kotohayokozawa 2019-20年秋冬コレクション

Yoshiko Kurata

ジェニーファックスとコトハヨコザワが魅せる、新しい女性像

Yoshiko Kurata

ファッションジャーナリスト/コーディネーター

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kotohayokozawa 2019-20年秋冬コレクション

 ファッションにおける「新しさ」の定義は以前に増して複雑になっている。80年~90年代に生まれた天才的なクリエーションの放出だけが「新しい」のだろうか?それとも洋服がシーズンによってまるっきり斬新に打ち出すことが定義としての正しさなのだろうか?
何を持ってして「新しい」と言えるか、(むしろ「新しい」なんて気にする方が馬鹿馬鹿しいのかもしれない)その単純な言葉一つで見方が180度変わってしまうから恐ろしい。

 理解しやすい記号を使ったファッションゲームは飽和状態と化し、消費者たちを浪費ではなく永遠にループする「消費」の幻想のサイクルへと巻き込む術もこのネットの速度により加速化している。意図的にストリートの共鳴を仰ぐこと、「新しさ」のトラップを仕掛けることなど入り組んだ迷路のような近年のファッションに、スパッと斧を斬ってみせたのが「ジェニーファックス(Jenny Fax)」 と「コトハヨコザワ(kotohayokozawa)」だった。

 どちらも前回のシーズンがあっての服作りと世界観の拡張であったが、「新しさ」への解釈の力を広げれば広げるほど、両者ともより女性が持つ時に大胆で果敢である様が今シーズンより強固に映っていたように感じる。個性的なその出で立ちからは、これまで順当にありのままに表現をしてきたのかと想像するが、過去に彼らも一度葛藤を経ている。その葛藤は、時を経て今回のシーズンの魅力として化けてたようにも感じたのだ。(デザイナーは過去からの経過を意図していないと思うが)

Jenny Fax 2019-20年秋冬コレクション
Jenny Fax 2019-20年秋冬コレクション

 どんなにファッショントレンドが変わろうとも、揺るぎなくJenny Faxの世界観での主人公は、一貫して「普通の女の子」であり、女が持つ無邪気で無垢な一面とその反面に持つダークサイドをその主人公を通してみせている。ブランド設立から「少女心」「毒がある可愛らしさ」というレッテルが幾多と積み重なった頃、2014年春夏に一度、そのブランドイメージへの葛藤をもとにJenny Faxデザイナー・シュエ ジェン ファンは大胆にも自身の「ダサい」部分を全て露わにしたコレクションを披露する。台湾で過ごした頃の自身のダサい思い出をもとにつくりあげたコレクションは、私たちの期待をポジティブに裏切った。その裏切り方は、今回のコレクションにも重ねあわせることができる。初めてロッタを迎え入れた前回シーズンには、個人的にロッタのスタイリングのユーモアを感じたが、今回コレクションでは、よりデザイナーの感覚が空間全体を支配していたように感じたのだ。「可愛いものを作ろうと思った」そのシンプルな想いが、「可愛らしい少女の世界観」で留まる他者からのレッテルを剥がす勇ましさを放っていた。

kotohayokozawa 2019-20年秋冬コレクション
kotohayokozawa 2019-20年秋冬コレクション

 この思い切りは、kotohayokozawaにも感じる。時は遡り、今では考えられないが専門学生のころ、彼女は非日常的な衣装デザイナーを目指していた。そしてその当時に彼女に放たれた「この服は人が着ることを考えていない」という一言が、今の彼女の服作りへとつながるトリガーとなる。「その頃には何もかもわからなくなって、モード系の服装にもすっかり疲れてしまって、ヨレヨレTシャツとデニムにビーチサンダルみたいな服装を毎日していました。今とほぼ変わりません。(笑)でもその肩肘張らない素直な自分の姿こそが、等身大のリアルな表現だと気付き始めました。こういう服を作ればいいんだって。」と当時を振り返る彼女の言葉通り、19S/Sに続き、今回シーズンでも登場したかけがえのない日常の断片がそこら中に散りばめられていた。「前回のシーズンから半年間で起きたことを表現しました」というデザイナーの言葉の通り、半年前にショーでみた壁紙が今回バックとしてモデルの片手にぶら下がり、冬に旅行したタイと自身の秋冬物を着ることへのコンプレックスなど等身大の彼女がランウェイに浮かび上がっていた。

 どちらのブランドも表現する世界観は異なるものの、女が持つ、繊細かつ時に果敢にやってのける男らしさをもってして、近年の複雑なファッションシーンを気にする素振りも見せずに、その爽快な凛々しさを打ち出せる力に私は「新しさ」を感じた。(自分らしく表現することは決して容易ではないはずだ)会場にいるファンにも見受けられるように、その彼らが示す道しるべは、服に着られるのではなく、服はその纏う人が元来持っているものと混じり合えるという本質を改めて気づかせてくれる。

【Yoshiko Kurataの東コレポスト】
社会批評の一つの切り口としてのファッションデザイン、「パーミニット」が表現するもの

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