王貞治やブルース・リー、果てはマハトマ・ガンディーなど。ある時代を象徴する人物をモチーフにしたインパクトのあるニット作品を製作している「編み物☆堀ノ内」をご存じだろうか?一点物のオーダーニットは半年先まで予約でいっぱいだという。何故、編み物☆堀ノ内は個性的なニットを製作するのに至ったのか。国内アグリーセーターの先駆けと言っても過言ではない、堀ノ内に話を聞いた。
編み物☆堀ノ内
1967年、神奈川県生まれ。桑沢デザイン研究所を卒業後、グラフィックデザイナーとして活動。2012年から「編み物☆堀ノ内」名義で編み物アーティストとして製作を開始する。岡村靖幸や中村達也などミュージシャンとのオフィシャルコラボアイテムの発売も行っている。福岡で4月2日から3日までの2日間、オーダー会と展覧会を開催予定。詳しくは公式サイトやSNSで発表予定。
公式インスタグラム/公式サイト
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ー堀ノ内さんのキャッチコピー「狂い編みサンダーニット」は作品の緻密さからは考えられないポップなものですよね。
1980年に公開された、僕が好きな映画「狂い咲きサンダーロード」のオマージュです(笑)。
ー「編み物☆堀ノ内」と名前の間に星が入っているのも、同じく1980年代頃に活躍していた、つのだ☆ひろやダイアモンド✡ユカイを彷彿とさせます。
本当はかっこいい横文字のアーティストネームにしようと思っていたんですよ。でも編集者である妻に「もっと一発で何をやっているか分かる名前にしたら?」と言われて「編み物☆堀ノ内」を名乗るようになりました。最初は「編み物堀ノ内」と繋げていたんですけど、バランスが悪いなあと思って。中黒を入れていた時もあったのですが「ちょっと違うな、じゃあ星かなあ」と(笑)。つのだ☆ひろさんや、ダイアモンド✡ユカイさんも字面のバランスで☆を入れたのかな、と勝手に想像しています。
ー編み物歴は?
40代後半に始めたので、8年くらいでしょうか。本業はグラフィックデザイナーです。
ーファッションには昔から興味があったんでしょうか?
全く。今も全然知らないです。「ミッソーニ(MISSONI)」など、ニットが有名なブランドも編み物を始めてから知りました。やっていると自然と目に入ってくるものなので、今も特にブランドのリサーチをしたりはしないですね。
ー40代後半から新しいことを始めるのは腰が重くありませんでしたか?
色々と切羽詰まっていたというか、グラフィックデザイナーをずっとこのまま続けていくイメージが湧かなくて。「何か他のこともやらないと」と編み物をはじめたんです。だから、腰が重いとか言ってられない状況ではありました。最近は、グラフィックデザインよりもニットばっかりを作っていますけどね(笑)。……もしあの時、副業的に編み物を始めていなかったら生活に困っていたかもしれません。
ー数ある選択肢の中で、何故副業に編み物を選んだんでしょうか?
競合がいないというのは大きかったですね。僕はデザインを何十年も生業にしてきたこともあり、基本的にはデザインしかできない。つまり職能が「デザイン」しかなかった。でも、世の中には僕よりも素晴らしいグラフィックデザイナーが作ったTシャツや素敵なニットが既にたくさんあることも知っていた。なのでもしやるなら、まだ世の中で誰もやっていないものじゃないと意味がないな、と思ったんですよね。
ーグラフィックデザイナーでの経験は編み物でも活かされていますか?
編み物も結局はデザインなので、製図を作ったりする時はあまりグラフィックデザイナーの仕事と変わらないです。製図はドット画で描くのですが、グラフィックデザイナーをやっていなければ、僕が作っているような細かくて面倒くさい製図は引けないのかな、とも思います。製図さえしっかりしていれば、割とそのまま出来上がるんですよ。
ー作品は手編みですか?
最初は全て手編みで作っていましたね。1作品目はブルース・リーを編んだセーターです。何個か作る中で「全然編み終わらないな」とやっと気が付いて編機を導入しました(笑)。この電子音楽グループ「クラフトワーク(Kraftwerk)」のニットも全部手編みです。
ー現在は全て編み機で製作されているんですか?
はい、今はすべて編み機で作っています。最初は、無地の部分だけ編み機でやろうと考えていたんですけど、柄の部分も頑張れば出来るということに気がついて。
ー編み物は独学ということでしょうか?
手編みは独学です。編み物をやるまでは、ミシンも編み棒も触ったことがなかったし、雑巾一つ縫えなかった。編み機は独学での習得が難しいと聞いたので、千葉のカルチャースクールに通って、ご近所のおばさまたちに混じって扱い方を学びました。
ーちなみに編み機だと製作期間はどれくらいかかるんでしょうか?
10日くらいですね。最低でも1週間はかかります。
ー手編みで作られたものと家庭用編み機で製作されたものを見比べると、やはり編み目の詰まりが手編みの方が少しだけ荒いですね。
そうですね。編み目が大きくざくざくとしている。これは手編みでしか出せない風合いです。
ー編み機でもここまで精巧なものを作れるとは驚きです。
通っていた千葉の先生に「人の顔を正確に編みたいんですけど」と相談したら「それは無理だよ」とあっさり否定されました(笑)。仕方なく無地のところだけ教えてもらっていたんですけど、数をこなし、編み機の構造を理解するうちに「今まで誰もやってこなかっただけで、根気さえあれば原理的にはできそうだぞ」と。
ーそもそも、どうして著名人の顔を大きく編もうと思ったんでしょうか?
