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なぜ無名の若者6人は世界を変えられたのか?栗野宏文と辿る「アントワープ・シックス」の軌跡

The Antwerp Six, 1988, published in Elle US May 1988, © Photo: Thierry Bouët

The Antwerp Six, 1988, published in Elle US May 1988, © Photo: Thierry Bouët

The Antwerp Six, 1988, published in Elle US May 1988, © Photo: Thierry Bouët

 ベルギーの博物館アントワープ・ファッション・ミュージアム(以下、MoMu)で、デザイナー集団「アントワープ・シックス(Antwerp Six)」の軌跡を辿る特別展(2027年1月17日まで)が開幕した。ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)、アン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)、マリナ・イー(Marina Yee)、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)、ダーク・ヴァン・セーヌ(Dirk Van Saene)、ダーク・ビッケンバーグ(Dirk Bikkembergs)ら、ファッション史に名を刻む6人の若者たちは、いかにして世界へ羽ばたき、時代を変容させたのか。

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 彼らの黎明期を知り、同国のアントワープ王立芸術アカデミーで幾度も審査員を務めてきた栗野宏文氏が現地を訪れ、80年代のユースカルチャーから、現在の日本の若手クリエイターへと脈々と受け継がれる不滅の「インディペンデント魂」を紐解く。

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Ann Demeulemeester, Spring/Summer 19 90 , © Photo: Patrick Robyn

栗野宏文が綴る展覧会「The Antwerp Six」

 アントワープはベルギーでは第二の都市である。同国の首都はブリュッセルでEUやNATOの本部がある大きな街だが、一時の日本ではアントワープの方が知られていたかも知れない。90年代後半、僕が偶然知り合ったベルギー人は以下の様に語った。彼が岡山に旅した際「自分はベルギーから来た」と地元の高校生に話したところ「アントワープか?アントワープ・シックスは知り合いか?」と聞かれ非常に驚いた、と。ベルギー国内でさえまだまだ知られていない新進デザイナーのことを、遠い東洋の、しかも東京や大阪では無い土地で耳にするとは......念のために書いておくが当時はインターネットもソーシャルメディアも全く普及以前の時代だ。おそらくは地上波で放映されていた「ファッション通信」や日本のファッション誌の成せる影響力、情報だったのだろう。このエピソードはさまざまな観点から今でも忘れられない。(文:栗野宏文)

展示風景

The Antwerp Sixat MoMu–Fashion MuseumAntwerp,2026, © MoMu Antwerp,Photo: Stany Dederen

 2026年、3月28日からアントワープのモード美術館MoMuで「アントワープ・シックス」展が始まり、僕はオープニングに立ち会うことが出来た。展示はおよそ4つのパートから成っている。会場を入って直ぐはアントワープ・シックスが世に出た時代背景を、当時の音楽や雑誌、新聞等のヴィジュアルを駆使して展示している。ダーク・ビッケンバーグス(以下、ダークB)、アン・ドゥムルメスター(アン)、ドリス・ヴァン・ノッテン(ドリス)、ダーク・ヴァン・サーン(ダークV)、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(ウォルター)、マリナ・イー(マリナ)この6人を総称して「アントワープ・シックス」と呼ぶ。名前の日本語表記は現在通用しているものに準ずるが、彼等の母国語であるフラマン語的には正しく無く、むしろ英語圏での表記に近い。実はそこにも彼等の登場から成功迄の重要な背景がある。

 アントワープの6人のデザイナーはベルギーやフランス以上に、英国、そして日本で有名になり人気を博した。何故、英国なのか?それは彼等自身が70年代、80年代の英国、もっと言えばロンドンのユースカルチャーに強く影響されたことに起因する。展示室の壁にはデヴィッド・ボウイやアダム・アントらのUKアーティスト、アメリカからはブロンディやルー・リードのレコードジャケット画像が展示されている。まさに70’s後半から80’sのロック、サブカルチャーの主役達である。

展示風景
展示風景
展示風景
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Introduction in The Antwerp Six at MoMu – Fashion Museum Antwerp, 2026 , © MoMu Antwerp, Photo: Stany Dederen

