カニエ・ウェスト
Image by: ユニバーサルミュージック
全く異なるジャンルでありながら、古くから蜜月関係にあるファッションと音楽。ここ十数年でその結び付きはさらに強くなり、今やファッションメディアでなにがしのアーティスト名を見ない日は無いと言ってもいいほどである。だがアーティスト名は目にするものの、彼/彼女らがファッションシーンへと参画した経緯や与える影響力、そして何よりも楽曲に馴染みが薄く、有耶無耶の知識のまま名前だけを認知している人も少なくないだろう。
そこで本連載【いまさら聞けないあのアーティストについて】では、毎回1組のアーティストをピックアップし、押さえておくべき音楽キャリアとファッションシーンでの実績を振り返り、最後に独断と偏見で「まずは聴いておくべき10曲」を紹介。第1回は、あのヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)に「今まで見た中で最高のデザイナーだ」と言わしめた"元祖お騒がせラッパー"のカニエ・ウェスト(Kanye West)ことイェ(Ye)についてをお届けする。(文:Internet BoyFriends)
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目次
シカゴの大学生が全米No.1プロデューサーに
カニエは1977年6月8日、アメリカ・ジョージア州アトランタでフォトジャーナリストの父レイ・ウェスト(Ray West)とシカゴ大学の教授だった母ドンダ・ウェスト(Donda West)の間に生まれた。両親はカニエが3歳の頃に離婚し、これを機にドンダは幼いカニエを連れてシカゴへ移住。ドンダ曰く、既にこの頃からカニエの芸術的才能は片鱗を見せていたそうで、5歳にして詩を書き始め、絵を描くことにも夢中だったそうだ。その後、10歳のときに中国・南京へ移住するもすぐにシカゴに戻り、奨学金で美術大学のアカデミー・オブ・アート大学に進学。絵画制作の授業を受けるが、早々とシカゴ州立大学へ編入し英文学を専攻した。
1990年代後半のカニエは、大学に通いながら音楽プロデューサーとして活動し、シカゴを拠点とするローカルアーティストに楽曲を提供する日々を過ごす。だがある日、若手発掘に定評のあるプロデューサーのジェイ・Z(Jay-Z)の目に偶然留まり面会することに。ここで余談を1つ。この時のカニエは、憧れのジェイ・Zへの訪問に気合いが入り、身だしなみとして買ったばかりの若干タイトなTシャツを着ていたという。ところが、これは中流階級出身だからこその考えで、当時のヒップホップシーンではオーバーサイズで無骨な服が好まれていたため、それとは全く異なる出で立ちで姿を現したカニエにジェイ・Zは驚いたそうだ。それでもサウンド面の手腕は高く評価され、後に"2000年代ヒップホップの名盤"と称されるジェイ・Zの6thアルバム「The Blueprint」(2001年)の数曲にプロデューサーとして参加。これが全米1位の成功を収めたことでジェイ・Zからの信頼を獲得し、ジェイ・Zが率いる「ロッカフェラ・レコード(Roc-A-Fella Records)」のラッパーたちの楽曲もプロデュースするようになり、20代前半ながら人気プロデューサーとしての階段を数段飛ばしで駆け上がっていった。しかし学業との両立は難しく、大学を中退し音楽一筋に打ち込むことを決めたのだ。
プロデューサーからラッパーへの転身
若くしてプロデューサーとしての地位を確立したカニエだったが、彼の幼い頃からの夢はラッパーになることだった。プロデューサー以前からラッパーを名乗っていたものの鳴かず飛ばずで、幸か不幸かプロデューサーでの活躍が多くのレーベルに先入観を植え付けてしまい、ラッパーでの契約は難航。またここでも、彼のファッションが当時のヒップホップシーンにそぐわないことが拒否理由に挙げられたそうだ。だが「ロッカフェラ・レコード」は、非凡なプロデューサーであるカニエが他レーベルに奪われることを恐れ渋々契約。こうしてラッパーとしての一歩を踏み出したカニエだったが、2002年にスタジオから帰路につく途中で居眠り運転で交通事故を起こし、顎が3つに砕ける大怪我を負ってしまった。このためカニエはしばらくの間、口にワイヤーが縫い付けられた状態での生活を余儀なくされることになったのだが、事故で命をも失いかけたことで表現欲の衝動に駆られ、顎の痛みに耐えながらある楽曲を完成させた。これがデビューシングル「Through The Wire(ワイヤーの間から)」(2003年)である。
