ADVERTISING

【新連載:ようこそ古着沼へ】ヴィンテージ玄人が古着の楽しみ方を紹介

 古着の楽しみ方は、人それぞれ。でも、だからこそ「どう楽しんだらいいのか、わからない」という人も少なくないのでは。新連載「ようこそ古着沼へ」では、古着を愛し続けてきた玄人が見出した、その人ならではの古着の楽しみ方を紹介します。

ADVERTISING

 連載のホストを務めるのは、1990年代のヴィンテージカルチャーを牽引した雑誌「ブーン(Boon)」をはじめとするファッション誌でライターやエディターとして活躍してきたアクタガワタカトシさん、全国に店舗を展開する古着屋「フラミンゴ(Flamingo)」代表の植木勝也さん、東京・原宿の老舗古着屋「ベルベルジン(BerBerJin)」の店長としてシーンを牽引する藤原裕さん。連載のイントロダクションとなる今回は、3人が古着にハマるきっかけとなったアイテムや、キャリアの原点となった思い出の一着、そして1980〜90年代のヴィンテージシーンのリアルな空気感を語り尽くしてくれました。

フリーランスバイヤーから編集者に

──この中で一番年長(1972年生まれ)のアクタガワさんから伺います。ご出身は東京とのことですが、古着に興味を持つようになったのはいつ頃でしょうか?

アクタガワタカトシ(以下、アクタガワ):中学1年生のときに、友達が着ていた古着のデニムジャケットが格好良くて興味を持ったんです。1985年頃ですから、ヴィンテージブームが訪れる前ですね。最初に行った古着屋は、雑誌「ポパイ(POPEYE)」に載っていた原宿の「ロンドンドリーミング」というお店です。藤原ヒロシさんも通っていたんじゃないかな。「ルイスレザーズ(Lewis Leathers)」のライダースジャケットや「セディショナリーズ(SEDITIONARIES)」のパラシュートシャツなどのパンク系アイテムを扱っていたんですが、中学生には値段が高すぎて(笑)。似たような安い服を竹下通りの別のお店で探して買っていましたね。

人物

左から藤原裕、アクタガワタカトシ、植木勝也

──入口はアメリカ古着ではなくイギリス古着だったんですね。

アクタガワ:初めてのアメリカ古着は「M-65」*でしたね。「原宿パレフランス」**の隣にあった「シカゴ」で買った記憶があります。当時の原宿にはまだ古着屋は少なかったんです。プロペラ通り***にあった古着屋は「バナナボート(banana boat)」(1981年オープン)くらいじゃないかな。ちょっと脇道に逸れますが、「プロペラ(PROPELLER)」が1988年にオープンしたときは、ヴィンテージの「A-2」****などと一緒に何故かお店で「ポルシェ(PORSCHE)」を売っていたんですよ。

*1965年に採用されたアメリカ軍の野戦用ジャケット
**1972年に明治通りと竹下通りの交差点に開業したファッションビル。跡地では現在「アシックス フラッグシップ 原宿」などが営業している
***明治通りから一本南西に入った通りの通称で現在は「シュプリーム(Supreme)」などが店舗を構えている
****1931年にアメリカ軍に採用されたレザーフライトジャケット

──え、あの車のポルシェですか?

アクタガワ:そうです。お店の1階にポルシェ「356」が3台置いてあったんですよ。なぜ古着屋でポルシェを売っていたのかはわからないんですが、最終的に全部売れたみたいです。本格的に古着にハマったのは大学に入った1991年から。毎日私服を着るようになり、服選びがどんどん楽しくなっていったんです。それから少ししたらヴィンテージブームが到来しましたね。僕が最初に買ったヴィンテージデニムはセカンド*です。確か、「シカゴ」で12万円くらいだったと思います。その頃、ファースト**は15万円くらいでした。

*1952年頃に登場したリーバイスのデニムジャケット「507XX
**1905年頃に登場したリーバイスのデニムジャケット「506XX

植木勝也(以下、植木):まだかわいい値段ですね(笑)。

藤原裕(以下、藤原):今は全然かわいくない値段になっちゃいましたけど(笑)。

アクタガワ:今日、思い出の一着として持ってきたのは、現在所有しているヴィンテージの中で、最初に買ったもの。1993年頃に買った「パワーハウス(POWR HOUSE)」*のカバーオールです。当時、雑誌でカバーオールという言葉を見かけるようになって、「なんだそれは」と気になっていたタイミングで、キャットストリートにあった「タウンスポット(TOWN SPOT)」という古着屋で見つけました。お店の外にあった7800円均一のラックに並んでいたんです。

