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なぜマルタン・マルジェラのアート展は群馬へ巡回するのか? 仕掛け人が語る街の可能性

聞き手長畑宏明編集橋本知佳子

Image by: FASHIONSNAP

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 アーティスト マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)の日本初の個展が、東京、京都を経て、群馬・前橋に巡回する。日本でのマルタンの大規模個展の仕掛け人は、群馬県に3つのギャラリーを構えるrin art associationのオーナー 原田崇人さん。FASHIONSNAPでは、マルタンの参加が発表された第1回 前橋国際芸術祭 2026の開幕を前に、マルタン本人とも親交が深い同氏の自宅を訪問した。

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 大のファッション好きとして、現代美術とファッション、デザインプロダクト、クラフトなど多様な領域の作品を横断的に批評し言語化する原田さんが考える、アーティストとしてのマルタン・マルジェラの魅力とは? とっておきの所有コレクションを紹介してもらった前編に続き、後編ではインディペンデントファッションマガジン「スタディ(STUDY)」の長畑宏明編集長を聞き手に迎え、服好きたちがマルジェラ展をもっと深く楽しむためのヒントを深掘りした。

原田邸で私物コレクションを拝見!YouTubeと連動した記事はこちらから。

(左から)長畑宏明、原田崇人

原田崇人

Takahito Harada

rin art association オーナー

2010年、群馬県高崎市に現代美術を中心に扱うギャラリー「rin art association」を設立。2017年1月、高崎駅近郊に現在のギャラリースペースを開廊。2023年からは「まえばしガレリア」でも展覧会を企画・運営し、2024年には前橋市内に、ファッションやプロダクトなど多様なカテゴリーを横断して取り扱うスペース「Shop rin art association」を開廊した。群馬県内における3つのスペースの運営を通じて、現代における有効な「哲学」を追求し、美術史の文脈へと接続する概念的な作品を紹介している。また、2026年には“アートと暮らし”をテーマとしたライフスタイルブランド「LIVING WITH ART」を設立。2027年より東京での活動を予定している。

新しい自分を探す感覚をファッションで培った

—— (聞き手:長畑)原田さんは、もともとどのような文化に触れて育ったのでしょうか。

 父親がオーディオマニアだったので、幼い頃から家ではいつもクラシックが流れていました。一方で、中学2年生だった1993年頃にパンクのリバイバルがあって、そこからも大きな影響を受けました。当時は本場のパンクブランドの服を買える年齢ではなかったので、日本のブランドの服を着ていたのですが、パンクにはファッションだけに収まらない概念があることが、音楽を通して伝わってきたんですよね。画一的なものに対する違和感や、「こうでなければならない」と決めつけられることへの抵抗も、そこから生まれたのだと思います。

 クラシックとパンクは一見すると真逆ですが、僕は昔から、ひとつのものを好きになると、その対極にあるものも知りたくなるところがありました。音楽やデザインという表層から、その背景にある思想や社会に関心が移っていったことは、自分にとって大きな出来事でした。パンクの成り立ちを辿っていくと、当時のイギリス社会や、カリブ海地域から渡ってきた移民たちの音楽、人種差別の問題にもつながっていく。ものを入り口にして思想へ辿り着くという経験は、いまの活動にも通じています。

—— 当時のファッション体験は、現在の考え方にどのような影響を与えていますか。

 当時は、いまよりもトレンドの流れが明確でした。そのときは「これが自分らしい」と思って着ていた服が、一年後には自分らしくないものに見えてしまう。その意味で、トレンドは自分らしさを見失わせることもあります。ただ、新しいカテゴリーの中へ半ば強制的に入っていくことで、それまで知らなかった自分を発見できるという、よい作用もあるんですよね。

 クロップドパンツやサルエルパンツが流行したときも、最初は「なぜ、こんなに短足に見えるものを穿かなければいけないんだ」と思いました(笑)。でも、試しに穿いているうちに、あり得ないと思っていたものが、だんだんあり得るものになっていく。僕にとって、いちばん大きな感動が生まれるのは、大嫌いだったものが大好きになった瞬間です。ファッションで培われた、見方を変えながら新しい自分を探す感覚を、のちにアートへスライドさせていったことは、自分の中でとても大きかったと思います。

