デザイナー ドリス・ヴァン・ノッテン
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2024年3月19日、Breaking Newsが瞬く間に拡散する。「アントワープシックス(Antwerp Six)」の一人として知られ、数多くのモードファンを魅了してきたファッションデザイナー、ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)は、1986年に設立した自身のブランド「ドリス ヴァン ノッテン(Dries Van Noten)」のクリエイティブディレクターを6月で退任することを発表した。この一報に人々は騒然とする。驚き、悲しみ、寂しさを綴ったSNSへのポストが、このベルギー人デザイナーがどれほど愛されてきたかを証明している。
ラストショーは6月に発表される2025年春夏メンズコレクションとなり、2025年春夏ウィメンズコレクションは、ドリスと共に長年コレクション製作に臨んできたスタジオチームが手掛けることになった。1992年春夏メンズコレクションから始まった一人のデザイナーの歴史は、2025年春夏メンズコレクションで終わりを告げる。
ドリス・ヴァン・ノッテンの服には、慎み深い美しさが常にあった。コレクションの核となっていたものが、花々の彩りをグラフィカルに表現したプリントテキスタイルだ。色彩豊かな植物が体の上で咲くコートやドレスは、クラシックシルエットとの相乗効果で、雄大なエレガンスを形にしていた。しかし、ドリスの魅力は鮮やかなフラワーモチーフの生地だけではない。30年以上の歴史の中で、ドリスは多様で奥深い才能を披露してきたのだ。
そのことは2017年公開(日本では2018年)の映画『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』でも明らかだった。最新コレクションの制作風景を追うドキュメンタリー映画は、ドリス自らが過去のコレクションについても語る構成で、彼の言葉にはクリエイションの真髄を示唆するエッセンスが散りばめられていた。
そこで本稿のタイトルは、映画内で語られたドリスの言葉を引用しながら、その言葉が体現されたコレクションをアーカイヴからピックアップし、ドリスの創作姿勢がどのようにランウェイで花開いたかを見ていきたい。
本稿執筆時点では明らかになっていない後任ディレクター。いったいどんなデザイナーがドリスの世界を引き継ぐのだろうか。ブランド「ドリス ヴァン ノッテン」の未来が気になるのも事実だが、ファッションは過去を創作の糧にして未来のスタイルを生んできた。これまでのドリスのクリエイションに触れ、これからの「ドリス ヴァン ノッテン」に思いを寄せていこう。
まずは、1996年秋冬ウィメンズコレクションから始めたい。ミニマリズムが時代を席巻する1990年代、ドリスはどんなファッションを発表したのだろうか。
ドリス ヴァン ノッテン 2024年秋冬コレクションより
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ドリス ヴァン ノッテン 2024年秋冬コレクションより
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ファッションはゲーム
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「人は嫌いな物事からよく着想を得る。とても醜い物事や完全に間違っている行為“見たくないもの”だ」
『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』より
硬く厚くパワフルなショルダーライン、煌びやかな装飾性が世の中を席巻した1980年代の次に訪れたのは、対極のファッションだった。時代を一変させたのは、過剰な装飾性と色彩を削ぎ落としたミニマリズム。1990年代の主役は、ヘルムート・ラング(Helmut Lang)やジル・サンダー(Jil Sander)といったミニマリストに移り変わり、ランウェイは黒と白を軸にしたシャープなカラー、シンプルでスレンダーなカッティングの服が闊歩していく。
トレンドが180度シフトしたモードシーンに、ドリスはカウンターを仕掛ける。1996年3月、パリで発表された1996年秋冬ウィメンズコレクションは、レッド・ブルー・イエローといった鮮やかな色、民族調の柄や幾何学柄、ミニマルウェアと対照的な装飾と色彩が、シャツやカーディガン、ジャケットなどのベーシックウェアを彩るウィメンズアイテムが発表された。
