「人間味のあるメイク」に辿り着いたが、日本の雑誌や広告業界では“大御所の壁”もあり、本当に自分のやりたいメイクアップができないというジレンマを感じ始める。外国人モデルから「英語がしゃべれるんだから海外へ行ったら?」と言われたことがきっかけで、海外での活動を模索する。パリは性に合わず、最高峰のフォトグラファーが集まるNYでの活動を視野に、エージェントに作品を作っては見せを繰り返し3〜4年の歳月を掛け契約。だがすぐには仕事が入らず、作品作りが続く。そんな時に、作品撮りの写真が編集者の目に留まり、雑誌の表紙に選ばれ、それを見た売れっ子フォトグラファーに指名されて大きなチャンスを掴む。自分がやりたいメイクはできるのか? 連載「美を伝える人」ビューティクリエイター吉川康雄氏(5)
ーすごい縁ですね。
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彼らにとって、僕のメイクは見たことのないものだったようで、とても気に入ってもらいました。アメリカの撮影は日本と違って、新しいものへの抵抗や怖さがないんですよね。日本だと敬遠がちですが、そこでは新しいものは祝福される。美しくて面白ければみんな興奮するんです。その後もいろんな仕事に携わらせていただきました。
ー新しいモノ、おもしろいモノを作るというのは簡単ではありません。裏側の努力があったのでは?
英語はそこまで喋れないけれど、アイデアは常にノートに集めて、撮影現場でそのノートを見せてましたね。ロケーションの撮影の場合は、ホテルの部屋にアイデアを貼りまくって、それを見ながら寝て、次の日撮影に行ってましたね。
ーアメリカの仕事でさらに吉川さんのメイクの鉄則は進化し続けたのでしょうか?
そうですね。キッカなどで提唱していたツヤ肌のアイデアは、日本にいたころに始まったけど、アメリカで実現できるようになったんですね。例えば「ゲス(GUESS)」の広告は、メタリックなパールをオイルファンデーションに混ぜて、モデルの全身に塗ったんですよ。当時は健康的な日焼け肌が流行りだったので、それをエクセントリックにイメージしてとことん日焼けした“健康なデカダント肌”をメイクで表現してみました。
肌をオリジナルで作ったファンデーションで作り上げた「ゲス」の広告(1997)
このテクニックはもちろん僕にしかできなかったので、アシスタントもいたけど、結局は、たくさんのモデルたちを全部自分でやってて、最後は痙攣しながらメイクを塗っていましたね。
ー痙攣してまで…。相当な集中力ですね。
当時、僕がいつも想像していたのは、女性が一人で部屋にいて、思いっきり自由な気分でメイク道具を持ったらどんなメイクをするんだろう?ということ。誰も見ていないからこそ、ポジティブにもネガティブにも思いっきりやりたいメイクをするかもしれない。女性がどんな気持ちになるのかを想像して、メイクを作っていました。男性である僕が想像しているので、男性目線なのか、女性目線なのかわからないですが、女性の極端な心理をビューティで表現したかったんです。
ーなるほど。その時からツヤ肌というアイデアはご自身の中にあったのですね。
ツヤがないのが基本だった当時のパウダーメイクに対して、ひたすら僕が目指したのは、「人が生き生きと見えるツヤメイク」。ツヤには、油が作り出すものもあれば、パールパウダーで演出するものがあって、パールパウダーは肌を乾かし崩れやすいから、そうならないようオリジナルに調合して作っていたんです。何回も目玉焼きを作っていると、どうしたら卵が綺麗に焼けるのか、焦げてしまうのかわかってくるように、僕には肌になじむ調合がわかっていましたから。人工的な可愛らしさを作るときはパールを、セクシャルで、人間が出す匂いを感じさせるようなメイクの時は油を使い、時にはそれらをミックスして使い分けていました。
ー今は艶肌メイクは当たり前で、それを叶える製品も多くありますが、当時はめずらしかったのでしょうか。
化粧にはお粉を叩き続けてきた歴史があります。なぜなら粉は肌を乾燥させるから、塗った化粧の顔料が崩れない。壁塗りのペンキが乾いたら崩れない、みたいにね。でも時間が経つと皮脂が出て、それが化粧崩れに…。それを抑えるためにまた粉を重ねる。こんなふうに化粧はずっと、人の生理と戦ってきたんだと思うのです。例えば、パウダーファンデーションは肌が乾いて突っ張りますが、だからと言ってそこに保湿成分が入っていたとしても、所詮粉物なので。乾燥すると、肌は保湿するためにもっと皮脂を出しますから、化粧崩れとの戦いは、ただの悪循環なんですよね。でもそれが化粧品業界の当たり前だったので、女性の乾燥する感覚は消えないですし、そういった処方を見直す企業もいませんでした。僕にとっては不思議でしかなかった。
ーそういう業界を見て、自ら製品を作ろうと思った?
そうですね。ずっと撮影のメイクを続けてきて、世界でトップのメイクアップアーティストを目指しましたが、たとえ1番になっても、ずっとそこに居られるわけでもないですし。雑誌などのクリエイティブな仕事で得ることもたくさんありましたが、僕が気づいたこの“矛盾を解決する化粧”を世の中に伝えなくてはと感じたのです。
(文 エディター・ライター北坂映梨、聞き手 福崎明子)
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