第6話からつづく——
気が付けば、ショー演出の世界に触れてから40年以上のキャリアを築いていた。1980年代から現代まで、一度として同じランウェイはなく、震災や疫病といった避けられない困難も。デジタルシフトが進み超情報化社会に突入しようとしている今、改めて考える生のショーが持つ力とは。——演出家 若槻善雄の半生を振り返る、連載「ふくびと」第7話<最終話>。
・エディがきっかけとなりドラムカンへ
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2004年5月、「ディオール オム 表参道店」のオープンにともなったパーティーが都内で開催されることになりました。当時のデザイナーは売れっ子のエディ・スリマン(Hedi Slimane)で、パリからフェニックスというバンドを呼んだりして、とにかく規模がデカい。僕はエディが「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ・オム」を手掛けていた時(1997年〜2000年)に日本でのショーの演出を担当していたのだけど、彼はその後数年でスーパースターになっちゃいましたから。そのパーティーの演出の仕事をフリーの僕が引き受けて、その時にプロダクションをお願いしたのが、今僕が所属しているドラムカンです。
ドラムカンは僕が四方義朗さんの会社(サル・インターナショナル)にいた頃の後輩だった田村孝司が独立して会社を立ち上げた会社で、そのうちに「一緒にやりませんか」と彼が提案してくれて、2006年に役員として入社しました。当時のメンバーは3人ほど。でも、フリーよりも会社の方が信用を得られて、大きな仕事も対応できます。
ドラムカン(DRUMCAN Inc.)——2002年設立。ファッションイベントプロデューサー・演出家 田村孝司、演出家 若槻善雄によるファッションイベント企画制作会社として、国内外で様々なブランド・企業のファッションショーやパーティー、イベントの企画、制作、プロデュースを行っている。
ショーだけではなくて、パーティーやイベント、愛知万博といった大きなものまで、色々な仕事をしてきました。僕は演出という立場ではあるけど、舞台を作る演出家とは違うし、脚本を作るわけでもない。ブランドやデザイナーや新作コレクションのイメージを具現化する、いわゆる演出補助だと思っているんです。ただ、「何か案ありますか?」から始まって0から考えていくことももあるので、毎回行き詰まっているし、毎回追い込まれる。特にデザイナーのクリエイション自体のパワーがスゴければスゴいほど、いくら経験を重ねてもプレッシャーとの戦いです。
今ではショーの形も自由になったし選択肢も増えたので、ブランドの希望に沿って、会場を探したり交渉もします。よく「誰もやったことのない場所でやりたい」というリクエストをもらうんですが、逆に教えて欲しいくらい、なかなか無い。パリだと公園とか古い学校とか、色々な場所がショー会場になるんですが。日本も歴史ある良い場所がたくさんあるんだから、もっと解放してほしいものです。
たまに、「やられたな」という時もあります。それで思い出すのは、「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」が1986年に東京ディズニーランドで開いたショー。当時たしか、その映像をテレビで目にしたんだと思います。シンデレラになぞったストーリーで、シンデレラ城をバックにドーンと豪華なドレスのモデルたちが出てくるという。あれは今考えてもすごい。
・最大限を続けて
2011年3月11日に起こった東日本大震災は、ちょうど東京のファッションウィーク開幕の10日前。僕はオフスケジュールで「ホワイトマウンテニアリング(White Mountaineering)」のショーを担当することになっていたのだけど、「これは絶対にできない」と中止せざるを得なかった。でも、相澤くん(デザイナー相澤陽介)をはじめショーを手掛ける予定だったチームと話して、「だったらフィルムを撮ろうよ」ということになったんです。今でこそ、新型コロナウイルスの影響により映像でのコレクション発表が増えましたが、その先駆けのような形でした。
東日本大震災の後、東京のファッションウィークは中止に。その期間中に2011年秋冬コレクションを発表する予定だったホワイトマウンテニアリングは急遽、ランウェイショーから映像での発表に切り替えた。
毎年、毎シーズン、数多くのショーに関わっていてもひとつとして同じ状況がないし、震災やテロや、避けられない問題も出てきます。国も違えば同じ「白」でも感覚の違いでベージュが出てきたりする。直前で会場が使えなくなったり、本番前に照明が落ちたり、音が止まっちゃったり。
コロナでショーをすることができなくなった時は、同じ演出家やデザイナーたちと連絡を取っていましたが、誰も先が見えない状態。しばらくの期間は何もできず「一体どうなっちゃうんだろう」と気持ちが落ちた時もありました。
それでも少しずつ、対策を取ればやれることが増えてきた。海外に行けなくても、人を集められなくても、どこでどうやったって100%のものを出せばいい。僕の中では「パリだから」「東京だから」という感覚はないんです。デザイナーもそうだと思いますが、常にワールドスタンダードで、その時できる最大限のことをやってきたんだから。
今は、駆け出しの頃のように何日も徹夜するようなことはなくなったけど、心身的にキツいことがあっても続けているのは、やっぱり好きだからなんでしょうね。特にショーの最中は、一番冷静じゃないといけないのに、一番興奮する。まず自分が面白いと思うものじゃないと、他の人には届きませんから。反省も常にありますが、楽しくなかったらこんな何十年もやっていません。
コロナ時代を経験してひとつ思うのは、服は生身の人間が着るものだし、生身の人間が感じるものだから、何かフィルターを通してではなくて生で見せることに価値があるんだなということ。その力がショーにある。どういう形で関わっていけるのかは時代の流れ次第ですが、生涯現役で、自分のスタイルは貫き通したいものです。
演出家 若槻善雄の仕事道具
ショーのタイムキープに欠かせないSEIKOのストップウォッチSVAE301
文:小湊千恵美
企画・制作:FASHIONSNAP.COM
【連載ふくびと】演出家 若槻善雄 全7話
第1話―寺に生まれ東京へ、道を開いた1本のビデオ
第2話―ブッ飛んだディスコ 金ツバ通い
第3話―憧れの師匠のもとで
第4話―来るはずの電車が...地下鉄のショー
第5話―生のギャルソンの衝撃
第6話―マルタン・マルジェラの素顔
第7話―ショーができなくなった時
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