通常なら時代の主流と反するファッションは、芳しくない評価になってしまう。だが、1996年秋冬ウィメンズコレクションは喝采を持って迎えられ、代表作になるほどの人気を得たのだと、ドリスは映画内で語った。
ここで疑問が生じる。ミニマリズムとは対極の服が、なぜそれほどの熱狂を生んだのだろうか、と。1996年秋冬ウィメンズコレクションを改めて見てみると、確かに使用された素材はカラフルでグラフィカルだが、シルエット自体はシンプルで、当時のミニマルウェアに通じる細身の輪郭であることに気づく。つまり、このコレクションは服の素材では時代に反しながらも、服の形では時代に則していたということだ。
ファッションの歴史を振り返ると、新しい時代の新しいファッションは、前時代へのアンチテーゼとなったデザインが多い。クラシックエレガンスの1950年代からフューチャリスティックの1960年代へ、ヒッピーやフォークロアの1970年代からボディコンシャスでラグジュアリーな1980年代へ。そして華美で装飾にあふれた1980年代の後に訪れた1990年代は、簡素な美を主張するミニマリズムが人々の心を捉えた。
では、その時のトレンドに反する服を発表すれば、次の時代のファッションが生み出せるのかというと、それは異なる。ファッションデザインの文脈的解釈なくして、新たなスタイルは誕生しない。
たとえば2010年代前半、ファッション界には無地の生地を使用したクリーンなシルエット、シンプル&カジュアルを特徴とするノームコアが注目を浴び、コレクションでもリアルな服が散見された。だが、2014年に設立されたデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)率いる「ヴェトモン(Vetements)」が契機となり、オーバーサイズとグラフィックを多用した、造形的にも素材的にもダイナミックなストリートウェアが時代の寵児となる。
一見すると、ノームコアとストリートウェアは対極の服に思えるが、カジュアルアイテムが軸という特徴でつながっている。ファッションは単にメインストリームと逆行すれば、新しいクリエイションが生まれるという単純なものではない。時代の流れを把握し、デザインの変遷に乗って、自らの世界を表現する文脈的手法がニュースタイルを生み出すのだ。
文脈的観点から見た時、ドリスが発表した1996年秋冬ウィメンズコレクションは、ミニマリズムの特徴であるスレンダーなシルエットを取り入れた上で、ドリスワールドである色と柄を凝縮させて、ミニマリズムとは対極の価値を生み出した。時代に乗りながら、時代に反するというコンテクストデザインを成功させたのが、1996年秋冬シーズンの「ドリス ヴァン ノッテン」だったのだ。
ここで、冒頭で引用したドリスの言葉に戻る。彼は「人は嫌いな物事からよく着想を得る」と述べた。好きなことからアイデアを得る。それはクリエイションにおける王道の手法だが、自分の趣向と反するものから、新しいアイデアを得ることも可能なのだ。
誤解なきよう述べるが、ドリスがミニマリズムを好まないと言ったわけではない。だが、カラフルなフラワープリントが得意なドリスにとって、ミニマリストのデザインは自身の感性とは対極だった。ミニマルウェアの特徴(シルエット)を取り入れ、自身の特徴(色と柄)でトレンド(ミニマリズム)を自分色に染め上げ、ドリスはモードシーンで賞賛を獲得する。
時代のファッションを否定も拒絶もせず、新しいファッションの着想源として吸収し、自らの解釈を施して次の時代のファッションを提示する。それはまるで解釈の創造性を競い合うゲームのようだ。ファッションはゲーム。ドリスは、モードという名のスタジアムを興奮させる見事なプレーを披露し、自分の趣向に反することからも新しさが生まれることを我々に教えてくれた。
タブーを作ることなかれ
「自分の服に、いわゆる悪趣味な要素をわざと加えたんだ。良し悪しのバランスを見極めて入れる」
『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』より
料理を食べるテーブルの上を、靴を履いたまま歩く人を見たら、あなたはどう思うだろう。きっと多くの人たちは、怪訝な表情を見せるのではないか。なんて、はしたない行為なのだと。
2005年春夏ウィメンズコレクションは、禁断の行為を荘厳なエレガンスへと昇華させる。ドリスが提示した美しさに、ショーを訪れた人々は酔いしれてしまうのだった。
