信田阿芸子
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Fashion インタビュー・対談

【インタビュー】"やり残したことは川久保玲との仕事" アナへのプレゼン、東コレ改革、伊藤忠から送られた商社ウーマンの11年

信田阿芸子
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 東京ファッションウィークを率いてきた重要人物の1人、国際ディレクターの信田阿芸子氏が、11年間の仕事に区切りをつけて同職を退任した。メルセデス・ベンツやアマゾン ジャパンをはじめとするスポンサーの獲得や、参加ブランドの誘致やサポート、海外ゲストの招聘、運営管理についてまで、ファッションウィークの全てに関わってきた信田氏に、"東コレ"と歩んだ11年間の舞台裏を振り返ってもらった。

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信田阿芸子
 1970年生まれ。大阪外国語大学イタリア語学科(現・大阪大学)を卒業。伊藤忠商事に入社し、2007年に伊藤忠ファッションシステムに出向。一般社団法人日本ファッション ・ ウィーク推進機構国際ディレクターとして、世界各都市で日本ブランドのプロモーションイベントなどを実施し、日本のデザイナー、ブランド、ファッションウィークの海外発信および若手クリエイターの海外進出支援を精力的に行う。世界のファッションビジネスで影響力のある500人として「BoF 500」に選出。2019年3月に国際ディレクターを退任して同4月1日から伊藤忠商事本社に戻り、欧州・アフリカ市場向け渉外・外交担当に就任。



ファッションウィークを大改革


ー11年間にわたって国際ディレクターとして東京ファッションウィークに関わってきました。今の率直な感想は?

 2008年から伊藤忠ファッションシステムからの出向というかたちで国際ディレクターの職を任されてから、あっという間の11年でした。通常だと商社の出向は3〜5年なので、まさか10年以上も同じところにいるなんて思いもしなかったというのが正直な感想です。

ー信田さんがファッションに関わるようになった経緯は?

 新卒で伊藤忠商事に入り、当時課長だった岡藤正広(現・代表取締役会長CEO)のいる輸入繊維課に所属しました。その後2007年に伊藤忠ファッションシステムに移ってから、色々と新しい事業を立ち上げたのがきっかけですね。

ー伊藤忠ファッションシステムでは具体的にどんなことを?

 欧米ブランドの国内市場展開がメインの仕事でした。あと当時は検定ブームで、ファッションにも検定があればと考えて。それで検定なら経済産業省のお墨付きがあった方がいいので話を持っていったんです。でも検定の話は全然聞いてもらえず(笑)。ただ後日もう一度呼び出されて、当時は主に国からの資金で運営していた「一般社団法人日本ファッション・ウィーク推進機構(JFWO)」が大変な状態だから、助けに行くようにと言われたんです。それで岡藤が調整し、JFWOへの出向が決まりました。

※一般社団法人日本ファッション・ウィーク推進機構(JFWO)=日本の繊維・ファッション産業のさらなる国際競争力の強化、発展を図ることを目的に、川上から川下にわたる、繊維・ファッション製造業者、ファッションデザイナー、流通業者が大同連携して2005年に設立。東京を「世界でオンリーワンの繊維・ファッション基地」の一つとして確立すると共に、アジアの中心的なファッション発信拠点としてゆくことを目指している。

ー大変な状態とは?

 当時は広告代理店が仕切っていて、メンバーにはファッションビジネスを経験したことがある人が一人もいなかったんですよ。「スタイリストって何?」のようなレベルで、英語ができる人もいない。当時は経産省から資金が出ていて、最高で年間10億円近い予算があったんですが、それがほとんどショーの特設テントに消えてしまっていた。だから一から全てを見直す必要がありました。

ーJFWOを立て直す、という使命だったんですね。

 とても意味のあることなんだろうとは思いました。ただ、「波風立てるやつが来たぞ」みたいなアウェーの雰囲気で、歓迎されている感じではなかったですね(笑)。

着用しているトップスは「サスクワッチファブリックス(Sasquatchfabrix.)」、インナーは「ミスター・ジェントルマン(MISTERGENTLEMAN)」

ー当時から国際ディレクターという肩書きだったのでしょうか。

 そうですね、11年間。現場では実質的に仕切り役だったかもしれません。

ー何から着手したんですか?

 今のように関連イベントなどが無く粛々とショーだけやっている形だったので、世界のファッションウィークのようにコンテンツ力を高めることに注力しました。例えば映画業界の人とタッグを組んで、目黒のクラスカで映画の上映を絡めたイベントなどもやりましたね。

ー当時のJFWOの運営で、特に問題意識を持った点は?

