「Children of the discordance + FACE A-J」2021年秋冬コレクション
「Children of the discordance + FACE A-J」2021年秋冬コレクション
Image by: FASHIONSNAP.COM

Mugita Shunichi

モードノオト2021.03.19

麥田俊一

ファッションジャーナリスト

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「Children of the discordance + FACE A-J」2021年秋冬コレクション Image by FASHIONSNAP.COM
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 青山にD珈琲店と云うカフェがあった。横文字よりも、文字通り珈琲店に相応しい質の店だった。店主のD氏が手ずから落とすドリップ珈琲が格段に美味だった。たまに特製の山葡萄ジュースを賞味した。残念ながら数年前に閉店した。今は伝説にもなっている。手が空くとD氏は、眼鏡を外して本を読むか、店の片隅で珈琲豆を焙煎していた。手製の筒型の焙煎機より立ち昇る馥郁たる薫りと豆の爆ぜる微かな音は、青山通りの真っ只中にあって、時間が止まってしまったような小さな店内を居心地の良い空間に変える或る種の魔法のようなものだった。止まり木の客の殆どが、D氏が時間を掛けてお湯を落とす姿を見守っていた。太い親指と短い人差し指で支えたネル製のドリッパーを悠然と操る姿は、まさに老練な手品師の手捌きの如く寸分の狂いもない。茶碗を乗せた受け皿を左手に持ち、右手の掌を客に向け、最後に必ず客の眼を見詰めて、「どうぞ」と勧めてくれた。茶碗を拭く手、薬缶の把手を持つ手、焙煎機のハンドルを握る手、眼鏡の蔓を触る手、単行本の頁をはぐる手、お釣りを手渡す手...なんと云うこともない日常の所作にあって、ひとの「手」の動きがこれ程までに優雅にもなることに気付かされた例(ためし)はなかった。店内は、信じ難いほど何もないくせに、耳を疑うばかりにクッキリと、朗らかに透き通った声で、それも単純明快な言葉でD氏の「手」はお喋りを続けていた。都会の人の脳はデジタルの酒に酔っていてアナログの食物に飢えている。スマホを忙しなく弄る指が一体何を話すと云うのか。

 「チルドレン オブ ザ ディスコーダンス(Children of the discordance)」のショーに強く動かされた。志鎌英明の作品は、我々の心の中の湖に投げ込まれた小さな石であり、その波紋は緩やかに広がり、やがて消えてしまうだろうが、その湖に漣(さざなみ)が立つのを見るたびに、我々は湖に落ちた綺麗な小石の音を思い出さずにはいられない。ひとの手の感触と記憶のなんと素晴らしいことか。

 これ迄も番度、彼のショーを取材したが、正直、ここまで心を動かされたことはなかった。パーソナルであるが故の確かな視点を持った彼の服作りは、それだけに、その視点の強さには疑いの余地がないことは認める。叱責を承知で云えば、私は、古着やビンテージ服を題材にしてリメークに明け暮れるデザイナーが好きではない。特別な折に作るワンオフピースとか古着のリペアであれば未だしも、たとえ作者が無名だろうと、誰かが作った服を勝手に切り刻んでおいて自分の署名を載せ換える仕事には賛同しかねるのだ。誤解しないで欲しいが、蓋し志鎌がその類であったとて、彼の創作の領域に私が土足で上がり込み、好き放題を申すつもりはない。寧ろ、彼のコラージュ式の創作には惹かれるところが多分にある。この手法は、アングルに準じて様々な味を満喫出来る。継ぎ接ぎのぎこちなさは寧ろブリコラージュの特性である。だが、度重なるサンプリングと云う手法に些かの既視感を覚えたことも正直なところだった。野性と洗練、粋と頑迷、都会と田舎、反抗と包容力のように相反する男の特質を、彼の作る服は矛盾なく持ち得ているから、ここ迄の人気を集めているのだろう。

 さて、今回のショーの話題に戻ろう。明治末期の洋風建築のモダンな威風を払う会場(上野の東京国立博物館 表慶館)に入ると、十六稜の星型を描いたモザイク模様のタイルの床が出迎えてくれた。一階の三部屋を打ち抜きで使用しているから、キャットウオークは、さながら細長い廻廊のようである。踏みしだかれて所々磨り減った大理石のモザイクタイルのエキゾチックな床を眺めていると、ここが東京であることを暫しの間忘れてしまった。もし此処が、パリの下町にある薄汚れたパサージュとか、10区のインド人街とか、土埃が舞う地下鉄の高架橋下とかであればどんなにか素敵だったろうか。ショーを見終えてそう思ったのである。作り手の手垢や体臭、体温や脈拍、指紋迄もが克明に刻まれたかのような服だったから、私は斯様な白日夢を見たのだ。それに人懐こい服だったから。勿論、手垢や体臭は喩えの一つである。

 季節の移ろいや時の経過を感じさせる情景とか作り手自身の心象風景を経糸に、職人の叡智と技術を緯糸として織り込まれた服地たちは妙なる物語を語り、愛らしい物語の「物」の主役を演じている。更に、アフリカ西部のブルキナファソの職人によって織られた生地を採用しているが、こうした「フェイス エージェー」との協業が、物語に一層の恰幅を与えていた。信頼した素材を惜しまず、ギリギリまで引き算を施して、超然として、余分なモノを凡て削ぎ落しつつも「自分にしか作れない服とは何か」の命題に、彼は明確なカタチで回答を見付け出したように思う。境界を越える果てのない探究は、その時々の瞬間の雰囲気を捉えていくものだ。物事が変化する兆しや、交叉する情報、それに対する反応、そう云った凡ての要素が混じり合い、繋がって一つの明確なサインとなる。境界とは生き物のようなもので、時には調和を打ち砕き、時には姿を消してしまうこともある。大自然の逞しさ、神秘、素朴さと都会的な洗練との境界を睨みながら、肩肘張ることなく、異文化を現代的なストリート型へと組み込んだ今回の彼のショーは見応えがあった。(文責/麥田俊一)

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