ADVERTISING

【ようこそ古着沼へ】ジッパーだけで5万円? 1920年代の手作りジャケット

座談会

Image by: FASHIONSNAP

座談会

Image by: FASHIONSNAP

座談会

Image by: FASHIONSNAP

 古着の楽しみ方は、人それぞれ。でも、だからこそ「どう楽しめばいいのか、わからない」という人も少なくないのでは。連載「ようこそ古着沼へ」では、古着を愛し続けてきた玄人たちが見出した古着の楽しみ方を紹介します。連載のホストを務めるのは、「ブーン(Boon)」をはじめとするファッション誌でライターやエディターとして活躍してきたアクタガワタカトシさん、全国に店舗を展開する古着屋「フラミンゴ(Flamingo)」代表の植木勝也さん、東京・原宿の老舗古着屋「ベルベルジン(BerBerJin)」の店長としてシーンを牽引する藤原裕さんです。

ADVERTISING

アクタガワタカトシ

Takatoshi Akutagawa

ライター・エディター/東京都出身/1972年生

植木勝也

Katsuya Ueki

古着屋「フラミンゴ」代表/東京都出身/1973年生

藤原裕

Yutaka Fujihara

古着屋「ベルベルジン」店長/高知県出身/1977年生

フリマに登場した全身ヴィンテージの中学生

──今回からゲストを迎えて本格始動。シーズン1のゲストは、全国に18店舗を展開している古着屋「デザートスノー(DESERT SNOW)」の鈴木道雄社長です。以前FASHIONSNAPが行ったインタビューでは、中学生の頃から渋谷や原宿の古着屋に通っていたというお話をしていただきましたが、具体的にどのお店でどんな古着を買っていたんですか?

鈴木道雄(以下、鈴木):よく行っていたのは「ヴィンテージキング(VINTAGE KING)」ですね。あと、「タウンスポット(TOWN SPOT)」や「マービンズ(Marvin's)」など。主に買っていたのはスニーカーやデニムです。学校の先輩の影響で、かなり早い段階でヴィンテージを買うようになりました。

鈴木道雄

──前回の記事でも触れましたが、皆さんは1990年代からのお知り合いで、フリーマーケットを通して仲良くなったそうですね。

鈴木:僕は1978年生まれで、中学生だった1991年頃からフリマに通い始めました。もちろん買う側からスタートしましたが、すぐに売る側になりましたね。最初はスニーカーがメインでした。渋谷の古着屋「フィールドライン」の店頭のカゴで、サイズが大きい「LDV」や「LD-1000」*が3900円で売っていたんですよ。それを、横浜大通公園のフリマで売ったり、委託販売をやっていた原宿の古着屋「サマンサ」に持っていったりしていました。

*どちらも1970年代後半に登場した「ナイキ(NIKE)」の長距離向けランニングシューズ

デザートスノー原宿店で取材を行った

アクタガワタカトシ(以下、アクタガワ):僕とミッチー(鈴木さんの愛称)が初めて会ったのは、1993年頃だったと思います。今日は、当時ミッチーがよく着用していた「ファースト」*と「オレゴンワッフル」**を持ってきました。まだ中学生なのにヴィンテージデニムを着て、足元もヴィンテージスニーカー。「大物が現れたね」って、仲間たちと話していました(笑)。あの頃、小さいサイズのスニーカーをミッチーのところに持っていくと、27センチとかの良いサイズのものと交換してくれたんです。

*「リーバイス(Levi’s)」のデニムジャケット「506XX」。同社が最初に作ったデニムジャケットであることから付けられた通称
**1973年に登場したナイキのランニングシューズ

アクタガワ「オレゴンワッフルは当時、ヴィンテージスニーカーの頂点と言われていました」

鈴木:僕は中学2年生くらいまで、競馬の騎手を目指していたんです。当時は身長158センチ、体重は40キロ台、腹筋はバキバキに割れていてウエストは28インチ。スニーカーのサイズも6ハーフ*と、かなり小さかったんですよ。アクタガワさんとは色々トレードしましたね。一番思い出に残っているのは、ナイキの「チャレンジャー」**です。

