
Image by: FASHIONSNAP
「当時からいろいろなメディアでヴァージル・アブローはスターだったわけですが、そこから“漏れている部分はあるな”と、ずっと思っていました」。そう話すのは、京都に拠点を置く独立系出版社「アダチプレス」の足立亨代表だ。
ADVERTISING
今年7月に創業11周年を迎える同社は、これまでに蘆田裕史著「言葉と衣服」、フランスのインディペンデント雑誌「Purple」の創設者で編集長を務めたエレン・フライスの初のエッセイ集「エレンの日記」(林央子訳)、小野瀬慶子著「フィッティングルーム 〈わたし〉とファッションの社会的世界」など、ファッションを軸に置いた書籍を刊行。2015年からは蘆田と水野大二郎が手掛けるファッションの批評誌「ヴァニタス(vanitas)」を発行している。また、2022年7月に出版した故 ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)のインタビューを収めた対話集「ダイアローグ」は、ファッション業界人に限らずさまざまなビジネスパーソンにも影響を与え、ベストセラーとなった。
移り変わりの早い“ファッション”を、あえて「本」という形で残す意義とは何か。話題となった一冊は、どのようにして生まれたのか。ひとり静かにファッションを言語化しようと試みる編集者の視点から、その意味を探る。

アダチプレス 足立氏
目次
平凡社から独立、アラーキーからの“ご祝儀”は大量の写真だった
── 独立する以前の経歴を教えてください。
出身は関西の山あいの集落で、東京の大学を出て1990年に新卒で平凡社という出版社に入社しました。最初に配属されたのは、雑誌「太陽」(2000年に休刊。「別冊太陽」は継続)の編集部です。「太陽」はA4判のヴィジュアル誌で、日本の古い文化からアートやデザインまで幅広く特集していて、もともと好きなジャンルではありましたが、そのつど勉強しながら仕事をしていました。雑誌のほかには、人文書や百科事典など硬めの書籍にも携わりましたね。
── ファッションに関わるお仕事も?
純然たるファッションの仕事でいうと、2000年代初頭にジャーナリストの清水早苗さんがNHKとタッグを組んで製作したコム デ ギャルソンのドキュメンタリー番組をベースに本を作るという企画がありました。たまたま平凡社に話が来たので、私が手を挙げて担当になった。今見ると粗い画像ですが、ハイビジョン撮影による番組映像を静止画に切り出し、川久保玲さんやスタッフ、海外のファッション関係者の和英併記のコメントと組み合わせて1冊にまとめるというものでした。

2002年放送のNHKスペシャルを書籍化した「アンリミテッド:コム デ ギャルソン」(平凡社、2005年発売)。
Image by: FASHIONSNAP

Image by: FASHIONSNAP
太陽では、いわゆるファッションの特集はありませんでしたが、小さなコラムページなどで「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」のショップで開催されたアート展を取材したり。デザイナーの柳宗理さんの本を編集させていただいたこともありました。写真の特集を通じて20代のころに荒木経惟さんと知り合い、現在に至るまでいろいろなお仕事をご一緒させていただきました。かなり恵まれていたと思います。
── アダチプレスが刊行した1冊目の書籍も荒木さんの作品集でしたね。
会社を辞めることを伝えるために新宿のバーにあいさつに伺ったら、「大丈夫なのか」なんて言いながら写真をどさっと貸してくださって。「これ(本にして)やってよ」って。ご祝儀みたいな感じで。

