キッカなどで提唱した「ツヤ肌」をNYで始めた吉川氏。目指したのは、「人が生き生きとして見えるメイク」。メタリックなパールとオイルをファンデーションに混ぜて、モデルの全身に塗ってツヤ肌を作り上げる、そのスタイルは巨匠フォトグラファーやラグジュアリーモード誌から引っ張りだこになった。メイクアップアーティストとして、トップに上り詰めた吉川氏が、次にやりたかったことが「僕の気づいた、世に伝えるべき新たな化粧品」の製作だった。連載「美を伝える人」ビューティクリエイター吉川康雄氏(6)
ー自分の製品を作りたいと思うきっかけはあったのでしょうか?
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アメリカで仕事を続けていくうちに、撮影現場でエディターが僕のメイクを見ては、「この後パーティーがあるから私にもメイクして」と言ってくるようになって。モデルとは勝手の違う一般人であるエディターは、なれない僕にとって最初は大変でした。でもやっているうちに、一般人のメイクアップはチャレンジングだけれど、それはそれで面白いと思うようになったんですよね。
ーその上で、市販のアイテムでは物足りなかったということでしょうか?
撮影では僕の理想の肌作りを叶える製品がなかったので、顔料と油の割合を変えながら自分で作っていました。どんどん世の中にないものを調合して行くようになっていくと、こそが作らなければ、と思うようになったんです。
ー具体的に製品の構想はありましたか?
当時の雑誌などの写真は、オーバーエクスポーズ(露出を上げる)で肌の粗などを飛ばすことが一般的でした。光を飛ばして、肌の質感や毛穴を全て消してしまうんです。だから撮影のメイクってそれでも消えないように、いつも濃いのが当たり前。「粉の神様」と称されるメイクアップアーティストのケヴィン・アクワン(Kevin Aucoin)のメイクもそうですが、やりすぎなくらいファンデーションを塗りたくり、そうすると顔の凹凸が消えるのでシェーディングで顔の陰影を入れ直す。生で見ると違和感ありますが、写真で撮るとまるで絵のように美しく仕上がるのです。
ー目指すはそこじゃなかった?
そうです。僕が目指したのは、肉眼で見て綺麗な肌。僕は粉でマットに仕上げた肌ではなく、生き生きとした濡れた肌こそ魅力的だと感じました。トップフォトグラファーなら、この新しいメイクを絶対に綺麗に撮ってくれると信じていましたし。日常生活で肌のアラを消してくれるスタジオライトのような強い光を浴びることは、普通ありません。だから粉をつけすぎると疲れて見えてしまう…。特に大人の女性は隠したいものが多いので(笑)、つい厚塗りになりがちです。そこに粉をさらに重ねると、ただの厚化粧になってしまう。一方のツヤ肌は本来の人肌そっくりなので、お化粧が自然になじみ生き生きとしていて、元気で健康的に見える。だから、僕の中で「ツヤ肌」がベースなんです。
精力的に仕事をしながら自身のものづくりを模索(1998Vienna trip)
ー作りたかったのはやはり、「ツヤ肌」が叶うアイテムですね。
ただ、もう一つ気になっていたのは、化粧品の肌への影響。撮影では同じモデルと一緒に仕事をするのは長くて1週間だったので、同じ肌を見て、触れ続けるのは短期間でしかなかった。でも、例えば女性が同じファンデーションを塗り続けた結果、数年後の肌はどうなっているんだろう?と考えるようになりました。パウダーが主流だった当時は、確実に肌が乾燥し続けていくことがわかっていたので、気になってしまって。特に真面目にメイクをし続ける人ほど、毛穴が開き、目立つようになると、感じていましたし。
ーそれで製品づくりへと舵を切るんですね。
化粧品作りに興味を持ち始めた時、まずは日本でプロダクト作りたいと思いました。英語はネイティブではなかったので細かなニュアンスは伝えられないと思ったからです。日本に来て、アメリカで作ってきた作品を見せながら、いろいろな人に話を持ちかけたのですが、当時は僕のメイクが時代に早すぎたのか、何年も探し回っても全然相手が見つからなかったんです。
ーまだ壁にぶち当たったということですね。
そうしたらたまたま、とある美容ライターの方から「化粧品を作りたい会社があるのですが、会ってみませんか?」と声を掛けられて。それがカネボウ化粧品だったんですよ。「60代向けのメイクアップブランドをローンチしたい」、コンセプトからブランドイメージまで、すでに決まっていました。
ー吉川さんがやりたいことと違うように思いますが、それでも決めた理由は?
僕のこれまでのメイク作品はかなり派手だったので、どう反応されるか、正直分かりませんでした。でも、当時の担当者の目がかなり鋭く、僕のブックを見ては「肌づくりがとてもキレイですね」と言ってくださったんです。「このファンデーションを作れない?」と聞かれて、そこから僕が理想とするツヤ肌ファンデーションを作る旅が始まりました。
ーその時、どんな気持ちだったのでしょうか?
素直に嬉しかったですね。その担当者は元々カネボウ化粧品の子会社、エキップ傘下の「スック(SUQQU)」出身の方で、母体のカネボウで新しいブランドを作るんだと。「キッカ(CHICCA)」と名付けられたそのブランドは、日本屈指の大手化粧品企業であるカネボウの看板を背負ったブランドに育てていくため、相当気概が入っていましたね。そういう思いも受け、「キッカが一世を風靡したら、カネボウの企業価値が上がる」。そういう思いでブランドを育てようと思いましたね。
(文 エディター・ライター北坂映梨、聞き手 福崎明子)
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