
左:吉田隼さん、中央:豊嶋慧さん、右:菅さつきさん
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
日本の専門学校や美術大学を卒業後、現在はパリのトップメゾンで活躍する3人の日本人クリエイター鼎談。後編では、ファッション業界だけでなく、全てのビジネスパーソンに通じるプライベートと仕事の両立や人間関係・コミュニケーション、キャリア形成についてをテーマに質問を投げかけた。三者三様のキャリアパスと研鑽の末に自分のポジションを確立した3人が、今若い世代に伝えたいことは?
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>>>3人のキャリアの出発点やメゾンで働く上での悩みなど、業務におけるリアルを聞いた【前編】はこちら
- 登壇者プロフィール -
文化服装学院(学院長賞受賞)を卒業後、日本で5年間アパレル企業に勤務。渡仏後はニナ リッチでデザイナー(Styliste Modéliste)として7年経験を積み、その後ディオール、サンローラン、ランバンなど複数のトップメゾンでオートクチュールやプレタポルテ、VIPのモデリストとしてキャリアを重ねる。現在はサンローランのアトリエで活躍。
近年は、日本の服飾専門学校での特別講義や、ラジオ・ファッション誌への出演を通じて海外でのキャリアや自身の経験を積極的に発信し、後進の育成にも力を注いでいる。
文化服装学院を卒業後、日本でパタンナーとして7年間勤務。27歳でロンドンへ。当時所属していたブランドのパリ移転に伴い、自身もパリへ拠点を移す。小規模なブランドでの経営にも携わり、多様な国籍のメンバーで構成されるチームをまとめるなど、マネジメントでも手腕を発揮した。現在は大手メゾンでモデリストとして活躍。
某ラグジュアリーブランドのメンズデザインチームでシニア・デザインコンサルタントとしてランウェイコレクションを担当。66°Northではクリエイティブディレクターとしてブランド創立100周年プロジェクトを指揮し、これまでダニエル・リー率いるボッテガ・ヴェネタ、ハイダー・アッカーマンをはじめとする主要メゾンでメンズのヘッドデザイナーを歴任。メゾン・マルタン・マルジェラおよびランバンでも経験を重ね、近年はファッションに加えて写真・アートワークにも活動領域を広げている。現在、Paris Photo期間中(11月7日〜15日)、パリ・シテ島にて写真展 “. 1 0 .” を開催した。限定出版の同名のZINEはヨーロッパ写真美術館(MEP)に収蔵されている。
目次
“普通じゃない道”でも、進める姿を見せたい
── 前編では、現在までのキャリアについて伺いました。後編ではまず、今後「個人」として描いている将来像やヴィジョンについて教えてください。
吉田:僕はここ2年ほど、日本に帰国したタイミングで文化服装学院などの教育機関で特別講義を行っていて、今年の12月末には大阪文化でもまた特別講義をさせてもらう予定です。パリでの仕事や暮らしは、僕らにとっては日常でも、日本の学生にとってはなかなか触れる機会のない話だと思うんです。だからこそ、そこで得た経験を伝えることで、少しでも若い世代の背中を押せるならと思って続けています。これからは、自分が若い世代を支える側になりたい、そんな気持ちで取り組んでいます。
僕は結婚していて子どももいますが、妻を亡くしてからは海外出張などに制限があり、キャリアの面でも難しい局面が多いです。良いポジションを提示してもらっても、出張ができないことを理由に話が進まなかったり、子どもの教育を考えてフランス国外のメゾンからの誘いを断ったりすることもあります。それでも、まだ見たことのない景色を見たいし、上を目指したいという気持ちは変わらない。だから、今の環境の中でできることを、一つひとつ諦めずに続けていくしかないと思っています。ファッション業界は激務だし、パリには家族や親戚もいません。それでも僕は、たくさんの人に支えられながら、一人で子どもを育てつつキャリアを積み上げることができています。とはいえ、実際は毎日ヒイヒイ言いながらやってるけど(笑)。
人生には、自分の力ではどうにもならないことや、思いもよらない出来事が起こってしまう場合がある。でも、そうした予想外の出来事の中でしか見えない景色があって、そこでしか得られない経験が、やがて自分にしかない強みや、誰かのために差し出せる武器になっていくと思うんです。普通じゃない道でも、僕は前に進んでいく。そんなことを、僕の背中を見てくれているかもしれない人たちに伝えたい。同じような境遇で頑張っている人たちが、少しでも勇気を持ってもらえたらと思っています。日頃から、仕事場では子どもの話をしたり、実際に連れて行ってメンバーに紹介したりしています。そうやって理解してもらえるように努力することも、僕にとっては上手くいくようにするための一つの“キャラクター作り”なんです。

吉田隼さん
菅:「子育て」ということに関しては、行政のシステムなど色々なサポートがあるし、子どもを職場に連れてくる人も多いよね。社内でもそういった環境に慣れている人が多いから理解力が全然違う。環境が整っているから、日本よりもシングルマザーやシングルファーザーの人が働きやすいんじゃないかな?
