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【連載ふくびと】第1話 N.ハリウッドと尾花大輔――とにかく好きな古着の世界にどっぷり

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 「古着の価値観をぶち壊したいと思っていました」――バイヤーとして通うアメリカで"ミスターハリウッド"と呼ばれていた尾花大輔が2000年12月、原宿の路地裏にニックネームを名付けた店を開いた。足で得た知識と実践で磨いた感性で、当時の加熱するヴィンテージブームに新たな潮流を作る。後にその店を母体として誕生したのが「N.ハリウッド(N.HOOLYWOOD)」。独自の道を歩み続け、今では日本を代表するメンズブランドの一つとして知られている。デザイナーの尾花はどのような半生を過ごしたのか。ルーツである学生時代からブランド創業期、そしてN.ハリ20年の軌跡を、尾花の言葉と共に「ふくびと」全10回連載で辿る。

 

第1話――1974年に神奈川相模原市に生まれた尾花大輔。中学生にして米軍の払い下げに触れるなど、今の尾花を形作る原点が学生時代にあった。1990年代前半、流行の中心はバブル景気を象徴するDCブランドからストリートカルチャー発祥のスタイルへと移行し、アメカジや渋カジ、そしてヴィンテージブームが到来。古着屋に通い詰めていた尾花はヴィンテージにのめり込み、高校生にして雑誌の特集で解説するほど造詣が深くなっていく。

・「手を挙げなかった君は正解だ」

 中学生の頃はヤンキー再来期。僕も例に漏れず太いズボンを履いて、姉に色々と言われたりもしました。当時はなんとなく自分のスタイルって何だろうと考えていて、ファッション誌を読んでみたり、街で見たカッコいい人を真似てみたり。オシャレをすることに、それなりには気持ちが向いていたんだと思います。ただ、新しい服を揃えるにはお金がない。それで買い始めたのが古着でした。2つ駅を越えれば古着屋が多い町田、さらに少し足を伸ばせば厚木の米軍基地から払い下げを集めた店もある。当時だとなんでもないアメリカ物の服も安かったので、古着とアメカジ系を、肌感覚で自然と手に取るようになっていました。振り返れば、そのあたりが自分のファッションの原点なんだと思います。

高校2年生の尾花(左)。既にヴィンテージどっぷりで、この頃の夢は「ヴィンテージショップのバイヤー」。Leeのヴィンテージのオーバーオールを着ている。

 高校生になると、渋カジチーマーが目立つようになりました。僕も洒落っ気が出てきて、いつも同じ格好はしたくないから色々な服を着るようになって。でも相変わらず古着屋に通っていたので、ヴィンテージにどっぷり。好きが高じて町田の「クラウドナイン」というインポートのセレクトショップでバイトをする時にも、ヘインズの白Tにヴィンテージデニムを穿いて面接に行ったくらいです。それと、郊外の店でデッドストックのスニーカーを見つけては販売する、今でいうセドリが小遣い源でした。当時でも知識はだいぶあった方だと思いますが、雑誌「Boon」の特集で高校生なのにオールドのコンバースの解説をしたことが思い出です。

 でも将来はというと、車関係の仕事に就こうと考えていました。車が好きだったし、自動車メーカーで働いていた親父の影響もあったのかも。ただ、ある程度以上の学校じゃないと、車のクレイモデルを扱うようなモデラーなどになれないのは知っていました。なのでカージャーナリストなども輩出している"ムサ校"を目指していたんです。ところが武蔵工業大学付属高等学校に落ちて、リベンジで受けた武蔵工業大学もダメでした。

 次に考えるのは、普通だったら車関係の専門学校。ですが実際に考えてみると、油まみれでネジを回す自分の姿が想像できず「本当にそれをやりたいのか」という思いが強くなって。自問すればするほど、自分の好きな服の道が頭に浮かんできて、「古着のバイヤーになりたい」と思うようになりました。

 とりあえず服について勉強してみようかなと、代々木駅の線路脇にあった「メンズファッション専門学校」(通称「メンファ」、現在は閉校)に進むことにしました。テーラリングなどが学べる学校なので、街のテーラーの子息とか技術を習得するために入学する人が大多数。でも自分は当時、服を作りたいとは思っていませんでした。

専門学校時代の尾花(手前)。頭はサイコ刈り、身に着けているのはスカジャンとLEVI'S 501xx。ヴィンテージショップのバイヤーを目指していたが、仕方なく学校に通うことになった。

 今でも鮮明に覚えているのは入学式のこと。石津謙介さん(VAN創業者)が祝辞を述べられて「君たちの中でデザイナーになろうという人はいるか」と挙手を求めました。自分はなりたくないから、多くの手が挙がる様子をただ眺めているだけ。ところが、指名されたのは僕。てっきり怒られると思っていたら「手を上げなかった君は正解だ」と言うんです。「こんな時代にデザイナーになれると軽く思っていたらダメだ」と、現実の厳しさを教えてくれたんだと思います。そんな自分が、まさか将来デザイナーになるなんて。皮肉なのか運命なのか、人生わからないものです。――第2話につづく

18歳の頃、下北沢「BLUE ZOOK」にて。

文:小湊千恵美
企画・制作:FASHIONSNAP.COM

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