

「ムラのない美しい仕上がりを叶える」「メイクしたての美しい肌をキープ」「うるおいをたたえた美しい肌印象に導く」ビューティ業界で飛び交う言葉だ。「美人」と言えば、容姿端麗な姿を思い浮かべるというように、視覚的な部分に言及する言葉として「美」という言葉は用いられる。一方で、「心の美しさ」「美しい音色」といったように、視覚以外にも当てはめることがあり、多面的だ。
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これらは言葉上では(少なくとも日本語でにおいては)同じように括っているが、本当にそうなのだろうか。感覚的に捉えようとすると曖昧さが残るからこそ、一度その基盤に立ち返る必要がある。すなわち、人が「美しい」と感じるとき、脳内ではどのような反応が起きているのか。異なる対象に対する美的体験は、同じ仕組みで処理されているのか、それとも別のものなのか。そうした点を探るべく、「神経美学」の第一人者である関西大学の石津智大教授に話を伺った。
石津智大
慶應義塾大学大学院 心理学専攻を修了した後、ウィーン大学心理学部研究員、ロンドン大学ユニバーシティカレッジ生命科学部上席研究員などを経て、2022年より現職。脳科学の手法で感性と芸術についての研究を行う。専門は神経美学、芸術認知科学。著書に「神経美学 −美と芸術の脳科学−」(共立出版)、「泣ける消費」(サンマーク出版)などがある。
目次
「神経美学」 “感性”を科学する学問
──神経美学について簡単に教えていただけますか?
この分野では、芸術的活動に際した時に人が感じる美しさや面白さといった感性が、どのような心の働きによって生まれているのかを研究します。方法としては、心理学の実験に加えて、脳波やMRIなどを用いて脳の活動を測定し、それらを組み合わせて分析していきます。
──具体的にどのような行為が研究の対象になるのでしょうか?
対象となるのは、絵画や音楽を鑑賞する行為だけではありません。作品を生み出す創作活動、そしてそれらを分析したり批評したりする行為も含めて、広く芸術的な活動と捉えます。そのため、神経美学は1つの専門だけで完結するものではなく、複数の分野が関わる学際的な領域になっています。認知神経科学や心理学だけでなく、医療、アートや音楽の実践者、さらには美学や哲学の研究者など、さまざまな立場の人が関わっているのです。

──感性にはどこまでが含まれるのでしょうか?
美学の分野では感性を「美的範疇」と呼び、美的とされるものの範囲を定義しています。そこには美しさや優美さだけでなく、ユーモアや感動、さらには畏れといった感情も含まれます。
──ポジティブな感情だけじゃないんですね。
そうなんです。悲しみや恐れ、さらには醜さまでもが美的なものとして扱われてきたことがこの分野の興味深い点なんです。神経美学では、ネガティブとされる感情が持つ価値や魅力についても、ポジティブな感情と同様に取り扱い、脳の働きから解明しようとします。
──ネガティブな出来事に際した時、「美しい」よりも「残念だ」と捉えそうです。
実はここで扱う悲しみや恐怖は、現実で自分の身に起きたものとは異なります。舞台や作品など「架空の世界」の中で起きた出来事を一歩引いた立場で受け取ることで生まれる「仮想の感情」がネガティブな感情にあたります。

人はこの仮想の悲しみや恐怖と向き合うとき、単なる不快なものとしてではなく、美的なものとして受け取ることができます。神経美学は、こうした体験がどのように成立するのかを明らかにする学問です。
現代社会では、ポジティブな感情ばかりが価値のあるものとして強調される傾向にありますが、ネガティブに見えるものの中にも、文化的な価値や美を加速させる要素があるかもしれません。この学問は、その点にも光を当てようとしているんです。
“脳は怠けたい臓器” 美に関わる2つの要因
──どんな時に人は美しいと感じやすいのですか?