アクタガワ:革パッチの「501XX」***と交換してもらったんだっけ。あの頃ミッチーは、「エアジョーダン1」のボーイズモデルを履いてなかった? 当時既にエアジョーダンはかなり高値になっていたけれど、ボーイズモデルだと2〜3万円で買えていたはず。

鈴木:スカイジョーダンですね。スカイジョーダンのサイズ展開は6ハーフまでだったので、もしかしたら履いていたかもしれませんね。

*アメリカで流通しているシューズのサイズはインチ表記で、日本のヴィンテージ業界でもインチを使うことが多い。6ハーフ(6.5インチ)は約24.5cm
**1979年に発売されたランニングシューズ
***1950年代中期頃までに製造されていた501XXには本革製のパッチがあしらわれていた

鈴木「あの頃は家にあった障子に穴を開けて、格子にスニーカーを横向きに入れて保管していました。僕のサイズだとちょうどいいんですよ(笑)」

藤原裕(以下、藤原):ランニングスニーカー人気が絶頂だった時代ですよね。ゴールデンサイズって8ハーフ(約26.5cm)だったんですか?

アクタガワ:8か8ハーフだね。フランス製の「スーパースター」*でも、10や10ハーフだったら買い付けてなかった。そう言えばあるとき、9のスニーカーを半沢さん**のところに持って行ったら「お、ゴールデンサイズだね」って言われたの。そのとき初めてゴールデンサイズって言葉を知った(笑)。

藤原:半沢さん発祥の業界用語、多いですよね(笑)。

鈴木:「両V」***とかもそうですよね。


*「アディダス(adidas)」のスーパースターは1980年代終盤までフランスで製造されていた
**原宿の古着屋「マービンズ」オーナーの半沢和彦氏
***首元の前後両方にV字のガゼット(汗止め)が付いたスウェットシャツ

アクタガワ「あの頃ファーストは小さいサイズなら3〜4万円、501XXも10万円以下で買えていました」

フリマで学んだ古着屋経営の基礎

──植木さんも同じ頃に鈴木さんと出会ったんですか?

植木勝也(以下、植木):そうですね。代々木公園、明治公園、新宿中央公園、野村ビルなど、フリマは毎週どこかで必ず開かれていたので、そこで顔を合わせるうちに自然と仲良くなっていきました。

植木「僕にとってフリマは仕事でしたから、年末年始も成人式の日も行っていました」

藤原:代々木公園のフリマが始まるのは朝8時半か9時でしたっけ? でも、6時くらいにはもう人がいるんですよね。1ブースの出店料は2500円でしたが、僕はそれすら惜しくて、見知らぬ人に「スペースを半分使わせてくれない?」と声をかけて、ブースを間借りしていました(笑)。

アクタガワ:勇気あるねぇ(笑)。

鈴木:ひとつのブースに7〜8人が一緒に出していることもありましたよね。

植木:楽しかったですよね。

藤原「ブース代は事前に申し込みをすると2500円、当日は3000円、初回の人は1500円だった記憶があります」

──毎週のようにフリマに出店するとなると、商品を仕入れるのも大変そうです。

アクタガワ:平日は古着屋をハシゴして、フリマで売れそうなものを探すんです。そうして集めた古着を、週末のフリマで売る。

藤原:今の価値観で言えば「転売ヤー」ですが、当時はそれが悪いという認識を誰も持っておらず、皆が当たり前のようにやっていましたね。

アクタガワ:フリマで買ったものをフリマで売る、なんてこともみんなよくやっていましたね。朝6時に世田谷公園で7000円で買ったジーンズを、10時に明治公園で2万8000円で売ったこともありました(笑)。

植木:フリマは僕にとって学校みたいな場所でしたね。値付け、交渉、人を見る力など、古着屋経営で必要な要素は全てフリマで学びました。

鈴木「デザートスノーのオープンのために小田原に引っ越しをしたタイミングで、フリマには行かなくなりました」

──皆さんはいつ頃までフリマ通いをされていたんですか?

