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NIGOケンゾーでメンズデザインを担当、「舞台裏デザイナー」クラフトマン菅谷鉄兵のファッションデザイン論

菅谷鉄兵

菅谷鉄兵

NIGOケンゾーでメンズデザインを担当、「舞台裏デザイナー」クラフトマン菅谷鉄兵のファッションデザイン論

菅谷鉄兵

 海外で出版された書籍で「裏舞台のデザイナー」と形容された日本人がいる。日本人で初めてファッションコンテスト「イッツ(ITS)」を受賞し、アーティスティックディレクターのNIGOによる「ケンゾー(KENZO)」初期のメンズラインのデザイン責任者を務めた菅谷鉄兵だ。自身のブランドは持たず、現在はオランダを拠点にフリーランスとして活躍する同氏は、YKKのアドバイザーをはじめ、現在開催しているEXPO2025大阪・関西万博のオランダ主導のギャラリーイースト館にも携わっている。

 アパレルからビスポークシューズ、革小物、バッグなどあらゆるアイテムを自身の手で作り上げる職人気質の持ち主で、世界の名だたるブランドを渡り歩いてきた経験と鋭い観察眼により、素材、工程、ブランドDNAを瞬時に見抜き再構築する姿は、まさに“現代のルネサンス職人”だ。グローバル人材として業界で重宝されてきたものの、メディア露出をほとんど行ってこなかった同氏が特別に語ってくれた、ファッションとデザインの違いについて。

菅谷鉄兵(Teppei Sugaya)
茨城県生まれ。 高校卒業後文化服装学院に入学。 在学中に神戸のファッションコンテストでグランプリを受賞。 その副賞としてロンドンのCentral Saint Martinsに奨学生として入学。在学中、イタリアのトリエステで開催されたITS(International Talent Support)ファッションコンテストで日本人初のグランプリを獲得し、「Teppei Sugaya for Diesel」というカプセルコレクションをニューヨーク、ロンドン、パリ、東京、ベルリン、アントワープ、ミラノの7都市にあるDieselの旗艦店で販売。 2011年にフリーランスとして活動を開始し、YKKのデザインアドバイザーを含む幅広いプロジェクトに携わっている。2019年には、SUPERGAのプレミアムメンズライン「Artifact by SUPERGA」を立ち上げ、2021年にはNIGO®がKENZOのアーティスティック・ディレクターに就任した際、メンズラインのデザイン責任者を務めた。

服を構成する3つの要素、「ファブリケーション」と「パターン」と「ファスニング」

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──菅谷さんはこの経歴にも関わらず、ウェブにほとんど情報が出ていません。

 一応自分のウェブサイトはあるんですが、SNSとか特に何もしていないので、ほぼ業界では存在していないのと同じなのでしょう。特に匿名性を大事にしているというわけでもないですし、表に出たいとかも特にありませんので。

──出身は茨城で、高校を卒業して文化服装学院に入学。

 文化は3年間のコースだったんですが、2年生の時に「神戸ファッションコンテスト」でグランプリをいただき、セントラル・セント・マーチンズ (Central Saint Martins)に留学することになりました。そのため、文化を卒業はしていないんです。

──セントマ在籍中に、日本人で初めてファッション・コンペティション「ITS(International Talent Support)」を受賞しました。

 グランプリの副賞として「Teppei Sugaya for Diesel」のレーベルでカプセルコレクションを世界7都市で販売することもできました。ただセントマーチンズの3年生迎える前に、オランダのFashion Institute ArnhemでMAを取得する道を選んでしまって。 ITS受賞から「ディーゼル(Diesel)」とは関係があったのでFashion Institute Arnhemを卒業後、ディーゼルに入社し、社会人としてのキャリアが始まりました。

──ディーゼルでは何を任されていたんですか?