 そして雑誌。i-DやFACE(共に1980年創刊)、BLITZ......だがVOUGEやHarper's BAZAARでは無い。「新しいカルチャー」を紹介するに相応しい「新しい雑誌」が生まれ、急速に影響力を増していったのもこの時代だった。先に述べたミュージシャン同様に、これらの雑誌(今ならメディアと言うべきか)の影響力は強く、音楽とヴィジュアルが等しいインパクトを持って欧米や日本の若者達を捉えた時代だった。そしてファッション......。新進ファッションデザイナー達はロックミュージシャン同様の熱量で紹介され、読者である若者達に影響を与えた。アントワープの6人は50年代末に生まれ、60年代、70年代に多感な時期を過ごし、創造的刺激を音楽や雑誌から浴び、やがて彼ら自身がi-DやFACEで紹介される立場となっていった。そんな時代の息吹を体感できるのが最初のパートである。80年代後期のロンドンからはハウス・オヴ・ビューティー&カルチャーという創造集団も生まれ、ドルストンにあったアトリエにはマルタン・マルジェラも訪れたと聞く。確かに共通する精神がある。或いはレイ・ペトリをキイマンとした「バッファロー」は斬新なスタイリング&シューティングを次々と前述の雑誌等で視覚化していた自由な集団だった。僕自身も彼等の動き、或いはリー・バウリーに代表されるクラブ・カルチャーをi-DやFACEで知り、強く憧れた。

 続いての展示では6人が共に学んだ「アントワープ王立美術アカデミー」の当時の様子が紹介されていく。後に彼等を教師として、学部長として導いたリンダ・ロッパ(リンダ)自身がそもそもアカデミー出身だった。かのファン・ゴッホも学んだアカデミーにファッション学部が創設されたのは1963年。6人が入学するのは約15年後になる。ファッション史的にみれば「プレタポルテ」がパリを中心に隆盛していった時代にアカデミーのファッション学部も歴史を重ねていき、そこに、若く意欲に溢れた、言わば時代の申し子的な6人が入学したのだ。また、当時は欧州の繊維産業の中で生産国としての位置を持っていたベルギーのファクトリーやその評価にも転換期が訪れていた。高騰するコストや人件費を背景に、今迄のままでは業界が立ちいかなくなることを危惧したファッション関係者達は「若い才能」をファクトリー環境に導入することで、生産者である以上に「付加価値創造企業」としてのファッション業への転換を提案した。今では考えられないことだが、当時はイタリア製の方がベルギー製より安かったのだ。(因みに80年代の彼等の製品はガーメント、ニット、靴も全てがベルギー生産)。

展示写真
展示写真
インビテーション
展示映像

当時のアントワープ王立芸術アカデミーの先生たち

Image by: Hirofumi Kurino

 そして1980年、優秀な新人のデザイナーへの公的サポート・プログラムとして「金の糸巻き賞」が5年のタームでスタートした。6人の若者達はファッションへの夢を、自らがデザイナーとしてデヴューし成功してゆく姿をリアリティーを持って選択し、歩み始める。リンダをはじめとする若く熱心な教師陣、パリやミラノから届く、ジャンポール・ゴルチェに代表される新時代のデザイナー達の活躍、そして何よりもロンドンから発信される全く新たなファッションや音楽のヴァイブは6人を刺激し、勇気付けた。アントワープ・アカデミー・ファッション学部の教育方針は学生達が実際の業界に参入出来ること、そして「デザイナー」として独り立ち出来ること。リンダ自身がテーラーの祖父やファッション小売業者であった親を持つ、ある意味「選ばれたひと」だったことにも大きな意味が有る。時に助け合い、切磋琢磨しあいながら6人自身も「選ばれた次世代」として成長してゆく。

 1981年、1982年、ほぼ同時期に彼等は優秀な生徒として卒業した。後の90年代、後輩達は卒業と同時に自分のブランドを立ち上げデヴューしてゆくがアントワープ・シックスの時代はそうでは無かった。それぞれ「修行時代」があった。ダークVはサロンの様なショップを構え、ウォルターやドリス、アンやマリナやダークBは既存のブランドのアシスタント等を経験した。一方で彼等、そしてマルタン・マルジェラ(マルタン)は「金の糸巻き賞」の初年度から3年目まで、優秀候補者として、グランプリ受賞者として名を挙げていく。その結果、1984年には大阪、1985年には東京に招待され合同のランウェイを実現する。つまりアントワープ・シックスとマルタンにとって初のオフィシャルなランウェイもオーディエンスも日本だったのだ。

展示写真

Image by: Hirofumi Kurino

 MoMuの展示は時代の検証から当時の雑誌の紹介と影響を展示しつつ、アントワープ・シックス達の「旅」を追い、日本に辿り着く。そもそも彼等に最も影響を与えたのは当時世界のファッションシーンで驚きと賞賛、そして反発も巻き起こしていた日本のデザイナー達だ。特に川久保玲の「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」には、その服作りは当然として発想や哲学、ある意味での戦略まで全員が影響を受けていた。東京でファッション・ショウを敢行する機会を得た彼等は新聞や雑誌の取材も受け、憧れていたCDGのオフィスも訪れた。この訪日時にマルタンは地下足袋を発見し、気に入り、数足を購入してベルギーに持ち帰る。もう一つの神話がここに始まった。