当日着用していた私服は、シャツが「ジギーチェン(Ziggy Chen)」、バングルがマルジェラのタビバングル。

—— 見方を変えるという点は、原田さんがマルタン・マルジェラに惹かれる理由とも重なりますか。

 そうですね。僕はもともと、人から「あなたはこういう人だ」と決めつけられることが嫌いでした。でもその一方で、自分自身も物事を見るときに「こうあるべきだ」と、決めつけていたことに気づいたんです。それって矛盾していますよね。

 そのことを考える大きな契機になったのが、ポストモダンのコレクションを始めたことでした。ポストモダンは、近代が生み出した画一性や絶対的な価値観に対して、「そうではない見方もある」という相対的な思想を提示した運動だったと思います。いまは多様性の時代と言われますが、「みんなが好きなことをしているから、自分も好きなことをしよう」というだけでは、それ自体がひとつの画一性になりかねない。外側に多様なものが並んでいることよりも、変容し続ける世界に対応できるよう、自分の内側に多層的な価値観を築くことのほうが重要だと思っています。

 マルタンの仕事は、まさに自分の枠組みの外へ出続けるためのきっかけを与えてくれました。彼のスタイルは、自分のスタイルを固定しなかったことにあると思うんです。あるシーズンのコレクションを気に入っても、次にはまったく異なるものが出てくる。最初は「これはあり得ない」と思っても、実際に着るとあり得るものになる。その繰り返しの中で、自分の中に新しい視点が増えていきました。

—— 原田さんは、ギャラリストとして人前に立つことについても、マルタンから影響を受けたと話されていました。

 僕はもともと、とても内向的で、ギャラリーを始めた頃は、作品の脇役でいたいと思っていました。作品が主役なのだから、自分は前に出る必要がない、と。でも、活動を続けるうちに、それだけではいけないと気づきました。作品を購入する人にとっては、「このギャラリストから買うのであれば信用できる」と思えるかどうかも重要です。作品をつくる人と、それを広めていく人では役割が異なります。多くの人に作品や考えを届けるためには、自分自身も信頼に値する人物でなければなりません。

 そのことを考えるとき、マルタンの「インサイドアウト」という手法を思い出します。服の裏地は、通常であれば人に見せたくない部分ですが、それを外側に出すのであれば、見せても恥ずかしくないように整えればいい。自分の中にある後ろめたさや、外に出したくない部分も、隠し続けるのではなく、外に出せるように内面を整えていく。内面と外面の差をできるだけなくしていくことが、人前に立つ立場として必要なのではないかと思うようになりました。

インサイドアウトの概念を実践した自宅の展示空間

美術史における、アーティスト マルタン・マルジェラの立ち位置

—— アーティストとしてのマルタン・マルジェラを、美術史の中ではどのように捉えていますか。

 マルタンはアントワープ王立芸術アカデミーでファッションを学ぶ以前から、アートを学んでいます。そこで培った考え方を、まずファッションへ展開したのだと思います。彼の作品には、過去の美術史から抽出された文脈と、その文脈や概念を現代に合わせて更新し、転換する作業が同時に行われています。

 たとえば、シュルレアリストたちが用いたデペイズマンは、ものを本来の場所や関係から切り離し、異なる状況へ置くことで、現実の見え方を変える手法です。絵画の中に存在していたモチーフを現実の空間へ引き出すように、マルタンはファッションの中で、日常のものを別の文脈へ移し替えてきました。脱構築という点では、キュビスムなどの美術史とも結びつけて考えることができます。まったく新しいものをゼロからつくるというより、歴史の中にある技法や概念を抽出し、現在の現実に有効なものへ更新している。その流れを踏まえることで、作品の輪郭がより明確になると思います。

—— 具体的な作品では、どのようなところにその特徴が表れていますか。

 たとえば《トップスアンドボトムス(Tops & Bottoms)》は、古典彫刻であるヴィーナス像を現代的に再解釈しながら、人間が根源的に持っている恥じらいを扱った作品です。人は身体の中で恥ずかしいと感じる部分を下着で覆いますが、この作品では、その下着の内側にあるバストやウエスト、ヒップの部分が、逆に下着の形にくり抜かれている。覆い隠していたものをインサイドアウトすることで、恥じらいそのものが強調されるわけです。