人は整えられた装いや外見だけでなく、誰かのために行動する道徳的な姿にもそれを見出すことがあります。このように美しいと感じる瞬間は多岐にわたるため、さまざまな要因が考えられます。
中でもファッションに関係する2つの切り口をご紹介します。1つ目は「単純接触効果」です。これは、何度も接するものに対して好感を持ちやすくなる性質を指します。ほら、最初は奇抜に見えたファッションでも、繰り返し目にすることで徐々に慣れ、受け入れられるようになったりしますよね。
──なぜ回数を重ねると好感度が上がるのでしょうか?
人の脳は基本的に怠けたい臓器なので、理解に負荷がかかるものよりも、処理しやすいものを好む傾向があるんです。そのため、慣れた対象には自然と好意を抱きやすくなります。奇抜なものが受け入れられにくいのって、処理にリソースがかかるからなんですよね。

──ですが、ずっと同じだと飽きそうですよね。
そこで関わってくるのがもう1つの切り口「予測符号化」、換言すれば「予想との小さなズレ」です。前提として、脳は常に次に起こることを予測しながら働いており、その予測と実際の出来事との差をできるだけ小さくしようとします。例えば、目の前にある飲み物を取ろうとした時、「この角度でこうやって伸ばせば届く」と脳内でモデルを立てます。もし現実との乖離がなければ、それ以上の処理をしなくて済みます。
予測通りであれば負荷は少なく楽ですが、お気づきの通り、それが続くと人は飽きてしまいます。ただし、予測から大きく外れすぎると理解が大変で受け入れにくい。重要なのは、予測を完全に裏切ることではなく、「少しだけずれる」ことです。この適度なズレがあるとき、人は最も強く魅力や美しさを感じやすくなります。
──ちょうど良いバランスが大切なんですね。
そうなんです。ちなみにこの関係は、魅力の高さを縦軸、対象の複雑さを横軸にとった山なりのカーブ「バーラインカーブ」として表されます。単純すぎても複雑すぎても魅力は低く、その中間にピークが存在するという考え方です。
──ファッションや文化の流れを見ても同じことが言えそうですよね。
実際、歴史を見てもこの振れ幅の中で揺れ動いています。あるスタイルが広く受け入れられるとやがて飽きられ、そこから違った表現が生まれる。それが先鋭的になりすぎると、再び分かりやすい形へと戻っていく。この往復運動が繰り返されています。レトロブームはその一例で、時間が経つことで適度に目新しいものとして認識されるようになり、それが流行しすぎると飽きられていくんです。
完全に新しすぎるものは受け入れられにくく、逆に慣れきったものは退屈に感じられる。その間にある「見慣れているが、どこか違う」という状態が、最も人を惹きつけるポイントとなるんです。
生きるために必要不可欠? 快感も美しいも脳への“ご褒美”
──美しいと感じる時、脳では何が起こっているのですか?
脳内では「報酬系」と呼ばれる領域が活動することが分かっています。これは、人が心地よさや満足感を得るときに働く仕組みです。眉間の奥あたりにある内側眼窩前頭皮質と呼ばれる部位が関わっています。この領域は何かを「気持ちいい」や「心地よい」と感じるときに活動します。たとえば、喉が渇いているときに飲み物を飲んでおいしいと感じるような場面でも、同じ仕組みが働いています。
──美しいものを見ることと、喉の渇きを満たすといった生理現象の両方に報酬系が関係しているんですね。
そうなんです。このことから、「美しいものを見ること」は脳にとっては一種の「ご褒美」や「生きる上で必要不可欠なもの」として処理されている可能性が考えられます。
──興味深いですね。関連しそうな言葉としてよくドーパミンがありますが、これはどのように関わっていますか?
脳のある部分が活動していることを伝えるための信号のような役割を持っています。一般には「快楽物質」と呼ばれますが、実際には気持ちよさそのものを生み出しているわけではありません。正確にいうと、報酬系が活動するときにドーパミンも働いているのですが、快感を生んでいるのはドーパミンという物質そのものではなく、脳の報酬系の回路全体の活動パターンです。つまり、「ドーパミンが気持ちいい」のではなく、「報酬系という回路がどう動くかによって、心地よさが生まれる」という関係です。
実は体を動かすときにもドーパミンは関わっているんです。ということからも、ドーパミン自体が快感を生むわけではないことが分かると思います。どの脳の部位が活動するかによって、結果として生じる感覚や機能が変わります。
──ではよく聞くセロトニンはどうですか?
