Hiroshi Ashida

【ゆるふわ東コレ日記3-2】──ファッションショーの時間性(その2)

蘆田裕史

京都精華大学ファッションコース講師 / 批評家

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 昨日に引き続き、今日もファッションショーの「時間性」の話です。

 芸術のジャンルの古典的な分類として「空間芸術」と「時間芸術」というものがあります。前者は絵画や彫刻、建築のように空間のなかに位置づけられ、鑑賞に時間を必要としないものであり、後者は詩や音楽、ダンスのように鑑賞に時間を必要とするものです。服を見る対象──着る対象ではなく──として考える場合、服は絵画や彫刻と同じ空間芸術に入ると言えるでしょう。一方でファッションショーは時間芸術、あるいは両者の組み合わさった総合芸術──オペラなどがそう呼ばれますね──と分類されることになります。つまり、服は絵画や彫刻との比較で考えることができ、ファッションショーは文学や映画などを参照するとわかりやすくなるのです。ここでは小説と比較しながらファッションショーのことを考えてみましょう。

 私たちは小説に何を求めているのでしょうか。ここでもやはりさまざまな要素を考えることができますが、そのひとつに昨日触れた「サスペンス」があるように思います。最近、書店に行って小説のコーナーを見るとミステリ(推理小説)が人気であることがわかりますが、ミステリが受ける理由は、「犯人は誰なんだろう、早く知りたいのにわからない!」という宙づり状態と、最後に犯人が分かることによる宙吊りからの解放をわかりやすく体感できるからだと思われます。

 サスペンスとは少し異なりますが、古代ギリシャのアリストテレスが「人はなぜわざわざ悲劇を見て、悲しい思いをするのか」という問いを立て、それに対してカタルシス(精神の浄化)が起きるからだと答えています。人は悲しい物語を体験することで、涙を流して気持ちがすっきりするというのです。このカタルシスを起こすためにもやはり時間性が重要になります。

 最近でも「泣ける」と話題になるような小説を少なからず見かけますが、多くの場合、紆余曲折を経て恋人になった相手との(しばしば非合理な)永遠の別れ──病気で死んだり、別の世界の人間であることがわかったり、実は猫だったり──がデフォルトになっています。とはいえ、たった三行で

AさんがBさんを好きになった
恋人関係になった
Aさんが死んだ

と書いたところで私たちは泣くことができません。時間を経て主人公に感情移入しなければ、カタルシスが起きることはありません。つまり、どのような物語でも時間をデザインすることが重要になるのです。

 ファッションショーもそれと同様です。ファッションショーは服のまわりにある物語のようなものです。ショーの最中に「次はどんな服が出てくるんだろう」と、期待感をもって次に現れるモデルを待つのもひとつのサスペンスですが、それだけではありません。どのような会場で、どのような空間で行われるのかを期待しながら会場に向かうというプロセスも重要です。その時間のデザインができないのなら、ファッションショーをやる意義も薄れてしまうでしょう。(長くなったので明日に続きます...)


【批評家蘆田裕史のゆるふわ東コレ日記】
【ゆるふわ東コレ日記3-1】──ファッションショーの時間性

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