泉水隆氏
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「渋谷パルコ」はどう変わる?開発責任者が"マーケティング無視"を貫き通した理由

泉水隆氏
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 「ビルは建て替わりますが、渋谷パルコの魂、精神は変わりません」——2016年8月7日の閉店挨拶と共に休業に入ってから約3年、「渋谷パルコ(PARCO)」が今年11月下旬に生まれ変わる。1973年の開業から商業施設の枠を超えた革新的な取り組みで多くの人を惹きつけてきたように、次の時代でも文化の担い手になれるのか。マーケティングを行わず、コンセプト作りからテナント構成まで目利きと感性によって作り上げてきたという常識外れの大刷新について、責任者の泉水隆パルコ執行役に聞く。

文化発信の拠点、渋谷パルコのDNA

ー泉水さんは執行役であり開店準備室担当として、新規店の開業を指揮しています。

 パルコには1983年に入社し、今年で36年目。店長や開発、不動産管理など様々な仕事を経験してきて、近年では仙台パルコ2パルコヤ(PARCO_ya)の開業に携わりました。今は新しくなる渋谷パルコと、2021年春開業予定の心斎橋店のプロジェクトを担当しています。

ー渋谷パルコについては街の象徴として語られてきましたが、泉水さんにとってはどのような存在ですか?

 やはり、特別な店ですね。学生時代に渋谷パルコのレストランでアルバイトをしていたんですよ。2005〜06年には店長を務めました。取り扱い高では名古屋パルコがトップではありますが、売り上げだけではなく情報発信を担う店舗として、私以外のスタッフも渋谷パルコには思い入れがあると思います。

渋谷パルコ閉店後の取り壊しまでの期間、スタッフやアーティストが館内に落書きをして閉店を惜しんだという。写真は泉水氏による直筆のメッセージ。

ー"文化発信の拠点"とも称されてきたのはなぜでしょうか。

 パルコのルーツを辿ると元々はセゾングループ。パルコの生みの親とも言える増田通二さんが「劇場の中にあるパルコ」という発想で、劇場ありきの商業施設として1973年に渋谷パルコを開業し、1974年には「ビックリハウス」という紙媒体を立ち上げて評価され、80年代に「クラブクアトロ(CLUB QUATTRO)」をオープンしたことで"渋谷系"というジャンルが生まれました。クラブクアトロについては、増田さんがある日突然「スタンディングライブハウスをやろう」と言い出し、スタッフ皆が右往左往して始まったんです。本当に鶴の一声ですがそういった例を振り返っても、会社のトップからしてアートやカルチャーに対する造詣の深さがあったからこそ、文化発信の拠点になり得たんだと思いますね。

ーパルコらしさとは何だと思いますか?

 増田さんがやられてきたことがまさにそうですが、新しさ、先進性、他がやらないオリジナル性でしょうか。それに加えて、個人的には近年よく耳にするダイバーシティに近いのかなと。パルコは何をやっても様になるというか、何をやっても「パルコっぽい」と言われるところがある。例えばグランバザールのCMでジャニーズの方を起用したり、最近ではゴジラに弱虫ペダルと、振り幅の広さがパルコらしさであり、武器なんだと思っています。これは新しい渋谷パルコを作るにあたっても意識していることですね。

ブロックで作った新旧渋谷パルコ ©︎2019 PARCO CO.,LTD.

ー新生渋谷パルコのコンセプト作りはどのように?

 通常だとマーケティングから入りますが、一切行わなかったんです。プロジェクトはレストランの企画から始めて「オシャレなライフスタイルを享受している女性」といったターゲットを定めようとしても、「何か違うな」となってしまった。コンサルティング会社の方々からもお話を頂いたんですが、トータルコンサルは断りました。ではどうやってコンセプトを固めていったのかというと、とにかくモノを見て人に会うことを続けたんです。きっかけは、雑誌の編集長やキーマンに「パルコの良さはなんですか」「次のパルコはどうあるべきか」といったことを聞いたインタビューでした。それらを経て、自分たちの目利きでやるべきことを模索し、マーケティングを無視したビルを作ろうとなったのです。