セロトニンについても同様で、それ自体が安心感を直接生み出すというよりは、安心や安定に関わる脳の領域の働きを調整する役割を持っています。
まとめると、美しさを感じる体験は「特定の物質が気持ちよさを作る」という単純な話ではなく、「どの脳の回路が動くか」によって決まっているということです。
人間を“人間たらしめる”「美しさ」
──黄金比やシンメトリーなど整った形に快を感じやすいのは何故ですか?
前提としていくつか整理すべき点があります。一般に黄金比は「最も美しい比率」として語られがちですが、現在ではそれが普遍的な基準ではないことが明らかになっています。「パルテノン宮殿」などに当てはまると説明されることがありますが、多くの場合、恣意的に切り取られています。したがって、「黄金比=美しさの絶対基準」という理解は実は正確ではありません。
──黄金比神話はすでに崩れていたんですね。シンメトリーはどうですか?
シンメトリー(左右対称性)については、生物学的な美しさの理由、「バイオロジカル ビューティ」があります。生物にとって重要なのは、後世に遺伝子をつなぐために健康で安定した個体を見分けることです。左右対称な形は、成長過程で大きな損傷や異常がなかったことを示す指標になりやすく、結果として「良い状態の個体」である可能性と判断されやすくなります。
──ドーキンス著「利己的な遺伝子」では、生物は遺伝子の乗り物に過ぎないと言われていました。人間の種としての本能が美しさの認知にも関わっているんですね。
そうですね。あくまでも生物なので、そういった種としての本能は祖先から受け継いでいます。研究では、生後間もない赤ちゃんですら、左右対称の顔をより長く見るという結果が出ています。つまり、人は教えられなくても対称性に引きつけられる生得的・普遍的な傾向を持っていると考えられています。

しかし重要なのは、「生物としての美」が人間の美のすべてではないという点です。
──アシンメトリーにも美を見出すということでしょうか?
そうです。たとえば「わび・さび」に代表される日本の伝統的な美意識では、むしろ非対称や不完全さに価値を見出す傾向があります。茶室や庭園の設計はその典型で、自然のゆらぎや歪みに美しさを捉えています。
人間の美には2つに大別できます。ひとつは、生物としての本能に根ざした「整っていることへの好み」。もうひとつは、文化や解釈によって成立する「意味や文脈としての美」です。後者に関わるのが、いわゆる「ネガティブな美」です。悲しみや恐怖、あるいは不完全さといった、生物学的に見れば避けるべきものに対しても、人は美しさを感じることがあります。
──日本の美意識が不完全さに着目するようになったのは何故でしょうか?
1つ目は文化的・歴史的な影響です。6世紀ごろに日本へ伝わった仏教は、その後の時代において「末法思想」と呼ばれる観念を広く意識させるようになりました。これは、正しい教えであっても時間の経過とともに衰え、やがて失われていくとする考え方です。
11世紀半ば頃、「末法の時代に入った」と認識されると、人々のあいだで「すべてのものは絶えず変化し、永遠に同じ状態には留まらない」という無常観への関心が強まっていきました。その後、12世紀以降の平安後期から鎌倉時代にかけて、この無常観を背景に、言葉にならない奥深さや余情に美を見出す「幽玄」、あるいは不完全さや簡素さのなかに価値を見出す「わび・さび」といった美的理念が育まれていきました。茶の湯は、とくにこの「わび」の精神を発展させたものとして生まれました。
2つ目は地理的な理由です。日本は地震や台風などが多く、建物や生活基盤が壊れやすい環境にあります。そのため、思想的な影響と合わせて、「完成したものもいつか朽ちていく」という感覚が強くなります。徳川家康をまつる日光東照宮には陽明門という建物があります。複雑な彫刻と艶やかな色彩が特徴で、一見完璧に見える作りなんですが、1本だけ柱が逆さになっているんです。何故かというと、「完成させなければ朽ちることがない」と考えたからと伝わっています。このように欠損や消失に対する感受性が高くなる下地があったんです。
──ちなみに人はネガティブな美をどのような場面で見出しますか?
