レコードの再ブームの背景にあったもの【“ココ吉”矢島店長に聞く、レコードの話 第1話】
ココナッツディスク吉祥寺の矢島店長
Image by: FASHIONSNAP
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レコードの再ブームの背景にあったもの【“ココ吉”矢島店長に聞く、レコードの話 第1話】
ココナッツディスク吉祥寺の矢島店長
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音楽のデジタル配信サービスが一般的になる一方、アナログレコードが注目を集めています。人気再熱を後押しするかのように、アーティストたちも続々と新譜をレコードで発表。2021年のアナログレコードの売上は30億円を超え、レコード最盛期である1999年以来22年ぶりの高水準に達しました。一度は下火になったレコードはなぜ今、再びブームとなったのか?
今回FASHIONSNAPでは、アナログレコードの理解を深める全5回の短期連載をお届け。ナビゲーターに、レコード盛衰を間近で見てきたココナッツディスク吉祥寺店(通称:ココ吉)の店長、矢島和義さんを迎え、レコードの気になるあれこれを聞いてみました。第1回となる今回は、レコードの再注目のきっかけと復活の兆しについて。
矢島和義
1976年生まれ。東京都出身。ココナッツディスク吉祥寺店店長。学生時代にアルバイトで働いていた中古レコード盤屋「ココナッツディスク」が吉祥寺店をオープンした1999年から現職。中古のアナログレコードを取り扱うと同時に、国内で活動するインディーズアーティストの自主音源や新譜をフックアップした先駆けとして知られており、同時多発的に盛り上がりを見せた2010年代日本のインディーシーンやレコードブームにおける重要参考人の一人である。
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「第二次ブーム」レコード市場の今
ー昨今レコードが再注目を集めています。
そうですね。僕個人の感覚としては、大体2014年頃から再び盛り上がってきたな、と。
ー第一次ブームは1990年代にありました。
僕が学生だった1990年代はそれこそみんなレコードを買っていたと思いますし、もっと言ってしまえば1980年代はCDではなくレコードの方が一般的でした。なので1980年代〜1990年代を「レコード第一次ブーム」とするならば、今は「レコード第二次ブーム」と言えるのではないでしょうか?
一般社団法人日本レコード協会によると、2021年の間に生産されたアナログレコードは前年比174%の191万枚、金額は同184%の39億円と大幅な伸びをみせている。また近年は新譜をレコードで出す事例も多く、2021年は900タイトルと約3倍に増えた。
ーなぜ2014年頃からレコードが再び注目され始めたのでしょうか?
きっかけは色々あったと思います。僕が感じていたことだけで言えば、インディーズバンドの台頭があるかな、と。具体的なバンド名を出せば、スカートやミツメ、セロ(cero)、シャムキャッツなどでしょうか。彼らはCD全盛の時代に思春期を過ごしていて、音楽キッズだった彼らにとってレコードはいわば「憧れ」みたいな感じだった。
ーいまでこそ、インディーズバンドや、大御所アーティストも新譜リリースのタイミングと同時にレコードを発売しますが、2014年頃にそんな流れはなかった?
なかったと思います。ヒロト&マーシー、小西康陽さん、曽我部恵一さん、銀杏BOYZなど、レコードが下火になってきた2000年代以降もアナログレコードでリリースする人はいたんですがかなりの少数派。基本的にはCDが主流だったので、多くのインディーズバンドも自分達でCDに音源を焼いて販売する、みたいな活動をしていたはずです。アナログ盤を作るお金もないですし。
ーちなみに第一次レコードブームでは、どんなジャンルの音楽が流行っていたのでしょうか?
1990年代は、ソウルやサウンドトラック、ソフトロックなど様々なジャンルが流行っていたと思います。大きな要因には、スチャダラパーなどのジャパニーズヒップホップや渋谷系※と呼ばれている音楽ジャンルの台頭があり、彼らのサンプリングの元ネタを探すカルチャーがあったことが挙げられます。彼らの台頭を合わせて、DJブームも巻き起こったんですよね。音楽好きの間で、元ネタをレコード屋さんに探しに行き、見つけた元ネタをDJイベントでかけるのが“クール”とされていた時代で、だからこそレコードが人気を集めた。
※渋谷系:1990年代に流行した日本のポピュラーミュージックのジャンル、ムーブメント、それに付随するファッションスタイルも指す。代表的な人物にピチカート・ファイブ、フリッパーズ・ギターなどが挙げられる。
ーいまの流行り方とは少し異なる?
