Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)
東京のコレクションウィークは、渋谷ヒカリエと表参道ヒルズ スペースオーをメイン会場に40以上のブランドがフィジカルショーを行う。そのため、この周辺から離れた街へと誘うインビテーションが配られると、自然と何かしらの意味合いを求め、勘案してしまう。例えば、7年ぶりにフィジカルショーを開催した「ソウシオオツキ(SOSHIOTSUKI)」の2023年秋冬コレクションは、千代田区麹町に位置する「FMセンター」で行われた。その名の通り、同地は「TOKYO FM」を放送しているエフエム東京の本社メディアセンターである。そして、FM放送は周波数変調方式で、超短波放送されており、“遠くまでは伝わりづらいが、雑音の影響を受けにくい”という特徴がある。FM放送の特色を知った時、直感的に「なんてソウシオオツキらしい場所なんだ」と思った。何故ならソウシオオツキは、言葉を選ばずに例えるならば、いじっぱりで、雄々しく、怖いものは何もないといった様子すらあるからだ。ブランド特有の厳かさで、自信に満ちた態度は、フォーマルやモードなどの既存のファッション用語の中でカテゴライズすることは難しく、しがらみが多いファッション業界で「自分の意思をどう押し通すか」という信念がある数少ないブランドの一つだろう。その様はまさに、遠くまでは伝わりづらいが、雑音の影響を受けにくく、けれど確実に、リスナー(ファン)を獲得し、関係を築くラジオに近い。ソウシオオツキが、日本、特に戦前戦後の大正昭和をモチーフにしたアイテムが多いことを加味すると、各家庭にテレビが普及した戦後に、パーソナルなメディアとして発展を遂げたメディアであるラジオとの類似性も感じられる。言わずもがな、ここでの「テレビ」は、(服ではなく)衣料品の類である、ファストファッションに言い換えてもらっても構わない。そして、これらの思案は、会場が暗転し、サイレンのような音が鳴り響くと共に、ランウェイを早歩きで闊歩する木訥なモデルをみて、確信に変わった。
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ソウシオオツキには「初志貫徹」という言葉が似合う。「日本の伝統」「和」「大正ロマン」などのキーワードを1シーズン限りのコレクションテーマに挙げるブランドは数多もあるが、同ブランドのようにデビューの2015年から一貫して「日本人の精神性」を題材にしているブランドは多くはない。和魂洋才のインテリジェンスを、テーラリングに合致させるというコンセプトは曲げておらず、それは今回のコレクションタイトルに「FINAL HOMME2」を掲げ、デビューシーズンのテーマを踏襲したことからも伺える。
信念のあるブランドコンセプトと、それを裏付けるキャリアに基づいたデザインには強度があり、ネクタイ1本をとっても、家紋や数珠の房を拡大したかのようなディテールが、ブランドの持つコンセプトとオーラに集約され、他のブランドとは異なる意味合いをまとっている気すらしてしまう。また、ソウシオオツキのある種の頑固さは、デザイナー大月壮士の「いかに下心が見えないようにするか」という考えも見え隠れし、軍隊で使われていたような水筒やカマーベルトを彷彿とさせるバッグ、標縄のようなベルトは、モチーフこそ突飛のように感じるが、そこに「バッグ」「ベルト」という機能性を持たせることで、スノッブにはならないバランスを取ってみせる。また、東大寺の扉から着想を得た定番のデニムジャケットは、ジャージー生地やレザーを用いることでアップデートをさせた。
一方で、2022年秋冬コレクションの「All Grown Up」、2023年春夏コレクションの「Drive My Dreams」と2シーズンわたり、それまで度々掲げていた四字熟語のコレクションテーマを止め、販路拡大のためにクリーンなルックで、リアルクローズの落とし所を見つけたようにも見えたが、今回のショーでは、全体を俯瞰して見た時に再びマス向けではない「過剰さ」も見て取れた。しかし、そのどれもが、過剰さとリアルクローズの間で絶妙なバランスを取っている。日本独特の言い回しである「急がば回れ」ではないが、最初からリアルクローズの道を選択せず、2シーズンにわたって提案したリアルさは、ブランドを前へ押し進めるための思惑だったと思わざるを得ない。
先に記述した「過剰さとリアルクローズの絶妙なバランス」に、もし端的かつ適切な言葉をあてるのであれば、それはシティ感ではないだろうか。ここでの「シティ」とは、一般的に用いる「都市」という意味合いとは少し異なり、日本の土着文化に根ざしたシティ、極論「シティ=東京の街そのもの」と言い換える。シティと東京の街そのものをイコールで結びつけることができるのも、ソウシオオツキが長年「日本の精神性」をブランドコンセプトに掲げていたことが作用するだろう。「日本の精神性」とあえて、幅を狭めないブランドコンセプトは、時代を超越し、その視点を江戸時代に移すことも、あるいは日本のアニメ文化の中にも見ることができるだろう。今回のショーで言えば、ショルダーラインが隆起したジャケットやコートは、「ルパン三世」に登場する銭形警部のシルエットを思わせる。
日本におけるシティは、アメリカのニューヨークや、イギリスのロンドン、フランスのパリのような、ファッションキャピタル的な意味合いは薄い。何故なら、日本は元来土着文化であり、戦後日本の都市部に流入した西洋文化こそが、シティ(=東京)であるはずだからだ。アーティスト コウタ オクダ(KOTA OKUDA)とコラボレーションしたシャツには、日本の旧札と100ドル札を模したプリントが施されており、まさしく、戦後日本の土着性と西洋文化が入り混じっていた様(シティ)を思い起こさせる。
日本は長年、東京(シティ)と郊外(ザバービア)の関係だったが、近現代に時代が移行するとグローバリズムによるフラット化で、郊外がプチ東京化された。どの地方都市にも某ファストファッションブランドや、商業施設はあるが、それはあくまでもシティの模倣にしかすぎない。事実、東京の街はプチ東京が逆流するように再開発が行われており、冒頭に挙げた渋谷はまさにその再開発の最中にいる。そこから逃れるように、現在の皇居である江戸城に程近く、街から土臭さや歴史の匂いを感じる半蔵門をショー会場に選んだのも、なんともソウシオオツキらしい。テーラーという西洋の技術を用いて、日本の土着性から切断するのではなく、あくまで「日本人の精神性とテーラーのテクニックによって作られるダンディズムを提案」することで、日本の土着文化と折り合いをつけ、ノスタルジックに変調させてみせた。それが今回のソウシオオツキの落とし所で、本稿でいう、ソウシオオツキが打ち出したシティ、東京らしさだ。
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