pillings 2022年秋冬コレクション
pillings 2022年秋冬コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)

Mugita Shunichi

モードノオト2022.03.19

麥田俊一

ファッションジャーナリスト

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pillings 2022年秋冬コレクション Image by FASHIONSNAP(Ippei Saito)
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Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)
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 昨日の「マラミュート」の会場にて、所用があって共同通信社の三好典子女史と立ち話を交わした。それがキッカケでこの稿を書いている。そのときの話の内容は割愛するが、米国同時多発テロ事件(2001年9月11日午前中)が、当時の欧州のファッションの現場に及ぼした影響について、またぞろ私は捲し立てていた。2002年春夏シーズンのミラノとパリのコレクション取材を通して痛切に感じたことがある。世界中を震撼させた衝撃的なテロ行為の直後だから、デザイナーたちの提言が一斉に「癒し」の気分に転じたことは、この私でさえ理解出来た。華美な演出を控え、使う筈の楽曲を選び直すだけでなく、発表することになっていたピースを急遽ガラッと差し替え、ショーそのものを構成し直したラグジュアリーブランドもあった。結果、コレクションサーキットは「癒し」一色に染まった。だが、「プラダ」だけは我が道を歩いた。眼にも耳にも優しい気分に塗り替えられてしまったミラノにあって、「プラダ」は、「癒し」ではなく「強さ」を服に盛り込んだのだった。そんな「プラダ」の荒療治式のエールに、私はヒリヒリするほど共感を覚えた。不謹慎だと叱責されるのだろうが、時代の右へ倣え的な安易な時代風潮に傾斜を深めるだけがファッションの役割ではないと、私は思った。檄文(励ましの提言)は一様である必要などないのだ。

 国や地域によっては収束が見え始めたパンデミックとか、各国の一挙手一投足に注目が集まっているウクライナ情勢とかを意識したのかどうかは定かではないが、昨日の午前中に取材した「ピリングス」のショーは実に痛快だった。解離は病理なのか。それとも現実への適応か。格差で不安定化の一途を辿る現代社会を背景に、希薄な現実感と当事者意識に戸惑う我々の心理を読み解いてみせる此度のショーは、表層的な可愛い感覚を凌ぐ多重化するリアルを提示している。と云って、道理の通らぬ理屈のようで恐縮だが、村上亮太の作った服は、要は、個性を育て、守るための一種の「鎧」のようなものである。ショーは、現代社会を知るための鑑のようなものだった。万が一ショーでなかったら、斯様に強く響かなかっただろう(ショーはTOKYO FASHION AWARD 2022を受賞して実現した)。執拗にリフレーンされる蟻や虫ケラのモチーフは現代人のカリカチュールであり、ひとによっては鬱陶しいだけの存在の「毛玉」(ブランド名は「毛玉たち」の意)の気骨をジンワリと滲ませた、それこそ愛らしきアイコンである。

 不揃いな風穴の開いた村上のニットは、1980年代初頭のパリコレクションを震い動かした東京のブランド(敢えて名前は伏せておく)が懐に隠していたラジカルで執拗な意思を彷彿させた。今となっては珍しい橋桁のキャットウオークで見たから、そんな連想が脳裏を過ぎったのだろうか。澄み切った、雑音のない、無菌状態の音が美しいと云うのなら、実は音楽は少しも美しいものではないのかも知れない。音楽を聴くと云う行為は、雑音など厭わず、寧ろ、一つ一つの音を魅力ある音楽為らしめる有害な菌に進んで感染して高い熱を出すようなことだ、と私は信じている。有害な菌とは言葉のアヤで、それだけ「個」の際立っている様子を喩えたまでのこと。それ以上の他意はない。此度のショーの全篇を通貫するのは、村上は自身の境涯に徴して、人間の原像の意味を追求しようとする強い意思であり、彼の私小説式の創作道程に少しく逞しさが見え始めてきたように思う。

 これまでの彼が紡いできた物語の舞台にある人物や風景は、凡てが明るい照明のもとに照らし出されているわけではなかった。描写は正確を期そうと努めていたのだろうが、結果、雑然として稚拙な表現になったとて、描写の下手さなりに、却ってそこに或る種の影が生じ、その影は影として見る側(着る側)の感じ方に任せてしまうところがあったように思う。故に、往々にして「ヘタウマ」とか「可愛い」とかの修飾語が、彼自身の個性の尤も純粋なカタチを曇らせる一因ともなった。徒らに他人の眼を引くのではなく、自らのルーツや自らを取り巻くカルチャー(服作りの環境をも含む)とともに自身の存在意義を確認すること。ありのままの自分でいる方法を彼は学び、実践してきた。なにか嫌らしい味みたいなものを表現しているようでいて、実は、社会的に弱い存在に対して優しさを持ち続けることが出来るのはそのためである。我々は、凡ては異なり、凡ては等しい。村上は人間を、見て、見て、見て、それをギリギリの形と色とに絞り上げる作業を繰り返してきたのだと思う。決してテクニシャンとは云えない彼の手は、醜と美を、原始的な織物の絣のように一つの模様として織り上げ(ニット作家としての一面もあるので、斯様な表現は適切ではないのだけれど)、その斑紋は我々の意識を覚醒させる呼び水となり、我々に再び自由であることの意味を問うている。(文責/麥田俊一)

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