コム デ ギャルソンが「当たり前でないものを当たり前にしてきた」こと

Rei Kawakubo (Japanese, born 1942) for Comme des Garçons (Japanese, founded 1969); Courtesy of Comme des Garçons. Photograph by © Paolo Roversi; Courtesy of The Metropolitan Museum of Art

 コンテンポラリー・ファッションの誕生。当たり前でないものを当たり前にしてきたコム デ ギャルソン。ーーーファッションの世界にいる人々が想像している以上に、ニューヨークのメトロポリタン美術館で「Rei Kawakubo/Comme des Garçons: Art of the In-Between(邦題:川久保玲/コム デ ギャルソン : 間の技)」という展覧会が開催されていることの意味は大きい。 文:泉 寶(いずみ みのる)

 様々なメディアで書かれている通り、存命のデザイナーがこのメトロポリタン美術館で展覧会を開いたのは2回目である。前回のイヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)が開いたのは1983年。1963年から1971年の間、米VOGUEの編集長を務め、その後コスチュームインスティチュートのコンサルタントをしていたダイアナ・ヴリーランド(Diana Vreeland)によってキュレーションが行われ、150体のルックが展示された。当時のThe New York TimesのSTYLE欄のアーカイブ(注釈1)を見れば、展覧会前夜のGALAの熱気が伝わってくる。

(注釈1)
The New York Times Style : GALA NIGHT AT MET HAILS SAINT LAURENT -1983, Dec 6

 この後、30年以上の間、存命のデザイナーの展覧会が開かれなかったのは報道に書かれた事実の通りだが、どうやらこれには理由があるらしい。コスチューム・インスティテュートのチーフキュレーターのアンドリュー・ボルトン(Andrew Bolton)による川久保玲のインタビューが展覧会の図録に掲載されているが、彼がこの展覧会の当時の様子について述べている。

In 1983 Diana Vreeland presented a retrospective of Yves Saint Laurent. It was celebrated in the fashion press, but denigrated in the art press for its perceived commercialism........but in the early 1980s, art critics still clung to nineteenth-century definitions of what constituted art, despite the fact that Duchamps, the Dadaists and certainly after Warhol, defining only one category of cultural production as art had become problematic. I'm afraid that the Museum listened to the criticism. (p.23 "Rei Kawakubo/Comme des Garçons: Art of the In-Between")
訳:1983年、ダイアナ・ヴリーランドはイヴ・サンローランの回顧展を開きました。ファッションのプレスには賞賛された一方、アートのプレスでは、商業主義的という理由で無視をされました.......しかし80年代、アートの批評家たちは、デュシャン、ダダイスト、そして当然ながらそれに続くウォーホルがいるにもかかわらず、19世紀のアートの定義に固執し、一つの文化的創造領域のみをアートと定め、それが問題になっていたのです。美術館が(そういった状況下でアートからの)批評に耳を傾けてしまったことを残念に思います。

 過去の展覧会で起きたアート界からの批判を受け、存命のデザイナーの展覧会を慣習的に避けていたという部分があったというのは驚きである。奇しくも今回の展覧会はアナ・ウィンター(Anna Wintour)と二人三脚でコスチューム・インスティテュートを支えてきた前任者のチーフキュレーターであるハロルド・コウダ(Harold Koda)が引退し、世代交代が行われてから初めての展覧会だった。過去のしがらみにとらわれない、新しい何かをしようという機運があったのだろう。

cdg_met_01_02.jpgアンドリュー・ボルトンと川久保玲(パリで行われたプレスイベントにて)Courtesy of The Metropolitan Museum of Art/BFA.com

 ファッションとアートの間の壁が、当時ニューヨークでそれほど顕著に存在していたというのは意外なことかもしれない。しかし、現在でもこの街では、文化的感度が高いコミュニティの中でファッションに関心を持たない人が多い。これはアンドリュー・ボルトンが述べているように、ファッションが商業的活動だと見做されてきたことに起因しているのだが(そして実際にアメリカのファッションデザイナーの活動はやや商業的な側面がある)、ファッションを特定のサブカルチャーやゲイカルチャーといった一部の領域の文化と見做している人も存在する。美術館や博物館において、ファッションは長い間工芸やプロダクトデザインの枠に当てられてきた歴史的背景があり、アートの文脈でファッションが真剣に取り上げられるようになったのは90年代以降である。更にアートの世界では古典美術を頂点としコンテンポラリー・アートへ続くピラミッド型のヒエラルキーが形成されており、ファッションはその文脈の中では今でも決して高い位置に据えられているわけではなかった。(注釈2)

(注釈2)
 いわゆる我々が今、頻繁に目にすることになった、現代アートだが、その礎が作られたのは最近である。戦前にシュルレアリストを紹介していたジュリアン・リーヴィ(Julien Levy)が存在し、同時期にマルセル・デュシャン(Marcel Duchamps)をアドバイザーにしていたペギー・グッゲンハイム(Peggy Guggenheim)とその周辺が新しい文脈で作品を収集し始めたことから流れが始まった。その後、商業的レベルでコンテンポラリー・アーティストが活躍できるような土台が作られたのは戦後に現代アートのギャラリーを作ったベティ・パーソンズ(Betty Parsons)やレオ・カスティリ(Leo Casteli)、またドロシー・ミラー(Dorothy Miller)、アルフレッド・バー(Alfred Barr)といった名キュレーターの存在による。一般のレベルで現代アーティストの社会的立ち位置が定められるのはそれから少しの時間を要した。その時代に存在したファッションデザイナーの活動と、既存の価値観に対して対抗していった現代アートの批評性を比較すると、確かにファッションが視野に入らなかったのは仕方がない気もする。現代アートの歴史を人物を通して垣間見ることのできる良書として、「アート・ディーラー 現代美術を動かす人々」 (1999年 株式会社PARCO出版局)を紹介したい。

 しかし、今回の展覧会が話題になるにつれ、その風向きが少し変わってきたような気配を感じた。2〜3年前、ニューヨークのマンハッタンのアートギャラリーで働いている人たちに「コム デ ギャルソンを知っているか?」と聞いたら、「名前だけは」とか「W22ndにある店」といった程度の返答がほとんどで、その多くがマンハッタンの中にDOVER STREET MARKET NEW YORKという店が存在することや、Rei Kawakuboという人物のことも、またブランドが日本の会社によって運営されているということも知らないという状況だった。

 しかし、世界一の美術館を自負するメトロポリタン美術館と、そこで開催されている展覧会は、ニューヨークのアート関係者、出版社の編集者、その他の文化コンテンツに携わる人々にとって大きい存在なのだ。あの頃とは状況が変わり、これまでファッションにそれほど関心が無かった、あるいはコム デ ギャルソンに関心が無かった人にとっても"COMME des GARÇONS"と"Rei Kawakubo"はフォローしなければならない固有名詞になったようだ。Google Trend(trend.google.com)を見てみると、4月後半から、この2つのワードの検索数が爆発的に増えていることがわかる。

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