《Tops & Bottoms》(2023)

Image by: 原田崇人

 髪の毛を使った作品《アジアンブラックヘッド(Asian Black Head)》や《ヴァニタス(Vanitas)》にも、同じような二極性があります。髪は美しさの対象である一方、おぞましさの対象にもなります。人のアイデンティティを際立たせることもあれば、顔を覆って、その人が誰なのかを隠すこともある。大好きな人の髪を美しいと思っていても、それが床に落ちた瞬間には不快なものに見えてしまう。でも、物質としては同じ髪の毛です。どちらの側から見るかによって、世界の見え方が変わります。

《Vanitas》(2024)

Image by: 原田崇人

 爪の作品《ネイル・クリッピングス(Nail Clippings)》では、普段であれば捨てられてしまう小さな破片が、実物を大きく逸脱するスケールでつくられ、スポットライトが当てられています。マルタンは2000年のコレクションでも、普通の服を200%に拡大しました。それ以前にもオーバーサイズの服はありましたが、オーバーサイズになることを前提に設計した服と、普通の服をそのまま拡大することは違います。彼は「大きすぎる」という“過ぎる”状態を浮き彫りにした。ただ、それがファッションとして広がれば、当時は過剰だったものが、のちには新しいスタンダードになります。美的価値観は、歴史が証明するように、環境とその中の人々の固定観念によって変化します。マルタンは、その価値を固定せず、常に「仮固定」の状態として提示しているのだと思います。

《Nail Clippings》(2024)

Image by: 原田崇人

 爪のように小さなものを巨大化することは、対象との距離を変えることでもあります。自分に降りかかった問題をすぐ近くから見れば、それは世界のすべてを覆うほど大きく感じられる。でも一歩、千歩、一万歩と引いて見れば、まったく違う大きさに見えるかもしれません。《ブラック・ネイルズ・モデル(Black Nails Model)》に見られる色についても同じです。赤は現在では女性らしさやセクシーさを象徴することがありますが、かつてはけばけばしさや否定的な意味と結びつけられた時代もあった。黒い爪も、それ自体にひとつの意味が固定されているわけではありません。環境や時代、見る人の意識によって、同じものの価値はいかようにも変わる。その変化を受け入れられる状態としておくことが、「仮固定」という考え方なのだと思います。

《Black Nails Model》(2021)

Image by: 原田崇人

アートを主体的に捉えるために

—— 原田さんが作品をコレクションするときは、見た目と文脈のどちらを重視しますか。

 まず、ヴィジュアルはコンセプトへ関心を向けるための大きなきっかけです。格好いい、美しい、あるいは「なんだこれは」と理解できない。その瞬間から、作品の中に何があるのかを考え始めます。そこから辿り着いた問いやコンセプトが、自分に新しい視点をもたらしてくれるものであれば、コレクションに加えたいと思います。

 僕にとってコレクションとは、物質的なものを自分の世界へ迎え入れ、ほかのものと組み合わせながら、自分との関係をつくっていく行為です。だから、物質そのものを所有するというより、物質を通して概念をコレクションしている感覚に近い。異なるものの見方を自分の内側に蓄積し、多層的な価値観を築いていくための行為だと思っています。

—— 作品を読み解くことが、原田さん自身の生き方にも作用しているのでしょうか。

 すごく作用しています。九段ハウスでは、ヴィンテージのソファを並べてリビングで映画を観るように鑑賞してもらった映像作品《ライト・テスト(Light Test)》を紹介しました。髪で顔を覆った女性が登場する本編の途中に、突然コマーシャルのような映像が混入する。あれは、人間のバイオリズムの中へ不意に入り込んでくるアクシデントについての問いだと捉えています。

《Light Test》(2021)

