Hiroshi Ashida

【ゆるふわ東コレ日記2-1】─枠組み

蘆田裕史

京都精華大学ファッションコース講師 / 批評家

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今シーズンも「東京コレクション完全ガイド」に寄稿することになったのですが、おそらく前回と同じような話を繰り返すことになるような気がします。
昔は多作の文筆家に対して「この人いつも同じようなことを言ってるよね」と思っていたこともあるのですが、自分が文章を書くようになってその重要性がわかるようになりました。毎回読んでくれる読者なんてほんの一握りだし、一度書いた/言ったくらいで物事は変わらないんですよね。
そんな風に10年も経てば考え方が変わることもあるし、当然社会も変わります。でも、半年前と比べても、僕自身そんなに変わらないし、東京コレクションもおそらくあまり変わりません。であれば、書く内容がそんなに劇的に変化するわけもありません。と、言い訳めいた前置きをしておきます。

さて、東コレの開始に先立って、クールジャパン機構代表取締役社長/一般社団法人日本ファッション・ウィーク推進機構理事の太田伸之さんの記事がfashinsnap.comにあがっていました。

「見せる」から「儲ける」に、東京コレクションの抜本的な改革を

歴史的な経緯や海外との取引で気をつけるべきことなど勉強になる内容も多く、また提言にも基本的には同意できる記事なのですが、読んで気になったことがいくつかありました。最も気になるのは、東京コレクションという「枠組み」の問題です。周知の通り、東京コレクションは「ファッションショー」を中心としたイベントですが、その前提があまり問われていないような印象を受けるのです。

『フランスの子どもは夜泣きをしない』というフランス式子育ての本を最近読む機会があったのですが、子育てにおいてフランス人が重視する概念のひとつに「枠組み」があるそうです。親は子どもの創造性を大事にするために「枠組み」を設定して、そのなかで最大限の自由を与えるというのです。これはおそらく様々な教育の場において重要な考え方だと思います。
たとえば、アメリカの教育システムではレポートの書き方(つまり枠組みですね)を教えてそれを厳密に守らせる。一方、日本では書き方を教えずにすべて学生の自由に任せるという話があります。一見、自由度の高い日本のやり方の方がオリジナリティのあるレポートが出てきそうに思うかも知れませんが、実際には日本式だとみんな同じような内容になり、アメリカ式の方が多様なレポートが出るそうです(昔なにかで読んだ記憶を頼りに書いているので、典拠を提示できないのですが)。

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上記のようなやり方で生まれた「独自性のあるレポートを書けない学生」。その問題の所在は学生の側でしょうか、それとも教育機関の側でしょうか。僕は後者だと思います。

「ショーをするのなら支援を受けることができ、さらに(ほぼ)自動的にメディアにも取り上げられる」というシステムがあるのなら、それを利用する人が生まれるのは当然です。個人的には「それで本当にいいの?」とも思いますが、その戦略は理解できます。与えられた枠組みを有効活用しているのですから。

太田さんが「デザイナーの皆さんにも、コレクションは何のために行うのか、なぜコレクションを開いているのか、もう一度考えて欲しい」というのはもちろん同意なのですが、枠組みを提供する側はそれ以上に考えるべきではないでしょうか。また、「パリコレやミラノ、ニューヨークと同じ方向性を目指すべきでない」というのも同意です。であればやはりパリの真似事のようなファッションショーを開催する枠組み自体を再検討すべきではないでしょうか。

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