オフィスに並ぶ荒木経惟の写真集の一部。引っ越しのたびに持ち歩いてきたという。
Image by: FASHIONSNAP
── 独立の理由は?
40代後半になり、ある程度自分がやりたいことと、できることがわかってきた感覚があったのと、これから先の時間を考えるようなタイミングで、ふと決めました。同世代の編集者で、資生堂の「花椿」にいらした林央子さんが独立して「here and there」を始められていたことにも、どこかで影響を受けているかもしれません。ちなみに、林さんとは現在進行形で新しい本の企画を進めています。
── 日本のファッションは東京に集中する傾向があります。なぜ京都に拠点を移したのでしょうか?
私の日常的な仕事は、日々何かを追いかけ、流れのど真ん中で揉まれるタイプではないので、中心から距離をとって俯瞰して見ることが大事なんですよね。ヴァージル・アブローも世界中を飛び回っていたわけだけど、ベースはずっとシカゴだったでしょう。彼が「シカゴにいるとニューヨークやパリのことがよく見えるんだ」といった話をしているインタビューを読んだことがあります。比較することでもないんですが、勝手に勇気づけれられました。
蘆田さん(蘆田裕史:京都精華大学デザイン学部教授)も水野さん(水野大二郎:京都工芸繊維大学未来デザイン・工学機構教授)も京都ですし、神戸大学の平芳(裕子)さんの下や大阪大学でも優秀な書き手が育ってきている。私が京都に住むようになったのは偶然のなりゆきですが、関西にファッションを研究する人が集まっていることも、結果的には理由の一つといえるかもしれません。あとは単純に「東京に飽きた」という感覚もありました。
研究者たちの受け皿になる「vanitas」
── 「vanitas」の発行をアダチプレスが担うようになった経緯は?
まだ平凡社にいた頃、「vanitas」(最初は「fashionista」という名前でした)の創刊号が出たと知り、とても印象的だったのを今でも覚えています。しばらくたって蘆田さんも水野さんも仕事が忙しくなり、自分たちだけで出版していくことが大変になってきたそうで、私が会社を辞めたタイミングで連絡をいただき、手伝うことになりました。