植木:1990年代を振り返るときって、エアマックス95(1995年発売)を基準にしてしまいますよね。

アクタガワ:僕はエアマックス98のとき(1998年)はまだフリマに行っていましたね。

藤原:僕は上京した1997年から行き始めて、2000年くらいまでは通っていました。

鈴木:ベルベルジンはフリマ禁止だったのでは?

藤原:ベルベルジンは、当時から委託販売を行っていたんですが、委託してくれたお客さまとは別のお客さまから「これ、昨日代々木公園のフリマで売っているのを見ました」なんて言われることがありまして。委託販売のことを知らないお客さまは、ウチがフリマで仕入れていると思っちゃいますよね。そういうことが増えてきたタイミングで、禁止になりました。

藤原「代々木公園、明治公園、野村ビルのフリマにはよく行っていました」

初のアメリカ買い付けで手に入れた1ドル99セントのジャケット

──今回は鈴木さんに、これまでのキャリアのなかで特に思い出深い古着をお持ちいただきました。

鈴木:1996年、18歳のときに初めてアメリカに買い付けに行ったんですが、そのときにスリフトショップ*で1ドル99セントで売っていたのが、このジャケットです。

*アメリカでは一般的なリサイクルショップの形態で、寄付された古着などを低価格で販売している

鈴木「このジャケットは直感で買い付けました」

一同:これはヤバい!

鈴木:買い付けてから約30年間、ずっと大切に持っていますが、同じものは見たことないですね。

藤原:おそらく1920年代のものですね。(スマートフォンで撮影したジッパーの画像を拡大して)タロン(TALON)社*の前身である、フックレスファスナー(Hookless Fastener)社のジッパーです。裏側には「1925」の刻印があります。これはジッパーだけでも価値がありますね。ジッパー単体のデッドストックで、5万円くらいするんじゃないでしょうか。

*1893年にユニバーサルファスナーカンパニーとして創業。1937年にフックレスファスナーからタロンに社名を変更。1980年代にYKKにその座を奪われるまで、世界No.1のジッパーのシェアを誇った

藤原「みんな老眼だから、こうやってスマホで撮影して拡大しないと見えない(笑)」

鈴木:買い付けたときは、「ジッパーが変な形だな」と思ったくらいだったんですけどね(笑)。ウール素材のリバーシブルプルオーバーなんですが、タグなどは全く付いていません。量産品ではなくハンドメイドだと思いますが、かなり作りが良いので、素人ではなくプロの仕立て屋が作ったものではないでしょうか。

──お店で商品として売るとなると、価格はどれくらいになるのでしょうか?

鈴木:歴史的な価値はかなり高いんですが、一般の方には全く響かないでしょうね(笑)。

アクタガワ:そもそも、価格の参考になるアイテムが市場にほとんど存在していませんからね。

鈴木:価格は不明ってことで(笑)。これからもずっと手元に置いておくつもりです。

 次回からは、ホストの3人と鈴木さんが今ハマっている古着を紹介します。お楽しみに!

最終更新日:

山田耕史

Koji Yamada

FASHIONSNAP 編集記者

1980年神戸市生まれ。関西学院大学社会学部、エスモードインターナショナルパリ校卒。ファッション企画会社、ファッション系ITベンチャーを経て、主夫業と並行してフリーランスとして活動した後、FASHIONSNAPに参加。ファッションを歴史、文化、経済などの多角的な視点から分析し、知的好奇心を刺激する記事を執筆することが目標。

ADVERTISING

現在の人気記事

NEWS LETTERニュースレター

人気のお買いモノ記事

公式SNSアカウント