豊嶋:3ヶ月の産休で復帰する女性もいるよね。
菅:私の周りには1ヶ月で復帰する人もいた!
吉田:生後間もない赤ちゃんの頃から保育園に預けることができるしね。
メゾンの労働環境は? 残業時間や専門分野について
── 菅さんがこれから目指すものは?
菅:私は最初からパタンナーを目指していたので、夢を叶えて、好きなことを仕事にすることができている。いまだに仕事が楽しくて仕方ないから、定時で帰らないといけないことが物足りないくらいです(笑)。以前いたロンドンでは「徹夜して当たり前」というような調子でものすごく働いていたけど、今は大きな会社にいるので、夜遅くまで残っているとよくアトリエを追い出されてます(笑)。特に残業に厳しい月もあって。
吉田:アトリエだと、ショーの前になるとかなり残業が増える時期もある。その代わり、割と忙しく無い時は残業時間を抑えるようにしているところもあるんですよね。忙しい時期は大変だけど、結局みんなファッションが好きだから、体力的にきつくても「もっと美しいものを作りたい」という情熱が原動力になる。自分の好きなことで社会に貢献できる、それってとても幸せなことだと思う。
菅:好きなことだといくらでも頑張れちゃうよね。でも、今のように会社のルールで時間に制限がある環境の中でやっていけることはやっぱり日々の積み重ねだけ。パタンナーの中にも階級があって、私は今ミドルのモデリストコンフェルメなんだけど、最終的にはモデリストエキスパートを目指している。だから最終的にエキスパートに辿り着けた時に、その肩書きに恥じない知識やテクニックを身につけていくことしかないと思うんだよね。きっと死ぬまで精進なんだと思う。そんな風に日々頑張っている人もいるんだということを、若い方たちにも知ってもらえたら嬉しいです。

菅さつきさん
── モデリストやパタンナーにはそれぞれ専門分野があると思いますが、菅さんのご担当は?
