一生さんがその仕組みを作ろうとして、東京コレクションを作ったんだけど、その思想の理解者は少ない気がするし、フラットな状況になっているな、とは思うよ。

三宅一生の功績と後続に見せるべき「背中」

東コレも、国内の美大にファッションを学ぶ学科を創設するきっかけを作ったのも一生さんだと思うと、やはり一生さんが残した功績は大きいですね。

津村:プロテスト的立ち位置を担っていたと思う。それは多分、学生運動が盛り上がっている時を生き抜いて、自分の意見で世の中が変わっていく成功体験を知っているからだとも思う。多摩美の学生時代の有名な話で、1960年に初めて開催された「世界デザイン会議」に、衣服の分野が無かったことに対して抗議文を出したらしいよ。

大月:それって、純粋にファッションのことを思ってだったんですかね?昔のそういうプロテスト的な姿勢って現代では神格化されるけど、話を聞くと「安保闘争の学生運動も実は格好をつけてやっていた」と当時の人が証言されていたりするじゃないですか。もし、一生さんにもそういう側面があったらなら、めっちゃエモいなあと思って。

津村:フランスの五月革命とか時代の変わり目に自分の人生を重ねるところはあったから、歴史に名を刻むというのを無意識でやっていた節はあったのかもしれない。

最後に連絡先を交換した二人。

一生さんに言われて覚えていることはありますか?

津村:問われると特別思い出せないけど、お風呂に入っていたりするとたまに思い出すことがあるよ。

大月:僕も山縣さん(writtenafterwards 山縣良和)に言われたことは、犬の散歩をしていると思い出すことがあるけど、こういう酒の席だと思い出せないですね(笑)。

津村:今はどうかわからないけど、当時は職人気質が美化された時代でもあったと思うんだよね。だからあんまり語らず「背中を見て学べ」みたいなね。そういうことを今でも言う人はいるんだけど「背中を見ろ」って、要するに言語化できないだけだと思うんだよ。

大月:今でもその論争はありますよね。

津村:しっかりとロジックで伝えられるのが教育だと俺は思う。当時の現場は、分析や考える時間もなかっただろうし、なんとなくそれが美学になって無口の方が深いとなったんじゃないかな。今の時代は「コスパ」とか言い出す世代がいるわけだから、「教えてくれないなら辞めます」と言われて終わっちゃう。

大月:津村さんの世代がそれを声を大にして言ってくれるのは、本当に心強いですよ。

(聞き手:古堅明日香)

撮影協力:やきとり 井口
東京都世田谷区北沢5-20-11 メイゾン井口 1F

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