 当時あった「DIESEL DENIM GALLERY」というプレミアムラインや「DIESEL BLACK GOLD」、「5 POCKETS」のデザインを担当しました。あと、昔明治通り沿いにディーゼルのカフェがあったんですけど、そのカフェのロゴやTシャツ、コースターなども手掛けたり。ITSに関しても、ディーゼルがスポンサーということもあり、僕が応募者に対してのブリーフィングを書いたりもしました。コンテストって「デニムを使って何か作ってください」みたいなお題を用意しがちですが、それだと作る側もつまらないだろうなと思い、デニム縛りじゃなくて、インディゴ縛りにして、織りでも編みでも、繊維をバラバラにしても構わないという枠組みを作ったりしましたね。

菅谷氏が手掛けたカフェのロゴデザインのコースター

──ディーゼルのあと独立されるわけですが、そうしたキャリアの後は自身のブランドを立ち上げるケースが多い中、菅谷さんはフリーランスデザイナーとして活動していく。

 率直に言うと、ブランドを立ち上げる資金力が潤沢にあるわけではなかったというのが1番なんですが、当時のディーゼルのアトリエがイタリアの田舎にあって、そういう生活が良いなと思っていたこともありました。あと、どこかファッションに対してシニカルになっている部分もあったので。

──シニカルとは具体的に?

 僕の父親は木工職人なんですよ。小さい頃から現場を見てきたということもあって、僕自身やっぱりモノづくりが好きで。でもファッションがモノづくりじゃないってことに気づいてしまった瞬間に、色々と冷めてしまったというか。僕はデザインだけでなく、パターンから縫製、ボタンホール、カンヌキに至る服作りから、革小物、バッグ、物によってはインテリアまであらゆるものを自分の手を動かし作ってきました。だからこそではないですが、今の”ファッション”ブランドというのはどうしても布を裁断して、縫っただけじゃないかと思ってしまうんです。

 でも僕は、みんなが面倒くさくてできないと思っていることを個人的にはやっていきたい。要は玄人が見て「これどうやってできているの?」と言われるものを作りたいんですが、今のファッションの製造プロセスだとやっぱり難しいんですよね。色々な所を回って人を説得しないといけないですし、そもそも勉強もリサーチも必要なので。じゃあどうやったら自分の思い描くモノづくりができるかと考えた時に出した答えがフリーランスだったわけです。

菅谷氏がミシンを使わずに全て手縫いで仕上げたレザージャケット。YKK製特殊スナップボタンを採用している。

──「布を切って、縫っただけじゃないか」という部分と繋がると思いますが、菅谷さんはYKKのもとでジッパー作りに携わっています

 YKKのアドバイジングの仕事はもう10年以上やっていますね。服を作る要素って僕は3つに分類できると思っていて、それが「ファブリケーション」と「パターン」と「ファスニング」。要は「生地」(色や柄、テクスチャーを含む)と「形」と「開閉」です。パターンは、そもそも人間の体の形が決まっているので、大きくデザイン、シェイプを変化させることは難しいじゃないですか。別に新しい形を作る必要もないのかもしれませんが、シェイプの追求で言うとほぼやり尽くした感があるなと。また、ファブリケーションといっても、みんなコットンなどのクラシックな素材が結局好きだから、変わった提案はなかなか普及しない。その中で、ジッパーやファスニングの分野は可能性に満ちているんですよ。ジッパー発明前後で、要はボタンやホックだったものがジッパーの開閉になったことで服や小物、バッグや靴、ありとあらゆるもののデザインが大きく変わりました。例えば今主流の財布は3面がジップになっていますけど、この財布のデザインって1960年代以前にはなくて。それ以前はジッパーの代替はボタンやスナップボタン、そしてホックだったわけですが、当時の主なジップのテープ素材は綿や低品質のポリエステルだったので、角が擦れて3面開閉の財布のデザインは耐久性の観点から難しかったんです。つまりはファスニングが変わると、ガーメントが変わり、ブロダクトが変わっていく。だけど、プロのファッションデザイナーに「ジッパーってどうやってできているか知ってる?」と聞いて答えられる人って世界にほぼいないんですよね。自宅のクローゼットを開けて、ジッパーがどれくらいあるか数えてもらうとわかると思うんですが、こんなに沢山使われていて、プロダクトの形を左右するものなのにデザインとして見落とされがちだなと。