*通信販売会社の先駆けである「モンゴメリーワード(MONTGOMERY WARD)」が展開していたワークウェアブランド

古着

アクタガワ「均一ラックには他に『シアーズ(Sears)』の70年代のカバーオールなどがかかっていた記憶があります」

アクタガワ:当時は「大戦モデル」*なんてものが存在することは知らなかったけど、大戦中の「501XX」**はドーナツボタン***だったということだけは知っていて、このカバーオールのドーナツボタンを見て「これも大戦中のものじゃないの?」と思って買ったんです。その後もいろいろなカバーオールを買いましたけど、これだけは手放さずにずっと持っています。同じものは一度しか見たことがないですね。

*第二次世界大戦時(1942年〜1946年頃)にアメリカで製造された衣類の古着業界における通称。戦時中の物資統制によって仕様が変更されており希少性が高いものが多い
**1890年頃〜1966年頃に製造されたリーバイスのデニムパンツで、ヴィンテージ市場で不動の人気を誇る
***第二次世界大戦時に製造されたワークウェアやミリタリーウェアに多く用いられていたドーナツ型のボタン

古着

前たてに付いているのがドーナツボタン

藤原:これは裏地付きですね。裏地無しに比べて、裏地付きのほうがメリハリのある色落ちになることが多いですよね。

アクタガワ:そうそう。あと、裏地付きのカバーオールって襟がコーデュロイになっていることが多いけど、これはデニム。これも大戦時の物資統制の影響だったんでしょうね。1990年代前半はまだカバーオールにはそれほど価値が認められていませんでした。1994年に「ルビーズ(Luby's)」が竹下通りにオープンしたときに、今ならば300万円くらいする「N&W」*のチンストラップ付きカバーオールのデッドストックがずらっと並んでたんですが、それが全部5万8000円でしたから。

*ノーフォーク&ウエスタン レイルウェイ社。鉄道会社でありながらワークウェア製造も手掛けた

──大学時代に買っていた古着はデニムが多かったのですか?

アクタガワ:そうですね。やはり当時はデニムから古着に入ることがポピュラーでしたし。ですがある日、ヴィンテージジーンズを何本持っていても、周りと差別化できないことに気付いたんです。そこで目をつけたのがスニーカーでした。他のみんなは同じようなシューズを履いていたから、スニーカーで差をつけようと考え、そこからヴィンテージスニーカーにハマっていきました。周りではまだ誰も使っていなかったイーベイ(eBay)を利用したりして、希少なモデルを手に入れていきました。

人物

手にしているのはアクタガワさんが執筆した書籍「Blue RIBBONS ナイキ誕生物語」(2005年)

アクタガワ:最初はただ自分が欲しいスニーカーを買うだけでしたが、あるとき「売れそうなものを仕入れて、それを売ったお金でヴィンテージスニーカーを買えばいい」ということに気付いたんです。それで、国内の地方にあるスポーツショップを回って、デッドストックのスニーカーやスポーツウェア、バッグなどを買い付けて、東京の古着屋に卸すようになりました。フリーランスのバイヤーみたいな感じですね。あるときブーンでデッドストックのジャージー特集があったんですが、掲載されているアイテムが全部、僕が色々な古着屋さんに卸したものだった、なんてこともありました(笑)。大学の頃はフリマや個人売買情報誌「クアント(Quant)」でも売ったりしていて、毎月100万円くらい売り上げていましたね。だから、就職する気なんて全く起きなかった(笑)。

人物

アクタガワ「当時の地方のスポーツ用品店では、兼松スポーツという企業が正規代理店だった時代の『アディダス(adidas)』のスニーカーなんかも見つかったりしていましたね」

藤原:普通に就職するのが馬鹿馬鹿しくなっちゃいますね(笑)。

アクタガワ:就職する気はなかったけど、メディアに関する仕事には興味があったんですよ。だから、メディアから注目してもらうために、他の古着に比べてるとまだそれほど人気がなかったヴィンテージスニーカーを収集していた、という背景もあるんです。そうやって活動しているうちに雑誌の取材が来るようになり、その後「アサヤン(asayan)」やブーン、「ホットドッグ・プレス(Hot-Dog PRESS)」などのファッション誌で仕事をするようになったんです。

