Fashioninterview

【インタビュー】ファッション界の"生きる伝説" 高田賢三が再び第一線へ

■どこに行っても同じ服

―パリには半世紀にわたって居住していますが、ファッション界の変化を感じますか。

 変わるものだとは思いますが、特に最近は変化が早過ぎますね。土曜日になると行列していた店も今はそんなことはなく、お店に出向く人が確実に少なくなっているのを感じています。

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―ヨーロッパやアジアなど様々な国に行かれていますが、世界のファッションについてはどのように見ていますか。

 以前はその国や街に行って、現地ならではのファッション見るのが面白かった。でも今、そういった面白味が無くなってしまって残念なんです。どこにいっても同じ服、同じファッションのように見えてしまう。

―日本や東京もそうかもしれません。

 でも先日、新進デザイナーで才能あるなと感じたのが、松重健太さんが作った服でした。日本のアイデンティティーを構築的なデザインに落とし込んでいて。そういった若手がどんどん飛び出すような環境を作らないといけないなと思いましたね。

■日本は桜だけではない

―東京では2020年にオリンピックが控えているので、若手も含めてデザイナーが世界の舞台に関わっていく機会が増えていくかと思います。高田さんは2004年のアテネオリンピックで日本選手団公式服装をデザインしていますね。

 ユニフォームのデザインて、本当に難しいんですよ。特にオリンピックの場合は様々なアスリートの選手がいますから、その人らしい個性を出せるような「ユニフォームらしくないユニフォーム」をテーマに作りました。帽子の裏側をカラフルにしたりね。あとアテネは暑い国でしょう? だからうちわも一緒に作ったんです。

―その時のモチーフも芍薬でしたね。

 でも最初は桜にしようかとも考えたんですよ。制作は「ユニクロ」を運営しているファーストリテイリングだったんですが、その時に柳井さんに言われた事を覚えています。「日本は富士山や桜だけじゃないですよね」と。

kenzotakada_athens2004_01.jpg2004年アテネオリンピック日本選手団公式服装と、当時の新聞記事

―若手のデザイナーやクリエーターにアドバイスやメッセージを頂けますか。

 若い方には、思い切り大きな夢を持ってもらいたいです。夢に向かって努力、それだけだと思います。自分の目的をはっきり持って邁進してください。

―最後に、ご自身のヴィジョンをお聞かせください。

 今回のセブン&アイとの仕事は、自分にとって刺激になり過ぎるくらい刺激的で(笑)。これからも少しずつ、新しい事をしていこうと思っています。クリエイターやアーティストといった若い方々とつながりや交流を持って、お互いに刺激し合いながら、また成長していけたら嬉しいですね。

(聞き手:小湊千恵美)

高田賢三 Kenzo Takada

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1939年 兵庫県生まれ。文化服装学院で服飾デザインを学び、1960年第8回装苑賞受賞。その後1964年に渡仏。
1970年 パリにブティックを開き、ブランド"JUNGLE JAP"として初コレクションを発表。パリの伝統的なクチュールに対し、日本人としての感性を駆使した新しい発想のコレクションが評判を呼ぶ。その後ブランド名を「KENZO」とし、高い評価を受ける。
1984年 仏政府より国家功労賞「シュヴァリエ・ド・ロルドル・デザール・エ・レトル」芸術文化勲章(シュヴァリエ位)受章。
1993年 ブランドをLVMHに売却。自身はデザイナーとしてクリエーション活動を継続。
1998年 仏政府より国家功労章「コマンドゥール・ド・ロルドル・デザール・エ・レトル」芸術文化勲章最高位の(コマンドゥール位)受賞。
1999年 紫綬褒章を受章。NY国連平和賞ファッション賞を受賞。「KENZO」のデザイナーを退く。
2004年 パリ高位勲章「パリ市大金章」受章 。アテネオリンピック日本選手団公式服装をデザイン。
2016年 仏政府より「レジオン・ドヌール勲章」名誉軍団国家勲章(シュヴァリエ位)を受賞。

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