昨年「ライラ トウキョウ」で展示されたマリナ・イーの作品
Image by: LAILA TOKIO

Fashion インタビュー・対談

元アントワープ・シックスのマリナ・イーが回顧する青春時代と空白の時間

昨年「ライラ トウキョウ」で展示されたマリナ・イーの作品
Image by: LAILA TOKIO

 1980年代にベルギー・アントワープから突如、ファッションシーンの最前線に現れた6人。「アントワープ・シックス」はファッション史に名を残し、今もなお語り継がれている。その一人、マリナ・イー(Marina Yee)は、最も謎に包まれた人物。1988年にアントワープ・シックスから離れたこともあり、ネットで検索しても彼女について得られる情報はごくわずかだ。60歳を迎えた彼女が昨年秋、新プロジェクト「エムワイ・プロジェクト(M.Y. project)」を立ち上げ、デビューコレクションが現在「ライラ トウキョウ(LAILA TOKIO)」や「ビオトープ(BIOTOP)」などのセレクトショップで展開されている。アントワープ・シックスの仲間と過ごした青春時代、誕生秘話、デザイナーとしての挫折、空白の時間から今回のプロジェクトに至るまで、謎多きデザイナーの素顔に迫った。

■アントワープ・シックス(Antwerp Six)とは?
 ベルギー・アントワープにあるアントワープ王立美術アカデミーファッション科出身のドリス・ヴァン・ノッテン、アン・ドゥムルメステール、ダーク・ビッケンバーグ、ダーク・ヴァン・セーヌ、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、そしてマリナ・イー 、6人のファッションデザイナーたちの総称。80年代後半にロンドンで開催された合同展示会がきっかけで注目され、「アントワープ・シックス」として当時のモード界を席巻した。ベルギーファッションが世界で脚光を浴びるきっかけとなり、その後のデザイナーたちにも多大な影響を与えている。

伝説の集団「アントワープ・シックス」での青春時代

ー日本での思い出は?

 80年代にフレミッシュテキスタイルのプロモーションの一環で、アントワープ・シックスの仲間と共に来日しました。ファッションショーをしたり、川久保玲に会ったことも覚えています。そのあと何度か仕事でも来ました。

ー日本の印象は当時と比べて変わりましたか?



 以前と比べ、ポジティブな意味でとても変わったと感じます。日本人はもっと内に篭っている印象があったり、初めて来日した時はとても孤独に感じたのを覚えています。今はリラックスしているように見えますね。渋谷に滞在しているからでしょうか、皆とてもファッショナブルでハッピーに感じます。今の若者は異国の文化に触れて育ったり、インターネットによって国と国、人と人との距離が縮まったのでしょう。

ー早速ですが「アントワープ・シックス」の話からお伺いしようと思います。そもそもなぜアントワープ王立芸術大学(以下、アカデミー)に通うことになったのでしょう。

 母が私にアートの素養があると思ってアートスクールに通わせたんです。同じクラスだったのがマルタン・マルジェラで、私は15歳、彼は16歳でした。なぜか気が合っていつも一緒。相棒でしたね。ある日「アヴェニュー(AVENUE)」というファッショナブルなオランダの雑誌を母が買って来て、そこにアカデミーの情報が載っていたんです。それを見てすぐさまマーティン(マルタン・マルジェラ)と、「この学校に行こう!」と決めました。ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクも同じ理由でアカデミーへの入学を決めたと聞いています。

 私は入学試験に落ちてしまったのですが、マーティンは進学しました。彼はウォルターと同じクラス。私は翌年に入学することができて、全部で10人に満たないクラスでしたが、そこで一緒になったのが、ドリス・ヴァン・ノッテン、アン・ドゥムルメステール、ダーク・ビッケンバーグ、ダーク・ヴァン・セーヌ。当時私とマーティンは付き合っていましたし、いつもみんなで集まるような仲間でした。

ーお互いの印象は?

 私たちは異なる強烈な個性の持ち主でした。私はおしゃべり、アンは真面目で一生懸命、ダーク・ビッケンバーグは私の親友で、ドリスもいつも一緒でした。とても楽しい時間でしたね。例えばドリスはブティックを営む家の生まれなので、すでにプロフェッショナルで色々と教えてくれました。アンはボーイフレンドと服を作っていて、とても正確で計画性があり完璧主義。当時の私はもっと芸術肌で自由気ままな感じ。周りにはたくさん助けてもらいましたね。服作りのアプローチは全く異なっていましたが、無意識のうちに互いが互いから学ぶことができると各々がわかっていたのです。とてもバランスが取れたメンバーでした。

ーどんな学生生活が記憶に残っていますか?

 担任はマダム・プジョーといういう有名な先生で、高齢だったので引退が間近でした。私たちはコンテンポラリーなことをしていましたが、彼女の教え方はそうではなかった。60年代の考えでクラシックでしたが、同時にオールドファッションでもありました。ファッションは常に変化するにも関わらず、彼女の枠組みに私たちをはめようとした。ですが私たちは違いました。先生から学ぶというよりも、仲間同士で課題をこなしつつ、お互いに刺激を与え合える関係だったんです。

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