2005年3月、パリ郊外の工場跡地を舞台に発表された2005年春夏コレクション。会場には、長さが140メートルに及ぶテーブルが用意され、テーブルの両脇には500人の招待客が250人ずつ向かい合って座れるように席が準備されていた。天井から吊り下げられた豪華絢爛なシャンデリア、白いテーブルクロスの上に整然と並ぶ食器、ドリスから招かれた500人の招待客はショーを鑑賞する前にディナーを楽しむ。一人のギャルソンが、二人の招待客をサーブし、味わい深い時間が過ぎていく。
映画のワンシーン、いや映画をも超える幻想的なディナータイムを終えると、テーブルの上で煌めくシャンデリアは上方へ一斉に上がっていき、白いテーブルクロスはランウェイへと変わる。
流れる音楽はモーリス・ラヴェル(Maurice Ravel)の『ボレロ(Boléro)』。シンプルな音色と共に登場したファーストルックは、全身白のホワイトルック。その姿には、ピュアでノーブルな空気が漂う。真っ白なブラウスはドレープが優雅に体を包み込み、ギャザーをふんだんに寄せたスカートはヘムラインを波立たせ、シルエットは気品にあふれるフレアを形づくる。先ほどまで食事と会話が行われていた、真っ白なテーブルクロスの上を、クラシックなエレガンスを纏った女性モデルが歩いていく。テーブルの両脇に座る招待客は、モデルを見上げ、次々と発表されるルックを鑑賞するのだった。
2005年春夏コレクションは、ドリスに根づくクラシックファッションへの愛が満ちていた。ゴブラン織りのカーペットに勝るとも劣らない重厚な刺繍は、黒い生地の表面に描かれた絵画であり、布地に縫い込まれた花々の刺繍は風にそよぐように穏やかで優しく、肌を透かすレース素材は刺激とは無縁の繊細な色気を香らせる。
精緻な技巧を施したテキスタイルの数々が、Aラインやストレート、ドレープやギャザーと、ファッション王道のシルエットとテクニックで仕立てられ、クラシカルな美は頂点へと達する。それは、1950年代のオートクチュール黄金期に匹敵するエレガンスだとも言えよう。麗しい淑女スタイルが、テーブルにのぼり、真っ白なテーブルクロスの上を歩いていくのだから、見る者は心を奪われる。
ドリスは自分の服にあえて悪趣味な要素を加えることを語っていたが、このショー演出にも彼の哲学が反映されている。「テーブルの上を歩く」という言葉だけを聞けば、ネガティブな印象を抱くだろう。だが、2005年春夏ウィメンズコレクションは、一般的には咎められるはずの行為をあえてショーの演出に使うことで、ファンタジー空間を作り出す効果を発揮していた。
陶酔を覚えるコレクションを作る上で鍵となったのは、レディライクな装いだ。もし同じショー演出だったとしても、これがパンキッシュなルックだったらその印象はまったく異なっていたであろう。ドリスは一見すると礼節を知るであろう、優雅な装いと佇まいの淑女に、あえてテーブルの上を歩かせることで、クラシックの美しさをより際立たせたのだった。
そして、ドリスのクリエイションはクラシックの先の世界にまでたどり着く。それは、禁断のエロティシズムとも言える世界だ。
禁止すべきことを、規範を乱さないはずの人間が行ってしまう。その行為に潜む甘美な誘惑は、ファッションフォトの新世界を切り拓いた写真家、ヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)が1970年代に写したアンドロジナスなエロティシズムや、1980年代を席巻したマドンナ(Madonna)のボディコンシャスなエロティシズムに通じものがある。
しかし、ニュートンの美が暗さと怪しさを帯び、マドンナの美が挑発的かつ刺激的だったのに対して、ドリスが2005年春夏ウィメンズコレクションで提示した美は、牧歌的であり気品に満ちたもので、まったく異なる世界線のものだった。ドリスは、エロティシズムを更新する文脈的新しさを表現したとも言える。
クリエイションは、綺麗に整えるだけでは不十分な時がある。自分の世界に、人々が嫌悪する感覚をあえて織り交ぜることで、未知のエレガンスが生み出せる。世の中の常識に捉われることはない。世間が目を向けないものに、未来のファッションが潜む。もっと自由に、もっと創造的に。至高のベルギー人デザイナーが、我々の感性を解き放つ。
ドリス ヴァン ノッテン 2005年春夏ウィメンズコレクション
自分らしくない表現で、自分らしさを表現する
「エスニックやフォークロアの代名詞はもう不要。コンテンポラリーなショーだ。自分らしさも完璧に出ている」
『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』より
映画内でドリスは、スポーティなルックを発表した2007年春夏ウィメンズコレクションについてそう語った。後年、引用した言葉の創作姿勢がより強く現れたコレクションが二つ発表されるのだが、その一つが2017年秋冬メンズコレクションである。