Image by: FASHIONSNAP

 人は、できるだけ物事をうまく進めたいと考えます。でも、そもそもうまくいくとは限らない。うまくいくことだけを前提にしていると、失敗したときに苛立ったり、不安になったりしますよね。反対に、「うまくいかないからこそ面白い」と考えれば、起きた出来事との関係も変わってくる。マルタン自身も展覧会に際して送ってくれたテキストの中で、ファッションデザイナー時代から現在まで、数多くの挑戦や試行錯誤を重ね、その中で当然失敗も経験してきたと書いていました。そして、失敗という自身にとって不愉快な出来事が起こったときに、心を開いておくことが未来にとって有益であると学んだそうです。

 作品は、一般的な教訓を説明しているわけではありません。マルタン自身が生きる中で経験してきたことが、作品のコンセプトへ置き換えられている。鑑賞者もそれを自分の内側へ引き寄せることで、世界の見方や、出来事との距離を変えることができるのだと思います。

—— 一通の手紙をきっかけに交流を深めたそうですが、国内初の展覧会はどのように企画されたのでしょうか。

 アーティストとしてのマルタンの作品は、まだ日本では紹介されていなかったので、何かしらの形で発表の場を作りたいと考えて僕から声をかけました。当時は九段ハウスのような大きなプロジェクトを経験したことがなかったので、まずは自分のできる範囲として、うちのギャラリーで作品を紹介してもらえたら嬉しいという話をしたんです。マルタンからは、コマーシャルギャラリーよりもパブリックな場所で展示したいという希望を伝えられました。

 帰国してから場所を探し、当初は原美術館も候補に考えました。作品と鑑賞者の親密な距離が生まれる場所にしたいという思いがあったからです。ただ、すでに閉館が決まっていたため、森美術館の知人に相談し、九段ハウスを紹介してもらいました。初めて見た瞬間に、作品との親和性を感じましたね。美術館として整えられた空間ではなく、あくまで「ハウス」であり、作品と現実の世界が地続きに見える。空間自体が強いため、マルタンがどう感じるか不安もありましたが、本人もとても気に入ってくれました。

 マルタンは、会場全体を作品化するための設えが本当に巧みです。彼の作品や展示は、完成形でありながら、ひとつの状態に決められてはいません。爪の作品は台座に重ねることもできるし、ハイヒールの作品も壁に掛けたり、テーブルに置いたり、反転させたりできる。世界が変容し続けるのに、作品だけが固定的であることへの違和感があるのだと思います。九段ハウスの会場をプラスチックシートで覆い、仮設工事中のようにしたのも、すべてはワーク・イン・プログレスであり、未完成であるからこそ、その後の可能性が開かれている。展覧会を通じて、僕自身もそのことを実感しました。

「Grey Steps I & III」2023

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「Phantom XV (Top Coat)」2011

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九段ハウスの展示会場の様子

—— その展覧会が、前橋国際芸術祭ではどのように再構成されるのでしょうか。

 単純な巡回ではなく、九段ハウス、京都、前橋と、それぞれの場所に合わせて再編成していく展覧会です。前橋では高崎のrin art associationを含め、まえばしガレリア、Shop rin art association、アーツ前橋の計4会場で展示します。九段ハウスは旧邸宅、京都は町家、高崎・前橋のギャラリーはホワイトキューブですから、同じ作品でもまったく異なる見え方が生まれる。その違いから、新たな気づきを得てもらえたらと思っています。

 前橋国際芸術祭のテーマである「めぶく。」は、前橋のまちづくりの指針となる言葉です。文化の種を植え、それを育てながら、大きな森をつくっていく。その中で重要なのは、人が何かとつながり、街に対して主体的に関わっていくことだと考えています。

 今回、ベルギーから輸送する《ポディウム(Podium)》は、モチーフである演台(ステージ)がフェイクファーで覆われていて、表層を覆うことで、内にあるものの本質的な意味を問いかけます。演台(ステージ)に立つことは、他者からの注目と責任を引き受けることであり、人や社会と強く関わることでもあります。同様のコンセプトで制作された《バス・ストップ(Bus Stop)》は、「待つ」という行為を扱っています。これらの作品は、ただ街の変化を待つのではなく、一人ひとりが人や街と関わりながら、その先に何を育てていくのかを考える芸術祭のテーマと、強く結びつくと思います。

