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権威と日常の衝突の果てに 川久保玲が「コム デ ギャルソン」27年春夏で暴く剥き出しの生

文・芳之内史也

COMME des GARÇONS 2027SS Collection

Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)

COMME des GARÇONS 2027SS Collection

Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)

COMME des GARÇONS 2027SS Collection

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 誰もが見慣れたデニム生地が過度に隆起し、大きく裂けた隙間から真紅のフリルを覗かせる。あるいは、親しみやすい赤いポルカドット柄が、肋骨のような白い骨組みの隙間から生々しく溢れ出る。川久保玲が手掛ける「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」の2027年春夏コレクションショーは、平穏な日常のモチーフと過剰な造形が衝突し、衣服の構造そのものが歪められていく連続であった。

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 今季掲げられた「When royal life and everyday life become one(王族の暮らしと日常がひとつになるとき)」というテーマの裏には、美の追求というよりむしろ、人間の剥き出しの生をえぐり出すような冷徹な眼差しが潜んでいる。この言葉を文字通りに受け取り、単なる「権威に対するカウンターの表明」と結論づけるのは早計だろう。かつて西洋的ヒエラルキーと美の基準を解体した同氏が、半世紀近い時を経てなお、過去と同じアプローチをとるはずがない。川久保が試みたのは、王族という虚飾と、日常という凡庸な現実を衝突させ、その境界線を破綻させることで、衣服の奥底に潜む人間の生々しい本性を浮き彫りにすることだったのではないか。

「王」として路上を生きた音楽家からの共鳴

 ショーのBGMに使用されたのは、ムーンドッグ(Moondog)の「Frog Bog」や「Caribea」、そしてアリサ・ブスロヴァ(Alisa Buslova)の「Девочка в игре」である。特にムーンドッグは、ニューヨークの路上で生活しながら、バイキングの兜とマントという「王」のような出で立ちで前衛音楽を生み出した盲目の音楽家として知られる。路上生活という社会の周縁にある日常と、王族のような権威的装いを自己の肉体で体現した彼の存在そのものが、今季のコレクションテーマとこれ以上ないほどシンクロしている。

権威と日常の衝突、崩壊するヒエラルキー

 ランウェイは、極端に構築的なデニムのドレスによって幕を開けた。人形のように丸く膨張した巨大なシルエットが一際目を引き、頭には日爪ノブキのハットブランド「ヒヅメ(HIZUME)」による純白の王冠のヘッドピース。その堂々たるフォルムは、裂けたようなギザギザの開口部から真っ赤なフリルが覗き、権威の殻を突き破って血肉が露呈したかのような、生々しい不穏さを孕んでいる。

 以降のルックでも、相反する要素がひとつの身体の上でせめぎ合う。カーキのテキスタイルの隙間からは、ヨーロッパの伝統的なタペストリー柄が覗き見え、ブロンドの髪の毛やタッセルが無数に垂れ下がる。ストライプ、ポルカドットといった日常的で親しみやすい柄は、360度どこから見てもいびつに歪んだ立体造形へと変容させられている。白いステッチを用いてだまし絵のように襟の形を作り込む一方で、衣服の構造そのものは破綻しきっているという矛盾が、コレクション全体を覆い尽くしている。

 内臓の露出と身体の歪み、内なる真実の可視化

 とりわけ強烈な印象を残すのが、身体の歪みがもたらす内側から血肉が溢れ出したかのような生々しさ、あるいはある種のグロテスクな美学である。赤と白のポルカドットを用いたルックは、白いチューブ状のパーツが脊柱や肋骨のように身体の中心を覆い尽くす。それはまるで、抑圧された内臓が体外へと溢れ出したかのような異様さを持つ。また、PVCを重ね合わせて生々しい艶を出した深紅のドレスは、ブルーの外殻に守られるように身体の中心に配され、生物の器官そのものを思わせる。

 なぜ、これらの造形はこれほど強い印象を与えるのか。自問して行き着くのは、王族を象徴する重厚な装飾と、日常を象徴するテキスタイルがひとつになるとき、そこに美しい調和など生まれないのではないか、という答えだ。むしろそこにあるのは、表層の美しい鎧が剥がれ落ち、人間の内面にある血肉や、混沌としたエモーションが外側へ溢れ出すという、ただの生身の人間へと引き戻される痛切な瞬間である。川久保は、肉体の内側にある重苦しい真実、すなわち誰もが等しく抱える生身の身体の生々しさを、巨大な衣服として可視化しているのではないか。

造形美の再定義、日常着が王の衣となる時

 コレクションの最終幕において、王冠は姿を消し、モデルたちの頭部はメタリックなゴールドのおかっぱ頭へとすり替わる。ここでまた主役となるのは、大衆の日常着の最たるものであるデニムだ。

 裾が両サイドに向かって極端に大きく開いたパンツや、ウエスト部分が異様に横へと引き伸ばされた構築的なボトムスは、デニムという日常的な素材を用いながらも、宮廷服以上のボリュームと威圧感を放っている。労働者の衣服であったデニムが絶対的な権威のフォルムを獲得し、ゴールドという富の象徴が無機質なヘルメットのように頭部を封じ込める。このコントラストは、何が価値のあるものなのかという社会のコードに対する痛烈なアイロニーとして機能している。

 人間の平準化、川久保玲の終わらない闘い

 「When royal life and everyday life become one」。改めて強調すべきは、このテーマを通じて川久保玲が提示したものが、既存の権威に対するカウンターでも、表面的な新しさの追求でもなく、ヒエラルキーという概念そのものの無化と、人間の実存的な平準化であるという点だ。

 「裸の王様」という言葉があるように、王族であれ庶民であれ、衣服という名の一枚皮を剥げば、血を流し、内臓を抱え、葛藤の中で生きる同じ一個の肉の塊に過ぎない。王族の威光と日常の凡庸さが衝突したあとに残るのは、あらゆる装飾や社会的地位を剥ぎ取られた人間の孤独と剥き出しの生である。そう考えると、内臓が飛び出たようなドレスや、重圧でひしゃげたようなフォルムは、社会構造が崩壊した際に人間が背負わねばならない精神的負荷の重さそのものをメタファーとして表しているようにも見える。

 かつて新しい形を生み出すことで美の基準を覆した川久保玲は今、純粋に新しい形を作り出すことの限界や苦悩さえも飲み込み、人間の精神の深淵を彫刻し続けている。一見するとグロテスクでもある歪んだ造形美の中に息づいているのは、いかに社会構造が変わろうとも逃れられない人間の根源的な業に対する、冷徹で、同時に慈愛に満ちた深い眼差しに他ならない。

COMME des GARÇONS 2027年春夏

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COMME des GARÇONS 2027年春夏コレクション

2027 SPRING SUMMERファッションショー

最終更新日:

文・芳之内史也

Fumiya Yoshinouchi

FASHIONSNAP ディレクター

1986年、愛媛県生まれ。立命館大学経営学部卒業後、レコオーランドに入社。東京を中心に、ミラノ、パリのファッションウィークを担当。国内若手デザイナーの発掘と育成をメディアのスタンスから行っている。2020年にはOTB主催「ITS 2020」でITS Press Choice Award審査員を、2019年から2023年までASIA FASHION COLLECTIONの審査員を務める。

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