「vanitas」創刊号(2012年)と最新号(2023年)。次号No.009は2025年7月中旬刊行予定。
Image by: FASHIONSNAP
ご想像のとおり大きな収益を上げているわけではありませんが、「vanitas」を通じて生まれた広がりも多いので、うちにとって重要な雑誌です。公募で各号のテーマに合わせた論文を募集していますが、それはもともと蘆田さんと水野さんが「ファッションスタディーズ(ファッション研究)の受け皿がないなら、自分たちでやるしかない」という考えから始められた取り組みです。大学のファッションスタディーズの研究室って人文系や美術・デザイン系の学部の片隅にちょっとあるだけですし、公に発表する場がなかった。公募論文をすべて載せられるわけではありませんが、「vanitas」に論文が掲載されることは研究者の実績にもなりますし、古典的な服飾系の学会とも違う、今のカルチャーや哲学、歴史を絡めながら“ファッション”を研究したい人にとってのひとつの受け皿になっていると思います。論文の応募数も少しずつ増えており、若い書き手の姿が具体的に見えるようになってきたと感じています。
ヴァージルが「言葉の人」であることは、意外と見落とされていた
── ハフポストが「すべての女性が読むべき詩人」と評したルピ・クーア(Rupi Kaur)のデビュー作「ミルクとはちみつ」や、ヴァージル・アブローがハーバード大学デザイン大学院で行なった特別講義をまとめた「“複雑なタイトルをここに”」といった海外の話題作の翻訳書も多く展開されてきました。
「ミルクとはちみつ」は、「パブリッシャーズ・ウィークリー」というアメリカの出版業界誌で特集されているのを見て気になり、取り寄せて読んでみたら、男性はもちろん、おそらく女性が読んでもかなり生々しくありながら、切実で、甘美な部分もある内容で驚いたんです。こんな人が出てきたんだ、と。それで、野中モモさんに翻訳を依頼しました。
ヴァージルの「“複雑なタイトルをここに”」は、寝る前にインスタグラムを見ていたら、ヴァージルがハイデルベルグという印刷機の写真をアップしていたんです。そこに「本が出るよ」という告知があって。その場で検索してAmazonで注文し、読んでみたらとても面白い本だったので、急いで翻訳権を取りました。
── ヴァージルは当時から注目を集めていましたが、大手出版社が手を出すにはニッチだった?
おっしゃる通りだと思います。「“複雑なタイトルをここに”」は、スタンバーグプレスというインディペンデント系の出版社によるハーバードの講義録シリーズの1冊で、大々的に発売されたものではありませんでした。
でも、当時からいろいろなメディアでヴァージル・アブローはスターだったわけですが、そこから“漏れている部分はある”とはずっと思っていました。ブランド名やコンセプトの立て方、グラフィックとの組み合わせ方など、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)の影響から「言葉」というものを表現の1ツールとして使っていた。クォーテーションマークもその一つですね。そういう意味で、彼は「言葉でデザインをする人」でもあったから、具体的に何を喋って、どんなことを考えているのかをちゃんと知ることが必要だなと。でも言語の壁もあり、特に日本ではそうした部分が抜け落ちているのではと感じていたんです。
講義はYouTubeで公開されているので、無料で内容を知ることはできますし、質疑応答が終わったあとのラストシーンもすごく面白い。でも、読んでみて、やはり日本語で「本にすべき内容」だと。
── 改めて「本にする」ことの意義とは?
本をつくるとは、考えや言葉を「形」にすることです。建築をつくる作業にも少し似ていて、一度世に出せば、売れ行きや評判にかかわらず残り続けます。本は著者の当時の思考や確信を封じ込めたものなので、あとから上書きされることはありません。5年後、10年後には内容が古く感じられるかもしれませんが、変わらずそこにある。その変わらなさゆえに、未来で必要とされたとき、当時の考え方へ立ち返る手掛かりになり得るのだと思います。それを上書きするのは読む人というか。ですから、つくる側としては常に緊張感がありますね。
ウェブ上のフローな情報は、アーカイヴとして積み重なっていくのでアクセスできれば宝の山なんですが、誰もがそのすべてのデータにアクセスし続けるというのは難しい。一方で本は、そうした流れていく情報の中から何かしらの要素をグッと引き出して、そこに形を与えることで、一つのまとまった情報に対していつでもアクセスすることができるようになります。ヴァージルの翻訳本を作ったときは、本という形にすることに意味があると考えていました。