2017年の冬、ストリートウェアの熱狂的人気はまだまだ続いていた。フーディー、スウェット、MA-1がトレンドアイテムとして街中を行き交い、パリのランウェイにもボディラインを完璧に覆い隠すビッグシルエットがあふれた。クラシックがブランドのDNAであったドリスにとって、ストリートウェアは相反するものだったと言える。
自身が愛するファッションとは対極のファッションが主流だった時代、ドリスはどんなコレクションを発表したのだろうか。
彼の答えはストリートウェアを取り入れることだった。
ダブルブレステッドのピークドラペルコート、チェック素材のジャケット&パンツ、キャメルやブラックといったシックな色。ドリスのコレクションに欠かせない要素がいつもと変わらず登場し、ショーには大人の落ち着きが漂うのだが、ドリスは古典的なエレガンスをストリートウェアと融合させ、クラシック世界の波長を乱す。いや、ストリートウェアをクラシカルに解釈したと言った方が正確だろう。
色褪せたブルージーンズはワイドなシルエットを作り、ドリスお馴染みの端正なスラックスとは趣が違う。だが、裾をロールアップして足首をわずかに覗かせる着こなしが、ストリートウェアとは別世界の気品を生む。キルティング素材のトップス、ロゴがプリントされたスウェット、ノルディック柄のセーターなど、従来のドリスではあまりお目にかかれなかったアイテムが幾度も現れ、それらのアイテムはオーバーサイズで作られていた。カーディガンやロングコートなど伝統アイテムも緩やかなボリュームで仕立て、コージーなムードを挟み込む。
ドリス ヴァン ノッテン 2017年秋冬メンズコレクションより
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ドリス ヴァン ノッテン 2017年秋冬メンズコレクションより
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そしてそれらストリートなアイテムを、ドリスはシックなストレートパンツと組み合わせるのだった。
「私なら、ストリートウェアをこう見せる」。
そんなドリスの言葉が聞こえてきそうなほど、2017年秋冬メンズコレクションには従来の「ドリス ヴァン ノッテン」にはないスタイルが確立されていた。
2017年以降もストリートウェアの勢いは衰えず、グラフィックデザインを中心にした重厚な装飾性がモードシーンを引っ張っていく。色と柄を武器にするドリスにとって、装飾性が人気の時代は追い風だったと言える。
ヴィヴィッドな柄と色の装飾性を好む人すべてが、必ずしもストリートウェアを着たいとは限らない。ならば、華やかなフラワープリントをクラシックに発表すれば、時代の潮流(装飾性)を捉えながら時代の主役(ストリートウェア)とは違う服を着たい人々の需要を、掴むことができるのではないか。通常ならそう考えるだろう。しかし、ドリスはまたも自身のスタイルに縛られない多彩さを表す。
それが彼の創作姿勢を表したもう一つのコレクション、2019年春夏ウィメンズコレクションである。
ホワイト、イエロー、グリーン、ブルーといった明るいカラー、スポーツウェアに通じるライトな素材感、緩やかに舞って揺れるシルエットがコレクションの要となり、シャツやロングスカートを着たコンサバなスタイルだというのに、ナイロンブルゾンやドローストリングのパンツを着用したスポーツルックがオーバーラップする。
スタイルの軽やかさを引き立てる鍵となったのが、控えめな装飾表現である。布地に描かれたアクションペインティングのように、青・赤・黄がコートやスカートの表面を自由に染める。フラワープリントも発表されているが、肌を透かすトランスペアレント生地に柄が乗っているために、いつものドリスの服よりも軽快で爽やかだ。
ドリス ヴァン ノッテン 2019年春夏ウィメンズコレクションより
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ドリス ヴァン ノッテン 2019年春夏ウィメンズコレクションより
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ファッションデザイナーに限らず、自分の感性が世の中の流行と異なる瞬間は誰にでも訪れる。ドリスは時には吸収し、時には反発して、時代を巧みに手懐ける。ストリートウェアをクラシカルに解釈してみせた2017年秋冬メンズコレクション、当時のトレンドかつ自身の武器である装飾性を、あえて一歩引く形で表現した2019年春夏ウィメンズコレクションのように。
