
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)

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パリ・ファッションウィークに2年ぶりに赴き、2026年秋冬コレクションを見て感じたファッションの「変化の兆し」を、AI時代という背景を踏まえて綴る短期連載。第1回は、「Ultimately Black」というテーマを掲げた「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」について。前編では、ブランドと黒の関係を歴史的に遡り、最新コレクションに込められた川久保さんの「思い」について考えを巡らせてみた。続いて後編では、パリでのショーを振り返りながら、「AI時代におけるコム デ ギャルソンの重要性」について語りたいと思う。
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目次
黒のなかで抽象と叙情が出合う
前回は、「AI時代のファッション」という連載の切り口にまったく言及できなかったが、後半ではコム デ ギャルソンの2026年秋冬コレクションのショーの演出や、今年復活した「Six」のことも含めて振り返ることで、AI時代とコム デ ギャルソンというテーマについて私なりに考えを深めていってみたい。

「コム デ ギャルソン」2026年秋冬コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
まずは、ショーで使用された音楽について、少々勝手な想像を膨らませながら考察してみることにしよう。
コンクリートが剥き出しになった廃墟のような会場に、全身黒のファーストルックを着たモデルがクラシックの音色とともに現れた。ショパンやモーツァルトのほか、ウーゴ・ナルディーニ(18世紀のイタリアの作曲家)の叙情的でロマンティックな旋律に、黒のジョーゼットの優雅なテクスチャーと曲線的なシルエットが相まって、一瞬現実から離れた耽美的世界に誘われるような感覚になる。


「コム デ ギャルソン」2026年秋冬コレクション Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
すると、ショーの中盤過ぎに音楽が急に止み、無音のなかで一転、全身ピンクのルックが数体登場した。それは、見るものの感覚を一瞬中断するためのように過ぎ去り、やがて弦楽器の演奏が再開すると、「黒」が再び現れる。新たな曲は、「アルビノーニのアダージョ ト短調」。聞き覚えのある哀切な旋律で、今でも葬送の曲として映像のBGMやドラマなどにしばしば使用されている曲だ。
後から知ったことなのだが、この曲には制作過程の裏話がある。実はアルビノーニ(18世紀イタリアの作曲家)の作ではなく、20世紀の音楽学者レモ・ジャゾットが作曲・編曲した作品だといわれている。第二次世界大戦中に爆撃で廃墟となった、ドイツのドレスデンの図書館から見つかったアルビノーニの曲の断片を基に作られたとされている。どこまでが真実なのかは不明だが、いずれにしろ、メランコリックで情緒的な曲調が感情に強く訴えかけ、世界中で広く親しまれてきた曲であることだけは確かだ。
少し私的なイマジネーションの世界になるが、ここでドレスデンという響きが、私の意識を前シーズンのコム デ ギャルソンのコレクションへとつながる道に引き戻した。ドイツの古都ドレスデンは、第2次世界大戦の終盤、1945年2月に連合国軍(英・米軍)による大規模な無差別爆撃によって壊滅し、数万人の市民が命を落とした。その「悲劇」は戦争の悲惨さの象徴として今も歴史に深く刻まれている(ちなみに、小説家のカート・ボネガットは、アメリカ兵捕虜としてドレスデンで爆撃にあったが奇跡的に生き延び、その体験をもとに『スローターハウス5』を著した)。


「コム デ ギャルソン」2026年春夏コレクション Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
その悲惨な廃墟のイメージは、「Dust」という言葉と結びつき、私に先シーズン(2026年春夏)のコム デ ギャルソンを想起させた。コレクションノートとして伝えられたのは「After the Dust」というフレーズ。「Dust」には、粉塵や埃などとともに、遺骸や亡骸という意味もある。麻やジュート素材で構成されたコレクションルックは、すべて完成した後に丸ごと洗いにかけられていた。それはまるで、廃墟の粉塵や悲劇を葬り、そこから再生するための神聖な儀式のようにも感じられた。そのコレクションには、黒は一切登場しなかった。
そして、今回、「Dust」が洗い流された後に、美しい黒の葬送が現れたのだ。

「コム デ ギャルソン」2026年秋冬コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
薄手で柔らかなジョーゼット素材を使い、目のくらむほど大量に寄せられたひだやノット、ドレープなどが、大胆かつ曲線的なフォルムの中に縦横に配されている。密集、突起、曲線と直線、断絶、軽さ、重さなど、さまざまな意匠とテンションが凝らされた造形には、不思議とどこか優しさと優雅さが漂う。


「コム デ ギャルソン」2024年秋冬コレクション Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
直近のコム デ ギャルソンで、黒がメインとなったシーズンを振り返ると、2024年秋冬の「怒り」のコレクションが思い出される。同じ黒であっても、全ルックに人工レザーを使用したデザインは、鎧のようなハードさがあり、感覚的にも激しくエッジが突き刺さるようなコレクションだった。それに比して、今回の黒の表情はまったく別のものだったといえる。造形の強さは変わらないとしても、どこかたおやかで古典的な優雅さがあり、叙情的音楽と共に、抽象的造形に物語性が溶け込むような気配があった。曲の選択から見ても、「感傷」をあえて恐れない川久保さんの姿勢を感じ、その思いを強くさせた。
「感情」が生むクリエイション