YKKのリサーチのために収集しているヴィンテージジッパー

──YKKの後ろ盾があるからこそできることですね。

 そうですね。やはり中に入らないと新しいものって作れないなと思うんですよ。自分で作ってみようと思ってもなかなか作れるものではないので。そういう意味で、外部としてYKKに携われていることはとても貴重な経験ですね。

1920年代に存在していたメタルのコイルジッパーがついたパフケース。メタルコイルジッパーは現代には存在しない。

──今の時代、クリエイションの追求はモノづくり全てを把握しないと難しい。

 ファッションやアパレルをやってる人たちって、自分たちが何をしているのか分かってないんじゃないかなって思うことが多々あって。例えばアートの話で言うと、よく分からないからアートと言ってる節って結構あるじゃないですか。ビエンナーレやドクメンタ、美術館とかに行ても「あれ良かったよね」とか「私はあんまり好きじゃなかった」というウィンドウショッピングと何も変わらない好き嫌いの会話をしてるんですよね。よく分からないもの=アートと思考停止になるのはやっぱりよくなくて、自分が何を思ったとか、自己を理解するってことが大事だと思うんです。それをせず、色々動きすぎているのがファッション業界なのかなと。

 「料理の四面体」という、さまざまな料理を紹介しながら、火の入り方などを構造的に分析して、新しい見方を与えてくれる本があるんですが、ファッションももっと構造を分析する作業が必要だと思うんですよね。例えば、物を運ぶための「バッグ」というものがありますが、コンビニのプラスチックバッグも、「イケア(IKEA)」のバッグも、一澤帆布のショルダーバッグも、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のハンドバッグも一様に運ぶという行為は共通していますが、果たして一緒のものなんですかっていう。

──ファッションの言葉は全てが曖昧ですね。それをしっかり定義付けしようという動きはアカデミックの分野ではありますが。

 また3つで申し訳ないんですが、僕はプロダクトのカテゴリーを「ユーティリティ」「デザイン」「ファッション」に分類しています。僕の中でファッションとデザインは装飾・デコレーションという意味で別で。装飾は、基本的に生きていく上で必要なものではなく、つまりは上に乗っけるもの。ここでデザインとファッションをまず切り離すことが必要で、ユーティリティっていうのはファンクションを前提としたものを指します。この3タイプが同じ店の同じ什器に並んでいたりもしますが、別のものとして分けて考える必要があると思うんです。

──ラグジュアリーブランドの商品は「ファッション」に当てはまると思うんですが、他のカテゴリーと比べて200倍くらいのマークアップを付けられる最大の理由はなんだと思いますか?

 色々言い方はあると思いますが、簡潔にいうと「夢を売る商売だから」ですかね。実在する物理的なモノを売っている立て付けになっていますが、実際に売っているのはモノじゃない。もちろん高級なレザーや生地を使うこともありますが、人がラグジュアリーの何に価値を見出しているかと言えば、それは情報でありロゴであり、ステータスなんだと思います。

──その話で言うと、日本の大半のアパレル企業はファッションを謳いつつもファッションではないですね。日本でファッションと言われて一番に思い浮かぶのは裏原系ブランドです。

 裏原系はそうだと思います。つまりお金をかけなくても、イメージを作ってしまえばファッションになり得る。だからデザインとしてモノづくりかどうかとなると、また別の話と個人的には考えています。僕たち日本人が頑張ってモノづくりをしてヨーロッパにいったとて、マッチしないケースが多いのは属するカテゴリーがそもそも違うからなんですよね。だからこそまず、自分たちはデザインをしているのか、ファッションをしているのかを、理解することが大事な気がしています。

──こうした考えはYKKでユーティリティの部分を、ケンゾーでファッションを、「スペルガ(SUPERGA)」でデザインをやったから分かったことなんですか?