本という形になることでより定着され、伝わるものがある。ヴァージルもそう思ったんじゃないかな。話すことができたのは一瞬でしたけど。おかげさまで今でもずっと売れ続けています。
── ヴァージルとも話す機会があったんですね。
「イケア(IKEA)」とのコラボプロジェクトのイベントに合わせて来日されていたところに「“複雑なタイトルをここに”」の翻訳者でファッションライターの倉田(佳子)さんと一緒に半ば無理やり押しかけました。イベントの後に、ちょっとだけ話をさせてほしいと伝えたら応じてくれて。たった数分でしたが、「こういう仕事の進め方をしているのか!」と印象的だったことがあります。翻訳書について説明をしたら「名刺を貸してくれ」と。渡すと、パッとスマホで写真を撮って「OK」と言って返してくれました。別れたあと、イベント会場を出てスマホを見たら、ヴァージルのスタッフから名刺のアドレス宛にメールが届いていたんです。「よろしく、なんでも聞いてね」と。ヴァージルと仕事をした人は誰もが知っているすごいスタッフだと、あとになってわかったんですが、こういうスピード感で仕事をしているんだな、この人たちは……と思わず空を見上げたのを覚えています。翻訳書のやりとりに関しても、返事は早いし対応も的確。帯にコメントをくれないか、と相談したらすぐに手書きの画像を送ってくれました
ヴァージルの対談集は、なぜ「ビジネス書」として売れた?
── ヴァージルの言葉をまとめた2冊目の書籍「ダイアローグ*」は、ファッション業界人だけでなく、より幅広い業界の読者に届いていた印象があります。
*トム・サックス(Tom Sachs)やレム・コールハース(Rem Koolhaas)らとヴァージルとの対談9本を日本オリジナル編集でまとめた。
1冊目の反響がとても大きくて、同時に「やはりまだ知られていないことがたくさんあるな」という感触があったので、2冊目にも着手しました。こちらは平岩壮悟さんに翻訳をお願いしました。ファッションに関連する書籍を作っているとはいっても、私はいわゆる“ファッション業界の人間”ではないので、逆にいろいろな人に関心を持ってもらえるような視点でまとめることができたのかもしれません。対談集の中でヴァージルは、もちろんファッションの話をたくさんしていますが、音楽やアート、建築、ブラックカルチャーなどのトピックスも多く登場します。ファッション好きに限らず、さまざまなモヤモヤを抱えた読者に対してヴァージルの創造力を提示できたからこそ、多くの読者に届いたんだと思います。「ボロボロになるまで読みました」と感想をいただいたこともありますし、ビジネス書的な側面から“発想のツール”として読まれている部分もあるんだろうなと思いますね。
── ファッション文脈の本ではありつつも、ビジネス書的に読まれることは狙っていたのでしょうか?
多くの人に開かれた“ツール”という意識はありました。部数の多寡にかかわらず、「わかる人だけに届けばいい」とは考えていません。たとえば、それまでファッションに無縁だった人が手に取ってくれる、あるいはまったく別分野の仕事に役立ててくれる、といった予想をしていなかった方向まで波及してくれたらすごく嬉しい。たとえ1000部の本でも、最初から興味を持っている1000人に届くより、思いもよらない読者に行き渡った末の1000部のほうが面白いですよね。
本の魅力は、予想もしなかった読者の手にまで届く可能性があることです。書店の店頭でも、SNS経由でAmazonで買っていただくのでも、なんでもいい。その広がりこそが、本づくりの醍醐味だと思います。実際、その手応えを強く感じたのが「ダイアローグ」でした。自分よりずっと若い世代に読まれたと知り、本当に嬉しく思いました。
分かりやすさの功罪 二極化するファッションの消費速度
── 「この言葉を本に残したい」というモチベーションと同時に、お1人で運営する出版社を維持していくためにはお金を稼ぐ必要があります。
両者のバランスは取っているつもりですが、そもそもこの仕事はマーケティングでコントロールできるものではありません。これまでの経験則を頼りにしながら、ほんの少し先の予測をするしかない。予測といっても、コンサルみたいなデータ化や図式化ではなく、ぼんやりとした光が見える気がするという程度のものです。しかも、それ自体も大きく外れることがあります。だからこそ、最終的には「自分が世に出したいもの」を作るしかないのだと思います。
本作りは「まだ世にないもの」を生み出す仕事です。誰に頼まれたわけでもないものを作り、「面白いから買ってください」と差し出しているわけで、冷静に考えればずいぶん勝手な話ですよね。 それでも本には、次の時代の新しい発想を生む“道具”としての役目が大きく残っています。リアルタイムで売れて利益が出るに越したことはありませんし、それが当然の前提ですが、やはり「未来のために」本を作っているので。