菅:今働いているメゾンでは、「フルー」*でも「タイユール」*でもなく、「イコン(ICON)」というチームに所属しています。カプセルコレクション、コマーシャルアイテム、合繊素材を使用したテック系のアイテムとか、服作りの全部をやっているようなもの。全てが作れる人たちが集まっている、良いチームなんです。その中にはすごく尊敬できる先輩がいて、人間関係が複雑になりがちなメゾンの中では特に恵まれた環境だなと思う。クリエイティブディレクターと顔を合わせることはほとんどないけど。一緒に働く直属の上司が素敵な人たちだから、その人たちのために頑張りたいと思えます。
*フルーとタイユール:主にクチュールメゾンの、扱う素材や技術が異なる2つのアトリエ部門。フルーは、チュールやオーガンジーなどの薄手の生地を用いたドレスを中心に手掛け、タイユールはウールやカシミヤなどの重めの素材を用いたジャケットやパンツなどのテーラリングを専門とする。
叩き上げからメゾンのクリエイティブディレクターを目指す
── 豊嶋さんのヴィジョンについてもお聞かせください。
豊嶋:僕は、20歳の頃に自分が憧れていたような存在に、今度は自分がなりたいです。武蔵野美術大学の恩師である杉本貴志さん、佐賀町エキジビットスペースを創設され、杉本さんや田中一光さんとともに無印良品の立ち上げに参画された小池一子さん、アーティストの立花文穂さんといった方々から若い頃に受けた影響が今も自分の中にある。最近はファッション以外の領域や表現方法にも興味があって、そういった領域のプロの方々にも積極的に会いにいくようにしています。一方で、ファッションの世界で出会った人からは大きく影響されることはあまりないかもしれません。叩き上げでメゾンのクリエイティブディレクターになった人はあまり聞かないから、自分がそういう人物になれたらと。
幅広い表現方法も視野に入れながら、自分が20歳の頃には想像もしていなかったようなものを作ってみたい。写真活動もその一環。何者でもなかった自分でも続けることによって様々なことを成し遂げることが出来るということ見せていくことが、大切に育ててくれた両親への個人的に出来る親孝行かなとも思っていて。結局のところ原動力になっているのは「家族に喜んで欲しい」とか「友達ともっと面白い環境でものを作れるようになりたい」とかそういった身近なことなんです。

豊嶋慧さん
── 自分のブランドを立ち上げようという考えはありませんか?
豊嶋:ファッションって写真や言葉、映像、歌、美術を通しても伝えることができる。「洋服そのものだけで良い」という時代って、過去を遡ってもあまりなかったんじゃないかなと思っていて。僕は自分だけが良いものを作って満足したいわけではなくて、面白い人たちが集まってみんなで何かを作り上げることに魅力を感じています。そう考えると、個人でブランドをやるという感覚は今のところ自分にはないというだけでしょうか。
そういった意味では、「カラー(kolor)」のクリエイティブディレクターに就任した(堀内)太郎くんのコレクションはすごく良かった。同世代の方がブランドを受け継いでいくことはとても嬉しいことです。
オタクになれ、踏み出す一歩の勇気が未来を変える、自分の「ブルーオーシャン」に身を置くべし
── 最後に、海外を目指す若者に対して、アドバイスややっておくべきことがあれば教えてください。
吉田:ケイくんも言っていたように、「自分の好きなものを知る」というのは本当に大切なことだと思います。そのためには、大きな夢を掲げることも大事だけど、まずは今の自分が好きなことに、もっとオタクになること。雑誌でも映画でもアートでも、なんでもいいからたくさん見て、実際に手を動かして試行錯誤して作ってみる。そして、それを繰り返すうちに、自分の“好き”なスタイルや、自分にしかない感覚が少しずつ見えてくるはず。
だから、ぼーっとしていないで、とにかく動いてみること。その時は意味が分からなくても、振り返ったときに「これをやっておいてよかった」と思える瞬間がきっと来るから。そして何より、心の奥で「やってみたい」と叫ぶものがあるなら、ぜひ挑戦してほしい。自分の人生なんだから、恥ずかしがらずに、自分の心が語る“やりたいこと”をやればいい。そして、諦めないこと。海外で生き残っていくには、強くなるしかない。 日本にいたら経験しなかったであろう理不尽で辛いこともたくさんあるけれど、それでも「負けるもんか」って戦いながら前に進む力が必要だと思う。そして最後に大事なこと、英語はちゃんと勉強してください。
菅:とにかくやってみたかった、だからやってみた。ただそれだけだけど、振り返ってみても、その一歩を踏み出すのが一番大きな決断だったな。海外に住んだこともなければ、英語にも自信がなくて、知らない街にいきなり暮らすのはすごく不安だった。でもその不安をグッと乗り越えて、勇気を振り絞ってみたんだよね。海外に行きたいという気持ちを持っている人はたくさんいると思うけど、飛び出す勇気を持てるかどうかが一番重要。
ロンドンに住み始めた頃、友人に「来てまだ1年だろ?1歳の子供と一緒だよ」と言われたことがあります。1歳の子供がすぐに言葉を話したり、走ったりできないのと同じで、焦る必要はないんだと。その土地の文化や環境、空気感を、生まれたばかりの子どもたちが周囲の大人を見たり覚えたりして素直に吸収していく姿勢が大切。学んでいるのと同じなんです。私はパリに来て13年だから、13歳。日本で生まれてロンドンでもパリでも生まれて、人生3回目。次はどこに行こうかなってね。
豊嶋:何回も生まれ変われるんだ!その考え方めっちゃいいね。

左:豊嶋慧さん、右:菅さつきさん
── とにかく飛び込んでみた先でまた新しい人生が始まるという考え方は、挑戦に例え失敗しても「また次がある」と、前を向ける勇気になるかもしれません。豊嶋さんはどうですか?
