Image by: Yusuke Koishi

Fashion フォーカス

ファッション・ウィークの意味を考える

(文:小石祐介

 東京のファッション・ウィークは何かと冷めた目で見られがちだ。世界5大ファッション・ウィークの一つ、と語る国内メディアもあるものの、世界的にはファッション・ウィークといえばパリを中心に、ロンドン、ミラノ、ニューヨークで開催される4つのファッション・ウィークのことを指している。

 4つの都市の中で最後に行われるパリは、関係者にとって最も重要である。展示会で発注するバイヤーは、バイイング予算に限りがあるため、パリに最も多くの予算と時間を割く。ブランド側にとっては、春夏商品は最も早くてクリスマス前から年明けには納品する必要があるため、10月初旬から生産を開始しないと納期に追われることになる。このような状況の中、10月終盤に開催される東京ファッション・ウィークだが、今ここで何ができるかを考えてみたい。

 

■ファッション・ウィークの歴史

 歴史を振り返ると、ファッションブランドが各々に開催していたショー形式のプレゼンテーションが、ファッション・ウィークという形で組織的にまとまったのは、1943年のニューヨークが最初だ。その当時、アメリカは第2次世界大戦の最中で、パリはナチス・ドイツの占領下だったという事実に驚いてしまう。(注1)

 パリでは戦後まもない1945年に、最初のオートクチュールのファッション・ウィークが開始。プレタポルテのファッション・ウィークが行われたのは1973年である。日本では沖縄が1972年5月に返還されたばかりで、アメリカは泥沼化したベトナム戦争の最中だった。70年代はそれまでパリの模倣ばかりしているとされていたアメリカのファッションが、世界的にプレゼンスを示し始めていたころでもあった。ファッションに限らず、アート、音楽、映画など、様々な大衆文化の領域でアメリカの存在感が世界で際立っていた。

 アメリカもフランスの文化的土壌を欲していた背景がある。アカデミックな話題と大衆的話題の両方の議論に参加する姿勢のフランス的な文化人を欠いていたアメリカ社会では、政治や芸術、そして、あらゆる大衆文化を観察し、批評し、語るための道標として、フランスの文化人の言説が人々の間で引用され始めた。ジャック・デリダや、ロラン・バルト、ミシェル・フーコーといった思想家や文学者の言説が、政治、文学、写真、映画、建築やアートなどの評論に応用され、またその影響が美術や文学、ポップカルチャーに還流していった。この傾向はトム・フォードが監督した作品『シングル・マン』の舞台でもある60年代初頭には既に始まっていて、この映画を観れば当時のアメリカの雰囲気を掴めると思う。(注2)

 1973年のパリのファッション・ウィークは、パリ郊外のヴェルサイユ宮殿を会場に開催された。フランスからはディオール、ジバンシー、サンローラン、カルダン、ウンガロといったメゾンが、アメリカからはアン・クライン、ビル・ブラスやオスカー・デ・ラ・レンタといった面々が参加した。この米仏対決の様相は相当の反応があったらしい。

 あまりクリエイティブではない、とされていたアメリカのデザイナーにとって、このイベントは一気にイメージを改める好機と言えた。あるショーにおいてはアメリカ側のブランドによって、黒人のモデルがキャスティングされた。パリのランウェイを黒人モデルが歩いたのはこの時が最初で、フランス側のブランドやプレスに対して結構なインパクトを与えたようだ。会場にはモナコ王族やアンディ・ウォーホルといった、当時の米仏のセレブリティが集まったことが記録に残っている。非常に興味深いことは、このイベントがヴェルサイユ宮殿の維持費を工面するのに苦心していたフランス側の提案により、宮殿の修繕費を集めるファンドレイジングのイベントとして企画されたことだ。どちらの国のスポンサーが多額の資金を出したかは想像に難くないだろう。(注3)

 70年代という、アメリカとヨーロッパの文化と経済のパワーバランスが均衡した時代に、パリのファッション・ウィークがこうして始まった事実を振り返ると、色々と考えさせられる。パリはアメリカ人デザイナー達に信用を与え、その代わりに資本を呼び寄せたのだ。この仕組は現在も続いている。

 パリのファッション・ウィークのプレゼンスが強い理由は単純である。パリのファッション・ウィークは、時代に応じて新しいクリエイションに信用を与える。そしてファッション界で影響力のある人が集まるパリにはビジネスのチャンスがあるからだ。ブランド関係者や、世界各国の店舗のバイヤー、プレス関係者の他、パリ市内の美術館で開かれるイベントなどに連動し、ファッション内外の事業家や関係者も集まる。街中では昼夜、非公式のミーティングが行われ、雑談が交わされ、様々な話題がテーブルに上がる。特に決まった用事のない業界人にとっても、パリのファッション・ウィークは出張のためのエクスキューズになっている。こうして集まる人々から生まれるコミュニティの厚みが、ファッション・ウィークの価値を支えている。

 余談だが、パリ(そしてフランス)に対する経済効果も大きい。メンズ・ウィメンズを合わせて年4回(プレシーズンも入れると6回)行われるファッション・ウィークだが、年間で1兆円規模の経済効果がもたらされるという試算もある。ファッション・ウィーク全体を行政や他の業界までもがこぞってバックアップするということについても頷ける。(注4)

Photography by Yusuke Koishi

 

