Fashion ふくびと

連載「ふくびと」sacai デザイナー阿部千登勢

「sacai」デザイナーの阿部千登勢
「sacai」デザイナーの阿部千登勢

 ファッションショーを行わず、直営店を持たない。しかし、これほどファッション業界人に支持されるブランドも珍しいだろう。 そのブランドこそ、デザイナーの阿部千登勢(あべちとせ)が、子育てのかたわらで編んだ5型のニットからスタートした「sacai(サカイ)」だ。12年前の自宅のリビングから始まってグローバルへと発表の場を移し、 各国のバイヤーやジャーナリストから注目を浴びる阿部だが、デザインと向き合う姿勢は常に変わらない。「日常の上に成り立つデザイン」を掲げてから12年。ひたむきに"本物"を追い求め続ける阿部千登勢の軌跡を追った。

 

「デザイナーになりたい」

 阿部は岐阜県生まれ。母親が洋服の仕立てを手がけるブティックで働いていたいたこともあり、洋服に囲まれた環境で育った。小学生のころ、テレビCMでファッションデザイナーが出演していたのを目にしたことがきっかけとなり、将来の夢を思い描き始める。

【阿部】小学校5年生くらいのときだったと思います。もともと人形のお洋服を作ったりするのが好きだったんですが、なにげなく見たテレビにデザイナーが出ていて、その瞬間に、初めて「これになりたい!」と思ったのを覚えています。その頃から今まで、気持ちは全然変わっていないんですよね。自信があった訳ではないんですが、「私はファッションデザイナーになるのよ」という確固たる意思がありました。両親からは田舎から出ることを反対されていたんですが、半ばそれを押し切った形で上京しました。


憧れのコム デ ギャルソンへ

 専門学校を卒業した後、アパレルメーカー大手のワールドに就職。2年ほど働いた後、1989年に川久保 玲氏率いるコム デ ギャルソン社に入社する。この頃はバブル経済絶頂期。日本ではDCブームが訪れ、パリで "黒の衝撃" を与えた「COMME des GARÇONS (コム デ ギャルソン)」もまた、ビッグブランドへの成長過渡期にあった。阿部は、憧れだったコム デ ギャルソン社でパタンナー、ニットウェアの企画を経験。そしてデザイナー渡辺淳也の手がける「JUNYA WATANABE COMME des GARÇONS」ラインの立ち上げメンバーに抜擢される。

【阿部】新卒で就職したアパレルメーカーで働いたのは2年ほどでしたが、そこで得たものはたくさんありました。私は今でも「あきらめるな」という言葉を使いますが、 これは当時の仕事、そして先輩方の教えが染み付いているんだと思います。例えば、素材調達やもの作りへの執念。納得がいくものが見つかるまで世界中を探し回るくらい、「最後まであきらめない」ということが身に付きました。

 その後、強い憧れがあったコム デ ギャルソン社へ移りました。ここでの経験が、今の自分自身の世界を築きあげるベースを作ったと言えます。デザインのプロセスだけではなくて、「ファッションとは?」といった根本的な部分から深く考えさせられました。

 移った当時は、ちょうど渡辺淳也さんが「tricot COMME des GARÇONS」のデザイナーを務めていて、これから自身の名を冠した新ラインを立ち上げるという時でした。会社は、川久保さん以外にデザイナーズブランドが誕生するという変化の真っただ中。「JUNYA WATANABE COMME des GARÇONS」の立ち上げチームに加わった事は、自分自身の大きな経験になりました。世間がどうだとか、トレンドがどうだ、といったものに全くとらわれず、1から新しいものを生み出すことに徹底的に取り組む。川久保さんと渡辺さん、それぞれから影響を受け、多くの事を学びました。

>>次のページは、人生の転機と「sacai」デビュー

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