Hiroshi Ashida

【ゆるふわ東コレ日記3-3】──時間のデザイン

蘆田裕史

京都精華大学ファッションコース講師 / 批評家

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ショーの最中だけでなく、その前後の時間もデザインしないといけないという話を昨日しましたが、それをうまく行っているのがLAMARCKです(今回のショーに関しては市川渚さんのレポートに詳しく書かれているので、そちらを読んでいただければ様子がよくわかると思います)。

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LAMARCKは毎回会場を自分で探し、服が映える空間をきちんと選んでいます。そのため、会場はしばしばアクセスの悪いところになるのですが、会場に向かう道がいつもと違うだけで、ショーへの期待感が高まることになるはずです。ひょっとするとジャーナリストのなかには不満のある人も出てくるのかもしれません。しかし、それがいやなら見に来なければいいだけなので、そんなことは考えても仕方ありません。

ショーをする多くのブランドは、アクセスの良い場所じゃないとメディアやジャーナリストが来にくいと思うのかも知れませんが、アクセスが悪いという理由で人が集まらないようなブランドなのであれば、わざわざショーなんてやらなくてもよいと思います。このことはブランドもファッションウィーク側(JFWO)ももっと自覚するべきではないでしょうか。会場提供という形で若手の支援をしているつもりなのでしょうけれども、自立できない/する意志のないブランドに無理にショーをさせるのは一見支援のように見えて成長を阻害しているだけです。

人間の成長になぞらえればわかりやすいでしょう。赤ちゃんは1年という長い時間をかけて自分で立つことを覚えます。立つまでのプロセスのなかにもいくつかのステップがあります。まだおすわりもできない状態のときに、無理に立たせようと大人がずっと支えてしまうと、いつまでたっても体の使い方を覚えることができないでしょう。体の動かし方、そして自立の仕方は自分で時間をかけて身に着けなければなりません。大人がするべきなのは無理に立たせることでも、一度だけ支えることでもありません。自立しようという意志が芽生え、なんとか立とうともがいているときに、そっと手を貸したり、倒れてしまっても怪我をしないような環境を作ったりすることだと個人的には思います。

デザイナー/ブランドにとっての自立というのは、やはりシンプルに服を売って生計を立てることだと思います。売るつもりのない服、誰も求めていない服の発表を支援する必要性があるとしたら、支援側もその意義を明確にするべきではないでしょうか。ファッションは着る人の自己表現であって、ファッションデザイナーの自己表現ではない、ファッション業界の人はそのことを自覚するべきです。
(念のため付け加えておくと、作家性や個性というものを否定しているわけではありません。ビジネスにおいてもそれが重要なのは言わずもがなです。)

時間の話から離れてしまったような感もありますが、時間のデザインが必要なのはブランドだけでなく、若手支援という企画においても同様だということです。ショー会場の提供という形で瞬間的に支援するのではなく、もっとサステナブルな支援を考えなければなりません。そのためには長期的なヴィジョンが必要であり、それも時間のデザインなのです。


>>LAMARCK 2016-17年秋冬コレクション



【批評家蘆田裕史のゆるふわ東コレ日記】
【ゆるふわ東コレ日記3-1】──ファッションショーの時間性
【ゆるふわ東コレ日記3-2】──ファッションショーの時間性(その2)

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