 今まで数多くのスニーカーを手にしてきましたが、これは一番好きなスニーカーのひとつである、ナイキの「LD-1000」。ヴィンテージスニーカーはサイズとコンディションが良いものを見つけるのが本当に難しいんですよ。もう一足、箱付きの新品個体を持っていたんですけど、それは米国のナイキ本社に譲渡して、今はオレゴンにあるナイキのアーカイヴで保管されています。

シューズ

LD-1000は1977年に登場した長距離ランナー用シューズ

アクタガワ:あと、これは24歳のときに買った「24」プリントのスウェット。スウェットは本当に好きで、一時期は100枚くらい集めたのを取っ替え引っ替え着ていましたね。今はほとんど手放してしまいましたが、これは「珍しいけど、それほど値段が付かないやつ」なんですよ(笑)。今はあまり着ていないのですが、売るのももったいないので、手元に残しています。

古着
古着

前面と後面両方にプリントがあしらわれたスウェットは市場での人気が高い

藤原:じゃあ僕が値段を付けてあげますよ(笑)。3万円で買います!

アクタガワ:いや、大丈夫。売りません(笑)。

キャリアの原点は“ブーツおじさん”との出会い

──続いて、植木さんお願いします。植木さんはアクタガワさんより1歳年下の1973年生まれですね。

植木:僕は東京都足立区出身で、高校卒業後に上野の専門学校に通っていました。古着の仕事をするきっかけとなったのが、そのときに出会った“ブーツおじさん”です。

人物

植木「いつお店を出したとかの記憶が曖昧だったので、今回改めてちゃんと調べました(笑)」

藤原:ブーツおじさん(笑)。何者なんですか?

植木:僕が通っていた学校の隣りにあった銀行の支店長の運転手さんで、「ドクターマーチン(Dr.Martens)」や「レッドウィング(RED WING)」、「トニー・ラマ(Tony Lama)」などの人気ブランドのブーツを僕ら学生に売っていたんです。ちょっと傷が付いていたり、箱が潰れていたりするB品なんですが、定価が1万5000〜2万円くらいするものが、4000円均一。後々聞いたら、上野・アメ横のシューズショップにブーツを卸していた商社に古銭収集家がいて、ブーツおじさんは自分が持っていた古札やレアなコインをB品と交換していたらしいんです。

人物

植木「ブーツおじさんは、穴のズレた50円玉や連番のお札などをブーツと交換していたそうです」

 最初は自分用や友達用に買っていたんですが、その頃よく行っていた代々木のフリマで売ったら儲かるんじゃないかと思って、バイトで貯めた20万円を全部使っておじさんからブーツを仕入れ、次の週末にフリマに出したら2時間で完売したんですよ。そこですぐにおじさんに電話して、全部僕に売ってもらえるようにお願いしました。19〜20歳の頃ですね。それから2年くらい、ずっとフリマでブーツを売っていました。

──アクタガワさん同様、植木さんもフリマがビジネスの原体験なんですね。

植木:そのフリマで古着屋をやっている友達ができたんですが、フリマを運営していた団体がローズボウル*に行くツアーを主催していたので一緒に参加したんです。それが初めてのアメリカですね。他のツアー参加者たちがそこで古着を買っていたので僕も真似して買ってみたんですが、日本に持ち帰ってフリマで売ったらブーツよりも売れたんです。もう、何でも売れる時代でしたね。その頃は古着の知識が全然なく、「ビッグスミス(BIG SMITH)」も「ビッグマック(BIG MAC)」**も知らなかったけど、「アメリカで買ってきたGジャン」ってだけで飛ぶように売れて。ちょうどそのタイミングでブーツおじさんが引退してブーツが手に入らなくなったこともあって、当時付き合っていた彼女と「古着屋でもやろうか」という話になったんです。

*ロサンゼルスにあるローズボウルスタジアムで開催されるフリーマーケットで、今も多くの古着バイヤーが買い付けに訪れる
**共にヴィンテージ市場で人気が高いアメリカのワークウェアブランド