エネルギーに満ちた同楽曲は、レビューサイトや批評家たちから肯定的に受け止められ、「ロッカフェラ・レコード」のカニエに対する評価も一変。晴れてデビューアルバムをリリースする運びとなり、自身のために隠し持っていた秘蔵のビートの数々で処女作「The College Dropout」(2004年)を完成させた。本作は「Through The Wire」同様に大学中退という自らの過去を引用したタイトルが名付けられ、デビューアルバムながら全米2位を獲得するだけでなく、グラミー賞で最優秀ラップ・アルバム賞を含む3部門を受賞する華々しい結果を出し、今日までシーンを牽引するラッパーとしてのキャリアをスタートさせた。ちなみに、アートワークには熊の着ぐるみに扮したカニエが登場しているのだが、ジャケットにポロベアのニットをあわせたラッパー然としないスタイルを揶揄する声は多かったそうだ。
その後のカニエの音楽業界での躍進および功績はというと、盟友ジェイ・Zとのコラボ作「Watch The Throne」(2011年)を含む10枚のアルバムでの全米1位獲得や22度のグラミー賞受賞(ノミネートは75度)など枚挙にいとまがないので、これ以上の情報が気になる方は専門メディアを参考にしていただくとして、以降はファッションシーンでの目覚ましい仕事ぶりについてご紹介したい。
ヴァージル・アブローとの出会いと節目の2009年
2002~2003年頃、その後のカニエの人生を大きく左右する運命の人物との出会いを果たす。ご存知、ヴァージル・アブローだ。当時、ヴァージルが働いていたシカゴの某ショップにカニエのマネージャーだったドン・C(Don C)が訪れたことで2人は知り合い、カニエはすぐにヴァージルの抜きん出た才能を察知。ステージ衣装やデザイン、ツアーのマーチャンダイズ(グッズ)、アルバムのアートワークなどをディレクションしてほしいことを伝え、ヴァージルはこれを快諾。数年にわたって協業を重ね、2007年に正式にクリエイティブディレクターとしてヴァージルをチームへ招待した。
ヴァージルを右腕として従え2年が経過した2009年は、カニエが本格的にファッションシーンへ参画した年であり、主に4つのビッグトピックスが挙げられる。1つ目が、「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」とのコラボによるスニーカーコレクションの発売。2つ目が、ヴァージルと参加した「フェンディ(FENDI)」での1ヶ月間のインターン。3つ目が、「ナイキ(NIKE)」とのスニーカーシリーズ「エア イージー(AIR YEEZY)」のスタート。そして最後が、ファッションブランド「パステル(Pastelle)」の立ち上げである。
2つ目に関しては、ファッションをゼロから学ぶためラフ・シモンズ(Raf Simons)に直接インターンの申し入れをしたところ断られたのが理由。3つ目は詳細を後述するとして、4つ目の「パステル」に馴染みのある人はそう多くないだろう。「パステル」とは、カニエ初のブランドとしてローンチ予定だったが、かの有名な"テイラー・スウィフト(Taylor Swift)のスピーチ妨害事件"の影響から頓挫せざるを得なくなった幻のプロジェクトである。驚くべきは参加していたメンバーで、キム・ジョーンズ(Kim Jones)がブランドコンサルを、「コモン スウェーデン(CMMN SWDN)」のエマ・ヘドルンド(Emma Hedlund)とセイフ・バキール(Saif Baker)がデザインを、カウズ(KAWS)がロゴデザインを、今やセレブ御用達ジュエラーのベン・ボーラー(Ben Baller)がアクセサリー部門を担当する予定だったのだ。この布陣で無事にローンチを迎えていたならば、世界屈指の人気ブランドになっていたことは間違いないだろう。