 それはもちろんありますが、フリーランスでやってきたからというのが大きいと思っています。色々なブランドや企業に携わる中で、ブランドの立ち位置や目指す先、ブランドの本質を理解する必要性があったため、そうした思考回路になっていったんだと思います。

菅谷氏が手掛けた「Artifact by SUPERGA」の1st Collection

──ブランドの中に入ってどんな提案をこれまでしてきたんですか?

 YKKでは外部のジュエリーデザイナーを起用したプロダクトをデザインするアイデアが以前ありましたが、ジッパーっていうものは99%ファンクションで、一方ジュエリーにはファンクションはないじゃないですか。もちろん見せ方の部分で上手くいく方法はあると思うんですが、構造的に全然違うものだから相性は良くないと思うと伝えたりしました。ジュエリーで使われるメッキや表面処理は有効ですし取り入れられることは沢山ありますが、根本的なプロダクトのカテゴリーが違うと考えたからです。企業なりブランドが、自身の見取り図をしっかり持っていないと、迷走してしまうケースは結構あるんですよね。

──海外と比べ日本の市場で特異だと感じる部分はありますか?

 日本は結構複雑で、ユーティリティとデザインのボリュームがとても厚い市場だと考えています。本来なら「安かろう悪かろう」で済むはずなのに、ダイソーなどの100円ショップは、如何なるコンディションでも質の高い商品を作ってしまう。牛丼をはじめとした飲食もそうだと思います。

──3カテゴリーある中、菅谷さんがしたいことはデザインなんですよね?

 僕の原体験としてクリストファー・ネメス(Christopher Nemeth)という存在があります。僕は80年代生まれですが、中学生の頃は「ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)」を着ていた時期もあったし、「ステューシー(STÜSSY)」を着てスケボーをしてたりした時期もありました。その中でネメスの服も着ていたのですが、はじめて東京に行ったときにネメスのお店に行って感銘を受けて。服だけじゃなくて、レイアウトから家具まで全て彼が手掛けた空間で、音楽も強く印象に残っています。その空間でチェインジングルームの増設を埃まみれでやって、ビールを飲んで休憩していた人がネメス本人で、これはすごいなぁって思ったんですよね。だから自分自身もデザインする人間でありたいし手を動かすクラフトマンでありたい。そのためにクオリティを追い求めてきました。個人的にはそうしたデザインクオリティの中に、ファンクションに付随したデコラティブ性が微かにある、くらいの塩梅がちょうどいいのかなと。

最初にネメスのお店に行った際、ネメス本人に手書きで”Christerpher Nemeth”と書いてもらった思い出のバッグ。

──1から全て自身の手で作り上げることをしていきたい?

 そこに関しては少し葛藤があります。昔のARTS&CRAFTSムーブメントじゃないですが、結局手を使ってやった方がいい、だけど高くて売れませんでしたっていう話になってしまう。だから高くなってしまうなら、ファッション性的なものを拝借しなくちゃ成り立たないんだと思うんですよね。モノとしての物理的な価値はあるんだけど、アブストラクトなファッション性というか、アート性みたいなものを組み合わせないといけないと考えています。ただファッション性やアート性を取り込まないとそれなりの価値で売れない現状に対しては残念に思っていて、この分野に関しては今後もさらに探求していきたいですね。

NIGOの側近の一人として、イタリアのラーメン屋のコンサルとして

──2022年には、NIGOさんによる「ケンゾー(KENZO)」のデビューから約2年メンズラインのデザイン責任者に抜擢されました。

 NIGOさんの下ではそこまで長い期間ではありませんでしたが、色々と勉強させていただきました。日本語を喋れるスタッフは僕くらいしかいなかったので、NIGOさんの間近で仕事ができた一方、他のスタッフからは嫉妬されることも多くて。いろいろな意味で日本人がヨーロッパのメゾンで働く難しさを改めて実感しました。

──何を期待されてNIGOさんに招聘されたと分析していますか?