「おしゃれアイテムとしてレコードを聴いたり、集めたりする」という意味では近しいかもしれませんね。僕がレコードを買い始めたきっかけも、当時レコードブームやDJブームだったことも理由の一つですが、「レコードを聴いている僕はおしゃれでかっこいいはず」と背伸びをして聴いていた節がありましたから(笑)。シャムキャッツやミツメがレコードを作ったのも「おしゃれアイテムとして」という側面が強かったと思います。だからこそ、ある種最先端であったし「自分たちはCDだけではなく、レコードやカセットでも音源を出すんだぜ」という気合いやレコードそのものに対する愛もあった。
僕自身、2000年代に入って全くレコードが売れなくなった時に「レコードがおしゃれアイテムになって、『マニア的な物である』というイメージを払拭できないと復権はないだろうな」と思っていました。なので、彼らがレコードを発売した時に「ついにここまできたか」と思ったのをよく覚えています。
ーなぜ、2000年代はレコードが売れなくなってしまったんでしょうか?
それは、逆に「データで音楽を聴く方がカッコいい」となったことが大きい。当時、DJシーンも過渡期を迎えていて、CDやUSBでDJをプレイする人が多かった。一度DJイベントに呼ばれてレコードバッグを抱えて会場に赴いたんですが「レコードでDJを回すなんて珍しいね」と言われたことを鮮明に覚えていて。「ああ、そんな時代になっちゃったんだな」と。
ー2000年代は日本だけではなく、世界的にレコードは売れていなかった?
売れない、というかそもそも生産数がすごく減っていた。ただ象徴的な出来事があって。それは2000年代末にイギリスで起こったバンドブームです。有名な話だと、ザ・リバティーンズ(The Libertines)に憧れてバンドを組んだ若い子たちが、新譜音源をダウンロード販売するようになった。面白かったのは、リリースと同時に7インチレコードを出していたんです。しかも、そのレコードはすぐに完売する。リリースしている側からしてみたら、ダウンロード販売の新譜を売るためのプロモーションのつもりだったと思うんですが、7インチレコードをみんなが欲しがった。その動きを見た時に「あ、こういう息の吹き返し方もあるな」と。それはイギリスの話でしたが、日本でもそういう流れが生まれたらいいなと思いました。
「明らかに今までの客層とは違う子たちが店舗に訪れるようになった」
ーレコードが下火だった2000年代に、レコードをおしゃれアイテムにするため矢島さん自身が取り組んだことは?
色々なことを考えましたね。珍しいレコードを集めて利益を保つことも思案したんですが、自分には向いていないと思ったし、ちょっとつまらないな、と。そこで、自分が元々好きだったということもあり、「お店の個性」として明確に「インディーポップが強いお店です」と謳うことにしました。
ーインディーポップ、ギターポップというのは、まさしく1990年代に流行した渋谷系を彷彿とさせる音楽です。
そうですね。きっかけは、トゥウィー・ガールズ・クラブ(TWEE GRRRLS CLUB)という女の子だけで構成されているDJグループでした。彼女たちは、2000年代後半に活動を始めたグループなのですが、彼女たちのDJイベントに赴いた時に、僕が「珍しい」と言われたレコードでDJを回していたんです。そんな、DJへの愛が深い彼女たちが好きな音楽ジャンルがまさしく、海外のインディーポップやギターポップだった。
お店の存続をかけた打算的な考えがなかったと言ったら嘘になりますが、かつて、自分が好きだった音楽を、下の世代の子たちが新鮮に楽しんでいる姿が純粋に嬉しくて。ここを糸口になんとかできないかな、と。彼女たちが地道にレコードDJでインディーポップをかけ続けてくれたおかげで、更に若い世代の子たちが「あ、レコードってかっこいいんだ」「海外のインディーポップっていいな」と興味を持ち、「インディーポップが強い」と謳うココ吉に足を運んでくれるようになりました。それが2012年頃だったと記憶しています。
ー明らかに今までの客層とは違う子たちが店舗に訪れるようになった?
