昨年「ライラ トウキョウ」で展示されたマリナ・イーの作品
昨年「ライラ トウキョウ」で展示されたマリナ・イーの作品
Image by: LAILA TOKIO

Fashionインタビュー・対談

元アントワープ・シックスのマリナ・イーが回顧する青春時代と空白の時間

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アントワープ・シックスの誕生とその後

ーその6人で活動するようになったんですね。

 上級生からも「ハリケーンのようなグループ」と呼ばれるほど注目されていました。教室ではうるさかったですし、装いもみんなと違っていましたね。アンはクレオパトラのようでしたし、ウォルターはピンクの羽やメガネをかけたりして。ドリスやマーティンもファッショナブルで美しい青年でした。私は若くてブロンドでスレンダーで(笑)。目立たないわけがないですよね。20歳前後で小さい街から出てきて、当時はなんでもできると思っていたんです。



ー卒業後は?

 1978年に入学して4年間在籍し、卒業したのが81年です。プレタポルテの草創期で新しいことを皆が求めている時。卒業する頃にはそれぞれ自信に溢れていましたし、人にも恵まれました。少ししてから6人での活動が始まると、周りにクレバーな人たちが集まって、私たちのポテンシャルを見込んでサポートしてくれました。
ちょうどベルギーも国としてファッションに力を入れていた時で、プロモーション活動としてメディアの露出なども積極的に行っていました。

ー誰が「アントワープ・シックス」と名付けたんですか?

 自分たちで名乗ったわけではないんです。展示会のため6人で行ったロンドンで、最上階の3階が私たちのスペースでした。でも建物自体に人が来なくて「どうしたら注目を集められるだろう?」と考えていたんです。私はどうにかして存在を知ってもらうために、名前と写真が入った全員の入館証を集めて紙に貼り付け、何枚も印刷しました。本当はいけなかったんですけどね。それを皆で配って回って。すると誰かは覚えてないのですが、一人のジャーナリストが来場して他の人にも広めてくれました。おそらく彼女が「アントワープ・シックス」と名付けたんだと思います。すると多くの人が来てくれましたね。エディターたちが私たちのこと取り上げ、ロンドン在住のPRエージェントと出会い、グループの活動が注目されるようになったのです。



ーとてもセンセーショナルですね。

 クラシックでコンテンポラリーな捻りが効いていたんだと思います。同じグループでも、ウォルターもアンもドリスもそれぞれ違う。才能に溢れ野心的でした。今振り返ると本当に「魔法のような時間」だったと思います。簡単に起きることのない出来事が、私たちの周りでどんどん起きていったわけですから。



ー「アントワープ・シックス」としての活動はどのくらいの期間でしたか?

 学生の4年間、そして88年に私が抜けるまでの約10年間です。

ー

なぜ抜けることになったのでしょう。

 それはもう長い話になりますよ(笑)。理由は2つあります。一つはとてもパーソナルなことなのですが、もう一つは自分自身のキャリアの問題でした。

 アントワープ・シックスの名が表に出るようになってからそれぞれのキャリアを歩み始めたのですが、アンとドリスはきちんと順序立てて物事を進めるのが得意でした。ビジネスの才能があったんですね。マネージメントもできるし、数字にも強い。とてもクレバーなデザイナーでした。ところが私は違っていた。締め切りやら要求やらがどんどん迫って来ると混乱して「まだその段階にはいけない」「これ以上できない」と思ってしまったんです。パニックに襲われることもありました。

 他の仲間たちは準備ができていて、環境の変化にも上手に対応している。一方で私は、信頼できるビジネスパートナーに恵まれなかったり、運がなかったとも言えます。アントワープ・シックスという名があれば成功は保証されたようなものですよね。アンやドリスが今日に到るまで証明しているように。でも私はその道を自ら閉ざしました。自分自身を見失っていたのです。それはとても辛い決断で、しばらくは落ち込んだ時期が続きました。

ーその後は何をしてたのですか?

 アントワープ・シックスを抜けた時、私は30歳でした。しばらくはパリに住んでいましたが、ファッションから離れたいと思うようになり、ベルギーの両親の元に戻って静養することにしました。しばらくして私は母親になりました。そのことが私を全てから救ってくれた。ファッションからは遠ざかり、自己中心的だった生活が一変したのです。まるで私の本当の人生がその瞬間に始まったかのようでした。料理して、公園に行き、子供に服を作ってあげたり、愛と思いやりにあふれた生活になりました。とても劇的な変化ですよね。

 

 失敗に対してある種のトラウマに感じていましたが、自分自身を振り返る良い機会になりました。息子が成長するにつれて、自分は何者なのかを考えるようにもなりました。ファッションデザイナーであることはずっと自分の中にありましたが、そこに捉われることなく、広い視点で表現をしようと思うようになりました。一つのことをプロフェッショナルにやり続けることも大事ですが、私の場合はそれが絵を書くことであったり、家具を作ることだったり、コラージュを作ることだったり、そして服を作ることだったりするわけです。

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