これは、単に形そのものが美しいのではなく、その背後にある物語や他者の感情を読み取ることによって生まれます。たとえば悲劇的な作品に心を動かされるとき、登場人物の状況や感情を想像し、それに共感することで価値を見出しています。
脳の働きとしても、こうした体験のときには単なる快感だけでなく、他者理解や社会的な認知に関わる領域が同時に活動することが分かっています。つまり、人は「感じる」だけでなく「意味づける」ことで美を拡張しているということです。
──この美の捉え方には、生物としての人間に勝てる可能性というか、人間を人間たらしめる大切な要素であるように感じます。
そうですね。参考として、文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss)の著書「悲しき熱帯」があります。1930年代のブラジル先住民との生活を記録したもので、そのなかにカドゥヴェオ族という人々が登場します。彼らは食べるために決して楽な暮らしをしていたわけではありません。しかし、そんな中でも綺麗なボディペインティングに膨大な時間と労力を費やしました。レヴィ=ストロースは、身体の装飾は人間に人間としての尊厳をあたえるもの、つまり動物と人間との境界を越えるための行為だったのだと分析しています。生きることだけで手一杯な環境のなかで、それでも装飾をやめなかったことは、効率だけを考えれば非合理と言えますが、彼らにとってはそれこそが人間たらしめる大切な行為だったんです。
脳の中の“真善美” プラトンと「神経美学」
──生物学的な美と人間的な美、それぞれを捉えた時の脳の反応には違いがありますか?
まず、後者に関して補足をさせてください。先ほどは、不完全さや欠損となど、生物学的な観点で見て非合理な部分に美しさを見出すことを一例としてあげましたが、他にも、「真実」や「道徳的な美しさ」のほか、言葉や音楽、詩などの芸術活動も対象範囲に含まれます。
その上で、生物的な美と人間的な美では、知覚した際に反応する脳の部位が少し異なります。生物的な美に強く反応するのは「側座核」と呼ばれる、割と古くからある脳の領域です。こちらは快感にも強く結びつく場所になります。これに対し、人間的な美には、前頭葉の下にある脳の中では比較的新しい領域が強く反応することが分かっています。
──言葉や音楽など一見すると質の異なる体験が「人間的な美」として並列で語られています。脳の中で反応する領域は同じですか?
脳の中を覗いてみると、音楽や詩といった芸術に美しさを感じる時、「内側眼窩前頭皮質(ないそくがんかぜんとうひしつ)」という脳の中の共通した領域が活動することが分かっています。また、人は誰かを助ける道徳的な行為にも美しさを感じますし、数学者は数式にもそれを覚えます。研究ではこうした異なる対象でも、同様の領域が活動することが確認されています。つまり、異なる感覚の美しさは、体験としては違っても脳の中では同じ価値として扱われている可能性があります。
──芸術や定理が脳の中では同じ価値として扱われているんですね。
実際に数学や物理学の研究者と話すと、この感覚に強い納得が得られます。何故なら彼らには推しの数式があって、それを解いているときは「偉大な芸術を前にしているときと同じ感覚になる」と言うんです。数学の方程式は、宇宙や自然の定理を表そうとするものですが、そういった真実にも美しさを見出せるのが人類なんです。
二千年前のプラトンによる「イデア哲学」では、人類が追求すべき3つの徳として「真・善・美」が挙げられています。そしてこれらは脳の反応を見ると、共通の価値として扱われているように見える。奇しくもプラトンはその事実に感覚的に気が付いていたのかもしれませんね。

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