ジャン=ポール・ゴルチエ
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Fashion インタビュー・対談

【インタビュー】ジャン=ポール・ゴルチエに迫る——歴史に名を刻む"アヴァンギャルドの旗手"の原点と今

ジャン=ポール・ゴルチエ
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 オンワードホールディングスは9月14日〜10月13日の期間、ジャン=ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)のファッションの情熱を体感できる企画展「エクスパンディング ファッション バイ ジャンポール・ゴルチエ(EXPANDING FASHION by JEAN PAUL GAULTIER)」を、東京・代官山のカシヤマ ダイカンヤマで開催している。この企画展のために久しぶりに来日した"アヴァンギャルドの旗手"ことゴルチエ氏に、たっぷりと話を聞くまたとない機会を得た。(文:ファッションジャーナリスト 増田海治郎)

※編集部注:本記事は、ゴルチエ氏の単独インタビューと、9月14日に行われた廣内武オンワードホールディングス名誉会長とゴルチエ氏との公開対談を組み合わせています。

増田海治郎(以下、M):私が中学生の頃(80年代中頃)から、TV番組(ファッション通信など)や雑誌を通して、コレクションやお姿を拝見してきました。今日はお会いできて本当に光栄です。まず今回の企画展の概要を教えていただけますか?

ジャンポール・ゴルチエ(以下、J):今回のエキシビションには2つの要素があります。ひとつは1990〜2000年代のオートクチュールを中心とした過去の作品の展示で、もうひとつは過去の名作を復刻したリプロダクションアイテムの販売です。展示もリプロダクションアイテムも、自分だけで選ぶと嗜好が入りすぎてしまうので、今回はオンワード側と一緒に選びました。忘れていたものを呼び起こされたような感覚を味わえましたし、とてもいい内容になりました。

M:ゴルチエさんといえば、コレクションはもちろんご自身の私服としても、ブルーのボーダーシャツのイメージが強くあります。

J:原点は、蚤の市で買ったフランス海軍のものなんです。若い時はお金がなかったですからね(笑)。独特のフレンチブルーのボーダーで、見頃と袖の上の部分が白くなっていて、海軍のユニフォームなのにとても洒落て見えました。すぐに気に入って、コレクションで使うようになったんです。

 ボーダーの魅力は、グラフィカルでコントラストが強いところ。クラシックなジャケットの下に着てもいいし、ドレスやスカートに仕立てることもできます。ジェンダーレスという観点でも、中性的なアンドロジナスな魅力があって、老若男女だれが着ても似合う。最初にメンズのボーダーシャツを作った時は、前から見ると普通なのに、背中は大胆に開いているものを作りました。僕はボーダーをあらゆる角度から見て、進化させてきたのです。

 ボーダー以外にもマリン系のアイテムは大好きで、コレクションに取り入れてきました。ウエストにボタンがたくさん付いた超ハイウエストのマリンパンツを作ったのは1979年。ベースはハイウエストとワイドシルエットが特徴のフランス海軍のマリンパンツで、それを女性に穿かせたら、これまでにないバランスになって面白かったんです。今日、彼女(同席したオープニングセレモニー広報の小館さん)が穿いているオーバーオールはその発展系で、80年代の中頃に作ったものです。リプロダクションアイテムとして販売しているので、ぜひ試着してみてほしいですね。

カシヤマ ダイカンヤマで公開されているアーカイブピースの数々

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日本との意外な関係

M:オンワードホールディングス(当時はオンワード樫山)との関係を教えてください。

J:ファミリーです(笑)。最初に出会ってから42年の月日が経ちましたが、いまだにこうして密な関係が続いていますから。この業界ではとても珍しいことですし、僕にとっては家族に等しい存在なのです。オンワードとの話をする前に、彼らと出会う以前の僕のキャリアを説明してもよろしいでしょうか?

M:はい、ぜひお聞きしたいです!

J:18歳の誕生日に「ピエール・カルダン(pierre cardin)」に入社して、ファッションのキャリアをスタートさせました。当時のピエール・カルダンはパリのオートクチュールの巨匠で、それはそれは華やかな世界。メゾンには多くの日本人女性も働いていました。当時のパリに東洋人のファッションモデルは皆無でしたが、松本弘子さんはその草分け。彼女はピエールさんがもっとも気に入っていたモデルでしたね。

 さらに、ピエールさんのデザインアシスタントとして多くの日本人女性がいて、なかでもナオ・ヒラカワさんにはとても良くしていただきました。当時のパリの日本人コミュニティーにお邪魔して、日本食の美味しさを教わり、日本の美意識と繊細さを学びました。私はファッションの学校を出ていないので、デザイン画の書き方も彼女たちから教わったのです。

M:ゴルチエさんのデザイン画の素晴らしさは有名ですが、先生は日本人だったとは意外すぎます!