その通りです。ちょうどその頃、お店のTwitterもやり出して、お客さんの声や人物像が可視化されたことも僕にとっては大きかった。「最近、大学生くらいの若い子がお店に来るようになってきたな」と思っていたら、ツイッター上で「今日、学校終わりにココ吉行こうよ」みたいな会話がなされているのを見かけたりするようになって、注目していたんです。ツイッター上でココ吉に行く予定を立てていた子たちは、しばらくしてから褐色の恋人というDJチームを組むことになります。まさに、リバティーンズに憧れた若手バンドが続々とカルチャーを盛り上げたように、日本国内でも小さいながらも、トゥウィー・ガールズ・クラブのフォロワーである若い世代の子たちがレコードカルチャーを再び盛り上げてくれたと僕は思っています。
ー若い子たちが継続的にココ吉へ足を運んでくれるために工夫したことはありますか?
学生だからお金を持っていないことは一目瞭然で。だからとにかく手に取りやすく、という気持ちを込めて300円とかでレコードを店頭に出していましたね。当時は在庫もたくさんあったし(笑)。あとは、お店に通ってくれるようになった子たちとコミュニケーションも取るようになって。「これが好きなら、多分これも好きだよ」と次に聞くべきおすすめの曲を教えたりしていましたね。
ー音楽に造詣が深い人からのレコメンドは、何よりも説得力があると思います。
同感です。レコメンドの重要性に気がついて、ブログでおすすめのレコードを発信するようになったのもその頃です。それを見た人たちがまたココ吉に足を運んでくれて、買ったレコードでDJを回す。その会場には、たまたま友達に誘われただけで、DJにもレコードにも興味がなかった子がいて「あ、レコードってかっこいいかも」と思ってくれる。レコードに少しだけ興味を持った子たちが、ふらっとレコード屋に足を運んでくれるようになる。そういう良い流れが生まれた実感があったし、「こういう子たちをどんどん増やしていこう」と。そのために、なんとなくそういう「おしゃれっぽいものが好き」「羨望の眼差しがある」ような子たちが好みそうな音楽をどんどん店頭に出しました。
そういう「今までと全然違う客層である若い子たち」がレコードを買い出した時期と時を同じくして、先ほどもお話ししたシャムキャッツやセロ、ミツメなどのインディーズバンドが台頭してきた。その辺の波長が若い子たちに合ったんですよね。
ー波長というと?
簡単に言ってしまえば、お店のファンになってくれたんです。レコードに興味を持ち始めた若い子たちは、最初、1990年代に流行した海外のインディーポップを求めてココ吉に足を運んでくれていました。そこでたまたまプッシュされていた、スカートやミツメの音楽に出会い、好きになる。そういう良い循環が回り出した。どちらかと言えば「ココナッツディスクに行くのが楽しい」と思ってもらえるようになったんだな、とツイッターのタイムラインで流れてくるツイートを読んで実感しました。ココ吉が、昔のレコードも、インディーズバンドの新譜も置いている店だったことが、彼らにとって良かったんでしょうね。
ーそういうレコード屋と若いお客さんの関係値が、ココ吉以外にも同時多発的に起きていて、それが昨今のブームに繋がっているのかもしれませんね。
そうかもしれない。今話したのは、あくまで僕がみている範囲の話ですが、それでもやっぱり当時は「若い人がレコードを買う」という風潮はまだまだ珍しいことだったんじゃないかな。そこで一役買ってくれたのが、スカートやミツメ、シャムキャッツなどのインディースバンドだったんですよね。レコードに憧れがあった彼らは「ようやくアナログで出せる!嬉しい」と喜びのツイートをするんです。僕も「やったー!」とリプライを返したりと、レコードを出すだけでやたらと盛り上がっていた(笑)。バンドのファンは、最初こそ興味を示さなくとも、ツイッターでのやり取りから「自分の好きなインディーズバンドがレコードを出すことにこんなに喜んでいるなら、きっといいものなんだろうな」と思ってくれたのかな、と。アナログブームとまではいかずとも、健全にレコードやレコード屋の魅力がうまく若い世代に広まっていったなという感覚が生まれてきたのもその頃です。
【連載:“ココ吉”矢島店長に聞く、レコードの話】
(聞き手:古堅明日香)
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【“ココ吉“矢島店長に聞く、レコードの話】の過去記事
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