 NIGOさんは「僕はデザイナーではなくエディター」だと昔どこかのメディアでおっしゃっていたと思いますが、加えてモノづくり、プロダクト、アーカイヴへの造詣がとても深い方なので、90年代からのNIGOさんのブランドのコンテクスト整理とディテールまでこだわったモノづくりのノウハウをパリのアトリエ、スタジオで、と期待して採用されていたんだと思います。近年ラグジュアリーの世界はクリエイティブディレクターの交代で盛り上がっていますが、あれは行政の人と一緒だと思うんですよね。マクロの視点で見てなんとなく問題点はわかっているけど、具体案がないからとりあえずディレクターを交代して次に繋げているというか。やっぱり、ミクロの視点からじゃないと具体案を出すことは難しくて、そうしたところをNIGOさんはLVMH社から求められていたと思います。

──菅谷さんが考えたテキスト「生きるための修復」が万博のギャラリーイースト館で掲出されています。

 いまやカンファレンスやデザインウィークでは、SDGsやサステナビリティがよく取り上げられていますよね。しかし実際のところ、それらはマーケティングの一部にとどまり、真のサステナビリティを深く考えていないと感じる場面が多いなと思っていて。そんな折、アイリッシュ・デザインウィークから「サステナブル」について講演してほしいと依頼がありました。テーマは「サーキュラーファッション」。僕は「サーキュラーにならないと考えている、という話をしても構わないなら登壇する」と伝えました。その際のプレゼンテーションをアレンジしたものが、現在、2025年大阪・関西万博オランダ主導の企画をギャラリーイースト館で掲示している文章です。

生きるための修復
 
コラボレーション名:Teppei Sugaya x Boro x Merklappen

サステナビリティ、循環性、リサイクルといった言葉はファッション業界ではすでに当たり前になった。しかしその多くが単なるマーケティング向けの流行語として使われており、環境負荷を減らす誠実な努力に結びついていない。実際、生地のリサイクルは実践すると複雑で高コストである。素材を分解して再利用するプロセスは、新たに生産するよりもはるかに複雑なのだ。大規模な生地リサイクルに投資した企業の大半も結局は撤退している。

もしかすると、解決策は高度な技術ではないのかもしれない。針と糸のような、シンプルな道具にこそ答えにあるのではないだろうか。

修復とは単に直すということではない。衣服と私たちの関係性を見直すことである。しっかり作られた衣類は長持ちし、手間をかけられ、修復されることを前提としている。私たちはそのやり方を忘れてしまっただけなのだ。

江戸時代の日本では、サステナビリティは単なる理念ではなく必然だった。綿は栽培され、紡がれ、織られ、着用され、修復され、やがては灰となって土に還り、次の作物の肥やしとなった。着物は無駄を省くために直線的に裁断され、何世代にもわたって受け継がれ、幾度も修復された。それは美徳ではなく、生存のための手段だったのである。

現代では、綿は安価で、入手も容易であり、世界中に流通している。差し迫った修復の必要性は消失した。しかし、成長と消費を基盤とするシステムにおいて、真の循環性は依然として捉えがたいままである。

ファッションは物事の見方を変える力を持つ。修復を美的に、意図的に、視覚的に行うことができる。手縫いで修復されたものには物語がある。それは配慮を、持続性を、つながりを表現している。これこそが真に革新的な行為なのだ。