「ナイキ」から「アディダス」への鞍替え
2009年にスタートした「ナイキ」とのコラボスニーカーシリーズ「エア イージー」は、発売の数日前から取扱店に行列ができるなど最高のスタートを切ったが、長くは続かなかった。というのも、カニエは「ナイキ」に対しロイヤリティーを支払うことを求めたが、「ナイキ」は彼がアスリートではないことを理由に拒否。また、デザイン面でも厳しい制約が設けられていたそうで、これにカニエが耐えきれず「エア イージー」はわずか2モデル6カラーのみの展開で2014年に突如として終了。そして翌年、ライバルブランドへの鞍替えという形で「アディダス」とのコラボがスタートしたのである。
「アディダス」はカニエにデザインの全権を任せることで、スニーカーだけでなくアパレルや小物も含めたフルコレクションを製作し、結果として彼の長年の夢だった自身のブランド「イージー」が誕生。「イージー ブースト 750(YEEZY BOOST 750)」や「イージー ブースト 350(YEEZY BOOST 350)」といった前衛的なシルエットが目を引くスニーカーは、「ナイキ」一強だったスニーカーシーンに大きな風穴を開けた。また、「イージー」のコレクションは、春夏・秋冬のステレオタイプに捉われず、「シーズン 1」や「シーズン 2」として不定期に発表。さらに、ラッパーというアイデンティティを最大限に活かすべく、コレクションの舞台を自身の楽曲のプロモーションの場としても活用した。その最たる例が、2016年2月にマディソン・スクエア・ガーデンで発表した「シーズン 3」で、なんと当時最新作だった7thアルバム「The Life of Pablo」の世界初披露の場も兼ねていたのだ。これはファッションショーと音楽を高い次元で織り交ぜた他に類を見ないイベントとして大成功を収め、改めてカニエという名をファッションと音楽の両シーンに轟かせた。
続く2016年9月の「シーズン 4」では、起用した全てのモデルがマルチレイシャル(複数の人種の血を引く人々)だったこともあり、米国ファッション協議会が"最も多様性に満ちたランウェイショー"と賞賛。しかしその裏では、発表直前にアイテムの大幅な修正を余儀なくされたことで、真夏の屋外を会場としていたにも関わらずショーの開催が数時間も後ろ倒しとなり、炎天下の中で待機していたエディターやバイヤー、モデルたちが熱中症に。このことから多方面でバッシングを受けたカニエは、「イージー」を支えていた30名の全スタッフを解雇し、彼自身もノイローゼ気味になってしまうなど、成功ばかりが続いたわけでなかったのである。
現在と"チーム カニエ"の目覚ましい活躍
「イージー」は2020年3月の「シーズン 8」を最後に休止中だが(スニーカーは毎月のように新作を発売中)、同年に「ギャップ(GAP)」との10年間に及ぶパートナーシップを締結。これまでにシンプルなジャケットやフーディーなどをリリースしているほか、今年に入ってからは「バレンシアガ(BALENCIAGA)」を招聘したトリプルコラボまで展開しており、「イージー ギャップ」の動向だけでも今後数年間は我々を楽しませてくれることだろう。また、アルバムをはじめとするマーチャンダイズのデザイン性が極めて高く、10thアルバム「Donda」(2021年)の際には1日で700万ドル(約7億7000万円)以上の売上を達成しているほどの人気ぶりなので、興味が沸いた人は是非チェックしていただきたい。