単純に僕の趣味が若い時から映画鑑賞か、音楽を聞くか、読書をするしかなかったのでまずは好きな人たちを作ろう、と。あとは橋本治先生の「男の編み物 橋本治の手トリ足トリ」の影響は大きいです。これを最初に読んだ時、度肝を抜かれたんですよね。
ー同書を手にとったきっかけは?
1983年に初出版されたものなんですが、当時から橋本治先生のニットは多くの人が知っているくらい有名なものでした。「ニットで作品を作るぞ!」と決めた時にこの本を思い出して、ネットオークションで購入して。橋本先生も、マフラーや手袋から編み物を始めるのではなく、最初から山口百恵やデヴィッド・ボウイ(David Bowie)をデザインしたニットを編んでいるんですよ(笑)。
ーこの本を読んでブルース・リーのニットが生まれたんですね。
そうですね、手編みのやり方はこれで覚えました。この本に辿り着くまでに、雑誌の特集や「1日で編める」みたいなハウツー本を読んだりもしたんですが、全然編めないし理解できなかったんですよ。でも、これを読んだら編めた。他のハウツー本と何が異なるのかというと、写真ではなくあえて白黒のイラストで説明されている点だと思っています。写真だとかえってどこに編み針を通していいか分かりづらかったんですよね。
ー橋本治さんの有名な著書がありながら、堀ノ内さんが始めるまでの間、誰も同じようなニットを作ってこなかったのは不思議ですね。
面倒くさいため、参入障壁が高すぎたんでしょうね(笑)。誰しもが二の足を踏むような面倒くさいことを、根気よくやり続けたのがたまたま僕しかいなかったのかも。普通に働いていたら編み物に費やす時間も僅かだと思いますし。「フリーランスでグラフィックデザイナーをやりつつ、自分の武器になり得る別の職能として作品製作を始めた」という、僕の境遇も大きいんじゃないかな。
ー作品の編み方は?
編物業者にお願いして量産しているものはジャカード、家庭用編み機で僕がハンドメイドで作っているオーダーニットはインターシャ編みです。
ー作品に使っている毛糸の色数は?
量産のジャカードは6色までですね。家庭用編み機のインターシャは色数の制限がありません。絵の具と違って毛糸の色も無限にあるわけではないので、合う色を探して編んでいきます。インターシャのほうが糸数に制限がない分、リアルに編むことができるんですが、糸数が増えれば増えるほど最後の糸始末が大変。針を使ってひとつずつ手作業で結んでいくだけでも1日はかかります。
ー毛糸の素材にこだわりはありますか?
ハンドメイドのものはウール100%の毛糸を使っています。混毛やコットンなど色々試してみたんですが、化学繊維が入っているとアイロンをかけた時にヘタってしまって、最初に取ったゲージと編み上がりが少し変わってしまったり、せっかくうまく編めた柄も崩れてしまうんです。ウールは熱にも強いし、丈夫で理にかなっているんですよね。
ーアーティスト 岡村靖幸さんのオフィシャルツアーグッズで販売されたニットで堀ノ内さんの存在を知った人も多いかと思います。
ターニングポイントになりましたね。岡村さんが、まだ僕が手編みで作品製作をしていた時にネットで見つけてくれたみたいで。100個くらい作ったんですが、量産もこれが初めてでした。
ー堀ノ内さんは、完全オーダーメイドで製作するアイテムのほかに、編物業者と共に個人で量産販売をしているアイテムと、メディコム・トイ(MEDICOM TOY)とのプロジェクトで同社内に立ち上げたブランド「ニットガングカウンシル(KNIT GANG COUNCIL)」の3軸でアイテムを展開しています。
量産アイテムは「まずは皆さんに手にとって欲しい」という趣旨で作り始めました。僕としてはブランドのプレタポルテ(量産)とオートクチュール(オーダーメイド)という考えに倣っているつもりです。当たり前ですが量産アイテムでは三億円事件の犯人とされているモンタージュ写真や肉を模したものなどの著作権がないものをはじめ、ライセンスや許諾が取れたものを生産しています。
ーオーダーメイドのニットは現在どれくらいの待ち期間があるんでしょうか?
今は、半年くらい先までパンパンです。なんせ、1ヶ月に4着くらいしか作れないので……(笑)。
ー最後に、今後の目標があれば教えて下さい。
あんまり野望や目標みたいなものがないんですよね。「いつかは仕事になればいいな」と思っていましたが、元々は作品作りのつもり編み物を始めたわけですし、続けていたら量産のお話までいただけるようになった、という感じなんです。
僕は今54歳なのですが、僕と同世代で同じものを観て育ってきた人たちが「懐かしい」「これ好きだった」と僕の作品を見てくれるのは本当に嬉しい。なので強いて言うならば、自分が大好きなものを身に着けたいという熱量を持つ人は日本だけではなく、海外にもいると思っているので、海外で展覧会やオーダー会ができたらな、とは思っています。
(聞き手:古堅明日香)
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