■ファッション・ウィークに参加するブランドの目的

 ようやく東京の話になるが、今回の東京のファッション・ウィーク期間中のプレゼンテーションで特に印象に残ったのは、フィリピンのデザイナー達によるプレゼンテーション「Asian Fashion Meets TOKYO Philippines 2019 SS」と、公式スケジュールの最後に発表した「Jenny Fax」だった。

 前者からは"Asia"という抽象的な枠組みで見られがちな「東洋」から、クリエイションを発信していくことの困難さを垣間見た。発信する内容そのものだけではなく、受け入れる側に受け入れるための土壌がなければ何を発信してもビジネスとして着地させることは難しい。共通の言語やコンテキスト、そして利害関係が生まれる土壌がなければ、その土壌を耕すところから始めていかなければならないのが、新興国のブランドが国外に向けてビジネスを行う際の困難さである。この困難さは、東京から欧米に進出を試みたブランドが体験したジレンマでもあると思う。

 スタースタイリストであるLotta Volkovaをコラボレーターに迎えたことでも話題となったJenny Faxは、「誰を巻き込み」「どのような人々に」「何を」プレゼンテーションするかという基本的な問題設定に対して、明快に回答していたのではないかと感じた。ソーシャルメディアを介し、あるいは人の噂を介してプレゼンテーションを知る「外の人々」を意識して作られたコレクションだった。デザイナー自身が海外で学んでいた時から培ってきたネットワークが形になったのを感じた関係者も多いことだろう。

Photography by Yusuke Koishi

 ファッション・ウィークに参加するブランドの目的はそれぞれである。それぞれのブランドが各々の目的を持って行動しているので、一つの基準で語るのは難しい。

 最近では、服そのものよりもむしろデザイナー、あるいはブランド自体が発するアクションが一番の売り物であるブランドも多い。ファッションブランドとデザイナーの存在は、資本家にとって投資対象であり、金融商品の銘柄になっている。特に金融市場が全体的に活況の現在では、その傾向が余計に強くなっているように思う。このような見方においては、ブランドやデザイナーの価値が判断されるポイントは財務諸表に載るようなデータだけではなく、ブランドが持つネットワークやコミュニティのポテンシャル、あるいは影響力のある人間による口コミである。実際、デザイン云々ではなく、そういった価値を上昇させるためだけのプレゼンテーションも散見されるが、背後の事情を知らないとその本質は見えにくい。

 東京のみならず、パリ以外で開催されるファッション・ウィークは、パリへ向かうための助走の場として利用されがちだ。ブランドは、ある程度力をつけると外に出てパリを発表の場にしてしまう。ファッションブランドというコンテンツに依存する限り、各地のファッション・ウィークは慢性的なコンテンツ不足に陥りがちだ。

 「時勢は利によって動くものだ。議論によっては動かぬ」という坂本龍馬の有名な発言がある。システムが効果的に機能するには、国内外から人々が東京に来る理由(あるいはエクスキューズ)を見つけられるようにしなければならない。人を動かす根源的な部分は「利」である。それは「街に居る人と来る人の繋がり」と「街の魅力」から生まれるコミュニティの厚みを作ることができるかどうかにかかっている。

 東京だけではなく、世界各国のファッション・ウィークが1973年のパリの原点に立ち返り、ファッション・ウィークを通して何を行うか。ブランド、関係者、オーディエンスは何を求めてその場に便乗するのか、といった根源的な問いに向き合う必要がある。

 ファッションの内外から交流が生まれ、東京という街、そこに集まる人々の文化資本がなめらかに繋がり、時を重ね強力になることが新しい創造を生む糧になるのだと思う。

 東京という街にどのようなコミュニティが生みだせるだろうか。それはこの東京という都市のアイデンティティと向き合うことからでしか生まれない。文化の醸成には時間がかかるが、継続を止めてはならない。

(注1)ファッション・ウィークの歴史については以下のサイトがよくまとまっている。
https://fashionweekonline.com/history-of-fashion-week

(注2)アメリカ社会にフランス文化人の言説が輸入されていった過程に詳しいのがフランソワ・キュセ著 桑田光平、他訳の『フレンチ・セオリー - アメリカにおけるフランス現代思想 』(NTT出版)。

(注3)1973年のヴェルサイユ宮殿で行われたショーについては、『The Battle of Versailles: The Night American Fashion Stumbled into the Spotlight and Made History 』(Flatiron Book)が詳しい。著者のRobin Givhanによる解説。歴史を見る上で興味深い。
https://www.harpersbazaar.com/fashion/designers/a11385/versailles-french-american-fashion-show/

(注4)THE LOCAL FRによるファッション・ウィークの経済効果についてのコメント。
https://www.thelocal.fr/20161005/fashion-week-brings-in-12-billion-to-paris-economy

小石祐介
クリエイティブディレクター。株式会社クラインシュタイン代表。
東京大学工学部卒業後、コム デ ギャルソンを経て、現在は国内外のブランドのプロデュースやリブランディング、デザイン、コンサルティングなどを手掛けている。また、現代アートとファッションをつなぐプロジェクトやキュレーション、アーティストとしての創作、評論・執筆活動を行っている。
11月29日から連続レクチャー「流行/記号/様装~現代における社会現象としてのファッション」を原宿VACANTで行う。

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