豊嶋:やはり「素直」が一番です。そして、何かわからないことがあった時に「自分はこう思ったけど、どう思いますか?」と聞いてくる。ただし、「全部教えてください」という姿勢は素直ではなく人からアイデアを盗ろうとする狡猾な人間だと思われるのでNG。自分で考えた上で、素直に大人の意見を聞く、これが意外と難しくて僕は苦手でしたが。
ムサビ(武蔵野美術大学)でグラフィックデザイナーの原研哉さんの講義を受けたときに印象的だったのは、原さんはデザイン学科の中でも“花形”ではない基礎デザイン学部出身だったからこそ、自分がデザイン業界で生き残るために「自分はどこが優れているのか」を常に考えていたという話。僕が学生の時にデビューされた「リトゥンアフターワーズ(writtenafterwards)」デザイナーの山縣(良和)さんも以前同じようなことをおっしゃっていたことを覚えています。お2人とも“正攻法”で戦わずに独自の土俵を作るところから始まっていますが、結果的に今では日本を代表するクリエイターです。自分らしさを知ることは、業界で自分の立ち位置をどこに作るべきかを知ることにもなる。全員が全員、世界を舞台にする前提のものづくりをする必要はないんだなと。
── 労働環境だけでなく、自身の作品が評価されるかどうかも環境に依存する。
豊嶋:僕も、フランスで芽が出なければ他の国に行こうと思っていました。自分が評価される自分にとっての“ブルーオーシャン“は世界のどこかには必ずあるはずだと。合わない環境で無理をしても辛いだけ。あえて苦境に立つナルシシズムのようなものが美徳とされた時代もあったけど、今のような世界的な不況の中では心から幸せになった人が一番かっこいいんだと思います。価値観が変化していく時代の中で、自分がどうやって生きていくか、まさにファッションにはそれが明らかに現れます。
── ファッションは時代を映す鏡、とも言われます。
豊嶋:今の時代に作る服は、今の時代を生きる人に着てもらうわけだから、今のファッションがどうあるべきか考えるということは、今を生きる人に何を与えられるかを考えること。以前、アルベールに「服を作る理由」を訊ねたら「例えば毎日のように社交界のために違う服を着ないといけないような裕福な生活をしている人たちも、常に気持ちが明るいわけではない。そういう人たちに僕は赤いドレスを作るんだ。医者が処方箋を与えるように」彼のクリエイションの本質は愛だったし、その価値観が当時の女性たちから支持を得ていたんだと思います。評判や批評の言葉ではなく、時代のムードそのものがアルベールの想いを纏っていました。
吉田:あの頃のファッションは本当に美しかったよね。そしてアルベールは、いつだって“着る人”のことを一番に考えていた。僕らが作る服もまた、未来の人たちが振り返ったときに、「あの時代の服も美しかった」と感じてもらえるようなものでありたい、そう思うよ。
菅:時代と着る人のことを想ったデザインがその時のムードを作ってきたというのはいつの時代にも共通しているような気がする。それってすごくやりがいがあって面白い。だからこそぜひ、さまざまな方にこの業界に挑戦してほしい。待っています!

左:吉田隼さん、中央:豊嶋慧さん、右:菅さつきさん
(前編を読む)
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