人物

植木「最初にお店を出したのは2階で10坪の物件で、家賃は15万円でした」

植木:1999年に、彼女がそのとき住んでいた八王子にお店を出すことになりました。不動産屋に行ったら良い物件がすぐ見つかって。古着屋で働いた経験がなかったから、値段の付け方も分からなくて、フリマ仲間を呼んで手伝ってもらいました。古着ブームは落ち着きつつありましたが、近くに大学があって若い子が沢山いたせいか、オープン当初からかなり売れましたね。その年に2店舗目、次の年には吉祥寺にも出店しました。今では系列店を合わせて19店舗を運営しています。

アクタガワ:その頃、僕が植木くんのお店「カブウェブ(Cabweb)」をブーンで取材しているんですよね。

植木:そのときのブーン、まだ保管していて今日持って来ているんですよ(笑)。1999年12月号ですね。

掲載されている植木さんの当時の愛車(ベンツ)は川崎球場で開催されていたフリマで約40万円で購入したそう

──とても貴重な資料ですね!ちなみに、古着にハマったきっかけは何だったのでしょうか。

植木:僕が本格的に古着にハマったのは、この「サンタ・クルーズ(Santa Cruz)」のTシャツがきっかけです。フリマ仲間が着ていたんですが、このフェード(色褪せ)感に「服ってこんなに色が変わるんだ」って衝撃を受けて「それ格好良いね!」って、脱がしちゃった記憶があります(笑)。歯の部分に穴が空いていて、歯が抜け落ちているように見えるのも格好良くて。これが僕にとっての“ボロ”との出合いです。僕はボロって言わずに“表情”って呼んでるんですけど、穴、ペンキ、フェード、リメイク……そういう表情がある古着が大好きなんです。

裏返さず干していたようで、裏側は生地の色が濃く残っている

藤原:凄い!当時からこのフェードなんですか?

植木:そうなんです。年に1回くらいしか着ていないので、状態はほとんど変わっていないと思います。他にも好きなリメイクアイテムをいくつか。白のスウェットにポケットのように付けられているのは、下着のブリーフです(笑)。アメリカのラグハウス*で見つけました。ミッキーマウスのスウェットも、当時の所有者がサングラスとガウンを着用しているように布を縫い付けています。

*寄付などで集まった古着を集める倉庫

古着

植木「ブリーフ付きスウェットは『ホワイトアイテム』というドレスコードが設定されていた社内ミーティングのときに着て、グランプリを獲りました(笑)」

植木:今はボロが個性として評価されるようになりましたが、当時はこういうのって白い目で見られていたし、お店でもかなり安くしないと売れなかった。それ以前に、お店のスタッフから「こんなの売れません」って返品されちゃうこともありました(笑)。でも僕は、昔からこういう一点物に惹かれていたんです。あくまでも個人的なこだわりなんですが、自分で手を加えるのはドーピングだと思っているので、絶対にしない。買った時の状態をできるだけキープしたいので、これ以上破れないようにネットに入れて慎重に洗っています。

顧客から受け継いだデッドストックの501XX

──最後に藤原さん、お願いします。藤原さんはアクタガワさんや植木さんに比べて少し年下の1977年生まれですね。

藤原:高校1年のときに古着好きの先輩に憧れて、いろいろ教えてもらったのが原点です。当時はサッカー部だったのでアルバイトができず、母からもらう昼食費を貯めて古着を買っていました。僕は高知県出身なんですが、当時高知には古着屋が4軒くらいしかなくて。最初の半年くらいは店員さんが怖くてなかなか話しかけられませんでした。レジで煙草を吸ってて、「いらっしゃいませ」の代わりに煙をフ〜、みたいなのが当たり前な時代でしたからね(笑)。

人物

藤原「昼食費は1日1000円で、毎日うどんを食べて500円を浮かせていました(笑)」

藤原:初めて買ったヴィンテージは、501のビッグE*でした。4万5000円だったかな。その後に70505**のビッグEを2万5000円で買いました。501XXは高知の古着屋でも10万円以上していて、とてもじゃないけど手が届きませんでした。その501のビッグEを、東京に出てくるときに友達に貸したんですよ。でも少ししたらその友達から「なくしちゃった」って言われて。それが5年くらい前に、貸した友達とは別の友達から「タンスの中からヴィンテージのデニムが出てきたんだけど、お前のじゃないか」って連絡があり、僕のところに戻って来たんです。貸したときよりも、だいぶ色落ちしてシミも付いてましたけど(笑)、嬉しかったですね。そのビッグEは2年前に、リーバイスの本社からアーカイヴ用に譲ってほしいと頼まれたので、寄贈しました。自分が初めて買ったヴィンテージジーンズがリーバイス社に所蔵されるなんて、すごく名誉なことだなと。