ファッションデザイナーには代名詞が欠かせない。ドリスならばフラワープリント、多彩なカラーパレット、そしてエスニックやフォークロアといった言葉が、彼のコレクションを物語るものだろう。しかし、彼は自身のスタイルを安住させない。コレクションを発展させるためには、冒険を厭わないのだ。
クリエイションの源に境界はない
「彼は時代も同列で見ます。中世もルネサンスも彼には現代と同じ。上や下、前や後といった区別をしないんです。すべて同じところに存在する」
『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』より
一つ謝らなくてはならない。本稿冒頭で、映画内からドリス自身の言葉を各章で引用すると述べたが、この4章での引用は、ドリス本人が語ったものではない。当時のパリ装飾美術館チーフキュレーター、パメラ・ゴルバン(Pamela Golbin)がドリスのクリエイションについて語った言葉である。だが、ゴルバンの指摘は的確であり、ドリスのクリエイションを紐解く魅力にあふれていた。そのため、ドリス本人の言葉ではなくとも、ここで取り挙げたいと思った次第だ。
ドリス・ヴァン・ノッテンというデザイナーは、対象に差を設けず、着想源を同列にして創造を行う。その特徴を表すコレクションが、2020年春夏シーズンに発表されたメンズウェアとウィメンズウェアである。双方のコレクションで、ドリスが同列に並び立てて発想したものは美意識だった。
2019年6月に発表された2020年春夏メンズコレクションは、ノースリーブのシャツ、歩行を軽快にするショートパンツ、合繊素材のコートとブルゾンなど、春夏らしいライト感覚のアイテムを混ぜながら、このブランドの必須ガーメントであるウェストのシェイプが効いたダブルブレステッドジャケット、品格あるストレートシルエットのパンツ、体を流麗に覆うトレンチコートが堂々とした風格で登場する。メンズウェアのベーシックを抑えたフォルムデザインで、ドリスの本領が発揮された。
ただし、服の形がオーソドックスなのに対して、服の素材は鮮烈だ。世界各地の原生林で密生した植物たちが、パリに集められてシャツやコートへ仕立てられたように、ランウェイでは雄々しい草花や蔦が生い茂り、プリントテキスタイルは、華やかで可憐なボタニカル柄とは一線を画す迫力と密度を示す。
ワークブルソンの表面では亜熱帯な草と葉が密集して重なり合い、ピンクの花が野生的に大輪を咲かせ、ピークドラペルのダブルジャケットに使われた植物柄は、逞しい筆致と妖艶な色調の赤で表現され、東洋芸術の趣を醸し出していた。
ドリス ヴァン ノッテン 2020年春夏メンズコレクションより
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ドリス ヴァン ノッテン 2020年春夏メンズコレクションより
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植物の美しさは、愛らしさやかわいさだけではない。荒々しく雄々しいという美しさもある。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、南米など、地域や国によっても美しいとされる植物、草花を描いた絵画は異なる。ドリスは、すべてを尊いものとして一つに集約にし、2020年春夏メンズコレクションを完成させた。
2019年9月に発表された2020年春夏ウィメンズコレクションでも、メンズコレクションで展開された原始的迫力のボタニカル柄は継続された。しかし、このコレクションのハイライトは素材ではなかった。
ドリスファンなら一見すると気づくかもしれない。2020年春夏ウィメンズコレクションが、ドラマティックな造形であることに。ドリスのクリエイションは、素材はダイナミックであっても、造形はシンプルに作ることを基本姿勢としている。しかし、このウィメンズウェアは異なる。頭部に飾り付けられた大ぶりの黒い羽飾り、大胆に大きく膨らんだパフスリーブ、フリルの布を重ねるティアードのテクニックを多用したスカート、フロアを引きずるドレスのトレーン、服をゴージャスに見せるいくつもの要素が散見されるのだ。
ドリス ヴァン ノッテン 2020年春夏ウィメンズコレクションより
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ドリス ヴァン ノッテン 2020年春夏ウィメンズコレクションより