必要なのは一本の針だけである。工場も不要だ。一千億円の機械も必要ない。ただ、糸と時間と、何かを生かし続けようという意志さえあればよい。

そこから始めてみよう。

大阪・関西万博で展示したMerklapと襤褸

──日本の襤褸(ぼろ)についてのテキストですね。

 農民や漁師たちが、古くなった布や端布を継ぎ接ぎや刺し子をして衣類を使い続けたわけですが、江戸時代は鎖国していたし、それ以外のチョイスがなかったからそうせざるを得なかったわけで、腐るほど服があるならわざわざアップサイクルして、着古したら雑巾とかおむつにして燃やして灰にして、それを肥料として使うなんてことはしなかったと思うんです。繊維をリサイクルするって本当に大変で、コットンだったらコットンの繊維をバラバラにするから、ショートヤーンになってしまい使い物にならないので、結局バージンコットンで補強しなければいけないわけです。これにはとてつもない投資が必要なんですが、それだったら新しい綿花を育てた方が早くて安いわけですよね。つまりはキャピタリズムのシステムに則ってやるのは現状厳しいんですが、沢山消費するんじゃなくて好きなものをずっと着るっていう、ロングラスティングの精神でやるのが、結局一番負担がかからないんじゃないかなと。

──襤褸というカルチャーは封建制だった江戸時代だからできたのかもしれませんね。

 そうですね。同様に今本気でサステナブルに取り組めば経済はスローダウンすると思いますが、仕方ない部分ではあるかなと。いずれにしても、僕はプロダクトとどう接するかが重要だと考えていて、気に入ったものなら破れたとしても直してまた着ればいい。だから針と糸から始めたらいいんじゃないですかっていうテキストを万博のために考えました。何億円もかけてリサイクルの機械を作ることが本当に必要なんですかっていう問いですね。7600億円以上もかかっている万博の中に「ただの針と糸からまた始めませんか?」というメッセージがどこかに隠れているのも面白いと思います。

──菅谷さんの仕事は、ディスコミュニケーションの中でアイデンティティを確認し、本質を見抜くための葛藤と落とし所を探る作業を続けているように見えます。例えば、菅谷さんがイタリアで飲食店を立ち上げるプロジェクトに誘われた際、現地の食の生態系を壊す恐れがあると判断し、いったん参加を断ったというエピソードがその姿勢を物語っています。

 イタリアで日本食屋をやるって基本的には反対で。できるだけ地域にあるものは守ろうという、生態系に関してはコンサバティブな考えを持っているので、「イタリアで食文化があるのに、なんで日本食を?」となり、最初は断ったんです。でも熱心にお願いされ、それならと僕なりにイタリアはじめとした食文化についていろいろ勉強してみたんです。そうすると日本料理とイタリア料理は、食材こそ違えど本質はとても近いと気づきました。フランス料理のように複雑なソースを使うのではなく、イタリアはオリーブオイルやバルサミコ酢、バジリコなど、一方日本は柚子や紫蘇の葉などを乗せて季節を感じ醤油を少量たらして素材の旨味を引き立てます。さらに「アルデンテ」とラーメンや、そば、うどんの「麺のコシ」を重視する感覚も共通しており、これは文化的に日本人とイタリア人にしかわからないものです。他の国でパスタを食べればブヨブヨの茹で過ぎパスタがよく出てきますから(笑)。こうした共通点を踏まえ、「日本の食材をできるだけ持ち込まず、現地の素材だけでラーメンを作るなら参加します。ラーメンのどんぶりも地元の焼き物の街で......」と条件を出し、最終的にそのイタリアのラーメン店プロジェクトに加わることにしました。

──できるだけ地域にあるものは守ろうという考えから、日本の繊維産業への関心も?

 当然あります。アパレルにおける最高峰ってやっぱりメイドインイタリーで、フランスのラグジュアリーも基本的にメイドインイタリーなんですよね。じゃ次はとなれば、メイドインチャイナでもメイドインベトナムでもなくメイドインジャパンなのは間違いないし、むしろそれ一択です。だから、今後日本がラグジュアリーブランドを支える役割を担うことは可能な世界線で、ポテンシャルはあるんですよね。

 家具とかもそうですけど、ヨーロッパの名品とされているものって現代の技術で作れないものが結構あるんですが、でも日本人ってとても研究熱心だし真面目だしマニアックだから、「え、うちで作れちゃうよ」みたいなことって結構あるんですよ。日本の産地を盛り上げるためのアイデアはいくつかあるので、糸編の宮浦晋哉君や行政と連携して何かやりたいなという思いはあります。

──何かを企画する際、菅谷さんはまず何を考えるんですか?

