第3話からつづく——
デザイナー川久保玲と山本耀司がパリに進出し"黒の衝撃"を与えた1981年以降、モード界に新たな潮流が見え始める。80年代後半にマルタン・マルジェラがそれまでの業界トレンドだった高級志向と真逆を行くポぺリズムを打ち出し、90年代のグランジファッションのムーブメントに引き継がれていく。激動のパリコレの舞台裏で、若槻善雄はショー演出のいろはを学んでいった。——演出家 若槻善雄の半生を振り返る、連載「ふくびと」第4話。
・本当に美味しかったクスクス
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1986年10月、初めて仕事でパリに行きました。四方義朗さんが演出を担当するショーのアシスタントとして。当時は直行便がなく、四方さんは日系の航空会社を使うんですが、僕は下っ端なのでアエロフロートでモスクワ経由の一人旅。フランスに着いたのは夜の7時か8時で、タクシーでパリ市内に向かったんですが、窓から見た黄色っぽい外灯がなんとなく田舎臭く感じちゃって。なので、そこまで感動はなかったかなと思います。
宿に着いたら、「ここにいるから来い」と、先に到着した四方さんからメモ書きが。「そこを出て左行って右行ってこっちに来たら店があるから〜」って具合に、まあザックリと書いてあるんです(笑)。当時は携帯なんてないし、知らない街で夜道を一人歩くのはものすごく怖い。迷いそうになりながらどうにか辿り着いてホッとしました。そのせいか、その店で食べたクスクスは本当に美味しかった記憶があります。
当時パリコレはルーブル美術館の中庭がメイン会場で、噴水を挟んで3つのテントを立てて開催されていました。入り口が1カ所しかなくてセキュリティも厳しいから、それはもう毎回ごった返していてすごい熱気。
最初に関わったパリコレの仕事は、「ジュンコシマダ(JUNKO SHIMADA)」と「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」です。当時は1本のショーが今よりも長くて、1時間で100〜200体のコレクションを10シーンくらいに分けて発表する形が主流でした。シーンごとに音楽を変えるので、裏でテープを早替えしたりする音出し係がアシスタントの仕事のひとつ。
リハーサルが終わってから本番までの時間は、曲を変えたり順番を入れ替えたりということもよくありました。当時は6ミリテープを使っていましたから、磁気が飛ばないように切ったり貼ったりの作業は、手に汗をかきながら時間との戦いです。
"ミュグレー、ゴルチエ、モンタナ"が「パリ三羽烏」と言われるほど勢いがすごかった時代。ある時、担当ブランドの本番直前に舞台裏で準備をしていると、「クロード モンタナ(Claude Montana)」がショーを行っている隣のテントから爆音が聴こえてきました。一瞬「えっ?!」と耳を疑いました。次のショーで流す予定の「アート・オブ・ノイズ」というバンドの楽曲だったから。これはヤバいと思っていたら、ものすごい勢いで四方さんが走ってきて「今すぐ確認してこい!」と。慌ててデザイナーに確認して、震える手で他の曲に変えて、難を乗り切りました。もう血の気が引きっぱなし。
大事なのは、何が起こっても対処できるような準備。それでもトラブルは、起きる時には起こってしまう。なので本番というものは今でも緊張します。
・戦場を生き抜いた大石一男
80年代後半までのショーは、舞台からせり出した高さのあるランウェイで、その両脇にフォトグラファーが構えるという形が主流でした。一度、日本のスタイリストに頼まれて資料用にショーの写真を撮ったことがあるんですが、それはもう散々。プロのフォトグラファーたちが戦場のように場所取りして撮影する中に入っていけば、当然のように「邪魔だ!」と弾かれて。いざ現像してみたら、モデルの脚しか写っていなかったという。
パリコレで演出をやっていると、照明が変わるたびにフォトグラファーに怒鳴られたり、少しでも撮りにくい演出になると僕らスタッフがいるブースの壁をドンドンと叩かれたりは日常茶飯事。当時はフィルムカメラしかなかったし、彼らも美しく撮るのが仕事ですから。華やかなランウェイでもそれを取り巻く環境は戦場でした。そんなパリコレで写真家の大石一男さんは30年以上も撮ってきたわけだから、本当にすごい人です。
大石一男——日本のファッション報道写真の第一人者。1979年から2010年にかけて32年にわたり、パリコレクションをはじめ、ミラノ、ニューヨーク、ロンドン、ソウル、東京といった世界のファッションシーンを撮り続けた。
・予定調和のないパリコレ
僕はパリコレの仕事を手掛けるようになった最初の頃は年2回のウィメンズコレクションのみの担当だったんですが、そのうちメンズコレクションも行くようになりました。なので最低でも年4回のパリ出張。その中でも、当時三宅一生さんのデザイン・スタッフとして、イッセイ ミヤケのショーの演出も担当されていた毛利臣男さんとの数々の仕事は忘れられません。パリ・オペラ座バレエ「白鳥の湖」の衣装も手掛けた方で、色々なことを教わりました。
毛利臣男——国内外のオペラ、バレエ、能、スーパー歌舞伎といったアートディレクションや衣装デザインを手掛けてきたアーティスト。展覧会の美術監督や空間作り、京都造形芸術大学の客員教授や京都芸術劇場の芸術監督などを務めた。
毛利さんの演出で、パリの地下鉄をイッセイ ミヤケのメンズのショー会場に使ったこともあります。ポルト・デ・リラ駅構内のホームに観客が入り、線路を挟んで向こう側のホームがランウェイという設定。現場の仕切りは僕が任されていました。
ショーの最後、会場に電車が入って来て、それと同時に音楽がピタリと止まる。ホームにいたモデルが電車に乗り込んで走り去ると誰もいない、という演出。何度かリハーサルをして万全のつもりだったんですが、本番の1回目のショーでまずいことが起こりました。フィナーレに差し掛かり、僕が出す合図で電車が来るはずが、来ない。音楽だけ止まってしまって空白の数秒間——。何事かと思ったら、どうやら運転手がショーの間、電車から降りて観客のようにしばらく眺めていたらしくて。「ウソだろ〜」ということが起こりうるのがパリ。2回目のショーは成功したんですが、毛利さんからはその日、かなりお叱りを受けました。
場合によってはコレクション自体を台無しにしてしまったかもしれない。ショーというものはブランドの運命がかかっているんだと、改めて責任の重さを感じたものです。——第5話につづく
第5話は3月4日に公開します。
文:小湊千恵美
企画・制作:FASHIONSNAP
【連載ふくびと】演出家 若槻善雄 全7話
第1話―寺に生まれ東京へ、道を開いた1本のビデオ
第2話―ブッ飛んだディスコ 金ツバ通い
第3話―憧れの師匠のもとで
第4話―来るはずの電車が...地下鉄のショー
第5話―生のギャルソンの衝撃
第6話―マルタン・マルジェラの素顔
第7話―ショーができなくなった時
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