最後に、カニエの優れた先見の明について。ヴァージルを例に、カニエの下で働いたことで頭角を現した、もしくは彼がフックアップしたことで世界へ羽ばたいた人物は数多い。ざっと名を挙げると、「フィア オブ ゴッド(Fear of God)」のジェリー・ロレンゾ(Jerry Lorenzo)、「1017 アリクス 9SM (1017 ALYX 9SM)」の創業者で「ジバンシィ(GIVENCHY)」のクリエイティブ・ディレクターを務めるマシュー・M・ウィリアムズ(Matthew M Williams)、自身の名を冠した「ヘロン・プレストン(HERON PRESTON)」を手掛けるヘロン・プレストン、クリエイティブスタジオ「ジョウンド(JJJJound)」を率いるジャスティン・サンダース(Justin Saunders)、稀代のシューズデザイナーとして引く手数多のサレヘ・ベンバリー(Salehe Bembury)、ヘアスタイリストやデザイナーなどの顔を持つイブン・ジャスパー(Ibn Jasper)ら錚々たる面々だ。これだけでも分かるように、カニエは「イージー」および彼自身が表立ったアイコンとして直接盛り上げるだけでなく、その裏では最前線で活躍する未来の人材を育て上げ、現代のファッションシーンに多大なる影響を与えているのだ。
まずは聴いておくべき10曲
1曲目:Through The Wire
デビューアルバム「The College Dropout」(2004年)収録曲で、全ての始まり。曲名は先述の理由とあわせて、サンプリング元であるチャカ・カーン(Chaka Khan)の名曲「Through the Fire」をもじってもいる。
2曲目:Stronger
3rdアルバム「Graduation」(2007年)収録曲で、ダフト・パンク(Daft Punk)の「Harder, Better, Faster, Stronger」を大胆にサンプリング。ミュージックビデオでは、大友克洋の映画「AKIRA」をイメージしたシーンが散見されるほか、謎の日本語も多数登場するので必見。
3曲目:Runway
5thアルバム「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」(2010年)収録曲で、盟友プシャ・T(Pusha T)がフィーチャリングで参加。4つのビッグトピックスがあった2009年の翌年、「Runway」と名付けられた本楽曲がリリースされた意味を考察しながら聴いてほしい。
4曲目:Ni**as In Paris
恩師ジェイ・Zとのコラボアルバム「Watch the Throne」(2011年)収録曲で、トラックの完成度が高く、その年のグラミー賞では最優秀ラップ・パフォーマンス賞と最優秀ラップ楽曲賞を受賞している。
5曲目:Bound 2
6thアルバム「Yeezus」(2013年)収録曲で、ソウルの要素が強い実験的なサウンドを特徴とし、筆者が最も好むカニエの楽曲の1つ。
6曲目:Only One
アルバム未収録曲で、2015年にリリースされたポール・マッカートニー(Paul McCartney)との共作。亡き母ドンダが息子カニエと孫ノースへ宛てたメッセージをオルガンの音に乗せており、涙なくしては聴けないバラード曲。
7曲目:Father Stretch My Hands, Pt. 1
7thアルバム「The Life of Pablo」(2016年)収録曲で、カニエのキリスト教や家族愛についての価値観が分かる1曲。
8曲目:Wouldn't Leave
8thアルバム「Ye」(2018年)収録曲で、パーティ・ネクストドア(PARTYNEXTDOOR)とジェレマイ(Jeremih)がフィーチャリングで参加。精神的に不安定だった際の元妻キム・カーダシアン(Kim Kardashian)とのやり取りが曲になっており、夫婦の絆についてが綴られている。
9曲目:Everything We Need
9th「Jesus Is King」(2019年)収録曲で、Ty Dolla $ign(タイ・ダラー・サイン)らがフィーチャリングで参加。ゴスペル色が強いアルバムの中でも、カニエのキリスト教に対する信心深さが分かる1曲。
10曲目:24
10thアルバム「Donda」(2021年)収録曲で、ヒップホップライクな軽いサウンドにゴスペルの要素を掛け合わせており、ここ数年のカニエの音楽スタイルと心情を表現している。
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