 まず国内のファッション業界の人たちがそっぽを向いていたんです。それは由々しきことだと思いました。ファッションの中心にいる人たちに参加してもらわないと熱量は生まれないじゃないですか。それで、日本のファッションのキーパーソンでもある吉井雄一さん(パリヤ代表、ミスター・ジェントルマンのデザイナー)に、思い切ってアタックしにいったんです。ダメもとでしたが、思っていた以上にパッションのある方でOKを頂けて。オーガナイザーとして仕切っていただき、なんとか実現にこぎつけたのがファッションイベントの「バーサス トーキョー(VERSUS TOKYO)」です。

VERSUS TOKYOで発表された MISTERGENTLEMAN 2015年春夏コレクション

ー旬のファッションと音楽を1日に集めるという、一般参加型の大掛かりなイベントでしたね。

 それで資金の確保がとても大変でした。新たにスポンサーをつけないと実施できなかったので。半年に1回のペースで実施しているファッションウィークは本当に時間がなく、スポンサーと交渉しながら同時進行で企画を進めていかなければいけない。バーサス トーキョーも、スポンサーが決まらなければ直前でダメになる可能性がありました。でも、ギリギリのタイミングでZOZOさんがスポンサーに決まったんです

ーバーサス トーキョーは3回実施しましたが、継続しなかった理由は?

 東京のファッションウィークでBtoC向けの最初の事例として意義があって、その枠組みでイタリアの「ピッティ ウオモ」にも出展することができたので、ある意味で目的は達成した。ですが実際は、継続するための予算確保が難しかったという理由もありました。1回のミニマム予算が2,000万円くらいで、普通に考えても少ないんですよね。吉井さんにも、払うよりもむしろ出してもらっているくらいで、ボランティアがあってなんとか運営できるレベルだったので。

ー実際に反響はありましたか?

 人気ブランドや著名のブランドも興味を示してくれるようになったのは、これがきっかけでしたね。今までそっぽを向いてた人たちが「うちも出たい」と言ってくれて参加するようになりましたから。吉井さんや、手伝ってもらえた方々には今でもとても感謝しています。私にとっても良い経験になって、ファッションウィークの前進にも繋がったんです。

VERSUS TOKYO:「ファセッタズム(FACETASM)」2015年春夏コレクション



 

アナ・ウィンターとサカイの橋渡し役に

ーキャリアの中で印象に残っていることを3つ教えてください。

 バーサス トーキョーがまず1つ目。2つ目は、モスクワファッションウィークに日本のブランドを連れていったショーですね。「ブラックミーンズ(blackmeans)」などが参加したんですが、現地の方はモスクワファッションウィークの歴史に残るものだと言ってくれて、メディア露出も多かった。3つ目はファッションウィーク中ではないですが、米VOUGE編集長のアナ・ウィンター(Anna Wintour)氏に日本ブランドをプレゼンテーションしたことでしょうか。

ーアナ・ウィンター氏は、2011年の3.11後に行われた「VOGUE FASHION'S NIGHT OUT(FNO)」で来日しましたね。

 その来日期間中です。特別にセッティングして、「ソマルタ(SOMARTA)」「モトナリ オノ(motonari ono)」「アキラナカ(AKIRANAKA)」の3ブランドを紹介したんですが、とても褒めてくれて。でもなぜ印象に残ってるかというと、本当に大変だったからなんですよ(笑)。影響力がすごいですが怖い方だという噂も聞いていたので、下準備は徹底しましたね。「TOKYO DESIGNERS WEEK」の会場内でプレゼンすることになったので、車を降りて歩いてもらわないといけない。途中で帰ってしまうようなことが絶対にないように、何があってもデザイナーのところまで連れて行こうと必死でした。

ーブランドの選択が少し意外ですね。

 事前にリサーチして、「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」のようなすでに著名なところは必要ないということだったので、ジャーナリストからの評価が高く、且つ彼女が面白がってくれるブランドを選びました。

ーどんな形で紹介したんですか?

 デザイナー達に同席してもらい、主に私が説明するという形でした。そもそも日本のファッションは今こういう状態だというところから説明し、それぞれのブランドの服を見せながらお話して。そしてその後、車に乗せて「サカイ(sacai)」のお店に連れて行きました。

ー阿部千登勢さんに会いに?

 そうです。サカイは店舗をクローズして特別仕様にデコレーションして、アナ氏を迎えたんです。2人はその時が初対面だったんですよ。

ーアナ氏の反応は?

 とても喜んでいました。阿部さんも喜んでくれて、頑張って良かったなと心底思いましたね。その帰りに、今回は4ブランドしか紹介できなかったけれど、その背後には何百という優秀なデザイナーがいるんですと伝えたら「もっと見たかった」と言ってくれました。記事にもしてくれて、それから本国のコンデナストチームに「ちゃんと日本を取材するように」と伝えてくれたようです。コンデナストとは今すごく良い関係ですが、それはこのプレゼンがあったからだと思っています。

ー海外からの著名な人をアテンドしたり、海外メディアに広げるという役割もあったんですね。

 それが簡単ではないことばかりで。ハードロックバンドの「キッス(KISS)」が東京のファッションウィークに出たときも同じような状態でしたね。

CHRISTIAN DADAの2014年春夏コレクションのショーに出演したKISS

ー2013年に「クリスチャン ダダ(CHRISTIAN DADA)」のショーにサプライズ出演したときですね。驚きました。

 私が仕込みに関わったんですが調整に色々とあって、本当に森川君(クリスチャン ダダのデザイナー森川マサノリ)には迷惑をかけてしまったと思います。最後にキッスがクリスチャン ダダの服を着て登場したんですが、実はあれも賭けだったんですよ。マネージャークラスは全然OKしなくて、でも諦めずにお願いしたら、最後の最後に着てくれたんです。本当に運で繋がっていますよね(笑)。

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