取材時はヴァレリー・スティール「ファッションセオリー」の編集が佳境に入ったところだった。
Image by: FASHIONSNAP
── 「未来」というと?
常に、自分よりも若い人たちに向けて本を作っているつもりです。若い人たちにとって、悩んでいることが何かクリアになったり、あるいは逆にややこしくなったり、というツールになればいいなと思います。自分がそうやって育ってきたからということもありますが。
── では、世に出したい、将来のためになる、と思う本の条件は?
これはどの編集者にも通じる一般論だと思いますが、「これまでにないもの」かつ「必要だと思うもの」ですね。ヴァージルの本の場合は、彼自身の「言葉」がほとんど伝わっていないと物足りなさを感じたから、というのは先ほどお話しした通りです。
新刊のヴァレリー・スティール(Valerie Steele)の著作選集は、「彼女のテキストが日本で紹介されていない」という問題意識から始まりました。ヴァレリーは、ファッションスタディーズの第一人者で、日本でも名前自体は研究者を中心に知られていますが、まったく翻訳されてこなかった。ファッションを多角的に捉えるために必須でありながら、ずっと空白だったというか。どこかの誰かが作ってくれればいいけど、いないなら自分でやるかということで蘆田さんに相談し、平芳さんを紹介していただきました。お二人の監訳の下で3人の若手研究者に参加してもらい、4年近くかけて、かなり骨太な500ページ超えの本ができ上がりました。
── これまで出版された本はどれも手軽に読めるボリュームだったり、読みやすい文体のものが多い印象でした。
そうですね。なるべく薄い本を作ろうと思っていました。会社を立ち上げた当初は、薄くてポイントがはっきりした本が作りたい気分だったんです。読みやすさや価格帯も含めてそんなに“立派”な本じゃなくて、ヨレヨレになってもいいような本。カジュアルで、薄くて、あとなるべく早く完成する本(笑)。でも最近は逆の感覚にも振れつつあって、個人的にはもともと人文書を読むのが好きだったから、回帰してきている感じですかね。
あとやはり、ヴァレリーは長年にわたって、いろいろな場所で、さまざまな内容の、そしてきわめて重要な文章を書いているので、おのずとボリュームが増えてしまうというのもあります。その中心にあるのは「ファッションと身体性/セクシュアリティ」です。そこから派生して、フェティッシュファッション、ファッションとLGBTQの歴史的関わり、さらには19世紀パリのダンディとパリジェンヌの存在など、研究領域は幅広く展開されています。その全貌を明らかにするため、さまざまな著書から抜粋してテーマごとに編集し、グルーピングすることで、ヴァレリーという人が書いてきたものの全体像を見せていきたいと考えました。余談ですが、「アンリミテッド:コム デ ギャルソン」にヴァレリーも登場していて、存在を知ったのはおそらくそのとき。また、2012年の「fashionista」創刊号に彼女のインタビューが載っているのですが、ようやくいろんなものがつながったような気がします。