「コム デ ギャルソン」2026年秋冬コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
ショー後半の黒のルックは、主にレースで表現されることで華やかさが増し、“葬送の曲”とともに、私は思わず涙ぐみそうな感情が込み上げてくるのを感じた。──そうだ、私たちは泣いてもいいのだ。流れる涙を拭えるのは生きているということ。泣くことさえも不当に奪われ、できなくなることを、深く悼まなければならない──そう問いかけられているように感じられた。通常は、ありきたりの高揚感や安易な物語性を否定するのがコム デ ギャルソン的だと思っていただけに、感情は複雑に入り乱れた。

「コム デ ギャルソン」2026年秋冬コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
ここまでだいぶ長く、連載テーマであるAIのことについてはまったく触れてこなかった。しかしながら、私にとっては、コム デ ギャルソンを語ることはすなわちAIを逆の形で語ることに等しい、と感じている。川久保さんはかねがね、「感情をデザインする」「最初にあるのは気持ちです」と語っている。それは、普遍的な意味の「感情」ではなく、川久保玲という一人の人間、すなわち「自分」だけの「気持ち」だ。そこからしかクリエイションは生まれない。
この文章を書きながら、いかにもAI初心者が思いつくようなひとつの質問をChat GPTに訊ねてみた。
「AIは涙を流しますか?」
AIはこう答えた。
「いい質問ですね。結論から言うと、AIは実際に涙を流すことはありません。人間が涙を流すのは、体にある涙腺や神経、そして感情の働きが関係しています。悲しみや喜びといった感情が脳で処理され、その結果として涙が出るわけです。一方でAIは、そうした身体も生理的な仕組みも持っていませんし、本当の意味での感情もありません。(・・)ただし、AIは“泣いているように見える表現”をすることはできます。でもそれはあくまでプログラムされた表現であって、内側から自然に湧き上がる感情によるものではありません」(太字はAIによる表記)
だいぶ昔のインタビューになるが、川久保さんは「(コンピュータより)人間の頭の方がずっと複雑だし、広いと考えています」と語っていたことがあった。脳と感情は深く結びつき、それぞれの人間固有の、複雑で偶然性に満ちた表現を生み出してゆく。おそらく、そのすべての根本に存在するのは、世界にたったひとつの有限な自分の身体であり、存在である。
復活した「Six」──第6感を信じて

実は今回のパリでショー以外に楽しみにしていたのが、2年前にオープンした「ドーバー ストリート マーケット パリ(DOVER STREET MARKET PARIS)」を訪れることだった。マレ地区の歴史ある建造物の構造を生かして、川久保さんのディレクションによって迷路のような店舗がデザインされている。表通りから門をくぐると、すぐ中庭が広がり、そこに数ヶ月ごとに変わるインスタレーションが展開されている。私が訪れた3月には、本年度のコム デ ギャルソン社のDM(メディア関係者や顧客に向けたダイレクトメール)のテーマとして、約25年ぶりに復活した伝説のアートブック「Six」のアートインスタレーションが展示されていた。大きな円柱型のオブジェが5つ立ち、その上にも二重に重なるように「Six」の誌面がコラージュされており、私たちは巨大な円柱の間を巡りながら、ヴィジュアルイメージのなかに没入する体験を味わうことになる。


「Six」は、1988年から2001年の間に8冊刊行されたコム デ ギャルソンの世界観を表現したアートブックだ。文字はほとんどなく、写真などのヴィジュアルイメージが脈絡なく並び、その抽象的な流れが未知の感覚を呼び覚ます。川久保さんは、今年のDMにその「Six」を復活させた。いろいろテーマを探すうちにたまたま思い浮かんだ選択、ということらしいが、今この時代だからこそ再び「Six」、つまり「Sixth Sense=人間の第6感」の重要性に目を向けるべき、という意図を勝手に受け取ることはできよう。「Six」には以下のようなメッセージが掲載されている。
「5感は 見る、聴く、味わう、嗅ぐ、触れる という5つの現実的な感覚」
「第6感は現実的に表現できない感覚」
つまり、第6感は見えないが超自然的にどこかから降ってくるわけではなく、自分のなかの何かが突然反応するものである。それは、個人の特性や経験、知識の合理的な総体ではなく、意識や理性を超越した「現実的に表現できない感覚」だと思われる。それこそ、AIには持ち得ないものではないだろうか。「『Six』はコム デ ギャルソンの存在を最も正しく伝える方法の一つ」と、かつて川久保さんは語っていた。

2026年春夏コレクションのDM「Six」
川久保さんは、パリに進出してから45年、ブランド創立から57年、休むことなく継続することを重要な方法論として「クリエイション/仕事」を続けている。その継続した時間がなければ、今回の「結論(最後に残るのは黒。黒が私の色だということ)」にはたどり着けなかったのではないだろうか、と感じる。そこには、誰にも説明できない川久保さんの「Sixth Sense」がかかわっていたのだろうか。
しかし、それと同時に、いやもしかしたらもっと大切なことは、継続がいつでも別の「結論」を運んでくる可能性をはらんでいる、ということなのかもしれない。崩壊と膨張を繰り返す宇宙のように。「終わりなどない」のがコム デ ギャルソンであることは、忘れてはならない。
記憶のなかに現れる、川久保さんのサングラスの真っ黒なレンズが、まるでブラックホールのように思い出される。
最終更新日:
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