 アイデアを出すのってある意味簡単だと思うんですよね。でも大事なのは何をやらないかを決めることだと考えています。「やらない理由」を探してから、それを通過した後に「やる理由」を探しに行くというか。僕、フュージョン(コラボレーション)が大嫌いなんですよ。本当の意味でのフュージョンじゃないでしょ、とフュージョンする前に自分たちがやっていることをしっかり極めた方がいいよね、と思ってしまうんです。順序的にはフュージョンやコラボレーションはその後かなと。

──安易なコラボはとても多いですし、その一端を我々メディアが担っているところは正直あります。

 でも、たまにフュージョンでマッチするものもあったりするじゃないですか。それは何かと分析すると、とてつもない量のリサーチとエラーを繰り返してできたものなんですよね。NIGOさんを除いて、日本人のデザイナーが海外のラグジュアリーブランドのクリエイティブディレクターになることは今までなかったわけですよね。色々な理由はあると思いますが、日本人のクリエイションはヨーロッパの美に対してのアンチテーゼでしかなくて、王道の美ではないというのが大きいと思うんです。

 僕の感覚だと、日本人って未だに和服を着ているんですよね。見た目は洋服で実は和服的な。ヨーロッパのデザイナーの服にはある種の色気があり、日本人のデザイナーの服には色気があまりないと思っているんですが、その違いは肉で着る服か骨で着る服かみたいな話なのかと。洋服ってやっぱり基本的に肉で着るんですよ。でも、和服は肩に乗せて骨で着るというか。

 「バーバリー(BURBERRY)」のトレンチコートで言うと、日本ではラグランの1枚袖と2枚袖だと1枚袖の方が高額で売買されていますが、なんで日本で1枚袖が人気があるかって言ったら、やっぱり肩で着るからなんですよね。1枚袖は和服で、2枚袖はヨーロッパ的なデザインというか。

 「バブアー(BARBOUR)」の人気がある大半のモデルも、ラグランの1枚袖です。これもやはり肩で着ている服ですよね。日本の女性の服装を見ても、着ている服の本質はほぼ和服だなと思ってしまいます。これはそれが良いとか悪いかとかではなく、日本はそういう文化だということの事実の可視化です。和服っぽいものを着ていることはある種のアイデンティティの現れでもあるので、もちろん素晴らしいこととも言えます。

左がBURBERRYの二枚袖のバルマカーンコート、右がBURBERRYの一枚袖のタイロッケンコート。

──浮世絵の平面性が今の日本のアニメ興隆に通じているという話と似ていますね。

 そうですね。ただマクロでみると、実は世界的に和服寄りそしてカジュアル化の傾向があります。LVMH系列投資会社が日本の「キャピタル(KAPITAL)」の株式の過半数を取得したというニュースがありましたが、世界でカジュアル化が進む中で、彼らが持ち得なかった和服的な発想が"ヨーロッパにない美"という観点で重宝されているようにも思います。

──今後挑戦したいことは?

 ブランド化するかどうかはまだ未定ですが、名前とかは特に出さず隠れて密かにモノづくりを追求していき熟達していきたいですね。現在はオランダ在住ですが、これからは日本に戻る機会も増える予定です。もし日本のモノづくりの未来に貢献できることがあるなら、ぜひ携わっていきたいなと考えています。

菅谷鉄兵

◾️Teppei Sugaya オフィシャルサイト

FASHIONSNAP ディレクター

芳之内史也

Fumiya Yoshinouchi

1986年、愛媛県生まれ。立命館大学経営学部卒業後、レコオーランドに入社。東京を中心に、ミラノ、パリのファッションウィークを担当。国内若手デザイナーの発掘と育成をメディアのスタンスから行っている。2020年にはOTB主催「ITS 2020」でITS Press Choice Award審査員を、2019年から2023年までASIA FASHION COLLECTIONの審査員を務める。

最終更新日:

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