ーマーケティング無視とは、かなりチャレンジングなのでは。

 マーケティングは需要を読み取るものですよね。郊外店舗だとマーケットインでも成り立つかもしれませんが、都心店舗だと潜在需要を嗅ぎ取って先読みしなければうまくいきません。市場が飽和成熟状態の中でどうすればお客様に喜んでもらえるかを考えた時、マーケットインではなくマーケットクリエイション、顧客の需要を無視して渋谷パルコを作ることにしたんです。消費者は多様化しているので、もしかすると需要を読み取るなんて、そもそもできないことなのかもしれない。なら我々が本当に面白いと思うものを集めて作る、ということをコンセプトにしてしまおう。それこそテナントのバランスも無視して。その結果、雑貨のテナントが少なくなり、今面白いと考えているファッションと食にフォーカスした構成になりました。

ーファッションについては、近年のアパレル業界の状況を見ると厳しい側面もありそうですが。

 新しいことや成功は、リスクを背負わないと得られないものです。これまでも我々は真剣にファッションに取り組んできましたけれども、アパレルが厳しい時代に今一度、ファッションをやろうと決意を固めました。「本気でファッションを」。これが新生渋谷パルコの覚悟のようなものなんです。

  

「インキュベーション」「情報発信」「まちづくり」

ーこれまでのパルコでは「インキュベーション」「情報発信」「まちづくり」に力を入れてきました。

 当社のDNAなので、引き続き取り組んでいきますね。インキュベーションに関しては、渋谷パルコにしっかりとスペースを設けます。1階には新進系ジュエリーを集積する「O STORE by New Jewely」、3階にはこれまでテナントさんに内装デザインを任せていたところを、床・壁・天井をパルコが作りパルコのスタッフがレジ打ちまで行う「ガイザーパルコ(GEYSER PARCO)」という、ブランドに負担を強いない売り場を設置したり。

ー「ガイザーパルコ」は新しい試みですね。

 百貨店の条件に近いものになりますが、この売り場はヨシロットン(YOSHIROTTEN)さんにディレクションして頂きます。また4階では、東京都と組んで若手デザイナーの育成スペースを設けます。東京都がパルコに業務委託するという形で、都が支援するデザインアワードを受賞したブランドが並ぶ売り場ですね。これまでも我々は「FASHION PORT NEW EAST」というプロジェクトで東京ファッションウィークに参加する若手デザイナーのショー開催を支援してきましたが、それらのブランドの売り場も作っていこうと。ショーと売り場をセットにし、より強化した形でインキュベーションしていきます。

ー情報発信について新しい施策はありますか?

 出店者自体がSNSなどで情報を発信できる環境にあるので任せる部分もありますが、渋谷パルコとしては独自のウェブサイトを作ります。既にウェブサイトは運営していますが全く新しいビルになるので、サイトも新しく別のものをと考えています。館内にはギャラリーが9ヶ所、可変型売り場が17ヶ所あり、コンテンツが随時変わるのでニュースネタに事欠くことはなさそうです。

ーギャラリーや可変型売り場の数が、かなり多い印象です。

 それも特徴のひとつですね。ギャラリーは4階の「PARCO MUSEUM TOKYO」をはじめ、飲食店が集積する地下には「GALLERY X」、1階には「ロケット(ROCKET)」が手掛ける「カミングスーン(COMINGSOON)」という食のギャラリー、「PARCO 劇場」のエントランスがある8階には糸井重里さんの「ほぼ日曜日」といった、様々な切り口で展開します。可変型スペースは例えば、「ディスカバー・ジャパン(Discover Japan)」の「ディスカバージャパンラボ(Discover Japan Lab)」として月毎に雑誌とタイアップしていく売り場、クラウドファンディングやAI、ウェブとリアルが統合した日本初の実証実験特化型のショールームストア「ブースタースタジオ バイ キャンプファイヤー(BOOSTER STUDIO by CAMPFIRE)」などがあります。

ー街づくりについての考えは。

 再開発のビルですので広場的な空間を多く展開していて、1階や4階の広場、それから10階の緑地の屋上などを使って、街場とタイアップした様々なイベントを開催していきます。そういったソフトの部分をメインに、街づくりに貢献していければと思っています。

渋谷パルコ開業にあたり、当時「区役所通り」と呼ばれた坂道は「公園通り」と改名された。※パルコがイタリア語で「公園」を意味する

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