 MoMuの展示は彼等の学生時代からプロデヴューへ、そして世界進出へと展開する。彼等を黎明期から知り、彼等自身のブランド・デヴューをサポートした最重要人物がヘールト・ブルルートだ(今展覧会でも彼は共同キュレーターである)。1983年、彼はパートナーのエディと共に、とても小さな、しかし極めてユニークなシューズ・ブティック「ココデリーロ」をアントワープで創業した。「トキオ・クマガイ(TOKIO KUMAGAI)」の様に当時は無名に近い新進デザイナーの靴を中心に品揃え、提案していたココデリーロは6人やアカデミーの在校生、卒業生達の集う場ともなっていく。彼等がヘールトの発案でグループとしてヨーロッパ諸国に営業の旅に出たのも自然な流れだ。移動、宿泊、宣伝......さまざまな観点で「グループ」は経済的だった。ヘールトはミニバスを借り、自身と6人が交互に運転してベルギーから旅立った。そして新人にとってよりパリよりも門戸が広かったロンドンに向かい、彼等は広く注目されるきっかけを掴む。

 1986年、当時ロンドンのオリンピアで開催されていたファッションの集合展で、他の英国新人達に交じってブースを得た。だが彼等に与えられた場所は決して目に付くエリアでは無かった。バイヤーもジャーナリストも来ない......焦りが増大する。本来ならばそこでめげてしまう状況だが、彼等の創造性、グループとしての一体感がここで発揮される。集合展の告知とは別に6人プラスDanaqueというベルギーのブランドを1枚のヴィジュアルに収めたフライヤーを急遽自主製作し会場で手配りしたのだ。

フライヤーには6人プラスDanaqueというベルギーのブランドを加えた「SEVEN」の文字

Image by: Hirofumi Kurino

 それぞれの芸風も異なりロゴのセンスも違うのだが、マリナのデザインによるフライヤーは今見ても格好良い。そもそも彼等はオリジナルでセンスの良い服を作るだけでなく、ブランド・ロゴに代表されるグラフィックも当初から自前で製作していた。因みにMoMu展示の最後のパートでは彼等の優れたグラフィックを纏めて見ることが出来る。彼等の同時代人としてのポール・ブーデンスやアン・キュリスといったグラフィック・デザイナー、ロナルド・ストゥープスやパトリック・ロビンの様なフォトグラファー、そしてヘア&メイクアップのインゲ・グロニャルドは6人と数多くコラボレートしてきたが、彼等と等しく突出してクリエイティブでオリジナルなベルギーのプロ達だ。

展示風景
展示風景
展示風景
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Walter Van Beirendonck invitations in The Antwerp Six at MoMu – Fashion Museum Antwerp, 2026 , © MoMu Antwerp, Photo: Stany Dederen

 さて、前述した即席のフライヤーの効果はてきめんだった。オリンピアに来ていた欧米の先進ショップ、バーニーズ、ジョーンズ、ブラウンズ......のバイヤー達がアントワープ・シックスを買い付けた。そこには黎明期の日本の個店/セレクトショップのバイヤーも居た。アントワープ・シックスは世界に歩を進めたのだ。この後、MoMu会場では各デザイナー別の展示が続く。ここでは全員の詳細には触れないが、例えばダークVの展示はミニ・ベルトコンベアの様な疑似ランウェイ上を数体のマネキンがぐるぐると回る......というアイデアで、ランウェイのマネキンもそれを観るオーディエンスも皆ダークVの服を着ている、といった具合。彼のシックなセンスと、常に醸し出すシニカルさ、諧謔性が実に巧みに可視化されている。デザイナー別の展示はそれぞれのコレクション/服を見せるだけでなく、各自のオリジナリティや哲学、本質を捉えていて、観る者の深いところに響く。キュレーターのヘールトの力量であり、何よりも彼の深い理解と愛情がなせる業だ。

展示風景
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Dirk Bikkembergs in The Antwerp Six at MoMu – Fashion Museum Antwerp, 2026 , © MoMu Antwerp, Photo: Stany Dederen