*リーバイスのタブに織り込まれたリーバイスの「E」スペルが大文字になっているモデルで、1973年頃まで製造されていた
**1967年頃に登場したリーバイスのデニムジャケット

人物

藤原「当時からブーンはよく読んでいて、今も事務所に大事に保管しています」

藤原:上京したのは1997年です。とにかく東京に出てきたかったので、早稲田にあった紙の卸会社に就職しました。最初の半年間は、都内の道を覚えるために毎日トラックで紙の配達をしていたんですが、そのついでによく古着屋に寄っていました。会社には「渋滞していたので戻るのが遅くなりました」って言い訳して(笑)。よく行ったのは、千駄木にあった「ダウンタウンロッカーズマート」*や、水道橋の「ブルドッグ」。ブルドッグには一番お金を使ったかもしれませんね。欲しいものがあれば取り置きしてもらって、次の給料日に買う、みたいなサイクルでした。

*のちに「WOLF'S HEAD(ウルフズヘッド)」を手掛ける幹田卓司氏が1991年にオープンした古着屋

人物

藤原「当時はカーナビがなかったので、紙の地図を片手に東京中を運転していました」

藤原:20歳のときにその会社を辞めてからは、フリーターをしながらフリマ生活をしていました。最初は代々木公園や明治公園のフリマ、その後原宿のキャットストリートの路上で私物を売っていました。その頃、古着屋で働きたいと思って「サンタモニカ」の表参道店に行ったんですけど、募集が終わっちゃってて。知り合いに「新しくできたお店があるよ」と紹介されたのが、当時まだ「FAKE α(フェイクアルファ)」の近くにあったベルベルジンだったんです。そこからベルベルジンに通うようになり、その後今の場所に移転するタイミングで声をかけてもらって、働き始めました。

──今日はジーンズをお持ちいただいていますね。

藤原:僕にとって一番思い出深い古着が、この501XXです。実は、17年くらい前にうちのお客さまがデッドストックで買ってくださったものなんです。片面タブ*で、レザーパッチのサイズ表記が35×33**。35インチって珍しいんですよ。

アクタガワ:33、34、36はあるけど、35は見ないよね。

*ポケットに付けられている赤色のタブの裏面に刺繍が施されていない、希少性が高いディティール
**ウエスト35インチ、レングス33インチを意味する

人物

藤原「ウエスト35インチはかなり希少で、37インチと39インチはそもそも存在しません」

藤原:そのお客さまに「穿きたいから洗ってほしい」と頼まれて、僕がフラッシャーを全部外して洗濯してお渡しするはずだったんですけど、その方が亡くなってしまって。うちの代表にもどうしようか相談したんですが、最終的に僕が譲り受けることになったんです。サイズも自分とぴったりだったので、これはもうお客さまとの思い出も含めて一生穿き続けようと。リアルに17年間、普通に穿いています。ベルベルジンに入ってから、ユーズドのXXはいくつも買いましたけど、デッドストックから穿くなんてさすがに無理だと思っていましたから。「クロムハーツ(CHROME HEARTS)」の財布をバックポケットに入れていたせいで穴が開いているので、そろそろリペアしようと思っています。

古着

藤原「今はベルベルジンで糊付けサービスを行っていますが、当時はそのまま履いていました」

 今回はここまで。後編となる次回は、3人が今ハマっている古着について、熱い思いを語ってくれます。お楽しみに!



最終更新日:

山田耕史

Koji Yamada

FASHIONSNAP 編集記者

1980年神戸市生まれ。関西学院大学社会学部、エスモードインターナショナルパリ校卒。ファッション企画会社、ファッション系ITベンチャーを経て、主夫業と並行してフリーランスとして活動した後、FASHIONSNAPに参加。ファッションを歴史、文化、経済などの多角的な視点から分析し、知的好奇心を刺激する記事を執筆することが目標。


ADVERTISING

現在の人気記事

NEWS LETTERニュースレター

人気のお買いモノ記事

公式SNSアカウント