Hiroshi Ashida

【ゆるふわ東コレ日記3-1】──ファッションショーの時間性

蘆田裕史

京都精華大学ファッションコース講師 / 批評家

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 先シーズンは個人的な事情でお休みさせていただいたゆるふわ東コレ日記ですが、今シーズンは復帰することになりました。今回もいつもと同じことばかり書くと思いますが(日記2-1の前置き参照)、どうぞよろしくお願いいたします。

毎シーズン東コレに来るたびに──あるいはネットや雑誌でパリコレなんかの写真を見るたびに──思うのは、ファッションショーをやることの必然性にはどんなことがあるんだろう、ということです。もちろん、この問題については色々な観点があげられますが、ショーの重要な要素のひとつである「時間性」について今回は考えたいと思います。例に挙げるのはTSUKASA MIKAMIのショーです。

このショーでは細長い舞台にモデルが立ち、来場者がそれを自由に見て回るというものでした。
写真を見ただけではわからないのですが、このショーは「客入れ」→「モデル登場」→「モデルが立つ」→「客が自分から動いて服を見る」→「モデル退場」という時間的な経過がありました。この時間性をどのように設計(=デザイン)するかというのも、ショーにおいては大切です。まずは観客の動きを時間軸に沿って見てみましょう。

会場に足を踏み入れた観客がランウェイ的な細長い台を目にすると、そこをモデルが歩いてくるのだと思って台の横でショーの開始を待つことになります。その後、モデルが次々に登場し、所定の位置に到着するとそこでたたずみます。

mikami_tsukasa_2016aw_20160215_01.jpg


このとき、観客はモデルが次にどのような動きを見せるのかと待ち構えます。しかし、一向に動く様子がないので──その場で向きを変えはしますが──、ようやく「あ、自分で動くんだな」と気づきます。これがもし、客入れの時に既にモデルがランウェイ上に立っていたのであれば、観客は「今回は自分で見て回る形式か」と会場に入った瞬間に判断するにちがいありません。

これはどちらの方がすぐれているという話ではありません。演出の目的がどのようなものかによるからです。スムーズな人の動きを導きたいのであれば前者の方が良いでしょうし、もし観客にとまどいを与えたいのであれば後者の方が良いでしょう。 ただし、後者の場合は一種のサスペンス──観客を宙づりの状態にする──なので、それに対して適切な解放感を与える仕組みが必要になるはずです。
(話が長くなってしまうので、この話は別の機会に書くことにします。)

TSUKASA MIKAMI 2016-17年秋冬コレクション

余談ですが、最近のファッション業界ではインスタレーションとかプレゼンテーション形式とかいう言葉がよく使われるのですが、この用法はファッション業界以外の人にはまったく伝わらないので、はやく廃れてほしいと思っています。

インスタレーションは「設置」を意味する普通名詞ですが(パソコンにソフトをインストールする、という使い方でおなじみだと思います)、美術の世界では作品の発表形式のひとつとして使われています。インスタレーションは「その空間にすでに設置されている」作品のことを指すのであり、けっしてパフォーマンスの類ではありません。たとえば、グッチなどのブランドとのコラボレーションでも知られるアーティストのヴァネッサ・ビークロフト──ヌードあるいは下着姿の女性の集団がたたずむ作品で有名です──の作品はパフォーマンスであり、インスタレーションとは呼びません。

また、プレゼンテーションとは作品などを提示することを指すはずなので、ファッションショーもルックブックの写真も映像もすべて「プレゼンテーション」のはずです。言葉狩りのようなことをするつもりはありませんが、ファッション業界が閉鎖的なジャンルにならないようにするために、他分野の人たちにも伝わる言葉使いをしてもらいたいと切に願います。物事を作りっぱなし、言いっぱなしで終えるのではなく、相手に届けるまでが「デザイン」の仕事なので。

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