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【連載:美を伝える人】キッカやアンミックスでカリスマ的人気の吉川康雄氏(3) 渡辺サブロウさんのメイクからの脱却、自分のメイクを見つけるまで

(2)から続く

 音楽にのめり込み上京するも、“自由な”音楽ができず挫折。東京行きの口実に入学していた美容学校で、諦めた音楽の二の舞にならないよう、とにかく続ける決心をする。働き出した美容室「ウプサ」での経験が、美容の楽しさを教えてくれた。美容の道に足を踏み入れた吉川氏は、ウプサが渡辺サブロオさんの手に渡り、一緒に働けると思っていたが断られ、川邊サチコさんが運営する「カクティ」へ。ファッションショーを手伝うなど多忙な日々を暮らしていたが、何か違和感を感じていた吉川氏が次に選んだ道とはーー。連載「美を伝える人」ビューティクリエイター吉川康雄氏(3)

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ーサロンワークの方が好きだったんですか?

 いや、そういうわけでもなかった。実はカクティで働いて数年たったころ、とある仕事でサブロオさんに呼ばれてアシスタントとして撮影に行ったことがあったんですよ。サブロオさんのメイクはとにかく華やかで、その場で魅了されたことを今でも鮮明に覚えています。先ほども言いましたが、ファッションショーの仕事はそこまで好きじゃなかったですし、このままカクティに残る意味も見出せなかった…。やっぱりサブロオさんのアシスタントになりたい!そう思って、面接を受けに行ったんです。ところが、また断られてしまったんですよ…。

ー複雑ですね…。当時はどのような気持ちだったのでしょう?

 とにかくショックでしたね。他にもいろいろと面接を受けたのですが、片っ端から断られてしまって。こんなにメイクがしたいのに、わかってもらえない。自分の夢が叶わないことがとても悲しかったですね。

 ただ地道に探し続けて、たまたま広告の仕事をしているヘアメイクの事務所を見つけて、そこに入れたんです。そこがきっかけで、僕のメイクの人生が始まりました。

ーメイク人生のスタートですね。

 その事務所には、僕みたいに人生で1回や2回、挫折を経験しているような人が集まっていたんです。だから性格はどこか捻くれているけれど、みんなやる気は人一倍あるんですよね。コツコツと真面目に続けて、売れっ子になる人も多かったです。そこの事務所はオーナーのアシスタントを半年間務めたら独り立ちされられるようなところだったので、割とすぐに一人で現場に行くようになったかな。

ーそこでメイクの基本を学んだのですね。

 当時の師匠は雑誌も担当していましたが、仕事のほとんどは広告でした。いつも同じメイクしかしない方で、全然勉強になりませんでした(笑)。自分はそういう風にやっていきたくない、とはっきり思うようになって。では「自分がどんなメイクがしたいか」と考えたときに、やっぱりサブロオさんのメイクが頭に浮かぶんですよ。サブロオさんの元では学べなかったから、彼のメイクをいかに自分でコピーできるか、必死に想像して考えました。とにかくサブロオさんのメイクが羨ましくて、自分なりに研究しくつして。でもどんなに真似しても、やり方を知らないから全然似てなくて。後で考えると、それが良かったと思うんですが、本当に試行錯誤の繰り返しでしたね。

ー雑誌の仕事も多くされてきましたが、何かきっかげがあったのでしょうか。

 あるとき、ファッションの作品撮りの仕事があったんです。その時のフォトグラファーが伊島薫さんだったんですが、気に入ってもらえたようでした。その後、彼から直接仕事の依頼をいただくようになって。それがきっかけで、ファッション誌「流行通信」で雑誌デビューすることができたんです。インパクトのあるメイクと彼の写真で、出だしからすごい目立っちゃって(笑)。エディターの目にも留まり、そこからメイクアップの道が大きく開いていったと思います。「ハイファッション」などのファッション誌、ANA、SONY、PARCOなどの大手企業広告制作に参加しました。

1988ANA 全日空 ANA's China 紫禁城ロケ編
1988ANA 全日空 ANA's China 紫禁城ロケ編

ー目の前が開けた感じですね。

 ただ、モード誌に載るようなアヴァンギャルドなメイクはどんどんできるようになった一方で、普通のメイクができなくて。モデルに怒られっぱなしでした(笑)。でも、モデルに怒られることも、僕にとっては勉強でした。モデルとの付き合い方、仕事現場の他の方々との接し方、全てを学びました。

ー当時は、サブロウさんのようなメイクを追いかけていたのでしょうか?

 当時、サブロオさんの若手のアシスタントとは仲が良くて、よく会っていました。その人の紹介でフォトグラファーの上田義彦さんと知り合い、3人で飲んだことがあって。上田さんに「吉川くんはどんなメイクがしたいの?」と聞かれて、全然答えられなかったんですよね。サブロオさんのようになりたいけれど、なれない自分がいるのは分かっていたし、自分に自信もなかったから。そうしたら、「カーテンを閉めた部屋の暗闇の中で男女が3日間セックスしまくって、まるで湯上がりのような紅潮した肌。部屋にスッと涼しい風が広がり、汗だくな顔が気持ちよさそうにしている表情」という言葉が自分の口から出て。アシスタントは全然理解してくれなかったけれど(笑)、上田さんはすごく賛同してくれたんですよね。

 サブロオさんのメイクもそうですが、当時は人形のようなメイクが主流でした。息していないように見えるくらい、綺麗なメイク。僕が考える、メイクは真逆だったんですよ。上田さんも綺麗なものだけでなく、腐ったみかんの写真を撮るような人だったので、気が合ったのかもしれないですね。

自宅にあった腐ったみかんを見せてくれた吉川さん
自宅にあった腐ったみかんを見せてくれた吉川さん

 その会話はすぐ終わったけど、なぜか自分のその言葉が忘れられなくて。そんなメイクって今まで見たことなかったし、化粧の表現としては華やかさや派手さもない言葉だけど、僕には魅力的だったんです。リアルな女性は絶対的に美しいし、それを表現するのが、僕が目指したいメイクだと気づいた感じがします。

ー「人間味のあるメイク」。吉川さんのメイクの方向性が見えてきたのですね。

 そうですね。これまでの撮影では汗や皮脂を拭い去って綺麗に撮ることが全てでしたが、よくよく考えると人間は汗をかく生き物で、それが当たり前。みかんだって、花だって、自然に萎れたり腐ったりするもの。そこを人間がコントロールしようとするとチープになるんです。汗をかいた肌も綺麗だからこそ、それを生かしたいって。でも今までの化粧品だと、モデルや女性はお化粧が崩れるので汗をかけなかった。そのころから、汗と仲良くなれない化粧品そのものに、僕は疑問を感じるようになりました。

ーメイクそのものが悪い…。当時、市場にはなかった発想ではないでしょうか。

 このことに気づけたのは、あれだけさまざまなアシスタントの試験を落ちたからだと、今になって思えますね。特に憧れだったサブロオさんのアシスタントになっていたら、今の自分は絶対にいなかった。

 というのも、メイクのスタイルやルールはいろいろ自分で想像して探求しなければいけなかったから。メイクの基本を教えてくれる人もいなかったから、既成概念にとらわれなかったのだと思います。それはありがたかったですね。

(4)に続く

(文 エディター・ライター北坂映梨、聞き手 福崎明子)

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