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「ドリス ヴァン ノッテン」でありながら「ドリス ヴァン ノッテン」ではない。このコレクションを作り上げたデザイナーは、ドリスの他にもう一人いた。デザイナーの名は、クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)。2020年春夏ウィメンズコレクションは、オートクチュールの名手ラクロワと、プレタポルテでファンを魅了し続けるドリスの共作によって生み出されたのだった。
ラクロワは1987年に自身のブランドを創設し、華やかで劇的なオートクチュールドレスは世界中のメディアと人々から称賛を浴びる。その後、オートクチュールビジネスから身を引き、ファッション界の最前線から離れていたが、ドリスがラクロワにオファーし、このコラボレーションが実現した。ラクロワの華やかなダイナミズムが造形で形づくられ、ドリスのプリミティブな植物プリントが、ラクロワの迫力あるフォルムにさらなるパワーを加えていく。ドリスは自身のブランドを舞台にして、ラクロワに創造性を惜しみなく発揮してもらう。その結果、オートクチュールかプレタポルテかという二極論を超え、時代を超えたファッションが誕生する。
草花に美しさの境界はなく、ファッションにも美しさの境界はない。目に見えるものすべてをフラットな視線で眺め、クリエイションの源にしてしまう。それがドリス・ヴァン・ノッテンという、ファッションデザイナーの真髄である。
思い切った決断が、デザイナーの個性を輝かせる。そして終幕へ
「自分のベースは“クラシックな服”だ。かつての紳士服や婦人服が念頭にある。仕立て屋の高度な技術、ため息の出るようなシェイプ。そのクオリティを自分の作品で継いでいきたい」
『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』より
ファッションデザイナーには、立ち返るべき原点がある。子どものころに夢中になったアニメ、貪るように観ていた映画、心身のすべてを注ぐほどに熱中していたスポーツ、没頭という言葉が似合うほど体験してきたカルチャーが、ファッションデザイナーのベースにあり、それらが表現されることでブランドに個性が生まれる。
体験の対象が、服づくりの手法になることもあるだろう。たとえばドリスと同じくアントワープを代表するデザイナー、マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)は、コレクションで旅や映画をテーマにすることが皆無といっていいほどなかった。トルソーを服に仕立てたり、極端に大きなスーパービッグシルエットを作ったり、常に服の実験がテーマになっている。
ニューヨークの若きスター、ピーター・ドゥ(Peter Do)は、カッティングをブランドのアイデンティティにし、ベーシックなアイテムをクールなカットでモード化している。ブランドのYouTubeチャンネルにアップされている2023年春夏コレクションのムービーでは、フィッティング時にドゥが服に鋏を入れたり、服の形を模索したりするシーンが映されていた。
そして「ドリス ヴァン ノッテン」といえば、やはりクラシック。映画内でドリスは、最新の曲やバンドは知らず、クラシック音楽を聴いて育ったことを語り、服だけでなく暮らしの中にもクラシックの精神が生きていることを明かしていた。
近年、ドリスのコレクションを見ていると、ある違和感を覚えるようになった。それが、使用する柄生地の少なさである。2024年春夏メンズコレクションでは、ブランドの象徴である柄が極端に少ない。全60ルックを発表したが、柄の生地を使用したルックは全体の2割ほどで、無地の生地が大半を占めている。使用された柄は、ストライプと爬虫類の皮膚を模したものなどファッション伝統の柄、他には幾何学モチーフの柄も登場するのだが、フラワープリントにいたってはゼロだった。
ブラック、ネイビー、グレーのベーシックカラーに、イエローやパープル、ブリックがアクセントを加えた無地の生地が、ダブルジャケット、ステンカラーコート、シャツなどドリスお馴染みのアイテムを作り上げている。シルエットは、ショートパンツを用いたスタイルであっても、縦に長く細いラインが強調されて優美な雰囲気が漂い、コートやジャケットは腰のシェイプに色気が匂う。
ドリス ヴァン ノッテン 2024年春夏メンズコレクションより
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ドリス ヴァン ノッテン 2024年春夏メンズコレクションより