—— 前橋国際芸術祭を、どのような芸術祭にしたいと考えていますか。

 前橋国際芸術祭の大きな特徴は、アートだけで完結せず、建築やファッション、音楽、食など、さまざまなものと関係を結ぶ複合的な取り組みであることです。僕自身も、アートをほかのものと結びつけることで、多くのことを学んできました。

 2024年に前橋で始めたギャラリー「Shop rin art association」でも、アートだけを扱うのではなく、着るものや使うものを一緒に置いています。用途のないアートを、最初から主体的に捉えることは難しいかもしれない。でも、「着る」「使う」という身近な行為を持つものと並ぶことで、作品との距離を少しずつ近づけることができます。建築、ファッション、音楽や食を通して暮らしが互いに歩み寄り、関係性が生まれた先で、初めてアートが概念的に鑑賞者自身ともつながる。そのような気づきをもたらす芸術祭になれば、ほかの芸術祭との差別化にもなると思います。

 建築についても同じです。誰にも使われていない建築は、まだ生きた建築とは言えません。そこで何らかの営みが行われることで、初めて意味や文脈が生まれる。作品は空間から作用を受け、建築もまた、作品や人々の営みによって新しい意味を与えられます。前橋では、その相互作用を街の中で体験できると思います。

前橋国際芸術祭実行委員長 兼 総合プロデューサーにインタビュー

「人生をかけない勝負は本気ではない」 ジンズ田中仁CEOが巻き起こす、前橋都市再生計画

BUSINESS

—— 原田さんは、前橋という街にどのような可能性を感じていますか。

 前橋は、街のさまざまな要素が区分けされていないところが面白いんです。高崎では、文化的なエリア、商業エリア、夜の街がある程度分かれていますが、前橋はそれらが混在している。歩いているだけで、街のいろいろな側面が見えてきます。1980年代から90年代頃につくられた建物にも、いまなら「無駄」とされてしまいそうな装飾や工夫がたくさん残っていて、個性的でチャーミングです。その無駄が、実は無駄ではなかったことが、街を歩くことで伝わってくる。

 昨年の秋には、マルタン本人を前橋へ案内しました。古いものと新しいものが明確に分けられることなく混在し、何かが失われつつある場所でも人々の営みが続いている。そこへ新しいものが加わり、一体化しながら文化が立ち上がっていく姿が好きだと話していました。「前橋は最高の街だ」と言ってくれたんです。

 一方で、中心市街地には本当に人が少ない。駅から離れたショッピングモールには人が溢れていますが、そこにあるものの多くは、日本全国のどこに行っても出会えるものです。前橋には、その場所でしか体験できない独自性があります。まずは住んでいる人たち自身に、前橋は日本の中でも誇るべき文化都市なのだと感じてもらいたい。芸術祭をきっかけに街の魅力が多くの人へ伝わり、それが一過性の賑わいで終わらず、その後も人が街と関わり続ける状態をつくれたら理想的だと思っています。

photography: Sumire Ozawa

マルジェラのアートが詰まったこだわりのご自宅を拝見!

マルジェラ展の仕掛け人 ギャラリスト原田崇人の自宅ツアー

ART

最終更新日:

聞き手・長畑宏明

Hiroaki Nagahata

1987年、大阪府生まれ。2014年にインディペンデントファッション雑誌『STUDY』を創刊。同誌ではこれまで、ASICS SportStyleやFUTURE ARCHIVE(BEAMS)とコラボレーションも実施。現在は『AfterParty』『穴』『品品団地』など複数の番組でポッドキャスターとしても活動中。自身の視点を軸に、既存のメディア/編集の枠を超えた表現を追求している。

編集・橋本知佳子

Chikako Hashimoto

FASHIONSNAP 編集記者

東京都出身。映画「下妻物語」、雑誌「装苑」「Zipper」の影響でファッションやものづくりに関心を持ち、武蔵野美術大学でテキスタイルを専攻。大手印刷会社の企画職を経て、2023年に株式会社レコオーランドに入社。ファッション小物・アクセサリー、繊維企業を中心に取材。

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