J:「ケンゾー(KENZO)」の高田賢三さんからも大きな影響を受けました。初めて彼のショーを見た時は、本当に感動しましたね。私もこういうことがやりたいと思いました。当時のオートクチュールのファッションショーは、バックミュージックもなく番号札を持ってただ歩くだけ。でも、ケンゾーのショーは明るくて華やかで自由だったんです。服のシルエットもカッティングも斬新で、とにかく素晴らしかった。

M:1976年に自身のブランドを立ち上げますが、その経緯を教えてください。

J:当時はお金もなく、ブランドを立ち上げるのは今以上に大変な時代でした。ピエール・カルダン時代に、ライセンスブランドのデザインでフィリピンに6ヶ月間も滞在したり忙しくしていましたが、ビジネスパートナー(フランシス・マヌージュ)が見つかり、ブランドを立ち上げてファッションショーを開催する決心をしました。

 といっても先立つものはなかったので、蚤の市に行って、インテリアのタペストリーでボレロ風のジャケットを作ったり、ナプキンをシャツの一部に使ったりして、リメイクのコレクションを作ったんです。ショーのモデルは、すべて友達でした。今回も一緒に来日したアナは、当時たまたま知り合った友達で、今も一緒に活動しています。彼女は素人として私のショーに出た後、「イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)」のトップモデルまで上りつめたんです。

M:素敵なエピソードですね。

J:でも、最初の3シーズンは全く売れませんでした。日本人とイギリス人のジャーナリストは評価してくれましたが、地元のフランスの反応が悪かった。バイカージャケットにチュチュみたいなアヴァンギャルドなコーディネートは、当時の保守的なフランスには受け入れられませんでした。少量の発注はありましたが、ショーをやるだけで精一杯で、量産するだけの資金もありません。それで、4シーズン目のショーを目前に、お金が尽きてしまったのです。

M:大変だったんですね......。

J:ええ。そうこうしていたら、ジャーナリストが日本人の経営するセレクトショップがハウスブランドのデザイナーを探していることを教えてくれたのです。「バスストップ」という名のお店は、パリのセレクトショップの先駆けで、クロード・モンタナやティエリー・ミュグレーなどを扱っていました。熱意が通じたのか、結果は合格。

 それから僕はデザインに専念できるようになりました。パターンや縫製はパリのオンワード樫山がバックアップしてくれたので完成度が高まり、パリでもっともトレンディなバスストップで扱っているということで、みるみるうちに売れ始めたのです。

 「グレー・コレクション」のTシャツ素材のチュチュみたいなアイテムが最初のヒットアイテムとなり、「ジェームズ・ボンド・コレクション」を作った頃には、ショーに人が入りきらなくなりました。

M:バスストップ側から制約をかけられることはなかったのですか?

J:一切なく、自分が好きなものを自由に表現させてくれましたね。自分のコレクションはパンクではなかったのですが、モデルとしてクイーンオブパンクと呼ばれていたエドウィージュ・ベルモアを起用したこともあり、アンダーグランドなカルチャーからも注目を集めるようになりました。ロンドンのパンクカルチャーの仕掛け人だったマルコム・マクラーレンが、ショーを見に来たこともありましたから。

M:オンワード樫山との出会いで道が開けたんですね。

J:ええ。この頃のブランドネームには「ジャン=ポール・ゴルチエ フォー カシヤマ」と書いてありました。それで、オンワードとの関わりが深くなるにつれ、日本でライセンスをやってみないかという話になりました。そこで出会ったのが、オンワードホールディングスの現名誉会長の廣内武さんです。バスストップの方々や廣内さんと出会ったことで、私の第二の人生が始まったのです。

 81年にライセンス契約を結び、長きにわたって親密な関係を築いてきました。ライセンス契約は2006年に終了しましたが、こうして今も深い関係にあります。

 昨年、私は新しい挑戦として、自分の半生を歌とダンス、ファッションで表現したミュージカル「ファッション・フリーク・ショー」を、パリ、イタリア、ロンドンで9ヶ月にわたって開催しました。まだ詳細は決まっていないのですが、オンワードホールディングスのサポートのもと、2021年には日本でもお披露目できるはずです。

M:素晴らしいニュースです!

J:私たちは今も家族ですからね(笑)。

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