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視覚的に大きなインパクトを放つフラワープリントは用いず、柄生地の使用も可能な限り抑えられたことで、自然と服を見る目はシルエットへフォーカスされていく。瞳に写し出された服の輪郭は、男たちを渋みと美しさで滑らかに装う。ドリスのDNAはクラシックなのだと、改めて実感するメンズコレクションだ。無地の生地を中心にした構成は、3月に発表された2024年秋冬ウィメンズコレクションでも引き継がれていた。
ファーストルックでは、ベージュの生地を用いたダブルのコクーンシルエットコートが登場し、次に登場したセカンドルックは、3種類のアースカラーが使われたトップス2種類とショートパンツのスタイル。それらのアイテムに使われた生地はいずれも無地で、以降にランウェイを歩くモデルたちも、そのほとんどが無地の生地を使用したアイテムを着用していた。そしてメンズコレクションと同様に、トレンチコートなどクラシックの王道アイテムをロング&リーンの形で仕上げ、コレクションに落ち着きと品格をもたらす。
ドリス ヴァン ノッテン 2024年秋冬ウィメンズコレクションより
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
ドリス ヴァン ノッテン 2024年秋冬ウィメンズコレクションより
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ジーンズやスウェットを組み込んだカジュアルルックも目立つのだが、ドレープを用いたフォルムデザインが、デイリーな装いにオートクチュールに匹敵するエレガンスを作り上げる。
ドリスはなぜこれほどに柄の生地を抑えたのだろうか。特にフラワープリントの生地にいたっては皆無に等しい。その意図は、本人に訊ねる以外にはわからないだろう。しかし、我々がブランドの魅力だと感じていた、柄のテキスタイルの使用を控えるという思い切った決断が、クラシックというドリスもう一つの美を際立たせた。ファッションの原点でもあるクラシックは、ドリスの原点でもある。フィナーレに近づく今、ドリス・ヴァン・ノッテンは記憶を振り返るように、ロングレングスのトレンチコートを仕立て、未来に向かって歩みを進める。
以上が、本稿で紹介するコレクションのすべてである。ドリス・ヴァン・ノッテンを愛する人たちからは「なぜ、あのコレクションを紹介しないのだ?」と、お叱りの声を受けるかもしれない。もし、そう感じたなら、ぜひXやInstagramといったSNSはもちろん、オフラインで会う人々に、あなたが思うベストのドリス・ヴァン・ノッテンを話してみてほしい。
その熱が、ドリスとの別れをいっそう寂しいものにさせるかもしれないが、エンディングが近づく今しか味わえない体験がきっと待っているはずだ。6月発表のラストコレクションに向け、気持ちを高めていこう。そして最後に伝えよう。10年、20年経とうが、あなたのエレガンスは決して忘れない。
「ドリスよ、今までありがとう」。
ドリス・ヴァン・ノッテンの来歴
<1958年>
・ベルギー アントワープで生まれる
<1977年>
・アントワープ王立美術アカデミー デザイン科に入学
・在学中、フリーランスのデザイナーとして活動する
<1981年>
・アントワープ王立美術アカデミー デザイン科を卒業
<1986年>
・ロンドンコレクションに「アントワープシックス」の1人として参加
・メンズブランド「ドリス ヴァン ノッテン」デビュー
<1987年>
・「ドリス ヴァン ノッテン」ウィメンズライン始動
<1989年>
・アントワープの中心地にブランド初の旗艦店をオープン
<1991年>
・パリのメンズコレクションに参加
<1993年>
・パリのウィメンズコレクションに参加
<2009年>
・東京 南青山に旗艦店「ドリス ヴァン ノッテン 青山店」をオープン
<2016年>
・ベルギー アントワープ州から文化賞を授与される
<2024年>
・「ドリス ヴァン ノッテン」デザイナー退任を発表
2016年より新井茂晃が「ファッションを読む」をコンセプトにスタート。ウェブサイト「アフェクトゥス(AFFECTUS)」を中心に、モードファッションをテーマにした文章を発表する。複数のメディアでデザイナーへのインタビューや記事を執筆し、ファッションブランドのコンテンツ、カナダ・モントリオールのオンラインセレクトストア「エッセンス(SSENSE)」の日本語コンテンツなど、様々なコピーライティングも行う。“affectus”とはラテン語で「感情」を意味する。
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