ファッションセオリー」の元になった書籍の一部。展覧会カタログの巻頭論文や単著の1章分など17編をセレクトし、4部に構成した。
Image by: FASHIONSNAP
── 10〜20年前くらいまでは“広義的”なファッションについて学術的な側面に触れたいと考えると、「鷲田清一さん一択」という印象がありましたが、現在は鷲田さんの影響を受けたさまざまな研究者たちが第一線で活躍し、ファッションを学問として志す学生や若者にとっても様々な道標が増えていますね。
鷲田さんの影響は本当に大きいですね。というか、おっしゃる通り「一択」で、ほかにいなかったという感じでした。私も大学生の頃、中央公論社(現・新社)の「マリ・クレール(marie claire)」で鷲田さんが連載していたエッセイ(のちに「モードの迷宮」として出版)を毎月読んでいました。本国の「マリ・クレール」はベタなファッション誌でしたが、当時の日本版は“ファッション誌の皮を被った文芸誌”なんて言われていましたね(笑)。のちに「太陽」で何度か鷲田さんに原稿をお願いする機会に恵まれ、ありがたかったです。
── 平芳さんの「東大ファッション論集中講義」は青山ブックセンター本店の年間新書ランキングで4位にランクインするなど、ファッション学生以外にも幅広い読者にも届いているようです。アダチプレスの本の売れ行きに変化を感じるところはありますか?
劇的な変化はありませんが、「vanitas」は在庫のあるものは過去の号も定期的に売れ続けています。まとめ買いしてくださる方も結構いる。蘆田さんの「言葉と衣服」もそうですが、発行してから日が経った後でも手に取ってくださる方がいるという点にも、本を作る意味を感じますね。
ファッションにはいろいろな入り口があって、これという決まりがない。最近はサステナブルな側面に焦点が当てられることも多いですが、もちろんそれだけではないし、では何かの「自己表現」か、というと決してそれだけでもない。悪く言えば「中途半端」だし、どこか“チャラい”軽薄な部分がある。しかし、そこにこそ面白さがあります。誰もが毎日衣服を身に着ける以上、ファッションは生活に欠かせない存在です。でも、生活のためだけに着ているわけでもない。つまり、さまざまな視点から語れる間口の広い分野と言えると思います。ヴァレリーの本もたくさん入り口があるので、ぜひ使い倒してほしいですね。
── SNSはアルゴリズムの最適化によって新しいものに出会いにくくなっています。一方で、書店を歩けば想像していなかった自分の関心と出会うことができます。では、多様な読者が「偶然」手に取りやすい本とはどんな本でしょうか。
どのような環境であれ、人間というのは既知ものしか認識しないことが多いので……どうやって偶然性を高めるか、より遠くまで届けるために何をするか、いかにしてその「精度」を上げていくかは難しい問題ですよね。昔から議論されてきたことだと思いますが。「大きな声を出す」「目立つ」ということでも結局ダメだったりするわけです。
本に関して言えば「内容を分かりやすくする」「価格を抑える」ということが真っ先に思いつくことですが、それだって必ずしも成功しない。分かりやすさは大切ですが、それは同時に重要な要素をそぎ落とし、内容を単純化してしまう危険も伴います。複雑さゆえに豊かなものを、無理にかみ砕けば、貧しい骨だけが残ることになりかねません。分かりやすくすること自体が悪いわけではありません。ただ、その過程で「抵抗」が失われ、「何だろう?」と読者が立ち止まる瞬間を奪うかもしれない。共感は得られても、知的好奇心に火をつけるとは限らない。そこに難しさと面白さがあります。
── SNSの普及によって、「わかりやすい」「短時間で伝わる」情報が溢れ、その消費スピードが高まっているという状況でもあります。
SNS上でブランド名のタグを検索すると出てくる“景色”を眺めていると、ここに時間の厚みをもった「言葉」を届けるのは至難の業だと日々感じます。一例ですが、「自由を着る」という川久保さんの言葉がありますよね。その言葉でタグ付けされた写真を見ると、「これが自由なのだろうか。自由とは何か」と考えさせられたりもします。「考えるな、感じろ」と言われればそれまでですが。
── 一方で、ファッション論の書籍が売れていたりと、ファッションに触れ合う人々の間でも「言葉」に対する価値観が二極化しているのではないかと思ってしまいます。
一般的に、服についてあれこれ語るのは“めんどくさい”と思われがちだったんじゃないでしょうか。語るとしても「年代物のデニムの歴史」などの蘊蓄的な内容が主流だった。一方で、服を買いに行くと「かわいい」という感想だけで数十万円が飛び交ったりもする。それはそれでいいんですが、ある意味すごい世界だなとも思います。「言葉はいらないんだ」と思ったり。ラグジュアリーブランドに対しても、デザイナーズブランドに対しても、ファストファッションに対しても、同じ「かわいい」と言うけれど、「そのかわいさはそれぞれどう違うのか」なんてことを考える人はあまりいないですよね。いちいち分析したりするのは野暮だ、という考え方もありますし、昔のデザイナーは特に言葉では多くを語らず「服を見て感じてくれ」というスタンスの人も多かったので。
でも、最近の若いデザイナーたちは自分の言葉でものづくりを語る人が増えてきているように感じますし、それは「vanitas」がやっていることと同時代的な感覚かもしれません。私は、そうした変化はいいことだと思っています。言葉にすることで、価値観を共有できる、あるいはお互いの違いがわかり、次に進めるからです。たとえ誤解が生まれても、まず「言葉」にして伝えることが出発点。SNSもウェブも雑誌も本も、それぞれのスピード感で、さまざまな言葉が交差すれば、もっと面白い世界が広がるはずだと考えています。

三条大橋近くの鴨川にて。アウターはいまだに捨てられないというコム デ ギャルソン・オムの1980年代末のリバーシブル・ハーフコート。
Image by: FASHIONSNAP
最終更新日:
◾️アダチプレス:公式サイト
ADVERTISING
PAST ARTICLES
【インタビュー・対談】の過去記事
RELATED ARTICLE
関連記事
RANKING TOP 10
アクセスランキング

COMME des GARÇONS SHIRT 2026 Autumn Winter

JUNYA WATANABE MAN 2026 Autumn Winter

COMME des GARÇONS HOMME PLUS 2026 Autumn Winter

Dior 2026 Spring Summer Haute Couture Collection



