 MoMuには小さなドーム型の別室があり、同館の企画展ではオーディオ・ヴィジュアル・ルームとなっているが、そこでアントワープ・シックスを知る者たちのインタヴューが上映されている。 彼等をデヴュー時から知り、応援し、認知に大きく貢献した英国の雑誌i-D創立者のテリー&トリシア・ジョーンズ夫妻、ファッション・ヴィデオグラファーのダイアン・ペルネやジャーナリストのテイム・ブランクス......エティエンヌ・ルッソはドリスのフィッティング・モデルからスタートし、後にショウ演出家となりドリス、マルタン、シャネル、エルメス、Y3......或いはステファーノ・ピラーティ時代のイヴ・サンローラン等、あらゆるメゾンのランウェイを任される重鎮だが「何故、無名の6人の若手が注目され、人気を得て行ったか」について語る。おそれながら僕もインタヴューに登場するが、僕は彼らが共に学び、寝食を共にするほど近く暮らしていたにも関わらず、それぞれが明確に自分のセンス、作風、哲学を貫いたこと等についてコメントさせて貰った。 ダークBはスポーツを通した肉体への賛美、アンはダーク・ロマンティシズム、ドリスはクラシックを基としたエレガンス、ダークVは究極のシック、ウォルターはポップでグラフィック、そしてマリナはアーティストだった、と。彼等のブレない独自性、自由な創作と生き方は僕を勇気づけ、その後の洋服屋人生の覚悟と方向性を明確にしてくれたと僕はインタヴューの最後に述べた。

展示風景
展示風景
展示風景

Image by: Hirofumi Kurino

 6人を本質的にとらえ、回顧に留まらず、明確なディレクションを持ってプレゼンテーションされた各コーナー展示を体感して、それなりに彼等のことを把握していたつもりの僕でも更に理解が深まった。「アントワープ・シックス展」としてあらためて見たことの意味は限りなく大きい。個別の展示としては最後のパートでマリナの生前の部屋(アトリエ)が再現されている。彼女の創造的で独特な発想の源を垣間見ることが出来るような、その息遣いが聞こえてくるかのような設えだ。別途、彼女の個展を、街の中心から離れたインディペンデントなギャラリー「ソフィー・ヴァン・デ・ヴェルデ」で観ることも出来て、僕の共感と尊敬は深く心に刻まれた。マリナ・イーを正しく、より広く、再評価させたことはこの展覧会の最大の功績かも知れない。

展示風景
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Marina Yee in The Antwerp Six at MoMu – Fashion Museum Antwerp, 2026 , © MoMu Antwerp, Photo: Stany Dederen

 ファッション業界人、専門学校生......そして何よりファッションを愛する者達にとって、アントワープ・シックスとは何だったのだろう?それは複合的な偶然と幸運、パッションと不屈のインディペンデント魂、そして生産背景が生んだ「一つの奇跡」とも言えるが、同時に、その本質は国を越え、人種を越えたタイムレスで不滅のものである。ファッションというフィールドで証明された素晴らしい「ひとの創造性」のエヴィデンスであり、その魂は、例えば現在の日本においては次々とワールドクラスの新人デザイナーを輩出するここのがっこう(coconogacco)や校名を刷新してまでファッション教育の新たな方向性を歩み始めたヴォートレイル ファッション アカデミー等にも受け継がれている、と僕は信じる。「ソウシオオツキ(SOSHIOTSUKI)」、「ケイスケヨシダ(KEISUKEYOSHIDA)」、「ピリングス(pillings)」、「コトハヨコザワ(kotohayokozawa)」達は同じ学舎で時を過ごし、時に助け合い、時には批判しあいながら、お互いを育てた。そして全てのプロダクツが今でもメイド・イン・ジャパンで実現できるのだ。
 
The Spirit Lives On.


※栗野宏文氏は1993年にアントワープ・アカデミーの30周年展を訪れ、1996年から2002年迄、2009年、2013年の通算9回、その卒業査員を務めた。

◾️「The Antwerp Six」
日程:2026年3月28日(土)〜2027年1月17日(日)
会場:MoMu
所在地:Nationalestraat 28, 2000 Antwerpen, Belgium
オフィシャルサイト

最終更新日:

栗野宏文

Hirofumi Kurino

ユナイテッドアローズ上級顧問クリエイティブディレクション担当。大学卒業後、ファッション小売業界で販売員、バイヤー、ブランド・ディレクター等を経験。1989年にユナイテッドアローズ創業に参画し、販売促進部部長、クリエイティブディレクター、常務取締役兼CCO(最高クリエイティブ責任者)などを歴任し、現職。2004年に英国王立美術学院より名誉フェローを授与。LVMHプライズ外部審査員。無類の音楽好きでDJも手掛ける。

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